11/28(木) 昨夜はNグループの高知県人会が渋谷「奈加野」にて開かれた。毎年この時期にやっているが、今年は参加メンバーが多いだろう思っていたが。あに計らん、たったn二十名ばかりであった。これまで会を引っ張ってきた長老達は、あちこちが悪くなったとかで壊滅状態。若手も仕事が忙しいのか、先約があったのかまばらであった。
そんなことで盛り上がりに欠けたが、一つだけ人の繋がり、縁を実感することがあった。
関西ドコモから東京に転勤になった若手が初参加していた。若しやと思い、かつて部下だった岡堂君のことを訊いた。すると「一緒に仕事をした仲です。ユニークな存在でしたが、一直線に進む行動力や情のあった方で頼りにしてました。亡くなった時は、葬式に行ってきました」と、返ってきた。岡堂と一緒だった、AD時代の笑い話を披露しながら、一緒に岡堂のことを偲んだ。
更に奇縁が続く、彼の父や伯父さんが相撲を取っていたとのこと。名前が同じなので、『その伯父さんって大相撲に入ったことが有るうじゃないか?』と訊くと、そうだと云う。私の親戚で故人となった兄貴分と、相撲取りになった伯父さんとは大の友達だったので、よく覚えている。まだ少年だった頃を思い出した。
瓶ビールを遣っていたが、腹が張る。焼酎に切り替えたが、行き着くところは日本酒となる。何時の間にや杯が、徳利が差し出されて盃を重ねる。長老連が居ないので軽くて済んだが、それでも腹に応えた。
二次会は避け、m.kansoにてハイボールを一杯やって、酒場という戦場から帰還(戦線離脱?)した。
何故か今朝の胃も細胞も、うな垂れ萎れ生気がない。それでも炊き立ての飯のホカホカとした香りを嗅ぐと、脳が騒ぐ。家人が弁当を作っている傍らで、茶碗に飯を盛った。相変わらずに食い気だけは衰えないのである。
家人に『弁当作るは面白いだろう』と、言葉を投げると「ゴミを出し、洗濯物を干し、洗物がありで、時間が間に合うか気になって、とてもそんな気にはならないわよ。」と硬い返事である。これゃあ、余計なことを言ってしまったか・・・。ものは考えようだが。