3/16(水) 昨晩、最寄駅に着いたのは23時40分であった。20時30分に会社を出たが、そこは大人のことだ。軽く喉を湿してからの帰宅となる。「ローカーボ」の扉を開けると、HOYA兄いがマスターと並んでカウンターにいた。客は一人と云うことだ、私は二匹目のドジョウとなった。
いつものようにハイボールから、と思っていたら「マスターと話していたんだが、古いワインを2000円で出すって言われてんだけど」と、兄いが言う。『じゃあ、それでいいよ』と応え、白ワインを飲むことになった。で、二人で千円づつ出しあった。なんと美しい姿か・・・。
そうこうする内に顔見知りの二人組が入り、次いで佐賀の大将が私服姿で現れた。『どうしたの珍しい姿で?』と訊くと「今日は休みにしたんだ。聖路加に教育入院するんで予約を取ったんだ」とのこと。佐賀の大将は糖尿病とのことで、四月に聖路加に一週間ほど入ると云う。暫くは佐賀に戻らないそうだ。
入院話を聞いている最中に、悪徳チャンが入って来た。なんだか元気がない。そうこうするうちに「娘がね、先生辞めるって言うんですよ。それも今月で。そんなこと全く知らなくてね。ガックリきてんですよ」と、悪徳チャンが嘆く・・・。それも仕切りに。
他人の不幸は我が喜びだ!三人で「なに言ってんだよ、娘が新しい自分の道を拓いて進むんだから喜んで送りだしてやんなよ」「子離れしなくちゃ」とか、異口同音に並び立てた。とはいいながら、高校教師になって未だ二年、自分で選んだ道のはずだからね。親として、残念に思う気持ちはよく分かる。
それでも、違う道へと方向を変えるのも自分の意思だ。しっかりした娘さんのようだし、心配はいらない。親父はひと言「困ったことがあれば、いつでもおいで」で、いいんじゃないか。そんな慰めを言った。
人生いろいろ、子どももいろいろ、大人だって、酒飲みだっていろいろさ。だから面白んだよ、生きていることが・・・。そんな禅問答を胸内で呟きながら、一足先にローカーボを後にした。次の行先は「ちょっぷく」だが、HOYA兄いが「SEIJU」の看板に灯りが点いているの見て寄りたそうだった。『ママさんがそろそろ帰る時間だから、次にしょう』と引きとめた。
時間の方も22時30分を過ぎた頃か、「ちょっぷく」に客の姿はまばらになっていた。そろそろ店仕舞いをしたいような雰囲気の中で、ワインを頼む。と、ワイングラスから零れんばかりに注いだ。「これって厭味じゃねぇか」と言いたくなるぐらいに一杯にしたのだ。注いだのはベトナムから稼ぎにきているグエン君だ。
余談だが、彼は来週、国に帰って結婚すると聞いた。本人は帰りたくなさそうな素振りだが・・・・。彼の日本語はたどたどしい、私のベトナム語は全く駄目だ、ベトナムに駐在したことがあるTOMOKI(HIROさんの甥)にでも来てもらうしかない。一度TOMOKIをこの店に案内した、すると店のひとり一人と話をして教えてくれた。「あの娘は田舎の出身、あの子は北の方で、男の子は僕の妻の実家に近い」とか・・・。
そろそろ引き上げる時間だ、そこへ佐賀の大将と悪徳チャンが現れた。「もうお仕舞だぜ」と云うが、一杯だけと焼酎ロックらしきものを頼んでいた。暫し歓談がつづいた、YAMAちゃん店長が着替えを始めた。今夜は店に泊まらないようだ・・・・。
と、云うような夜の結末が23時40分、学芸大学駅に到着だ。またしても、駅前の「松屋」の灯りが私を呼ぶ。改札を出て、ちょいと左に目を泳がすと、黄色で大きく明るい電飾看板が目を引くのだ。つられて店内へとなった。それでも「小牛丼」330円也に止めるだけの正気さは残っていた。隣に来たアベックなんぞは、カレーライス・牛タン定食なんぞ喰っていた。夜の夜中に、そんなもん喰うやつの面が見たかったが・・・・。喰いもんと、男・女の好みだけは、ひと夫々だからネ・・・・・。沈黙は金だな!
そして三月十六日の朝を迎えた。今朝のメニューは昨夜に決してあった。小牛丼を待ちながら、翌朝のメニューを考え、食べ終えた後に、東急ストアで足りない食材「筍」を買って帰宅。という優等生ぶりの弁当OYAJIさ。先ずは鍋で飯を炊いた。
メインメニューは「チンジャオロースー」なのだ。だから昨夜は筍を買って帰るという手間を掛けた。それに「親子煮」であった。タラコを焼き、ウインナー炒めで、今日の弁当が整った。
例によって家人は丼風を拒否した。長女は親子丼弁当だ。されどタラコの姿をみて「タラコがあったんじゃ・・・」と言ったが後の祭りさ。タラコ取っちゃえばよかったか。
菜はタップリと余る、小僧が喰っても残る。オイラも朝から親子丼を喰うことになった、それもタップリと! 頂きました。胃の具合がわりいぃ・・・。
明日の夕刻、高知へと向かう。月例の帰省である。そろそろ、畑の草刈を始めなくちゃ・・・。来週火曜日の夕刻に会社に戻る、そん奈予定です。