不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

チキンライス

2016-10-13 | Weblog

10/13(木) 明け方の夢見は、ゴルフをやっているシーンだった。若い頃の仲間のIMAI君やMURAI君の姿があり、近隣のゴルフ場でのシーンや、職場らしきところで「またゴルフをやったら」など言われ『そうだな、また始めようか。あのゴルフ場の会員になるか』なんてのが、夢の中の会話だった。

ゴルフを止めて七~八年は経つな。最後のプレーが何処だったかも覚えてないが、プレー後に、もう一度本格的にやろうと思った。練習場に行って球を打つと、体を回転すると内臓が痛くなった。医者には行かなかったが、それっきりゴルフを止めた。肝臓が弱っている、これが自己診断だった。ゴルフ用具も用品も手元には全くない。それなのに、そんな夢を見るとは・・・。

TVのゴルフ番組は時々見る。トーナメントに限っているが、愉しみにしているのは「片岡大育」君の活躍だ。所属は、高知の黒潮カントリークラブ(カシオオープンの会場)で、出身も高知県。彼のお姉さんを知っていた。渋谷・奈加野で学生時代にアルバイトをしていたのだ。彼女はソフトボール出身の野球選手だった。そんなことから、家人のソフトボールチームに助っ人に来て貰っていた。試合後に飯喰っていけと誘うと、体は小さいが大飯を喰う元気な学生だった。

弟が、香川の高校に留学してゴルフをやっていると聞いたのは、そんな折であったか。あれから十年になるが、姉さんは学校の先生になり、弟はプロゴルファーとして一流になった。片岡大育プロに親近感を持つのはそんな事情もあるが、彼の生真面目な表情や態度に好感する。土佐人には珍しいタイプでなかろうか。

そのお姉さんがアルバイトをしていた、渋谷・奈加野に昨夜の帰りに立ち寄った。店は珍しく暇そうで、奥の座敷とカウンターに客の姿がなかった。店主のNAKANOさんと二人で、競艇談義や片岡プロの先々週の優勝のことで盛り上がった。姉さんのAYUMIちゃんは、島の学校からも戻り、結婚をしたはずだが「どうしてんだろうな」そんな話が出るのも、活躍する弟の姿を見るからだろう。

昨夜の帰宅は、掟を破りの23時45分になった。暇な飲み屋のオヤジを相手にしていたので、すっかり遅くなった。こんな日も、あるさ・・・・。

さて、今日の弁当は残り飯で「チキンライス」となった。菜は、アスパラの豚巻、冷凍コロッケ揚げ、冷凍シューマイ、鶏肉の根菜煮、以上である。手抜きと云えば手抜き、そうでないといえばそうでもない。そんな弁当である。

                     

 

今日の午後便で帰省する。帰京は月曜日の夕となる。19・20日のベッタラ市が迫っており忙しいのだが。清酒「南」を、郷里の酒造元に頼み、猪肉と鹿肉を送る。18日は、朝から買い出しと仕込みだ。忙しいねェ~・・・。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お祝い&トンカツ

2016-10-12 | Weblog

10/12(水) 先ず、お祝いとトンカツの間には何の脈絡もないことを断っておく。先週の土曜日、飲み仲間のHOYA兄いの誕生日と知ったのは、FBからだ。この日の夕、「ローカーボ」で飲んでいたのだが、兄いが出勤しているとは思わなかった。と云うのも、孫の七五三の祝いがあると聴いていたので、てっきりこの日と思いこんでいたのだ。

悪徳マッチャンが途中で姿を消したので、YOSHIOと早々にローカーボを後にした。帰宅してから、マッチャンのメールで兄いが出勤していたのを知った。これがホンマの後の祭りと云うやつだ。分っていりゃ当日にお祝いができたのに・・・・。

と云うような経緯があって、昨夜のお祝いとなったしだい。「高松」からスターし、「セイジュ」で演歌の共演、最後に「ちょっぷく」で白ワインの乾杯をして、締の22時となった。切り上げ刻限を決めたので、体と財布が楽になった。

                    

                                      Seijuで熱唱の兄い

学芸大学駅改札前の東急ストアで「パン粉」を買って帰宅した。パン粉が出てきたので、表題のトンカツに行きあたるのだが。今朝のメインメニューは「トンカツ」なのだ。昨日の予定から、弁当数の関係で一日スライドした。

五時頃に目覚めていたが、台所に行ったのは5:45分。ご飯を炊き、豚肩ロース(二枚730円)を取り出した。揚げ物ついでに、蓮根の挟み揚げ(エビ)と掻揚げもどきも。焼き物は、冷凍塩秋刀魚とタラコ。キャベツの千切り、春雨サラダ、卵焼きが今日のフルラインだ。

                            

たったこれだけでも、小さな弁当箱に納めるのは至難。秋刀魚の焼き物を入れるのは諦めた。トンカツが、大した量は入っていないのに嵩張りスペースを喰うのだ。このトンカツ、試食したが旨くなかったよ。月曜日に近所の肉屋で買った代物だが。肉は「日山」だな・・・・・。

                            

美味い不味いを言っちゃいけねえが、俺の不出来な舌が、口が、言うのよ。勘弁してくんな!

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三連休

2016-10-11 | Weblog

10/11(火) 三連休が明けた。それだけのことだが、短い三日間に、何かドラマがあったろうかと、表題から期待するむきもあろうが、何も変わりはしない。変化なしの三日であった。

とは言いながら、タイトルが三連休だ。なにもない、なかった三日間を振り返る。スタートの土曜日に触れるためには、前日の金曜日から紐どく必要がある。金曜日の夕、クライアントの某社を訪ねた。情報誌の次号について、構成案を携えて行ったのは言うまでもない。スケジュール上から取材候補のアポイントを了解してもらう心算であった。

取材先へのスケジュールがタイトなこと、失礼にならない期間を取っておかなくてはならないことetc、縷々説明した後に出てきた言葉は「全体の構成を全面的に見直したい。ページも大幅に縮小する必要がある」の言葉であった。寝耳に水、鳩に豆鉄砲であるが・・・。クライアントの方針がそうであれば、それに沿うのが我らの宿命

『来週の水曜日までに、新しい構成案出します』と、応じて辞去したのが五時半頃であったか。訪問先を出て直ぐにスマホを取りだし、連絡をしたのが山形・鶴岡市に居るHIROさんだっTUGAWAさんは、取材候補に考えていた施設をロケハンに行っていた。次いで連絡をしたのは、会社で待っている担当スタッフだ。

『その企画がなくなった、全面的に見直しです。申し訳ない』と、『悪いが、構成内容が全面的に変更になる。明日、会社に出てくれ』であった。それを伝えた後、グラスを傾けながらクライアントの部長と本音をぶつけ合った。なにはともあれ、組織の方針であれば致し方ない。受託する側には三分の理もない・・・。

と云うような、週末であった。明けた土曜日は午後の出勤だ、朝から飯を作り、缶ビールで喉を潤した。休日の朝の習慣である。13時出社すると、出勤を頼んだYOSHIO&FUJIKURAはスタンバイしていた。前日の打ち合わせ内容や、経緯などを話手から、新しい構成についてディスカッションし、提案方針を決めた。月曜日(祝)に進行確認、水曜日に提案することとした。

これが終わればOYAJIの役目は無い。と、勝手に決めつけて五時過ぎに退社した。このまま帰宅するのも芸がない。軽く飲って帰ろうと、悪徳不動産に連絡した。敵も暇であったろう、直ぐに乗って来た。二人してブラブラと歩くと「ローカーボ」が開いている。そうだ、今日はバンドが入り6時オープンだったのだ。

バンドのメンバーは、リハが終わり食事に出たとかで、マスターしかいない店のカウンターに腰を下ろした。何時ものハイボールをオーダーし、今夜のバンドのことなどを訊く。一組は札幌から遠征して来るとのこと、もう一組は何時もの桑原コースケバンドだった。

                       

バンドの追っかけか、知り合いらしき客も姿を見せはじめて立ち見客になるころ、演奏が始まった。札幌からはるばるとやっってきたバンドが口開けの演奏だ。然し狭い店内に響き渡る音量だ。だんだんと煩く感じるのは、オヤジノせいか? 仕事をしていたYOSHIOも終わる頃だろうと、呼びだした。

後ろで出番を待っていたバンマスに『コーちゃん、最近太ったんじゃないか』などと声を掛け、一杯奢った。コースケバンドが始まる前に音量に音を上げ、とうとう脱出となった。YOSHIOも相当に酔っているようだ、飯屋でビールを飲んで解散とした。

日曜日、この日も朝飯を作り缶ビールと、決め事をつつがなく終える(土鍋で郷里の新米を炊いたが、美味かった)。この日は平和島へと出撃の予定日だ。夕刊フジの冠が付いたボートレースの最終日。奈加野のオヤジは、息子に会いに北海道に行って不在。迎えが居ないので、電車で大森駅へ。ここから無料バスで平和島へ。

参戦は第七レースからであったが、敢えて遅い参戦にしたのだ・・・・。理由はヒミツ! 

この日の戦果は、二勝三敗一分け。一分けというのは、フライングで払い戻しが合ったのだ。こういうレースが一番悔いが残るね、Fがなければ大きいのが取れたんじゃねぇかなんて・・・。未だ、我欲を捨てきれんねェ~。で、この日の総決算は若干のプラスと云うこと(子供の飴代か?)。

ボートレースのいいのは、勝負が早い。と云うことは、買い目も素早く頭を使って買うので、頭の体操に。それと、あの爆音を聴いていると気分スッキリ!とまあ、こんな理屈をつけるのだが・・・・。

この日も、帰宅時に買い物をして夕食の用意(何を作ったのかサッパリ覚えがないが)。明けた、祝日の月曜日は家人は通常どおりに仕事へ。吾輩は朝飯を作る。朝はサラダと味噌汁、卵焼きと豆腐、焼き魚などが多い。

月曜日の出社も13時頃、二人のスタッフもすでに戦闘モードで仕事に励んでいた。早速に構成内容の検討に入る。前夜、どうしても気になることがあって、FUJIKURAに電話をして追加の検討を頼んであった。それらを含め、三人で擦り合わせ。この日も、二人を残して五時に会社を出た。真っ直ぐに帰宅、この日も帰宅前に買い物。不在の家人に変わって、夕食を準備した。 ―オヤジには 飯つくりが よくにあう - 、これは太宰のバージョンだぜ!

 

明けた今朝、五時過ぎに起床。五時半から飯作りとなった。昨夕に今日の菜(豚ロース&ピーマン・大根)を買って帰った。が、今日は一人分の弁当と云うことが判明。急遽メニューを変更した。云わば、手抜き弁当ということだが・・・。

「ピーマンの肉詰め焼き」「パスタと根菜のサラダ」「小松菜の胡麻和え」、出来合の冷凍シューマイ&チキンカツ、卵焼き、以上です。調理した食材は、合挽き挽肉・タマネギ・ピーマン・アスパラ・ジャガイモ・人参・卵、だった。

                   

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

うって変わり

2016-10-07 | Weblog

10/7(金) 一夜明けて二十四時間が経過し、今日の弁当作りとなった。残りご飯があったので、炒飯かチキンライスを考えた。昨晩それを家人に伝えると「油ぽっくないのにして」と、注文が付いたのだ。ということは、住込みの弁当屋が作る飯は油っ気が多くて気に喰わぬと云うことだ  。あいよ~と、応えはしたものの・・・・・。

今朝を迎え、脹脛のこむらかえりの激痛に絶えながらメニューを考えていた。前日は十種もの菜を作ったが、今朝はシンプルに有り合わせの冷凍食品で済まそうと・・・・。冷凍コロッケ・冷凍シューマイ・鮭・メカジキが浮かんできた。その浮かんだ案を胸中にして台所へ。時は明け六つ、今風の時間に翻訳すると午前六時となる。

右足の脹脛が未だ痛かったが、少々の痛みや熱に負けてはおられぬ、住込み弁当人の意地と、波風を立てぬ円満の維持だ!。

手抜きを見破られぬように献立なければならぬ、加えて油っ気のないようにだ。然し今日のメニューでは難しいぜ!。冷凍コロッケもシューマイも、油で揚げるのだ。おまけに、ポテトも追加して素揚げの心算だぜ!炒飯もチキンライスも油を使う。これじゃご主人様の御下命に敢えて逆らっていると勘ぐられる・・・・。

思案六方だが、案ずるより産むが易し、横山のヤッサンだ。飯を炊けばいい、それだけのことだ。これで道は拓け、痛みに耐えて考えたメニューも生きようと云うものだ。早速、鍋で二合の飯を炊いたのであった。因みに今日の弁当は家人の分だけ、長女は夜勤明けで要らないのだ。

                         

予定どおり、コロッケを揚げ、シューマイも揚げ、ジャガイモの素揚げも。鮭とタラコも焼き、メカジキは下味に漬けてソテー。こう並べりゃあ、ちょっと油っ気が多いな~と、我ながら胸焼けしそうだ。そこで、春雨サラダと卵焼きを追加。口直し用にと、山芋をソテーした。以上で、今日の弁当編はお仕舞だが、続きが・・・・・。

                            

残り飯の始末があったのだ。これは、弁当人と居候の小僧の朝飯用に「炒飯」にすることにした。初心は貫徹するのみだ。志は貫き通すのみだ。

ピーマンとタマネギを刻み、ベーコンとウインナーをカット。加えて焼き鮭もほぐして加える。簡単ながら、一応チャーハンらしきものが出来上がった。これで、今朝の趣味講座はお仕舞となった。

今年の「ベッタラ祭り」まで二週間を切った。例年通りの出し物となるが、なんと言っても弁当を売れないのが残念だ。保険所と云う、お上の許しが出ないので致し方ないが、ここ数年は固定客がついてきたので尚更惜しいネ。

10月19(水)・20(木)日なので、是非とも遊びに来てほしいネ。売り物外のよく冷えた生ビールと、土佐の山中で獲れたジビエ料理(猪&鹿)、種子島直送の安納芋、日本酒は「南 冷おろし」、特選焼酎の「伊佐美」でもてなしますので・・・・。特別に安田川の「鮎」焼もあるかも?(今年は脂が乗って来る秋になって台風が多く、川は洪水つづき、捕れないそうだが)。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

十種競技ならぬ・・・

2016-10-06 | Weblog

10/6(木) 夜中の三時半に目が覚めてた、寒かった所為かな咳き込んでいた。深夜放送を聴きながら読みかけの本を読んで時間を過ごした。台所に入ったのは6時前であった。

昨夕「日山」で買ってきた味付け肉と合挽きを使うことにした。要は焼き肉とハンバーグになるのだが、焼肉は野菜を加えたプルコギ風に、ハンバーグは弁当用なので小ぶりにする。これだけで十分だが、長女が日勤&深夜勤務だと聞いた。そこで親切にも、夕食と夜食のオムスビまで作る気になった。

早くから弁当作りに入ったので、時間はたっぷりとあった。弁当と晩の菜が同じじゃ芸なしだ。そこで、有り合わせの食材を使った「野菜の煮物」「アスパラ・シメジ・タマネギで野菜炒め」「小松菜の卵炒め」「卵焼き」「ジャーマンポテト」「卵焼き」「焼き鮭」「鶏唐揚げ」、おまけに出来合のチキンカツまで温めた。

                         

これだけあれば、昼も夜も同じものが重なることはないだろう。と、暇なオヤジぶりを発揮したのだ。

                      

味付けは、それぞれ少しづつ変えてあるが・・・分かるだろうか? 最強の十種競技ならぬ、十種菜となったのだ。因みにオムスビは、鮭と梅干である。

                           

オヤジの親切心、お節介もここに極まりだ

                            

東京の今日の気温は31℃になるとか、そこでクリーニングに出していなかった「アロハシャツ」を、今日が最後と着ての出勤だ。他人様に面会の予定もなし、気楽なものだ。土曜日には全てクリーニングだ!ついでに、俺もクリーニングするといいのだが。

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

牛カツ&小さな旅Ⅱ

2016-10-05 | Weblog

10/5(水) 今朝の起床は6時45分と遅かった。尤も、昨夜は帰宅後にリビングの椅子で何時の間にか眠ってしまい三時に目が覚めた。そこから眠り直したので今朝の体たらくになったのだ。日頃の激務の疲れがでたのだろか?激務ってなんだ? 夜のパトロールしかないのだが、昨夜は定刻22時で切り上げたのに・・・。

 と云うことで、大急ぎで弁当の用意となった。今日は二人分の弁当が必要だ。先ずは新旧混合で三合の米を磨ぎ、電気釜で炊く。菜の方は、「牛カツ」がメインで、「アスパラの豚肉巻き」と「小松菜の胡麻和え」「塩秋刀魚焼き」以上だが・・・。茹卵もあったか。

                        

今朝の弁当のポイントは、三色弁当にすることであった。最近色合いの面白みがなかったので、昨夜の帰宅時のメトロの中で思い立ったのがこれである。駅前の東急ストアで、鯛でんぶを探し、鶏挽肉と牛カツ用の牛モモ肉を買ったのだ。

鶏挽肉をそぼろ煮にし、卵をそぼろに炒めてと、時間が少ない中で忙しい思いをしながら準備をした。牛カツを揚げ、解凍した薄豚肉をアスパラ巻き、小松菜を茹でる。6時50分に仕掛けたご飯が炊きあがると同時に、菜の準備が整った。

全て整った処に長女が「お弁当ある?」と、入って来た。『弁当箱出せー』と、大急ぎ詰めて渡したら「写真はいいの?」だって。いいから早く持ってけ、ドロボーと、追い出した。かくも、寝坊した朝の小忙しさよ・・・。それから、家人の弁当をゆっくりと詰めたのであった。

                         

  ― ちいさな旅 Ⅱ ―

日曜日、二年程くらした横須賀でお世話になった、三春町の埼玉屋で遅い食事と若布とひじきの対面 ― 意味不明だが、同行者から訊かれた我等の関係を女将がこう答えたのだ ― を済ませ、久里浜の浜辺を前にして建つ「ペリー来航記念碑」があるペリー公園と、目前の浜辺を散策した。

                           

                              三笠艦上の三人

ここから久里浜駅に戻るにバスは行ったばかり、タクシーは来ない。歩こうかと、500mも歩いただけで顎を出し始めた。かつて、横須賀勤務から東京に戻ることになった或る土曜日。HIROさんが来てくれ、二人でこの浜辺から駅までを歩いた。街路樹のヤマモモの小さな赤い実が、ビッシリとなっていた。その一枝を手折った、その記憶が甦った。あれも、六月下旬の暑い日だったが、あれから十七年となる。

久里浜駅から宿のある三浦海岸へ。YRP野比・長沢・津久井浜と駅を過ぎる度に、一つ一つの駅名とともに思い出が重なっていった。そんなことは、同行の三人には知る由もなかろうが・・・。

野比は、勤務した研究所に向かうバスの発着駅、長沢には社宅があり何人ものスタッフが住んでいた。駅前から坂を上る途中にある「お好み焼き屋」では、彼らと何度か飲んだ。津久井浜には、会社の保養施設があり、何度か泊まった。過ぎし日の思い出は枚挙が尽きない・・・。

三浦海岸駅からすぐの「マホロバ・マインズ三浦」。ここに宿を取った。ここも研修や遊びで何度も宿泊している。部屋の間取りも食事も、昔と変わっちゃいなかった。黄昏の向こうに鈍色の海が見える。

このホテルでの一番の思い出は、研修で故武島一鶴先生に出会えたこと。それと、サラリーマンを辞める時に上野通営時代の有志が開いてくれた送別会のことだ。最後の職場で重い処分問題が勃発しており、皆が待っている部屋に着いたのは23時を過ぎ、零時に近い時間だったろうが、待っててくれた。嬉しかった。

今夜の酒肴とカラオケ店の物色でひと騒ぎし、地元の人が使う店だと云う「漁火亭」で食事。確かにそういう店であったが、値段も安く漁も多かった。

二次会のカラオケは、散々訊き探した挙句、婆さんママがやっている店に落ち着いた。客の姿なし、交渉値段は一人3千円だった。前回の修善寺温泉演歌旅では、幹事の一存でチップを渡したからネ、店探しも勘定方も今回はお役御免。皆のカラオケを聴いている内に寒くなった。昼間の汗と、風呂の後の汗が引き、冷房で冷えてきたのだ。とうとう我慢できなくなり、申し訳なかったが、ひと足先に宿に戻った。

HOYA兄いと、狭い部屋のツインで寝たが、夜中に暑くて目が覚めた。汗ぐっしょり、シーツまで汗が染みていた。風呂場で汗を拭いてから寝たが、スッキリしようがねぇや・・・。シャワーでも浴びたい処だが、煩かろうと流石に控えた。

翌、月曜日は雲行きが怪しい。午後から雨になるとの予報で、雲も重たそうにしていた。結果的に、予定より一時間早くホテルを出発したのが功を奏したことになったが・・・・。

 三崎口からバスで城ケ島へ。島の突端を少し歩き海を眺めるも、花より団子の面々だ。早々に引き揚げとなった。お店も半ば閉まっているが、一軒の店にソフトクリームの看板を見付けた。ここで一休みして、応対の姐さんと言葉のキャッチボールを楽しむのはHOYA兄いの話術の巧みさだ。雨がポツポツと落ちてきたので、店で聞いた渡船で向こう側の三崎港に渡ることに・・・。

                         

上手い具合に、丁度渡船がやってきた。下船した人に、船頭が「このボタンを押してください」と、柱のベルを教えていた。どうやらここの渡し船は、船着き場のベルを押すと来てくれる仕組みのようだ。五分ほどで向こう側の三崎港に着いた。港の売り場を覗き物色するが、メインはマグロ、冷凍のマグロだ。いつも鮎を届けてくれる妹夫妻に少しだがマグロを送った。

                               

                             渡船「白秋号」

時間は未だ十一時過ぎ、油壺マリーンパーク(水族館)にタクシーで向かった。西海岸の海沿いを十数分、目的地に到着。平日のこと由か、空いていた。水族餡や動物園は大好きだ、じっくりと見て回ったら、メンバーの姿が見当たらなくなった。されど、さして広い施設じゃない・・・・。

マリンパークから、再び港に戻る。ここで昼食にしようと云うことになった。タクシーの運転手に奨められた「七兵衛丸」と云う店に入る。新しい作りで、綺麗な店だった。スタッフも親切で、バスの時刻など親身に調べてくれた。食事の方は、「マグロ・シラス丼」1200円也の安いのを注文。値段相応の味であった。

食事を終えても未だ一時過ぎだ。どうしたもんだと、思案六方の末「遊覧船」に乗ることになった。所要時間40分だと云うので、バスの時間までを上手く使える。船は水中観光船「にじいろさかな号」と云う、黄色の船体で、船室が窓ガラスで水中を眺められるようになっていた。

                          

乗船したのは我等四人だけ、またしても貸切状態だ。港から、城ケ島大橋を抜けて、魚を餌付けしているポイントまで、観光案内のアナウンスが流れる中を往復する。海が濁っている所為で、見通しはきなかったが、餌のアミを投げると魚がうじゃうじゃと寄ってくる。とはいえ、カラフルな魚の姿はない、メジナの類が圧倒的だ。釣り糸を垂れると幾らでも釣れるそうだ。   

船の後を追って鴎とトンビが舞う、これも餌つけ同様で一袋50円の餌を船上で売っているのだ。これを投げると、何羽でも寄ってくる。船の進行と風向きがマッチすると、指先に持った餌を取って行った。

                   

だがなんといっても海上から望む「城ケ島大島」の眺めが一番良かった。

三崎口駅を経由し、長井行きのバスに乗車。終着の長井で逗子駅に向かうバスを待つのだが、長井に着く前から雨が本格的になってきた。海の上が降らなかったのでよかった。流石にメンバーにも疲れの色が・・・・。飲み食いの連続と云うのは、疲れるものだ!

長井で逗子行きが来るまで三十分の待ち時間、待合室が狭いながらも在ってよかった。長井から逗子まで四十分程か、雨の中を海岸沿いを走ると波が立っていた。台風の影響か?海岸沿いのこの道も何度か走っている。過ぎ去りし時代を胸中に映しながら、雨の中バスは逗子へと向かう。

三崎港発14:28分~三崎口~長井経由(30分待ち)~逗子駅着16時頃。JR東・横須賀線逗子駅発16:09にて東京へ。短いようで長い、小さな旅はかくして終わった・・・・・。

 当初の見込みより一時間早い帰りであったが、朝のスタート時間が一時間繰り上がったことによる。雨を考えると、Goodなタイミングであった。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小さな旅

2016-10-04 | Weblog

10/4(火) 今日のタイトルは、まるで某公共放送の帯番組のようになってしまった。が、私にとってはまさにそんなものだった。その番組が放映される日曜日、その朝に泉岳寺駅に集合したのは、何時もの人形町安酒場巡りのオヤジ達。名付けて「人形町パトロール隊」とは…、浮浪連の方がマッチしているかも?

取り敢えずのツアコン役を担った私が立てルートは、横須賀・三笠公園で日露戦争時の戦艦「三笠」の視察、そこから懐かしき三春町の食事処「埼玉屋」(現・四代目埼玉屋 和心 天まる」)で遅めのランチ。ここから久里浜に向い「ペリー公園」で開国の歴史を偲ぶ。ここから泊まりの三浦海岸「マホロバマインズ三浦」に日暮れ頃に到着であった。

二日目、遅めの出立でひと駅先の終着駅三浦海岸駅へ。ここからバスで、北原白秋の詩で知られる「城ケ島」に渡り洗濯岩の海岸を散策しながら、遥かなる海の向こうに思いを馳せる。三崎港に戻り、観光客相手のマグロ市場をひと回りし、魚料理で一杯。時間が許せば、油壺の水族館で時間を潰し、西海岸を路j線バスを乗り継いで逗子駅。ここからJR横須賀線にて東京。

そんな計画を立てていたのだ。概ね計画どおりであったが、最初に予定変更になったのは最初の目的地、横須賀中央駅の改札を出た処。改札の前で「よこすかお魚祭り」のプラカードを掲げ法被を着たオジサンの姿を捉えた瞬間だ。訊くと、横須賀市場で開催だとのこと、但しそれは12時までだと云う。その時間まで三十分ほどしかない。が、一同「いこう!」と云う。ではではと、送迎バスに乗車。

横須賀の市場は、かつて住んだ三春町の単身寮から近い。市場から海沿いに公園がつづいており、初夏から夏場に掛けては早朝の散歩をしたところだ。市場の周りも何度か彷徨い、中に入ったこともある。その懐かしい場所に行ったのだが、魚祭りの終わりを迎えており、最後のセリに他人が群がっていた。

セリ落とした魚を入れた発泡スチロールの箱を重そうに抱えた人が大勢行き交っていた。その中を覗きこんでは、「幾らで落としたの?」と、オヤジ達は遠慮がない。千円で地物の小魚を沢山の人、一万五千円だったと応えた若い女性の箱には毛ガニ・伊勢海老・大きなサザエが在った。それを見て、オジサンはお節介な講釈を垂れる。

早々に引き揚げた帰りのバスには、大きな鰆を五千円で落としたと云う、横浜から来たと云う年配の女性が居た。「市場の人が、一万五千円はする魚だよ。って言うんで買っちゃいましたけど。大きいんで捌いて貰ったけど・・・」と言う。ここでまた、オヤジ達は親切なアドバイスを・・・「隣近所に配ったらとか、これから僕らがご馳走になりに行くとか?味噌漬けと西京漬けにしなさい」とか、口々に茶々を!どの言葉を、誰が言ったかは、我等を知るものなら推定できよう。

短いながらも魚祭りの時を楽しみ、元の場所に戻った。ここから、メインストーリーを歩きどぶ板通り、汐入駅前から米軍基地の横を通って三笠公園へ。然しこの日は暑かったねぇ~、夏の日差しだった。

三笠公園の中に入り、東郷元帥の銅像と戦艦三笠の勇姿を目にした面々は喜んだ。「意外と小さいね」の声もあるが、排水トン数約1万5千トンなのだそうだ。乗船前に、先ず「東郷ビール」で喉を湿す・・・、処が、こいつが何時の間にか国産になっていた。

                          

このビールは、あの当時に帝政プロシアの脅威を受けていたフィンランドが、日露戦争で憎きロシアを破った皇国の栄誉を讃えて東郷元帥の名を冠したビールを製造したと云う曰くがある。私が横須賀にいた頃には輸入のビールがあった。それが無くなって、その製法を受け継いだ国産になっていたとは・・・・。歴史を感じるね・・・。皇国の威光も地に落ち、遺構になったか?これも時代というやつか、嗚呼・・・。

そして三笠に乗りこんだ我等は、見事な解説をされる艦内案内のボランティアのおじさんの名調子に聞きほれたのであった。本当に素晴らしかったです脱帽・敬礼でした  。

そして、予定どおりに三春町の四代目の店に行くことができた。生ビールだ~!、息子に店は任せているが未だ手伝いをしている先代の店主&女将さんへの挨拶もそこそこに、ビールを流し込んだのであった。

  途中ですが、長くなりそうなので放映時間の関係上「小さな旅」はここまでに・・・・。このつづきは、時間枠が取れ次第となります。

 

と云うことで、お仕舞は今日のお弁当の時間です。

今日の弁当は一人分だった。昨夕、食事に来た長女から「休みなので要らない」と聞かされていた。ご飯は鍋で二合だけ炊いた。菜の方は手抜きだ~の心算だったが、以外にも真面目に作ることになった。

魚を先に決めた「メカジキのオリーブ焼き」だ。塩胡椒と醤油・酒を垂らして暫く漬け置き、片栗粉をまぶして、ニンニクで香りをつけたオリーブオイルで炒め焼きした。

                           

二品目は肉系となるのだが、いい食材がない。そこでレギュラーの位置を確保した「ピーマンの肉詰め」となった、これが意外と旨いんだネ!。サラダ系は、炭水化物だーと如かれる「パスタサラダ」になった。人参・ジャガイモ・キャベツに、最後に胡瓜が加わるやつだ。そして、大トリは卵焼きである。

以上が、今日のお弁当です  。

                          

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする