オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

今宵もまた・・・

2016-03-04 | Weblog

3/4(金) あっという間に金曜日がやってきた。昨日の午後、KIYOTA大兄からのメールで「今日は五時まで同期があるが、その後時間があるようなら寄ることもできるが御都合は?」とのこと。お待ちしてますよ、と返信をしたのは云うまでもない。

そんな次第で、先日満席で入れなかった「高松」に予約を入れた。五時過ぎに高松に先行して、到着を待った。待つ間、先に飲み始めたが、今日のお通しは団体予約客の余録か、お洒落なものが出てきた。ワカサギの天麩羅、菜の花のお浸しに新筍、小口切りの卵焼きにソバの実であった。

                             

一人で見えるかと思いきや、同期のお二人を誘って見えた。そして、ジョーク連発のTAKAHASHIも来て五人となった。四人掛けのテーブルをキープしていたが、座りきれない。丸椅子を借りて、狭いながらも和気あいあいの懇談。初めてお会いしたお二人の経歴やシニアライフを伺いながら駄洒落の応酬、掛け合いで二時間ほど飲んだ。

客人たちを送った後、まだ時間が早いと「ローカーボ」へ一人向かった。七時半頃であったが、客の姿はなかった。悪徳ちゃんに電話をすると「今仕事を終えて出るところ。高松に行くつもりだ。」とのこと。「『高松は満席だよ、今しがた出てきた処だ』教え、ローカーボへと向かわせた。これで客は二人になる。

                            

「ローカーボ」に新たな客が二人姿を見せたのを潮に、「ちょっぷく」へと移動。軽くワインを飲み、頃合いを図って帰宅の途についたのは、23時頃であったか。昨夜の予定では、銀座に出るつもりだった。ご無沙汰ばかりの店が、十五周年と云う。偶には顔を出さないと義理が立たねえ。

後輩を誘うつもりでいたのだが、昨晩の大兄登場で沙汰止みにしたが、ママさんが入院しているとのことだ。早目に店に顔出しして見舞いの一つも届けなければなるまい。

最寄駅の学芸大学に着いたのは、零時前。妙に腹が減った感が湧いた。モンゴメリーでラーメンでも喰うかと向かったが、灯りが点いてない。駅前に戻ると、「松家」の灯りが目に入った。ふらふらと店に入り「牛丼」の小をオーダーし地待った。この時間に飯を喰っちゃいけんがな・・・・。

吉野家の牛丼より、肉の暑さは0.001ミリ厚いように感じた。味もこっちの方がいいように思えたが、果たして世間の評価は如何であろうか?

                             

帰宅すると、玄関に孫の靴がある。どうしたのかと思いきや・・・。パパが仕事の呼び出しで夜になって出掛けたとのこと。今夜のママは深夜勤務で、朝まで帰ってこない。それでオニイサンの処に来たと云う次第が判明したのは、今朝になってのことだ。

 

今朝は、昨日につづき孫の弁当も作ることにした。今日の菜は「牛煮」だが、松家や吉野家の肉とは大違いだぜ!和牛切り落としながら、688円/100gだからね。これを200gとタマネギ・長ネギ・シメジで煮る、すき焼き風の牛煮だ。

他には春雨と野菜のサラダ、茹でウインナー、ゆで卵と鮭&タラコ焼き物。以上だが、なんと家人が「今日はお昼を食べている時間が無いわ」と言いだした。植木等の歌のスーダラ節じゃねえが「それjが体にいいわけないさ」と、急遽オムスビを二個作り持たす。

                        

折角の「牛煮」も無用の長物か・・・、夜勤明けで帰って来る長女の弁当も、と軽めの弁当を用意したら「あたしのメニューは決まってるのよ。食べちゃいけないの」と、娘を迎えにきた長女の言葉。『じゃあ旦那に食わせろよ』と…、弁当オヤジの辛さかな

                             

 

 

 

 

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桃の節句

2016-03-03 | Weblog

3/3(木) 今日は桃の節句・雛祭りと晴れの日だ。久々に晴れの日弁当ということで、「五目ちらし寿司」の弁当にした。加えて昨日、五歳の孫娘から電話があり「ねぇねぇ、明日お弁当を作ってくれない。パパのも一緒に」と、頼まれてしまった。

今朝の目覚めは四時前と超早い。幾らなんでも早すぎるのだが。五目チラシに使う干しシイタケを戻してないのを思いだした。チョット早いが、起きだして準備をすることにした。

孫は、インフルエンザに罹って保育園を休んでいる。今日はパパが仕事を休んで面倒を見るようだ。そんなことで、お子様向きと云うか孫が好きな「鶏唐揚げ」と「タコウインナー・ポテト揚げ」に「根菜煮」「出汁巻卵」のメニュー等とした。

                    

五目の具は、椎茸・タケノコ・干ぴょう・人参・牛蒡だが、仕上げに焼き鮭をほぐして加えた。ホウレン草とブロッコリ、・スナップエンドウを茹で、錦糸卵を作る。寿司酢は「てまいら酢」である。孫が酢飯を食べるか判らんので、小さな塩ムスビを一つ弁当に入れた。先日作り置いた、ハンバーグも温めた。

 余談ながら、昨晩帰宅すると郵便ポストの中に手紙らしきものが入っていた。孫娘からで、拙い文字でおにいさんへと表書き、中に「おにいさんいつもあそんでくれてありがとう。あしたはおべんとうつくつてくれて ありがと」なんて書いてあった。日頃から兄さんと呼ばせている成果が表れているが、こんなレターをもらっちゃあ、美味しい弁当をと張り切らざるを得ないのだ。

                           

今日の弁当は、三つとなった。これだと、作り甲斐があるね・・・・。

 

余りにも早く目覚めたので、出勤途上のメトロの車中で眠くなってしまった。今朝、ひと駅先にある目黒税務署まで歩き、昨年の確定申告書を提出した。例年より十日も早い提出だ。珍しく、少しばかり還付金があるはずだ。計算が間違ってなければだが・・・・。

 

 

 

 

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一寸の虫にも・・・

2016-03-02 | Weblog

3/2(水) 今朝は、完全かつ明白な二日酔いであった。零時を過ぎた酒は慎むべき、いかんと思いながら、いかんともし難かった。起床も八時前だと、声を掛けられて起きる始末。若いもんに付き合って飲んじゃ、身が持たぬのが身に沁みた。

会社に出てても実務を持っていないので、こんな体たらくでも何とかなるが、第一線で働いていりゃそうはイカンザキだ。尤も、実務を持たぬが故の緩みと云うことがあるのかも? そういいながら、反省をしております。

八時起床ながらお弁当は作りましたよ。今週は長女が弁当を持たないので、こんな遅い時間でもよかった。然、しご飯を炊いていると間に合わないので、残り飯で炒飯をと、考えた。一昨日がオムライスだったんでネ。

下準備をしたはいいが、肝心の卵をフライパンに割り込もうと卵ケースを見ると・・・・無い! 卵が無かった。仕様がない、焼き飯だ となった。今朝の弁当ご飯は「焼き飯」。菜の方は、考えたくもなかった「メカジキの照り焼き」「小松菜と薄揚げの煮浸し」「焼きタラコ」、以上でござんした。

                               

豊後梅も満開となり、道行く人が時折写真を撮っていくそうだ。隣の八百屋のおばちゃんの言だが。他人様が楽しんでくれれば、桜も梅も咲き甲斐があろうと云うもんんだ。

 

今日のテーマ「一寸の虫にも・・・」だが、五分の魂とつづく。昨日、東京地裁で入居ビルの件で裁判に至る調定があった。当事者として、それを聞きに行った。相手側は相手側の論理があろう、こっちにはこっちの理がある。だから裁判なんてことになる分けだが・・・・。結果論を云えば、弁護士の手間賃が掛かっただけのこと、これで終わるだろう。

然し、入居して二年弱で競売になるは、差し入れた保証金は戻ってきませんじゃ、オイラでなくても怒るだろう? ちったぁ抵抗でもしないことには筋がとおらねえや。

一寸の虫に五分の魂なら、盗人にも三分の理があるそうだ。理と理がぶっかっちゃぁ始末が悪い。そんなことは百も承知だが、「不本意ながら競売にかかりました。何時いつまでに退去願いたい・・・・」と、紙切れ一枚、それも代理人の弁護士からだ。そんなもので、納得してくんなと言われても、そうはイカンザキだぜ。となるのはオイラだけかい?

少なくても当事者が直接姿を見せて「赫々云々、大変申し分けないが何卒ご容赦を・・・・」ぐらいの筋は通せよ。バカヤローのこの野郎!と言いたくなる。

そんなことが有っての末か、今朝の二日酔いは?

「ローカーボ」のカウンターに腰を落ち着けたのが午後八時。ハイボールを数杯飲み、居あわせた悪徳チャンこと無敵の酒豪マッチャンと「三浦」に流れた。三浦のマスターから電話が入り、テーブル席が空いてるよの誘いがあったとのこと。

我等が入った時は、未だ客が沢山居た。紹興酒を飲みながらグダグダしてるうちに、客の姿が消え、更に従業員も居なくなった。牛カツを喰らい、餃子を喰っているうちに焼酎ロック?だと思うが、出てきた。挙句に女将さんまで帰っちまった。マッチャンと三浦の大将の三人で飲んでいた。

マッチャンが「もう帰りの電車ありませんよ!」なんて言う。そりゃそうだ25時だぜ、それを云うなら24時には言って貰わないと・・・。三浦の大将も住いは近い、マッチャンは事務所がホテル代わりで汗の沁みついたであろう寝袋とマットが待っている。オイラは弁当作りと着替え、風呂が不可欠なので、ご帰還しかないのだ。帰巣本能が強いと云うべきか?

マッチャンは、この日は、五時半から飲んでるとのことだった。ローカーボに居る時「今夜は相当来てます」と、ボソッと呟いたのが嘘のように元気じゃねぇか。それに三浦の大将がこれまた飲む!白系ロシアの血でも引いているような優男の面立ちながら飲む、愉しい酒飲みなんだ。

こっちは酔っぱらいだから、なにを言ったか喋ったか覚えちゃいねえ・・・・、帰り着いたのは26時ごろだと思うが? そんな夜であった。

今夕は客人が来るので、静かにお食事でも摂っていただきながらかな・・・・。私が新任の課長だった頃、入社2・3年目の若者だったが・・・すっかり立派になり、連中も五十代に入った。そう云う若い人?を相手じゃ、俺の出番もないということだが・・・・・。

 

 

 

 

 

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人形町パトロール隊

2016-03-01 | Weblog

3/1(火) 弥生三月といへば、競馬では「弥生賞」が。雛祭りもあるし、それに虫も蠢く啓蟄、お彼岸があり下旬になれば桜も満開とメデタイことばかりだ。そんなメデタイ今朝の日差しは、眩いばかりだった。我が世の春も来てほしいところだが、そこまで贅沢を求めちゃいけねぇか・・・。

今日は一日なので、会社では全体ミーティングと称する場が始業前にある。これまで面白くもない話を、同じ話をオイラがしてきたが、今回から三分間スピーチをスタッフに順次やってもらうことにした。第一回の今朝は、AOKIの「折り紙で得をする」話と、AIBUNの「人工知能と仕事の未来」であった。

朝礼時のスピーチで忘れられないのは、オイラが新任の管理職になった時のことだ。その職場では、毎朝社員が順番にスピーチをしていた・・・。処が、それを知ったのは着任後一ヶ月も経ってからのこと。八時30分が始業で、朝礼の後、順番に社員が話をする。それが朝の日課だった。

何で一ヶ月も知らなかったかと云えば・・・・。着任以来、始業時間に職場に居なかったと云うことだ。朝礼もスピーチも終わった後に出勤していたわけだ。飛んだ新人管理職がいたもんだが、社員には「俺のことは課長と呼ぶな、それほどの人間じゃない」なんて放言していた。酷い管理職がいたもんだと、今更に恥ずかしい限り・・・。

そんなオイラだったが、良く出来た上司やスタッフ・同僚に恵まれたお蔭で何とかサラリーマンをつづけることができた。そんなオイラが、会社のスタッフにあれこれ言えたもんじゃないのだが・・・・。そこはほれ、昔のことには頬被りするしかねえだろうよ?言いたくはなし、もなし、されど云うしかないの辛い立場さ 。第一回三分間スピーチは、AOKIの大幅なフライングとAIBUNの遅刻と云う想定内の出来事はあったが、上々といえよう。

そんな会議の最中、友人のOKAZAKI社長からの電話。今日の午後に会う予定をしていたが、昼前は如何か?とのこと。了解と返事をすると、小舟町の鰻の名店「高島家」で落ち合おうとのメールが後から届いた。”鰻”は久しぶりだが、朝飯を喰ってきた。されど友人の誘いを断るのは我が信条に反する。

11時30分、店を開けたばかりの「高島家」の座敷に上がった。『一体どうしたのよ?急に鰻だなんて!』と訊くと、「某商社の部長が、海外赴任するので送別ランチを予定していたんだが、急にキャンセルになったんだ」と、大変分かり易い理由を述べた。そんな訳で、遠慮なくご馳になった。ついでに、ビールも注文したのは云うまでもない。悪乗りかな・・・。

                           

OKAZAKIさんには、先週私の方から会いたい旨伝えてあった。用件は、某携帯会社の法人営業担当に何処ぞ営業先を紹介するとの約束をしていた。その紹介先として、宜しくとのお願いをする予定だったのだ。鰻を頂きながらその件を話すと、なんと「先週、営業があって変更することにしたよ」との返事。遅かりし由良ノ助

で、今朝の弁当になるが、一人分だからね。それでも六時に起床して準備をさせて頂いた。

シャブ用の豚肉が残っていたので、これで「シメジ&人参の肉巻炒め」を。そして「茄子の味噌炒め」と、「ホウレンソウの卵とじ炒め」「ブロッコリ&スナップの茹でサラダ」「焼きタラコ」、以上であった。

                        

昼に鰻が待っているとは露知らず、炊き立ての飯に残った菜で朝飯を喰ってしまった・・・。これはこれで美味かったが。

 

閏日の昨夜は、四年後に果たして同じ日を迎えられるか自信が無い。去りゆく29日を記念して、軽く飲もうかと「ローカーボ」に向かった。ローカーボの手前10mの処に「駒吉」なる焼き鳥屋が在る。余談ながら ―この店はひと昔前まで”ゆう”と云う店名だった。その当時の店主が借財を残して出奔した。― その店が居ぬきで、店名と店主が変わって営業している。

この「駒吉の」の前を通りかかり、ふっと店中を見ると?見た顔があった。なんと、マッチャンにHOYA兄い、NAKAMURA御大の人形町パトロール隊が鎮座していた。この姿を見て素通りする訳にはいかぬと、オイラも闖入した次第。これで、人形町オッサン隊の揃い踏みとなった。

オッサン連の話だから、大した中身はない。これは割愛し、「駒吉」さんから「ローカーボ」への移動した。先客が一人、ミヤケッチだった。其処へオッサン連が参戦し、最若手四十云歳のミヤケッチを弄りながらの酒となった。ミヤケッチは弄られながらも、それを楽しみつつ酒を楽しむことができる、と云う大人である。

                          

五月六日中央公園でのバーベキューを忘れるなよ!と、伊豆へオヤジ達でキャンプに行こうとか、暇なオッサン連は勝手に、口々にわいめいていた。これもストレス解消の一つかも、但しストレスなんていう高尚なものがあればだが・・・・・。

こんなことで、最後は「ちょっぷく」にて一杯やり、ご帰還となった。ニッポンは、平和だ!!

 

 

 

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