オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

親子丼

2016-03-16 | Weblog

3/16(水) 昨晩、最寄駅に着いたのは23時40分であった。20時30分に会社を出たが、そこは大人のことだ。軽く喉を湿してからの帰宅となる。「ローカーボ」の扉を開けると、HOYA兄いがマスターと並んでカウンターにいた。客は一人と云うことだ、私は二匹目のドジョウとなった。

いつものようにハイボールから、と思っていたら「マスターと話していたんだが、古いワインを2000円で出すって言われてんだけど」と、兄いが言う。『じゃあ、それでいいよ』と応え、白ワインを飲むことになった。で、二人で千円づつ出しあった。なんと美しい姿か・・・。

そうこうする内に顔見知りの二人組が入り、次いで佐賀の大将が私服姿で現れた。『どうしたの珍しい姿で?』と訊くと「今日は休みにしたんだ。聖路加に教育入院するんで予約を取ったんだ」とのこと。佐賀の大将は糖尿病とのことで、四月に聖路加に一週間ほど入ると云う。暫くは佐賀に戻らないそうだ。

入院話を聞いている最中に、悪徳チャンが入って来た。なんだか元気がない。そうこうするうちに「娘がね、先生辞めるって言うんですよ。それも今月で。そんなこと全く知らなくてね。ガックリきてんですよ」と、悪徳チャンが嘆く・・・。それも仕切りに。

他人の不幸は我が喜びだ!三人で「なに言ってんだよ、娘が新しい自分の道を拓いて進むんだから喜んで送りだしてやんなよ」「子離れしなくちゃ」とか、異口同音に並び立てた。とはいいながら、高校教師になって未だ二年、自分で選んだ道のはずだからね。親として、残念に思う気持ちはよく分かる。

それでも、違う道へと方向を変えるのも自分の意思だ。しっかりした娘さんのようだし、心配はいらない。親父はひと言「困ったことがあれば、いつでもおいで」で、いいんじゃないか。そんな慰めを言った。

人生いろいろ、子どももいろいろ、大人だって、酒飲みだっていろいろさ。だから面白んだよ、生きていることが・・・。そんな禅問答を胸内で呟きながら、一足先にローカーボを後にした。次の行先は「ちょっぷく」だが、HOYA兄いが「SEIJU」の看板に灯りが点いているの見て寄りたそうだった。『ママさんがそろそろ帰る時間だから、次にしょう』と引きとめた。

時間の方も22時30分を過ぎた頃か、「ちょっぷく」に客の姿はまばらになっていた。そろそろ店仕舞いをしたいような雰囲気の中で、ワインを頼む。と、ワイングラスから零れんばかりに注いだ。「これって厭味じゃねぇか」と言いたくなるぐらいに一杯にしたのだ。注いだのはベトナムから稼ぎにきているグエン君だ。

余談だが、彼は来週、国に帰って結婚すると聞いた。本人は帰りたくなさそうな素振りだが・・・・。彼の日本語はたどたどしい、私のベトナム語は全く駄目だ、ベトナムに駐在したことがあるTOMOKI(HIROさんの甥)にでも来てもらうしかない。一度TOMOKIをこの店に案内した、すると店のひとり一人と話をして教えてくれた。「あの娘は田舎の出身、あの子は北の方で、男の子は僕の妻の実家に近い」とか・・・。

そろそろ引き上げる時間だ、そこへ佐賀の大将と悪徳チャンが現れた。「もうお仕舞だぜ」と云うが、一杯だけと焼酎ロックらしきものを頼んでいた。暫し歓談がつづいた、YAMAちゃん店長が着替えを始めた。今夜は店に泊まらないようだ・・・・。

と、云うような夜の結末が23時40分、学芸大学駅に到着だ。またしても、駅前の「松屋」の灯りが私を呼ぶ。改札を出て、ちょいと左に目を泳がすと、黄色で大きく明るい電飾看板が目を引くのだ。つられて店内へとなった。それでも「小牛丼」330円也に止めるだけの正気さは残っていた。隣に来たアベックなんぞは、カレーライス・牛タン定食なんぞ喰っていた。夜の夜中に、そんなもん喰うやつの面が見たかったが・・・・。喰いもんと、男・女の好みだけは、ひと夫々だからネ・・・・・。沈黙は金だな

 

そして三月十六日の朝を迎えた。今朝のメニューは昨夜に決してあった。小牛丼を待ちながら、翌朝のメニューを考え、食べ終えた後に、東急ストアで足りない食材「筍」を買って帰宅。という優等生ぶりの弁当OYAJIさ。先ずは鍋で飯を炊いた。

                         

メインメニューは「チンジャオロースー」なのだ。だから昨夜は筍を買って帰るという手間を掛けた。それに「親子煮」であった。タラコを焼き、ウインナー炒めで、今日の弁当が整った。

                            

例によって家人は丼風を拒否した。長女は親子丼弁当だ。されどタラコの姿をみて「タラコがあったんじゃ・・・」と言ったが後の祭りさ。タラコ取っちゃえばよかったか。

                               

菜はタップリと余る、小僧が喰っても残る。オイラも朝から親子丼を喰うことになった、それもタップリと! 頂きました。胃の具合がわりいぃ・・・。

 

明日の夕刻、高知へと向かう。月例の帰省である。そろそろ、畑の草刈を始めなくちゃ・・・。来週火曜日の夕刻に会社に戻る、そん奈予定です。

 

 

 

 

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掻揚げ

2016-03-15 | Weblog

3/15(火) 明け方から、うつらうつらの状態が暫らくつづいていた。夢うつつの中で弁当メニューを考えているのだが、食材を調理しながら同じシーンが繰り返えされていた。こういう状態は疲れるねぇ~、夢の中で疲れちゃ仕様がないのだが。

そんなことで、台所に入ったのは六時半を過ぎてしまった。そこからご飯を炊き、菜の準備である。メニューの方は、夢うつつの中で考えていた蓮根の挟み揚げ」と「掻揚げ」がメイン。これに、「鶏ささみのバターソテー」に椎茸&ピーマン焼を添える。魚は「鮭焼き」、卵はオムレツ風にした。最後に小松菜のお浸しでお仕舞となった。

                                        

長女は今日は仕事のはずだが、出勤の頃合いとなっても姿を見せない。家人に、弁当あるぜメールをするように伝えた。

                           

昨夕、地球市民の会・佐藤会長を宿泊先の上野のホテルまで訪ねた。冷たい雨の中、手頃な酒場を探して入った。昭和通りに面した、この店が想定以上によかった。「日笠絵」とか云う店名だったか、お万歳料理とかで三種類づつ二皿で、六種の酒肴が出た。静かな店内、カウンターの隅で焼酎の湯割りやりながら諸々の話を聞き、した。

専ら聞く方が多いのだが、若干はいっ端の口も利いた。SATOUさんがやっている筍事業、興味を持っていると云う菰の栽培などなど・・・。そして地球市民の会の有りかたなど。あっと云う間に二時間が経っていた。再開を約して別れた。

そのまま日比谷線で帰ればいいのだが、そうは問屋が卸さない。途中駅が人形町なんだから。「ローカーボ」そして「ちょっぷく」と、巡回したのは云うまでもない。「ローカーボ」にはHOYA兄いが居り、一緒に「ちょっぷく」へ。雨で静かな「ちょっぷく」には、土曜の宴の常連メンバーが揃っていた。

                             

学芸大学に帰ったのは23時40分。半端な時間で、思わずラーメンを喰う気になった。「モンゴメリ」に行くと開いていた。700円也の一番安いラーメンを食べた。この前食べた時よりは美味かった。もともとこの店は、学芸大学でNO1と思った店だ。味が戻って良かった。されど、「三浦」の細麺に馴染むと、ここの太麺が喉越しが良くない。人間色々、ラーメンだって色々だ、要は好みの問題さ・・・・。

 

 

 

 

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迷いながらも・・・

2016-03-14 | Weblog

3/14(月) 朝から雨となっている。ここの処雨が多いようだが、菜種梅雨と云うやつだろうか。冷たい雨ながらも、ひと雨毎に里の、山麓の雪を溶かして本格的な春を迎えようとしているようだ。誰ぞの冷え切った体を、身の内を緩めてくれる雨であればいいのだが・・・。

今夕は、銀座の喫茶店「モナリザ」で開かれる〝モナリザ会〟と称される異業種の会に参加する予定であった。処が、先ほど地球市民の会・佐藤会長から電話を貰った。午後の便で熊本から上京されるとの連絡であった。先月佐賀であった、全国ネットワークの会でもお会いしたが、宿が違ったのでゆっくり話ができなかった。そんなこともあって、連絡を下さったのであろう。

遠方から滅多に会えない人が見える、本音の話が出来る方が来るとなれば最優先しなければならぬ。申し訳なかったが、モナリザ会の方には欠席の連絡をした。佐藤さんとどんな話が出来るのか、聴けるのか愉しみである。

さて、今朝の弁当のことだが、目覚めてからも何も浮かばなかった。勿論メニュー構成のことだ・・・、何時もなら前夜に考えが纏まるのに。

六時頃に台所に入り、冷蔵庫の中を物色した。今朝は長女の弁当が不要なので、一人分だけ。そうなると余計にメニュー選択の幅が狭くなる。とはいっても家の山の神、大黒様だ。元気が出る弁当を作らねば・・・。

冷凍の豚バラ肉と野菜(シメジ&タマネギ)で、焼肉風味付けの炒め物で一品。冷凍鶏肉と根菜(人参&大根)の旨煮が二品目。三品目は、土曜日に築地で買った残りのマグロをカットしオリーブ焼きにした。こいつにはニンニクをひと欠片ら熱して香りづけし、パラりと塩胡椒しほど良い加減に醤油を一垂らし。小ねぎも炒め焼いて添えた。

                       

最後の逸品は「卵焼き」だ!醤油と出汁汁を一垂らし、丁寧に焼き上げた。仕上に、最近取り寄せた紫蘇チリメンジャコを散らしてみた。

                            

有りあわせの材料で作ったにしちゃ、一人分の弁当に勿体無いような仕上がりじゃない?

 

土曜日の夕刻、出勤していたYOSHIOを伴って「ちょっぷく」に参上。土曜日恒例の宴に参加。この日は、ランチタイムに洗い場の応援をした、加えて「鯛シャブ」だと云うので真鯛の大きいのを築地から仕入れて差し入れした。気弱な私だが、この日ばかりは胸を張って加われよう?ここん処、飲み代は払ったことがないんだ。

何時ものメンバー、ミムラッチにフナッシ―&マッチャン、「秋葉・ちょっぷくの」HAYASHI店長とYOSHIOと云う新顔もどきも入って宴が始まった。俺の買ってきた鯛はHAYASHIさんが捌いたそうだ。鱗取りが見当たらず大騒ぎだったそうだが、料理人のHさんが大根で鱗を取ったそうだ。大根で鱗を取る技は知らなかったょ!

「鯛シャブ」に「タラ鍋」、ランチの残りの小鉢、揚げ物と盛りだくさんである。あっと云う間に満腹、満員だ。ビールからワイン、日本酒と、アルコールは売るほどある。次々と出てくる・・・・。酔いが舞わlると演歌タイムの始まりだ。尽きない…尽きない、宴が・・・・。それでも区切りをつけなきゃ、帰らなきゃ・・・。

                        

五時間余に渡った宴も23時過ぎに御片付けタイムを迎えた。先に帰したYOSHIOは、携帯電話とタバコを置き忘れていた。その点、俺なんぞはしっかりしている。店仕舞いの後、「ローカーボ」を覗いたところ灯りが点いていた。立ち寄ってハイボールを、居合せた三浦の大将&悪徳チャンとお喋りし、最終のメトロに乗ったのであった。

 

 

 

 

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築地

2016-03-12 | Weblog

3/12(土) 今朝、築地市場へと出掛けた。目的は「鯛」であった。今夕の「ちょっぷく」での週末宴会で鯛シャブをやることになったのだ。と云うのも、店長が「フグ鍋」をやると言うので淡い期待を抱いたが、3千円で取り寄せたセットだという。『それじゃ一人前ぐらいしかないぜ。俺が鯛でも買ってこようか』と云うと、「じやぁ鯛シャブだ~」と喜んだのだ。

そんな余計なひと言で、今朝の築地市場行となった。先週は鮭を買いに行ったので、二週続けての市場通いだ。魚市場に入る前にヤッチャ場を通ったら「筍」が並んでいた。市場に並んでいるので、先日買った筍よりは新しくて美味いに違いないと、ついつい買い込んだ。熊本産の小さな筍が、箱の中に10本入っている。YOSHIOと”ちょっぷく”のチーフ・ヨっちゃんに三本づつお裾分けだ。

肝心の「鯛」は、調理のことを考えて頭を落とした奴を買った。隣のマグロ屋の兄貴が「安くしとくから、マグロ買ってよ」と云う。ついつい話に乗ってしまった。明日の我が家の飯は、タケノコご飯に土佐煮、魚はマグロとなりそうだ。魚ついでに、紅鮭の半身も仕入れたが、これは働きづめのYOSHIOへの土産だ。

仕事をしないオヤジというのは、かくも気を使わねばならぬのだ・・・。

買い物を終えた後は、例によって緑明軒でフライを。今日もビール、摘みとしてアジフライを頼んだ。熱々のふっくらと揚がったアジフライが二枚。ビールをやりながら、これを頂いた。仕上げは「愛養」でコーヒー。ここのコーヒーは実に美味い。香りと舌触りが、喉越しに充実感すら感ずる。緑明軒ともども、豊洲へ移転するのか気になる処だ。

                         

                                        場外市場の賑わい

そんな時間を過ごしてメトロの東銀座駅に入った。ここからが思案のしどころとなった。自宅用のマグロと筍が有る所為だ。 一旦帰宅するか、人形町へ行って鯛を店に置くかと。思い余って、先に来た電車に乗ろうと決めた。

ホームに降りて電光表示を見ると、中目黒行が人形町方面より1分早く来ることになっていた。じゃあ、自宅に戻ろうとなった。処がだ・・・何と遅く着くはずの電車が先にホームに入って来たのだ。しょうがねぇ、人形町に向かうことにした。が、これが事件?の始まりだった。

「ちょおっぷく」に行くと、店長とチーフの二人の姿しかない。どうしたんだい?と、訊くと「ミムラッチが、都合が出来て昼間これないと言ってきたんだよ」と、YAMMAちゃん店長がボヤく。土曜日は、助っ人隊のNO1野郎・ミムラッチが何時も手伝っているんだ。二人じゃてえへんだ・・・。

ここは男気をみせるしかねぇ・・・『洗い場ぐらいならやれるだろう。邪魔にならないように手伝うよ』と言ってしまった。本来なら、今頃は中目黒に着く頃合いが、電車が遅れた所為で飛んだことになっちまった。

ランチタイムが終わる二時過ぎまで、皿を洗い、飯や味噌汁を汲む破目になった。幸いにも今日のランチ客は少なかった。先週は60食出て忙しかったそうだが、今日は40食ぐらい出たか。

すっかり草臥れて、会社に顔を出したのであった。店には夕方に舞い戻り、鯛シャブの準備をする。

 

昨夜は前島先生の自分史出版のお祝い会。田町の居酒屋を幹事が予約してくれた。真面目なあいさつが有り、HASHIMOTO先輩が剣道部の草創期のことなどを披歴された。

先生の現役時代や再就職された会社の社長時代と、仕事において剣道で大いに助けられた逸話をお聞きするうちに時間となった。若い幹事が先生を送り、私と先輩、それにもう一人が残って軽い二次会となった。

                           

九十歳のの先生が矍鑠と歩かれるのに、先輩の歩く姿はなんとも無様で気の毒(他人のことを言えた義理じゃねえが)だった。訊くと、脊柱管狭窄症で足が痛い、治らないとのこと。先ほどのお祝い会で、若い頃の剣道着姿の写真を張りだしてあったが・・・・。致し方ないか、先輩も77歳になったからな。

これで終わればいいものを、未だ22時前だと、独り人形町に舞い戻った。そして「ローカーボ」で、パトロール隊のオヤジ連と一杯交わし、最後は「ちょっぷく」で安ワインを飲んでからのご帰還だった。当然零時は過ぎていた。

 

今朝の出掛けに初めて気が付いた。ラッパ水仙と云うのか、花が二輪。。私は二日酔い気味で頭が重いながらも、花は綺麗だった。

                            

 

さあ、今夜も演歌、演歌酒場の御開帳だ・・・・。

 

 

 

 

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サンドイッチ&繰り言

2016-03-11 | Weblog

3/11(金) 今週も早や金曜日となった。早いねぇ~と思うのは、私ぐらいか? 週末となっても日曜には平和島競艇のレースはない。何処ぞに梅見?ちょっと時期遅れか。朝から飯を喰ってビールじゃあ、能無しと言われそうだし。こんなことを考えているようじゃ、ボケオヤジの典型だ。

今朝の目覚めは・・・、気が付くと、なんと7時20分になっていた。昨日、一昨日とは大違いの遅い時間になっていた。流石に『どうなってんだ!今朝は』とは思ったが、現実を受け入れるしかない。時計の針は戻せない戻らない、時計なんてやつはその程度のものさ。義理も人情もない、しらない生き物(?)だからな・・・・。

長女が立ち寄る時間が目前に迫っている、残り10分しかない。然し、それだけ有れば何とかなるかも。為せば成る・・・、ナセルは何処だかの大統領。なんてのが流行ったのは遥か昔のこと。誰も覚えちゃいねえだろうが、えっ!知ってるって?それやぁかなり古い人だね

てぇ言うことで、今日の弁当はサンドイッチに。なんのことはない、暫くサンドイッチを作ってないと思い、昨夜の帰りにパンを買っておいたのだ。

大急ぎで卵を茹で、キャベツと新タマネギをスライスし、北海道館で買ったベーコンを切った。目玉焼きを作りベーコンを炒める。スライスした野菜にベーコンと目玉焼きをのっけて一丁上がりだ。ゆで卵を刻んだタマネギと一緒にマヨネーズで和える。

そんなことで、手抜きながらも一応間に合わせることができた。昨夜の計画では、ツナサンドと卵サンド、ベーコンサンドにポテトサンドの予定だった。手抜きとはいいながら、大きな違いはないだろう・・・・・。勘弁して貰うしかないが。

                           

一つ味見をしたが、パンがちっとも旨くなかった。駅に着いた時間には、駅前のパン屋の灯りは消えて久しく、東急ストアのパン棚には、売れ残りの品が僅かにあっただけ。上手くいかない時は、押しなべてこんなものだ。そんな例えも身に滲みる、今朝の弁当だった。

昨夜の帰宅は22時30分と早かった。アルコールの方もセーブしながら飲んだので、酔っ払うような酒じゃなかった。仕事先の知り合い二人を相手に、伊佐美の湯割りを5~6杯。宴が終わってから、奈加野の店主に「ラーメン喰いに行こうぜ」と恫喝された。渋々付き合い、そこではハイボールを一杯だけだった。

間の悪いことに、行ったラーメン店に奈加野の常連客が二人り居た。NAKANOのオヤジは調子よく、二人に生ビールと焼き豚骨をふるまったが、払いは俺の方ときたもんだ・・・・。バカヤローと云いたいが、平和島の送り迎えと駐車場の料金は払ったことがない、払わねぇことにしている。これぐらいのことは、しょうがアンメェ・・・・か。

「明日、築地に行くが、一緒に行かねえか」と誘われたが、今日は午前中に歯医者の予約がある。『残念ながら、今度にするよ』と、断った。一緒に行っても、オヤジはランチの仕込みがあるとばかりにコーヒー飲むぐらいで直ぐに帰ってしまう。昔は、市場の飯屋で一緒に飯を喰い「よく朝から飲めるな」と云いながらも、俺が飲んでるビールの一杯も付き合ったのだが・・・。

そんな前夜だったので、今朝に疲れを残しているはずがない。それが七時過ぎまで目覚めぬとは・・・・・、そんなこともあるか。

 

 ― お祝い会 ―

 今夕、前島先生の自伝出版のお祝い会がある。剣道部の後輩で、剣豪小説家に転身したSAITOU MITUAKI君から、先生が自分史を出版されたと聞いたのは昨年の暮れであった。『それじゃお祝いをしなくちゃ。悪いが君がスケジュール調整をしてくれよ』と、SAITOU君に丸投げしたのだ。

それが、今夕開かれることになった。メンバーについては彼も悩んだようだが、先生から「小さくまとまった会にし下さいて」との要請があり、十人足らずとのことだ。少数ながら、SAITOU君の行き届いた配慮によるメンバーである。万事に遺漏のない人選であろう。

前島先生は九十歳になられたが、元気に独り暮をされている。先生に初めてお会いしてから、四十余年の年月が流れたことになる。初めてお会いした時点で、先生は電電の幹部ポストに在った。長きに渡って、ご指導・ご支援を頂いてきた。

 ー 余談ながら ― 先日剣道部OB会の案内が届いた。帰省の予定があり会には出席できない旨の返信をした。が、その案内状に、先生の自伝出版を祝う旨の文言も、お祝いを併せて行うとの案内もなかった。残念な思いがした。

或いは、違う形で先にお祝いをしたのかも知れない。また、先生のご意向で、にぎにぎしいことはやらないことにしたのかもしれない・・・。そうであれば良いのだが・・・・。だが、何か大事なものを、ことを忘れているのではないかと云う思念が拭えない。先人を敬うこと、広く大きな眼でものごとを捉えるということ、端的にはそう云うことだが・・・、我が後輩たちは分かっているのだろうかと。

東京剣道部OB会は、二十年前に故・高田幸男先生と前島先生の肝いりで発足した。この会を作るように指示を受けたのが私であった。防具を付けることから遠ざかっていたので固辞したが、「剣道部を物心両面から支援するためのものです」と、両先生が仰った。そう云う趣旨であればと、初代の会長をやらせてもらった。

然し十分なことが出来ないまに、NTTグループを離れるのを機に会長職を後輩に託した。未だ、反省と忸怩たるものがある。もっと徹底して剣道人としての、社会人としてのあり様を教え込むべきだったと。所詮は、道場に立ち防具を竹刀を持たないものの遠吠えに過ぎぬが。

                             

 先生が剣道部や剣道人の為に尽くされ、そのお陰で剣道部の今日がある。そのことは厳然たる事実であり、剣道部員であれば衆知のことだと思っている。その先生の九十年の人生、仕事と剣道と共に歩まれてきたた証しが、この自伝に記されている。読んだ方がいい、若ければ若いほどに手本となる。人生の手本・人生訓であり処世訓でもある。

 

 

 

 

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文久元年

2016-03-10 | Weblog

3/10(木) 今朝の出勤前、会社からほど近い文久元年創業という「清寿軒」と云う和菓子屋に立ち寄った。文久元年は西暦1861年となり、世はまさに幕末。江戸幕府は崩壊寸前で、土佐藩では武市半平太が土佐勤王党を結成した年らしい。

そんな風雲急を告げる年に創業の和菓子舗「清寿軒」だが、ここのどら焼きが人形町界隈では有名である。人形町界隈には、江戸に幕府が開かれた時代に、上方から移ってきたと云うような歴史もつ老舗が多々ある。日常、私に縁があるとすれば団扇の「伊場仙」ぐらいのものだが・・・。

そんな中で、幕末と時代は下るが「清寿軒」には身近な”どら焼き”があるので偶に立ち寄る。ただ人気なので、早く店に行か、事前に注文をしておかないと入手できないのがミソだ。今朝も、寄った折には既に十人程が並んでいた。つづいて、ひっきりなしの客であった。

                       

ここのどら焼きは、黒糖でも入っているような色合いの厚めの柔らかな皮に、たっぷりの小豆餡が詰まっている。このアンコだけを取って汁粉にしてもいいとのことだ。今夕、渋谷「奈加野」にて客人と懇談を予定している。そのお土産として面白いかと急に思い立って寄った次第。値段はしれたものだが、ずっしりとした重量感で、実に手応えを感ずるのだ。

で、今夜の席は渋谷ということになっている。余談ながら・・・。

昨晩、BSジャパンで「ちあき なおみ」の再放送があった。月曜日、御学友のTV屋HOSOKAWAに会った折にそのことを聞かされていた。そんなこともあり、我が友がプロデユーサとして関っている番組を見ようと思った。夕方の約束をそこそこに済ませ、翌日の弁当用の食材を急いで買い、ビールも飲まずにそぼ降る雨の中を急ぎ帰宅した。

番組の方は二時間のスペシャル番で、八時から十時までTVの前となった。拙いことに他局で、高倉健さんの特番があった。が、こっちは、幸いにも九時~十一時だった。我が友への義理立てを優先し、先ずは「ちあき なおみ」だ。二時間タップリと堪能した後、健さんとなった。ぶっつづけで三時間、それも平日にだ。暇な男だとつくづく思うよ・・・・。が、これも浮世と云うことだ。

前夜のアルコール摂取量が少なかった今朝は、五時前に目覚めていた。今朝の弁当は、昨夕買った「筍」だ。BS番組が始まる前に大急ぎで筍の灰汁抜きをしたのだ。TVでやっていた灰汁抜き方、大根おろし・水、・塩少々に漬けると云うやつだ。

「筍ご飯」をメインに、筍と人参・鶏肉の煮物である。本音を言えば、灰汁抜きが上手く行ったのか?筍が安いやつなので美味いのか?と、??だらけであったのだ。五時過ぎの起床なので、時間だけはタップリとある。ボチボチとやっていけばいいのだが・・・・。

                          

「筍ご飯」は薄味ながら、タケノコの食感と香りはそこそこにあった、なんとか合格としよう。鶏・人参・タケノコの煮物は、少量ながら旨い味になっていた。筍が採りたてならもっと上手くいったに違いないが。安いのを(六百円)買ったんじゃ仕様がねぇか。

後の菜は、「小松菜のお浸し」と「鶏ささみと椎茸のバター焼き」。卵焼きと銀ダラ西京漬け・タラコ焼きであった。

                     

筍は田舎の従姉に頼んで送って貰う手もあるが…。今度は鮭ならぬ、明太子だ、ホッケだとか言い出しかねないからな・・・・。

                           

 

 

 

 

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騙しか・誇大か?

2016-03-09 | Weblog

3/9(水) 昨夕、大阪から上京した後輩と久々に会った。日本橋の東京事務所の監査が終わったとの電話があったのは4時。私が居る堀留町までの道案内を電話でし、歩いて来るように伝えた。たかだか10分程度の距離である。PCの電源を落として、事務所を出ると直ぐに出会えた。

時間帯が早いので、この界隈で開いている店は限られている。人形町駅の近くにある、24時間営業の「磯丸水産」に入った。店内に客の姿は二組、四人だけだった。この時間帯だ、飲んでいるのはよほどの暇人だろう。俺たちもその口に入るか?

大したものは無い店だが、ガスコンロで焼いて喰わすのがここの売りだろう。俺らはハイボールを飲みながら、串野菜やホタテを焼いた。お互い環境が違うので、話すことといえば昔のことか、共通の友人のこと、リタイア後の暮らしのこと等であった。

彼は自宅が高知市内にあり、家族がいるので先行きはハッキリしている。1~2年で退職だろうから、高知に戻ってゴルフでもしながら・・・。と、云うことだった。思い返せば、彼の単身赴任歴も長い。東京時代、そして大阪・高松・松山・大阪とサラリーマン生活の大半が単身赴任のはず。リタイヤ後は郷里でのんびりと暮したいと云うのも分かる。

そんな話をしているうちに七時になった。彼は、事務所のメンバーともう一席あるとのこと。そのメンバーをこっちに呼べよ、と言ったが。そうもいかんと、別れることになった。今月、監査役研修で再度上京の予定がるとのこと。時間があれば、また連絡を寄越すだろう・・・。

ハイボール5~6杯で酔った、酔った気分になった。一人でも、もう一~二軒廻る時間帯だが気分が乗らない。その気にならなかった。こんな日もあるさと、帰宅することにした。

最寄駅に着き改札を出ると、目の前に在る「東急ストア」の前で、CDの移動販売をやっていた。大きな表示で「980円」と、ワゴンの上に立っている。”シャーリーバッシ―”やアダモのジャケットが目に入った。思わず買う気になり、三枚のCDを選んだ。勘定をしようと、渡すと「五千八百・・・」と言った。『えっ、一枚980円じゃないの」と訊くと、アダモのCDだけが980円で他の二枚は二千数百円とのこと。

                          

買うのはアダモの一枚だけにして、二枚は戻した。なんのことはねえ、980円と大きく書いてあるのは客寄せだった。これって誇大広告とか、騙しのテクと云うやつじゃねえか?オイラは騙された気分だった。お蔭で、酔いも醒めちまったょ!

 

そして、久しぶりにアダモを聴く。懐かしい~ねぇ。「雪が降る」「ブルージンと皮ジャンバー」・・・etc。アダモが来日した時は聴きにいったが、あれは新宿厚生年金ホールだったか?。この時代に売れていたのがシャンソンの「越路吹雪」だった。彼女のステージを見たのは浜松町の「メルパルクホール」だっのか?一緒に行ったのは、独身寮で一緒だったHAMANOのはずだが?

980円で、穏やかな気持ちになったのは確かだ。今週一杯は、アダモで目覚め、アダモで眠ることになりそうだ・・・・。

 

夜中に目覚め、眠れないままにいたつもりだが、まだらに寝ていたようだ。気が付くと6時半だった。急いで弁当の準備をしなくちゃ・・・。眠れぬままに今朝のメニューを考えていたのだ。ご飯は「蜆ご飯」にしようとか、「トンカツ」は予定通りだがサブメニューは「ポテトサラダ」に、「アスパラの豚肉巻炒め」などと。

                        

で、深夜にネボケながら考えたとおりのメニューを作った。鮭を一切れ焼いたのだけ、おまけだ。

                            

長女は要らないはずだが、一応小さな弁当箱にて用意した。菜の下に千切りキャベツが敷いてある。ちじみ風の焼き物と、ポテサラのパスタはサービースです。

 

 

 

 

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TV屋とプルコギ

2016-03-08 | Weblog

3/8(火) 今日はやたら暖かい。春の陽気をとおり越して初夏を思わすようだ。そんな陽気で、虫が蠢くように蒲団から出た。さあ、今朝も弁当だ・・・。

今日の食材は、有楽町の交通会館一階にある北海道物産館と、人形町「日山」で買った品である。昨日の夕方近くに、有楽町で友人のWAKABAYASHI氏と会った。昨年の秋に、彼の住いが在る日野で会って以来であった。彼は長年、労働組合の仕事に従事していたが、その関係で呼ばれてきたとのこと。

駅前の喫茶店[ルノアール」で二時間近く話し込んだ後、彼は会の方に行き、私は北海道館を除いて若干の食材を贖った。そして人形町まで戻ったが、「日山」が開いていたので牛小間と豚ロースをトンカツ用に買うと云う、真面目な亭主ぶりを発揮(カカア天下かも)。

友人のHOSOKAWAから、電話が入った。「久々に飲みたい」とのことだった。『じゃあ、人形町の安酒場で待ってるから』と、伝えた。タイミングが良かった。会社に戻らず、そのまま「ちょっぷく」でスタンバイし、彼を待ちながらの独り酒。店は客の入りが上々の様子。邪魔にならないように入り口の壁を背にした片側席で、店長の仕事ぶりを見ながら飲み始めた。

昨日の競馬の結果、惨敗ぶりを聞きながら『そんなもんさ』と、相憐れみだ。時間が早いのだが、スマホのUチューブで演歌を流し口ずさむのは俺じゃネェ、店長のYAMAちゃんさ。そんなことをしている内に、HOSOKAWAが到着。一杯やりながら、演歌を話題に。彼は、BS番組の編集が終わったところだと、ホッとしていた。

今度BSの特番で昭和の演歌歌手、それも女性編の企画を提案する予定と云う。安酒場のざわめきの中に演歌が流れ、話題も演歌。それでエエンカ?なんてオヤジギャグを云いながら暫し演歌談義を楽しむ。彼の仕事上からも、今夜の話題はタイミングが良かった訳だ。

ざわめきから脱けて、ハイボールの美味いのを飲もうと「ローカーボ」へと場を移した。人形町パトロール隊のHOYA兄いとマッチャン、それにミヤケッチが上司と並んでいた。その合間に俺とHOSOの座を空けて貰った。

ハイボールを飲みながら『何時まで仕事するんだ?』と、いつもながらの問いをする。「俺の気持ちとしては、75歳までと思っちゃいるけどな・・・」『その思いはいいが、それまで頭と体が持ってくれるかな・・・、それが問題だぜ』そんな会話をしたが、現場仕事が好きだと云うHOSOKAWAは、根っからのテレビ屋だった。

学生アルバイトのNHKに始まり、テレビ東京・フジTVから系列の制作会社、マレーシアの現地法人と、20歳以降が全てテレビの世界だ。挙句に女房まで、番組の司会をしていた、かつての大物女優の付き人ときたんじゃ・・・・。

年月の流れの中で、俺たちの頭の賞味期限が何時まで持つかだ。HOSOの話じゃ「若いTV局のディレクターに、昭和でも戦後の風物・歌のこと言っても解からない。話が通じない」とのことだ。BS放送を一番見ているのはシニア層らしいが、この層にマッチした番組企画をとおすのが一苦労だとか。

七十五まで仕事をやりたいと云う、その意気は大いに結構だ。そんな友だからこそ、酒を飲んでも面白い、また会おうぜとなる。昔話をするだけじゃ能がねぇ。とはいいながら、俺の方は何んの役立つこともしてねぇや・・・・・。

                             

                           然し、奴も年取ったナ!

 

今朝の弁当作りのっスタートは、6時40分。鍋でご飯を炊き、昨夜に決めたあった菜を作る。先ずは「プルコギ」だが、韓国風のプルコギだ。牛小間と野菜を炒め煮にして、プルコギのタレに絡めるだけのことだが。

「ジャーマンポテト」に「小松菜のベーコン巻&お浸し」、「ホウレンソウの卵とじ」「焼きタラコ」、以上である。

                           

弁当に詰める段になり、長女が突然姿を現した。「お弁当あるぅ?」と、弁当箱小さいのにしたからと、持参した。いきなり、弁当と言われても・・・・だが、そこは抜かりない。たっぷりと作ってあるのだ。実は、姿を見せる前に、今日は弁当要らないのかな?なんて言ってたところだった。

持参した弁当箱に詰めたが、全然小さくないのだ。返って深さがある分だけ大きい。『ダイエットメニューの成果はあったのか?』と訊くと、2kgだけ落ちたとのことだ。それじゃ、ダイエットになってねえな・・・・・。

                            

 

今夕は、大阪から後輩のUEDA君が来ているので一献となろう・・・・。

 

 

 

 

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連敗

2016-03-07 | Weblog

3/7(月) 昨夕から東京は雨となった。今日の午後まで降るとの予想、外の雨脚は未だ衰えを見せていない。六時半に起床し弁当を作ったが、今日も一人分だ。家人の弁当だけを粛々と用意した。

今日のメニューは、昨晩に家人が作った「豚バラと大根の煮物」。田舎から雪下大根がどっさり送られて来、始末に困って半ば投げやりで豚バラと煮たようだ。ちょいと薄味ながら、大根の旨味が出て良かった。これが未だたっぷりと残っていたので、弁当にも使わせてもらった。

他の菜と云えば「掻揚げ」。メニュー作りに困ったときの揚げ物頼みと云うことで、根菜の掻揚げを作る。そして、定番コースの「卵焼き」に、鮭とタラコを焼いた。簡単な弁当になったが、食材の乏しさに加えて一人分と云うのが大きい。

                     

 

土曜日、五時半に会社を出て「ちょっぷく」に立ち寄った。土曜の宵に始まる、YAMAちゃん店長&チーフと助っ人隊が加わった、恒例の宴に加わり一週間の疲れを抜くため。と云うよりは、更に疲労蓄積とストレス充電の為と言った方が正確かも・・・・・。

六時過ぎに始まった飲み会は、一月振りに登場の「もんじゃ焼き」をメインに、ランチの菜・小鉢が並ぶ。お酒は何でもありだが、先ずは生ビールから入るのが常。助っ人隊は皿洗いや、掃除・始末にと日頃から働いているが、オイラの方はお手伝いするのは稀だ。ただ酒を飲むのも気が引けるが、チケットを出すのも野暮だ。

そんなことで、出だしはスロー&スローに船出するが・・・・。アルコールが進んでくれば矢でも鉄砲でも、競馬だろうが競艇だろうが何でもありのバカオヤジだ。と云うことで、この夜も同じことの繰り返し。

昼間の馬券は揃い揃って外れたとのことだ。オイラも二レース買ったが大外れカスリもしなかった。飲んでいりゃそんなことも忘れる。BGMから歌となり、マイクが出てき、「演歌酒場・ちょぅtぷく」の始まりだ。それほど世間に恨みつらみがあるようにも思えぬが、マイクを握る手も表情も熱い。九時過ぎに、町会のオヤジも加わって更に競演が熱くなった。何時の間にや、23時を過ぎていた。そろそろ片付けの時間だ・・・・。

                       

                      最後は、YAMAちゃん60肩が痛む!のシーン

で、明日の競馬「弥生賞」となる。このレースは鉄板だな、硬い。と判断し、11・10・4の三連単を一点買いで1万円だ。今月のお小遣いの半分を投入することにした。YAMAちゃんが「いいんだね?」と念押しをする。オイラは『いいんだよ、これしかねぇ。これがこなきゃ、競馬は止めだ』と、ネットで馬券を買ってもらった。

そんな処へ、パトロール隊の悪徳チャンが顔を出した。が、相当酔っている様子。昼過ぎから三浦の大将と飲んでいたとのことだ。事務所に帰る途中で灯りを見て入って来たのだろう。『ここは終わりだから、飲むなら”おたぬきさん"で待っててょ』と。そんな次第で、「ちょっぷく」を出てから「おたぬきさん」に向かった。既に時刻は23時半となっていた。

悪徳チャンは珍しく酩酊の体で、おたぬきさんのカウンターに臥せっていた。時間も遅い、明日は日曜と云いながらもオイラにはボートレースがある。最終電車の時間が迫っているので、一杯だけ付き合い『電車が最終だから帰ろうぜ』と、店を出た。24:07分人形町発の最終に何とか間に合った。中目黒駅で東横線の最終に乗り次、学芸大学駅着が24時55分だかで、既に曜日は、日曜日だ。

それでも、日曜日の平和島「競艇場」へと向かうのだ。十時過ぎ、頃合いを見て奈加野の店主に電話を入れた。『起きてる?準備は万端かな』と。お迎えを頂くので、予定と凡その時間の確認だ。で、平和島には昼過ぎの到着である。

第五レースから参戦ならぬ、舟券を買い始めた。まあ、始めちょろちょろとエンジンが温もるのを待ちながら、今日のレースの動向を掴むのだが・・・。考えたって、ど素人だ、そんなことは判りゃしねえ・・・。

                             

外れにハズレ、漸く一レースを取り、十レースが終わった辺りで競馬の発走時間となった。ボートレースの行方を見ながらも、競馬だ。スマホのワンセグで実況中継を見る。電波の入りが悪いので、席を移して見るが・・・・。

なんと、ガチガチの鉄板レースだと読んでいたのに、一着で買った馬がゴール前で二着と見込んだ馬が差されて二着になったのだ  !。参ったネ ・・・・。勝負毎に弱い性格が丸出しだネ

かくして、競馬は二日連続して連戦・連敗となったのである。おまけにボートレースもいいとこなし、もう一歩が及ばない。我が人生と同じと思えば、妥当な線か・・・・。

しょぼくれた気分で帰宅したが、そうだ貯金箱だと思い出し、気を取り直した。賭け事で儲けようなんて気分はサラサラないが、あれは運試しだ。お金を貯めるのは、こつこつと五百円玉さ。とばかりに、100円均一の店に探しに出掛けた。二件目で探し当てたのが・・・・。

                              

これですよ、30万円まで貯められると云う CAN BANK だ。隣に置いた、既に10万円貯まってるCANに比べると、その違いが明白だ。これが一杯になるのは・・・、気が遠くなりそうだ。おまけに、このCANを三個だぜ!ホンマの話、これが貯まるまで生きてられんかい?

いつの日か、連戦連勝!の高笑いのレポートをお伝えしたいものだ。家産が傾かぬ前に??? 。

 

 

 

 

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飲み疲れ、それとも・・・

2016-03-05 | Weblog

3/5(土) 昨日の金曜日、週末と云うこともあり早い時間から酒場へ。酒場といっても何時もの安酒場「ちょっぷく」で口開けの一杯だ。HOYAの兄いを誘いだして、軽く足慣らしの酒がスタートした。「明日は土曜日だ、ゆっくり飲むか・・」という心情だった。

「ちょっぷく」でウオーミングの後、銀座へと向かった。久しぶりの銀座だが、向かう先は決まっている。六丁目の「順」である。3月1日が十五周年とのことであった。その日に行っては混雑しているであろうと、金曜日の早い時間にしたのだ。我らが入ったのは八時前、流石にこの時間には客の姿はなかった。

                           

入院中のママさんの様子など訊き、客が入ってない間にと、HOYA兄いに二・三曲唄って貰った。ハイボールを飲みながらアルバイトの姐さんを相手に他愛もない会話を・・・。ポツリポツリと客が姿を見せ、予約の電話が入りだした。それを潮時に席を立った。スーツと来て、さっと帰る。これが一番いいのだ、勘定書きが来なければもっといいのだが・・・、そうはイカンザキか。

人形町へ戻ろうと銀座通りの交差点に向かった。と、兄いが目敏く「梅林」いうトンカツの店を見つけた。「この店には昔、女房とよく来たんだよ」と懐かしげに言う。『じゃあ入ろうぜ』と、店に入ってみると、中々の盛況ぶりだ。知らなかったが、有名な店らしい。

止せばいいのに二人とも「カツ丼」を注文した。これが不幸の始まりとも知らずか、知ってか。オイラの場合、お腹が張ると飲めなくなるタイプなんだ。それが分かっていながら、丼飯のカツ丼をすっかり平らげてしまった。米と汁の塩梅が抜群に良かった。肉は薄くてオイラの人情の如き、ちょいと甘目の設えが万人向きだ。赤だしの味噌汁は文句なしのGood!。一番安い千円のカツ丼由、肉の厚さは致し方ないな。

                            

で、人形町に舞い戻って今度は「ローカーボ」となったが、店は繁盛していた。二人分の席を詰めて空けてもらい、悪徳ちゃんの隣に腰を落ち着けた。この夜のローカーボは、お姐さんの占有率が高かった。然し、腹が一杯なのでアルコールの吸収も舌の廻りも悪い。おまけに腹の具合も落ち着かない。パトロール隊の面々を残して、先に帰ることにした。老兵は消え去るのみと・・・・・・。

                          

 

斯様な花金の夜を過ごし、今朝は「築地市場」へと出掛けた。田舎の従姉からせがまれていた「鮭」を送るために。母が世話になっているし、夏には「鮎」、冬は「猪肉」と、何かと手配をしてくれる。年に二・三度の鮭や明太子は致し方ない。何時もの「北田」で一箱送ってもらうように手配した。

珍しく他の魚を買わなかった。今夜、家族は出掛けると云うし、私は「ちょっぷく」か「奈加野」辺りで飲んでいることだろうから。弁当用に鮭を一つ持って帰ったが・・・・・。

今夜の話題は、明日の競馬「弥生賞」と、平和島のボートレースがどうなるかだ? 期待は全く出来ないが、期待しない勝負毎をしてはいかん、イカンザキだと言い効かせて、明日は出撃しよう

 

 

 

 

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