オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

偲びつつ・・・

2013-11-30 | Weblog

11/30(土) 昨夜は旧電話企画本部から電サ本となった時代に、NTT在職のメンバーでの懇談会。当時の我等のトップだった大谷紀幸さんが前夜に急逝したことから、五人の集まりとなった。一様に大谷さんの突然の訃報に愕然とし、驚きを隠せなかった。

遥か彼方となった当時のこと、大谷さんとの思い出話をしながらしみじみと飲んだのであった。吉村元理事が「大谷さんと飲むと、注ぎ注がれでついつい飲み過ぎて、翌日にはお互いに『昨夜はやり過ぎましたな~」と云うことがしばしばであった。と、酒豪でもあった大谷さんを懐かしむ・・・。

                      

益田課長は「大谷さんと二人で中央学園からの帰り、早い時間だったが新宿に着いたらカラオケをやろうと言われた。未だ人気のない店でステージーに立って何曲も唄った姿が浮かびますよ」と話す。

                      

行政管理庁出身として、NTTに来た吉村さんからすると、大谷さんはキャリア臭さのない稀なる人物であったようだ。それは、我らも含めた衆目の一致するところであった。だからこそ、四半世紀も経ちながらも、こうして一緒に懇談を重ねてきた。人柄のなせる所以である。

                      

余談ながら、吉村さんから見ると官庁以上に形式ばり縄張り根性や年次、競争意識が強いのが電電だと映ったようだ。むべなるかな、である。外からの眼で見ると、よりその旧態依然とした体質が異質であり、時代にそぐわない組織と映ったことであろう。私も木っ端のような存在でありながら、その一翼を、旧態依然とした文化やヒエラルキーを担ってきたと云える。

あの頃、吉村さんを囲み飲む機会が多々あった。そんな時に「役人は、官僚が・・・」と批判をすると『役所の方がずっと開けているよ、電電のほうがよっぽど古いぜ』と、聞かされたものだ。そんな会話を、まだ若かった私たちを相手に気楽にしてくれるオープンマインドの方である。新進の気概を買われたのか「現場業務抜本改善」の責任者としてチームができた名古屋に就かれた。その後も、こうして事あるごとにまみえ、地元の柏で行っている大工ボランティアの活動や、往時の難事・秘話などさりげなく話される。

そんな思いで話、懐かしき良き時代を振り返りながらも大谷さんの姿がないのが淋しい。故人の冥福を祈り、ささやかな会を終えた。不確かな情報ながら、四日が通夜、五日が告別式のようだと池田氏からの情報。四日の通夜なら、何とかスケジュールの調整ができそうだ。お通夜で会いましょうと別れた。

 

 

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