10/5(水) 今朝の起床は6時45分と遅かった。尤も、昨夜は帰宅後にリビングの椅子で何時の間にか眠ってしまい三時に目が覚めた。そこから眠り直したので今朝の体たらくになったのだ。日頃の激務の疲れがでたのだろか?激務ってなんだ? 夜のパトロールしかないのだが、昨夜は定刻22時で切り上げたのに・・・。
と云うことで、大急ぎで弁当の用意となった。今日は二人分の弁当が必要だ。先ずは新旧混合で三合の米を磨ぎ、電気釜で炊く。菜の方は、「牛カツ」がメインで、「アスパラの豚肉巻き」と「小松菜の胡麻和え」「塩秋刀魚焼き」以上だが・・・。茹卵もあったか。
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今朝の弁当のポイントは、三色弁当にすることであった。最近色合いの面白みがなかったので、昨夜の帰宅時のメトロの中で思い立ったのがこれである。駅前の東急ストアで、鯛でんぶを探し、鶏挽肉と牛カツ用の牛モモ肉を買ったのだ。
鶏挽肉をそぼろ煮にし、卵をそぼろに炒めてと、時間が少ない中で忙しい思いをしながら準備をした。牛カツを揚げ、解凍した薄豚肉をアスパラ巻き、小松菜を茹でる。6時50分に仕掛けたご飯が炊きあがると同時に、菜の準備が整った。
全て整った処に長女が「お弁当ある?」と、入って来た。『弁当箱出せー』と、大急ぎ詰めて渡したら「写真はいいの?」だって。いいから早く持ってけ、ドロボーと、追い出した。かくも、寝坊した朝の小忙しさよ・・・。それから、家人の弁当をゆっくりと詰めたのであった。
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― ちいさな旅 Ⅱ ―
日曜日、二年程くらした横須賀でお世話になった、三春町の埼玉屋で遅い食事と若布とひじきの対面 ― 意味不明だが、同行者から訊かれた我等の関係を女将がこう答えたのだ ― を済ませ、久里浜の浜辺を前にして建つ「ペリー来航記念碑」があるペリー公園と、目前の浜辺を散策した。
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三笠艦上の三人
ここから久里浜駅に戻るにバスは行ったばかり、タクシーは来ない。歩こうかと、500mも歩いただけで顎を出し始めた。かつて、横須賀勤務から東京に戻ることになった或る土曜日。HIROさんが来てくれ、二人でこの浜辺から駅までを歩いた。街路樹のヤマモモの小さな赤い実が、ビッシリとなっていた。その一枝を手折った、その記憶が甦った。あれも、六月下旬の暑い日だったが、あれから十七年となる。
久里浜駅から宿のある三浦海岸へ。YRP野比・長沢・津久井浜と駅を過ぎる度に、一つ一つの駅名とともに思い出が重なっていった。そんなことは、同行の三人には知る由もなかろうが・・・。
野比は、勤務した研究所に向かうバスの発着駅、長沢には社宅があり何人ものスタッフが住んでいた。駅前から坂を上る途中にある「お好み焼き屋」では、彼らと何度か飲んだ。津久井浜には、会社の保養施設があり、何度か泊まった。過ぎし日の思い出は枚挙が尽きない・・・。
三浦海岸駅からすぐの「マホロバ・マインズ三浦」。ここに宿を取った。ここも研修や遊びで何度も宿泊している。部屋の間取りも食事も、昔と変わっちゃいなかった。黄昏の向こうに鈍色の海が見える。
このホテルでの一番の思い出は、研修で故武島一鶴先生に出会えたこと。それと、サラリーマンを辞める時に上野通営時代の有志が開いてくれた送別会のことだ。最後の職場で重い処分問題が勃発しており、皆が待っている部屋に着いたのは23時を過ぎ、零時に近い時間だったろうが、待っててくれた。嬉しかった。
今夜の酒肴とカラオケ店の物色でひと騒ぎし、地元の人が使う店だと云う「漁火亭」で食事。確かにそういう店であったが、値段も安く漁も多かった。
二次会のカラオケは、散々訊き探した挙句、婆さんママがやっている店に落ち着いた。客の姿なし、交渉値段は一人3千円だった。前回の修善寺温泉演歌旅では、幹事の一存でチップを渡したからネ、店探しも勘定方も今回はお役御免。皆のカラオケを聴いている内に寒くなった。昼間の汗と、風呂の後の汗が引き、冷房で冷えてきたのだ。とうとう我慢できなくなり、申し訳なかったが、ひと足先に宿に戻った。
HOYA兄いと、狭い部屋のツインで寝たが、夜中に暑くて目が覚めた。汗ぐっしょり、シーツまで汗が染みていた。風呂場で汗を拭いてから寝たが、スッキリしようがねぇや・・・。シャワーでも浴びたい処だが、煩かろうと流石に控えた。
翌、月曜日は雲行きが怪しい。午後から雨になるとの予報で、雲も重たそうにしていた。結果的に、予定より一時間早くホテルを出発したのが功を奏したことになったが・・・・。
三崎口からバスで城ケ島へ。島の突端を少し歩き海を眺めるも、花より団子の面々だ。早々に引き揚げとなった。お店も半ば閉まっているが、一軒の店にソフトクリームの看板を見付けた。ここで一休みして、応対の姐さんと言葉のキャッチボールを楽しむのはHOYA兄いの話術の巧みさだ。雨がポツポツと落ちてきたので、店で聞いた渡船で向こう側の三崎港に渡ることに・・・。
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上手い具合に、丁度渡船がやってきた。下船した人に、船頭が「このボタンを押してください」と、柱のベルを教えていた。どうやらここの渡し船は、船着き場のベルを押すと来てくれる仕組みのようだ。五分ほどで向こう側の三崎港に着いた。港の売り場を覗き物色するが、メインはマグロ、冷凍のマグロだ。いつも鮎を届けてくれる妹夫妻に少しだがマグロを送った。
渡船「白秋号」
時間は未だ十一時過ぎ、油壺マリーンパーク(水族館)にタクシーで向かった。西海岸の海沿いを十数分、目的地に到着。平日のこと由か、空いていた。水族餡や動物園は大好きだ、じっくりと見て回ったら、メンバーの姿が見当たらなくなった。されど、さして広い施設じゃない・・・・。
マリンパークから、再び港に戻る。ここで昼食にしようと云うことになった。タクシーの運転手に奨められた「七兵衛丸」と云う店に入る。新しい作りで、綺麗な店だった。スタッフも親切で、バスの時刻など親身に調べてくれた。食事の方は、「マグロ・シラス丼」1200円也の安いのを注文。値段相応の味であった。
食事を終えても未だ一時過ぎだ。どうしたもんだと、思案六方の末「遊覧船」に乗ることになった。所要時間40分だと云うので、バスの時間までを上手く使える。船は水中観光船「にじいろさかな号」と云う、黄色の船体で、船室が窓ガラスで水中を眺められるようになっていた。
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乗船したのは我等四人だけ、またしても貸切状態だ。港から、城ケ島大橋を抜けて、魚を餌付けしているポイントまで、観光案内のアナウンスが流れる中を往復する。海が濁っている所為で、見通しはきなかったが、餌のアミを投げると魚がうじゃうじゃと寄ってくる。とはいえ、カラフルな魚の姿はない、メジナの類が圧倒的だ。釣り糸を垂れると幾らでも釣れるそうだ。
船の後を追って鴎とトンビが舞う、これも餌つけ同様で一袋50円の餌を船上で売っているのだ。これを投げると、何羽でも寄ってくる。船の進行と風向きがマッチすると、指先に持った餌を取って行った。
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だがなんといっても海上から望む「城ケ島大島」の眺めが一番良かった。
三崎口駅を経由し、長井行きのバスに乗車。終着の長井で逗子駅に向かうバスを待つのだが、長井に着く前から雨が本格的になってきた。海の上が降らなかったのでよかった。流石にメンバーにも疲れの色が・・・・。飲み食いの連続と云うのは、疲れるものだ!
長井で逗子行きが来るまで三十分の待ち時間、待合室が狭いながらも在ってよかった。長井から逗子まで四十分程か、雨の中を海岸沿いを走ると波が立っていた。台風の影響か?海岸沿いのこの道も何度か走っている。過ぎ去りし時代を胸中に映しながら、雨の中バスは逗子へと向かう。
三崎港発14:28分~三崎口~長井経由(30分待ち)~逗子駅着16時頃。JR東・横須賀線逗子駅発16:09にて東京へ。短いようで長い、小さな旅はかくして終わった・・・・・。
当初の見込みより一時間早い帰りであったが、朝のスタート時間が一時間繰り上がったことによる。雨を考えると、Goodなタイミングであった。