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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

二つの契約(デビット・カン講演21)

2012年05月26日 | 日記




   ひまわりさんより(5月26日)

今日の安息日の午後は、ペテロ第2の手紙1章5~7節の「ペテロのはしご」について学びました。
ペテロのはしごでは、信仰、徳、知識、節制、忍耐、信心、兄弟愛、愛、と、
私たちの信仰は天を目指して成長していかなければならないことが教えられています。
ところが、現在の教会では、信仰の成長ということよりも、神様の愛の中で、ありのまま、
そのままでいいということが強調されているように思います。
しかし私たちは、『ありのままで、そのままで』神様に受け入れていただいて、
「あるべき」姿に変えられていくのです。そのことを、ペテロのはしごは教えています。
ところで私はいつも、この中の節制というところでつまずいていました。
どうしても食欲に勝てなかったのです。
でも今では、食欲も自分では勝利できないから、カン先生が体験を通して教えておられるように、
イエス様によって勝利させていただきたいと思って祈りました。
そうすると、大好きだったチョコレートやお煎餅などを食べたいという気持ちが起きなくなり、
全く自然に健康的な生活ができるようになり、あれほど気になっていた体重も、
体型はあまり変わらないのに3か月で5キロ減っていたのです。

   イエスの信仰(デビット・カン講演21)

しかし私たちは、自分の力、自分の努力で神様の戒めに従うことはできません。
それが問題なのです。ではどのようにして神様の戒めに従うことができるようになるのでしょう。
どうやって誘惑に勝つことができるようになるのでしょう。
私たちのうちにある、この罪深い性質、悪の力にどうやって打ち勝つことができるようになるのでしょう。
これを教えるのが福音なのです。
福音とは良き知らせというだけでなく、救いに至る神の力でもあるのです。
それを信じるならば・・・皆さん信じておられますか。本当に信じますか。
どうしてみんな静かなんでしょう。皆さん福音を信じていますか。
これが聖徒たちの信仰なんです。これがイエスの信仰です





二つの契約(デビット・カン講演20)

2012年05月25日 | 日記



    ひまわりさんより(5月25日)

私と職場の主任が、しょっちゅう健康の話をしていたところ、
もう一人の同僚もそれに刺激されて、ひそかに運動や、夜を軽めの食事にし、
夜7時以降は食べない、甘いものをできるだけ食べないようにする、などを続けていたのだそうです。
今日、その同僚が、顔を輝かせて、「健康に気を付けていたら、
2キロ痩せて、体調がすごくよくなった」と報告してくれました。
彼女は前にもダイエットをしたのですが、すぐにリバウンドしてしまったのだそうです。
「ダイエットは、生活習慣を変えて、一生できるような方法で、健康的にやせないともとに戻ってしまう」
と彼女は言っていました。これで、私の職場の人たちは、みんな元気になってきて、標準体重になってきました。

 聖所のメッセージの目的(デビット・カン講演20)

贖罪の日になって、聖所の第二の部屋、至聖所に入っていきます。
そこで印される経験をするわけです。
印される経験というのは、プロセス、過程であり、時間を要します。
聖所のこういった教理の基本は、皆さん把握しておられると思いますので詳しくは述べません。
聖所の図を見ますと、聖所は二つの部分にわかれていて、まず外庭です。
外庭の中心には何がありますか。燔祭をささげる祭壇があります。
そして、右側の第2の部分には幕屋がありまして、そしてこの聖所の真ん中には何が置かれていますか。
契約の箱が置かれていました。その中には十戒が収められていたわけですね。
この聖所の構造自体が、一つの明確な、はっきりしたことを教えてくれます。
イエス様は外庭の部分で私達をゆるしてくださいます。
私たちの罪のために死んでくださいました。何のためにですか?
なぜ私たちを救ってくださったのでしょう。なぜ私たちを許してくださったのでしょう。
それは私たちが彼の戒めを守ることができるようになるためでした。
これが聖所のメッセージの目的そのものなのです。




二つの契約(デビット・カン講演19)

2012年05月24日 | 日記



     ひまわりさんより(5月24日)

今日は、5月10日に紹介した、理学療法士の独身の男の子に、「ジュース、どう?」と聞いたら、
「飲んでますよ。それで疲れなくなったんですよ。僕は去年の夏すごく疲れて、
夏バテかと思っていたら、栄養不足だったんですね。栄養って大事ですね。
独身の人は、この方法で栄養摂るのが一番いいですよ。やっぱり健康でないといい仕事ができないんですね。
健康でないとリハビリやるだけでカツカツだったのに、健康になってくると、ゆとりができて、
利用者さんのためにもっと何かしてあげたいという気持ちがでてきて、仕事が楽しくなってきたんですよ。
これはすごくいいから、これを言い広めてくださいよ」と嬉しそうに語ってくれました。
彼は、7000円のミキサーを買ってジュースを作って飲んでいるのだそうです。

     聖所の第1の部屋の働き(デビット・カン講演19)

それから、聖所の第1の部屋に入るとき何を学びますか。
神の戒め、み言葉を学びます。聖所には窓とか外から見える場所はありません。
その聖所の中で光を発するものは一つしかありません。何ですか。七つの燭台です。
それは何を表していますか。神の言葉を表しています。
私たちが改心した時、神の言葉が私たちの唯一の光となります。
外庭で私たちは自己を祭壇にささげ、自我に死にます。そして大祭司について聖所中に入っていくわけです。
そして、聖所の中でイエス様の方法を学びます。また、生命のパンをそこで食べるわけです。




二つの契約(デビット・カン講演18)

2012年05月23日 | 日記



    ひまわりさんより(5月23日)

先日、東京の長男へ、ジューサーを届けに行きました。
でも、朝が早く、夜遅い長男は、なかなか野菜や果物を買う時間がないだろうと思って、
20日の日曜日に、果物や、ふりかけ、全粒粉のゴマクラッカーなどを送りました。
今日、仕事から帰ってきたら、息子から葉書が届いていました。
そこには、『心身を練磨し、自らの使命を果たせるように頑張ります』と書いてあり、
彼も、自分の使命というものを意識して生きるようになってきたのだなあ、と思ってうれしくなりました。

    聖所の外庭の経験(デビット・カン講演18)

なぜそうなのでしょうか。なぜイエス様は至聖所に移られたのでしょうか。
それ以前の聖所の働きと、至聖所の働きとは何が違っているのでしょうか。
これが永遠の福音の焦点となる部分なのです。
福音には、調査審判の働きが含まれます。
外庭の経験でまず私たちは、罪を憎んで義を愛することを学びます。
犠牲の動物をささげる経験を通してこのことを学びます。
罪人は、罪を犯したのは自分なのに、どうしてこの動物が死ななければならないのだろうと、
考えさせられるわけです。そのようなことを通して、イエスキリストの犠牲神の愛について学ぶわけです。




二つの契約(デビット・カン講演17)

2012年05月22日 | 日記




    ひまわりさんより(5月22日)

今日の日課のメッセージは、全部素晴らしいと思ったのですが、時に心に響いた箇所をご紹介いたします。
「天では、人の価値は、人間が持っている神を知る能力によって評価される。
この知識こそ、すべての能力が流れでる泉である。
・・・こうして、神のかたちにまで成長することによって、神を知る能力もますます増加する」
 イエス様の恵みによって、自分の中に自己犠牲の愛が芽生えてくると、
それは自分の中に全くないものなので、そのことを通して、神様がどのような方であるかを、
幾分かでも体験的に知ることができるように思います。
そのように、神様を知っていくことが大切なのだと思いました。

    聖所のメッセージ(デビット・カン講演17)

ところで、私たちを、セブンスデー・アドベンチストとするのは、一体何なのでしょうか。
考えてみてください。私たちが第7日安息日を信じているからですか。そうではありません。
第7日安息日というのは、特異な、独特な真理ではありません。
なぜなら、セブンスデー・アドベンチストは、当初はセブンスデー・バプテストの人からこの真理を学んだからです。
では、私たちをセブンスデー・アドベンチストとするのは、再臨を信じているからですか。
そうでもありません。私たちをセブンスデー・アドベンチストという特別な民とするのは、
この聖所のメッセージなのです。イエス様が天の聖所から至聖所に移られたということを、
しっかり認識、理解した上でセブンスデー・アドベンチストとなっていったのです。