オヤジの弁当箱

日々の手作り弁当だけが生甲斐のしょぼくれオヤジ。弁当メニューと併せて日々の雑感を付記。

三連休明けて・・・

2018-10-09 | Weblog

10/9(火) 台風25号のもたらした季節外れの暑さが去ると共に、三連休明けとなった。先週、木曜日~土曜日まで久々の金沢市に居た。故 大澤重樹さんの墓参と、奥様とお嬢様にもお会いできた。

大澤さんの下で一緒の時をすごしたIMAI君との墓参旅であった。午後三時過ぎ、金沢市野田山の墓地までタクシーで向かったが、墓所には既に奥様とお嬢さんが待っていた。ご無沙汰の挨拶を交わし、墓前に額づいた。寺町のご自宅までお嬢さんの運転する車に同乗し、伺うことになった。お宅にお邪魔するのも久方であった。以前にお邪魔した折には健在であったお婆さんは、既に鬼籍に。仏壇に手を合わせた。

大澤さんご夫妻に仲人をして貰ったIMAI君の婚礼の写真などを出して下さっていた。写真を見ながら、往時のことなどを語った。大澤さんが逝去されてから、早や三十余年が経つ。四十九歳と余りに早い旅立ち。一昨年、33回忌の法要を済ませたとのことである。お孫さんのことを嬉しそうに話された。

一時間ほどお話をし、そしてお暇をした。浅野川縁をIMAI君と歩きながら過ぎ去りし日の思い出を語る。来れて良かった、来てよかったと実感する。一つ残念であったのは、同行予定であったMURAI君が母親の看護で来れなかったことだ。富山に在住しているので、翌日の午後に富山まで出向くことにした。

その夜は、二人で寿司店のカウンターに坐して静かに金沢の夜の訪れを味わった。

                          

十六年前になろうか、サラリーマンを辞めて暫くゆっくりとする時間を作った。その折、金沢を訪れた。大澤さんの墓所を訪れ、そしてお宅にも伺った。奥さんが言われたのは「十五年ぶりかしら、一周忌、三周忌以来ですねぇ~・・・」そんな会話をしていたと判ったのは、帰京してから往時の日記を開いたからのこと。

その日記は5月24日の日付で『大澤のお参りで金沢に。ご自宅を訪ねて奥様と話をする・・・・前段の奥様の話が』と記してあり、つづいて『それ以来も、何度か金沢を訪れ、お参りをした云々』なんてことが記されていた。その折であろうか、奥様のお母さんから頂いた手作りの手毬は、今もガラス書棚の中に飾ってある。

部下であった当時の大澤課長と云うべきか、最後の職位の局長と呼ぶべきか迷うが、大澤さんのお蔭で、金沢が特別な想いのする土地なったことは間違いない。

翌日の金曜日、金沢も朝から暑くなった。31℃になるとの予報。IMAI君を誘って、観光客のメッカといえる「近江町市場」から「兼六園&金沢城」を巡った。数えきれないほど来ている場所ではあるが、素晴らしい景観である。  

               

午後、新幹線で富山に向かった。三十分足らずで到着した。富山駅で母親の入院先から駆け付けたMURAI君と再開。私は彼とは何度か会っているが、中央学園で同期のIMAI君は久しく会ってない。駅脇に在るコーヒー店で、お茶をしながら話をするも、親のこと自身の病気(Mは食道ガンで全摘)、来し方行く末であるのは何処も同じ。

              

MURAI君が戻った後、IMAI君と市内循環の電車で一巡した。富山は小さな街なので、あっという間であるが、小さな城の周りをゆっくりと走る新型車両は、乗客も少なくのんびりであった。駅に戻り、昼食が未だとのことで駅ソバを食した。富山名物の白エビの天麩羅入り蕎麦は500円であった。

                         

富山からの金沢への帰りは、普通電車で戻った。各駅停車でまどろみながら車窓を眺め、乗り降りする乗客をウオッチするも、何処とも変りはしない。二日目の夜も寿司店となった。街中を闊歩する気にもならない。静かに閑に金沢の夜は更ける・・・・。

翌朝、9:45分金沢駅発のバスにて小松空港へ。そして11:25分発JALにて予定どおり帰京。

 

区切りの私の墓参は、未だ六墓所残っている。今月には参りたいと思っているが・・・・。明日から帰郷し16日まで滞在する。今回は中々忙しい帰郷である。

母の没後処理を今回で済ませたい。11日はKATUTA君夫妻が墓参に来てくれるのだが、遥々愛媛県の久万高原町からだ。泊まってくれればいいのだが日帰りするとのことだ。ランチを我が家でご一緒頂くように願っている。

そして、12日の夜は滅多に出ない高知市内へと。来春の県議選に出馬の準備を進めている、若いNISHIUCHI君の応援と、一区切りした私の御礼の意味合いで、知人と懇談する。私を含め六人での懇談である。

そして翌土曜日、東京からの後輩二人を案内し、名所?巡り。この夜は拙宅に泊まっていただくが、なにしろ短い滞在である。見所と時間のやりくりに苦慮する。帰京の日曜日は、お奨めの「日曜市」を案内したい。せめて二泊して貰えれば、少しゆっくりして頂けるのだが・・・・。

 

と云う処で、時間が来た。今朝の弁当写真だけ紹介します。今朝は豚肉中心であった。豚ステーキにピーマンの豚肉巻きなど・・・・。

                       

 

今夜は、月例の「モナリザ会」と「セイジュ会」がある。人形町と銀座を往復するが、「ローカーボ」も「ちょっぷく」へも顔だししたい・・・・。江戸に戻ると夜の場が忙しいい・・・・・。今や、夜だけではあるが

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

体力劣化・・・

2018-10-03 | Weblog

10/3(水) 今朝の風呂上りに体重計に乗った。依然、体重は落ちたままである。日曜日の夕食、昨日の昼夜とそれなりに腹に入れたつもりだが、11kg減のままである。道理で体力の方もガタ落ちだ。立っているのがしんどくなってきた…、斯様な状況である。過ぎたるは及ばざるが如しか

九月からのジム通いの計画も葬儀の後始末や、郷里との往復、夜の部の徘徊と時間を調整する暇がない。朝の起床時にストレッチの真似事をするのが精いっぱいである。

昨夕は「ちょっぷく」にてハイボールと酎ハイの独り酒。店長のYAMAちゃんと雑談後、渋谷「奈加野」へと向かった。毎月一度は顔を出し、米代を回収して従弟に振り込んでいるのだ。今月末から新米になり美味いと、喜んでいた。郷里の酒「南」を飲んだ。と云うのも、この酒造場の社長が亡くなったことを最近知ったからである。来週の帰省で店に寄る。お悔やみを伝えなければ・・・・。

                      

                          口開けの 「ちょっぷく」にて

仕入れを仲買に任せるようになって、市場から遠ざかっている奈加野の店主に『今週で築地が終わる。明日一緒に行こうぜ!、愛養で美味いコーヒーでも飲んでお別れしようよ。』と誘った。渋っていたオヤジがようやくその気になり、「明日の朝、電話をくれ」ということになった。

                              

                               奈加野

それじゃ明日と、店を出て東急線の車中の人となった。もうすぐ最寄駅に着く直前に携帯の呼び出し音が・・・、奈加野のオヤジだ。何かと思えば、「明日は水曜日で築地は休みだよ」との連絡。折角その気になったのに・・・残念だ。

今週の六日で終わるとのことだが、私は明日の午後から六日まで金沢である。もう一度、築地に行く気であったが・・・・。サヨナラ、私の築地市場よ。である。

 

今朝の弁当は「黒毛和牛の塩胡椒焼き」、スキ焼用の肉を炒めたのだが味付けは三種にした。塩胡椒と醤油味、出汁炒めの三種である。昨日のトンカツの残りが冷蔵庫にあったので、「カツ煮」にした。後は「小松菜の煮浸し」以上である。なんだか、てんこ盛りの弁当になってしまった。

                   

 

明日は、IMAI君と一緒に、金沢市野田山に在る故大澤重樹さんの墓参をします。三十数年前、資材局にいた私どもの課長でした。大変お世話になりました。

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

布袋草の花が・・・

2018-10-02 | Weblog

10/2(火) 今朝、玄関先に置いたメダカ鉢の布袋草に花が咲いているのが目についた。夏の盛りに花が咲くのを承知しているが、今頃になって花が咲いたとは・・・。とは云いながらも、薄日が差した中に浮かぶ薄紫色の花は美しかった。

                              

そして今日の弁当になるが、「トンカツ」である。一口カツを六枚ほど揚げ、併せてオクラをフライにした。キャベツを刻み、添える。口直しに蕪を塩糀で揉み味付けする。鮭を一切れ焼き、スクランブルエッグが今日の弁当となった。

一切れ味見したが、カツは柔らかくて美味しい。私の朝食は、ハーブとキャベツのサラダに、新しい味噌で作った味噌汁であった。この味噌は田舎の農協が作っているものだが、軟らかい味の米ミソで、気に入ってわざわざ持ってきた。

                   

 

昨夜は思いのほか、重たい酒となった。HOYA兄貴と「こま吉」でのホッピーから始まり、「ローカーボ」でハイボールを飲んでいるとNAKAMURA大将のところのONODERA氏が現れた。ローカーボに珍しく大人数が押し寄せたので席を譲り、蕎麦を食したいとのONODERA氏の要望で三人で「高松」へ移動した。

兄貴と高松から「ローカーボ」に舞い戻り、居合せたIMAE小僧も伴って最後は「セイジュ」へ。演歌タイムとなった。その最中に「高松」の店主ミッチャンも来た。四人入り乱れてのマイク合戦がつづいたが、そこは大人のこと。23時を廻った処で席を立った。

帰宅は、結局零時を数分を前にした時刻となっていた。五時半過ぎから二十三時まで、こんな元気は何時までつづくのか・・・・・。東京にいると、酒場廻りは止められないようだ。廻るのは酒場だけじゃない、明日は上野、明後日から金沢、そして月末までには狛江、横浜、横須賀とお世話になった方々のお墓詣でを予定している。

最後は、亡父の七回忌が11月11日の十一時からあるが、その前に伊豆・大川に眠る若山嘉生先生のお墓に参る予定である。お墓詣でが済めば、遠方の友人に会う旅を予定している。私の旅は、それから始まる。何処に行きつくかは、風まかせであろうが・・・・・・。それもまたよし、私と云うちっぽけな舟のことだ。何があろうが、すべてよし

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

台風一過

2018-10-01 | Weblog

10/1(月) 今朝から台風一過で青空が戻ってきた。加えてフェーン現象で暑い一日になるとのこと。今年最後のアロハシャツとばかりに、一枚だけ洗濯に出さずに置いてあったアロハを着用しての出社となった次第。

台風台風と大騒ぎをするのがマスコミの商売なら、こっちはひたすら「台風の影響なし」と、友人知人にメールする。東京も田舎も大山鳴動鼠一匹の幸いである。唯一困ったのが、今朝の玄関前の惨状である。何処ぞの誰か判らないが、台風襲来の前夜からゴミを出した神経が六本もある輩がいたのだ。

道路一面から我が家の玄関先までゴミが散らばっていたと云う次第。外の様子を見ておこうと、弁当作り前に玄関先に出て、ビックラこさ。お蔭で早朝から清掃人に変身であった。これも台風被害l?か?。

台風襲来前の土曜日。日本橋粉なの会と云うNPOが毎月ソバ打ち会を開いている。前々から案内を貰っていたが、身の周りが落ち着いてきたので参加した。初めての参加であった。

雨の中、十時半スタートと云う浜町の会場に入った。十五・六人の集まっていたが、初参加者が十人程も。かく云う私も、ソバ打ちは前週の料理教室につづいて二度目である。初心者は一様に手運び、動作のすべてが遅い。当たり前のことだが。捏ね鉢が三っ、延ばし台が二面しかないので時間が掛かる。最後の私が打ち終えたのは14時半になっていた。

                       

粉の会のベテラン勢が残った反省会と称する飲み会にも参加し、丁度17時でお開きとなった。そこから「うまし」でマッチャンと一杯始めたら「お蕎麦届くのかな~」と、自宅から督促の電話が入り、サザエ一家のマスオさん状態になって帰宅。我が家にて蕎麦会となったが…、味の方は伏せておく。

日曜日はお馬さんの券を買いがてらに、銀座三越で夕食や弁当の食材を購入。午後のこの時間帯は、雨もなかった。

 

そんなことで、のんびりとした週末を過ごした。日曜日の深夜は、流石に雨風強く、風の巻き吹く音が轟々と響いていたが、その音を子守唄に何時の間にや眠っていた。

今朝の弁当は「ハンバーグ」「鮭焼き」「野菜ソテー」に、刻みネギ入りの出汁巻卵、以上であった。出汁巻卵の味見をしたが、これが思った以上に美味かった。

                   

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする