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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

二つの契約(デビット・カン講演16)

2012年05月21日 | 日記



   ひまわりさんより(5月21日)

今日は金環日食で、多くの人が興奮していました。
私の住んでいる所は、残念ながらその時間ちょうど雨で、全然見ることができず、
テレビの映像で見ただけでした。この日食のとき、動物園のサルが高い所に登ったり、
ペンギンが鳴き続けるなど、ふだんとらないような行動があったことが報じられていました。
私は、そのことにすごく感動しました。
空の様子を見ることのできない動物が、何か天体の異変を感じて、いつもと違う行動をとったのです。
動物の中には、そういう異変を感じるメカニズムがあるのだと思いました。
聖書には、「あなた方は夕方になると、『空がまっかだから、晴れだ』と言い、
また明け方には『空が曇ってまっかだから、今日は荒れだ』という。
あなた方は空の模様を見分けることを知りながら、
時のしるしを見分けることができないのか」(マタイ16:2,3)とあり、
動物以上に、私たちが、時のしるしに敏感になる必要があることが教えられています。

    聖所の外庭の経験(デビット・カン講演16)

旧約聖書時代の聖所の制度において、そこには、三つの段階が見られます。
まず、外庭、つぎに聖所、そして、聖所の奥に至聖所がありました。
この三段階を通して神様は私たちを救おうとしておられます。
私たちの内から、罪の問題を神様は除き去ろうとしておられます。罪は病気、がんのようなものです。
このがんのように私たちに巣食っている問題を、どのように除こうとしておられるのでしょうか。
三つの段階、ステップがあります。最初のステップは何でしょうか。
まず、イエス・キリストの犠牲を理解するということです。
その上で、私たちの罪を告白します。レビ記の1章を読みますと、
そこに燔祭の事が書かれていて、どのようにささげるべきかが説明されています。





二つの契約(デビット・カン講演15)

2012年05月20日 | 日記



    ひまわりさんより(5月20日)

 今日の日課には、「大いなる光が健康改革に与えられているが、この主題を誠実に扱い、
知恵をもって支持していくことが、すべての人にとって不可欠である。・・・わたしたちは、
思いと魂と体の機能を一つでも無分別に取り扱うべきではない。わたしたちが、
身体の精巧な器官を少しでも乱用するなら、必ず自然の法則を犯した報いを受ける」
とありました。私は、毎日犬と一緒に30分ほど早歩きをし、天気が良ければ自転車で通勤し、
運動は足りていると思っていました。
でも、ここ2か月ぐらい、首が回らなくなり、上半身の運動が不足していることを感じました。
それで、首をもんだりしていたのですが、もっと全身の運動が必要かもしれないと思い、
以前、利用者さんと一緒にやろうと思って買っていた、ラジオ体操のDVDをやってみることにしました。
やってみると、回らなかった首がよく動くようになってきました。
その人にあった運動があると思いますが、私はラジオ体操で首が動くようになって、
本当にうれしくなりました。

 古い契約、新しい契約(デビット・カン講演15)

二つの契約がありました。まず古い契約、そして新しい契約です。
条件に関していうならば、どちらも条件は同じでした。その条件とは何でしょうか。
「神様の戒めに従えばあなたは生きる」という条件です。
「神様の戒めに従わないならば、あなたは死ぬ」という条件です。
そのように、どちらの契約に関しても、条件は同じなのです。
では古い契約と新しい契約の違いは何でしょうか。態度なんですね。
それが異なるのです。古い契約においては、律法、戒めに従いたい、
ただし、聖霊なしにそれに従おうとするわけです。自我は屈服しておらず、
まだ死んでいないわけですね。しかし、新しい契約の経験は、
イエス・キリストの十字架をはっきりと理解した上で、
同じ条件にもかかわらず態度が変わってきます。



二つの契約(デビット・カン講演14)

2012年05月19日 | 日記




  ひまわりさんより(5月19日)

今日の安息日の礼拝のメッセージは、黙示録14章12節の「ここに神の戒めを守り、
イエスの信仰を持ち続ける聖徒の忍耐がある(欽定訳参照)」でした。
神様は、14万4000人で表される、完全にイエスさまの品性を表すグループが出現するのを、
2000年間待っておられます。神様は、全宇宙とサタンに対して、
「ここに、私の戒めを愛し、
イエス様が神様に対して持っておられたような信仰を持ち続ける聖徒がいるよ」とおっしゃりたいのです。
私は、早くその神様の思いにおこたえしたいと思いました。
そして、そのためには、罪の結果からの救い(罪のゆるし)、
罪の力からの救い(罪に勝利する)の経験を持ち、思いにおいても罪を犯さなくなり、
サタンの主張が間違っていたことを証明する証人となることが大切でした。

 イエス様は勝利の模範(デビット・カン講演14)

私たちが新しい契約のうちにあるとき、そういう人は罪に定められることがないのです。
私たちが新しい契約のもとにあるならば、罪の奴隷とはなっていないわけです。
イエス様は、アダムが堕落したあとの性質をとってこの世においでになりました。
遺伝の法則によって、あらゆる弱さ、罪深さというものを、彼は背負ってこの世に生まれてこられました。
しかしイエス様は聖霊に満たされていました。
そしてご自分の罪深い肉を、常に聖霊に屈服させて歩まれたわけです。
ですから彼は完全な勝利者として、一度も、ただの一度も罪を犯すことなく、生涯を全うされたわけです。



二つの契約(デビット・カン講演13)

2012年05月18日 | 日記



    ひまわりさんより(5月18日)

今日の日課の言葉をご紹介いたします。「あなたの畑を耕すために時間をさき、
こうして体の組織が良い状態で働き続けるために必要な運動をしている時、
あなたはちょうど集会を行っているのと同じように、神の働きを行っているのである」。
農作業のような必要な運動は聖書研究と同じように尊いものだと教えられていて、
これは本当にそうだと思いました。体の健康と品性が清まることとは同等なのだと、
最近思わされています。体の原則も心の原則も同じもので、
どちらも、カン先生が教えておられるように、信仰によっておこなうものなのです。
長年、過食、間食に勝てなかった私は、イエス様を心から信じた時、朝と昼しっかり食べれば、
夕食を摂りたいという気持ちがなくなり、自然に果物ジュースだけで空腹を感じなくさせられています。
これは、私にとっては奇跡のようなことです。
さらにうれしいことに、東京にいる長男、長女も、果物ジュースを作って飲むようになりました。
続けていってほしいと思います。

  命のみたまの法則(デビット・カン講演13)

私たちは、皆、良い目的、よい意図は持っているのです。
しかし、しばしばサタンが私たちに勝利します。
私たちは罪によって、罪の性質によって打ち負かされてしまいます。
次のローマ人への手紙8章1,2節では、
「こういうわけで、今やキリストは・イエスにある者は、罪に定められることがない。
なぜなら、キリスト・イエスにある命のみたまの法則は、罪と死の法則からあなたを解放したからである」
この節の中の、キリスト・イエスにある者というところでは、
日本語訳では省かれている言葉があります。欽定訳では、「肉によって歩まず、霊によって歩む者」とあります。
キリスト・イエスにある者とは、聖霊に従って歩いている人たちです。
肉の命令に.聞き従わない人達のことです。
イエス・キリストにある者というのは、そのような人たちのことです。





二つの契約(デビット・カン講演12)

2012年05月17日 | 日記


   ひまわりさんより(5月17日)

今日は私の勤めている老健施設に、韓国で結成されている『ゴールデン・エンジェルス』合唱団の皆さん、
男女8名が慰問に来てくださいました。このメンバーは、
1年間、学校や仕事を休んで、神様の奉仕のために献身している人たちで、韓国人ばかりでなく、
香港、モンゴル、フィリピンの人もいました。大きな機材も全部持ち込みで、英語の讃美歌8曲、
日本語の讃美歌2曲を歌いました。そのすばらしいハーモニーと、迫力で、聞いていた職員からは、
『歌唱力がすごいね』という声が上がり、お年寄りの人たちも、英語の歌なのに、しっかり聞いておられました。
本物は、言葉を超えて心に響いていくのだという事を感じました。
歌の間にはメンバーの証がありました。
韓国人の青年が、アメリカで医者になるために留学中、原因不明の病気にかかり、治療法がないと言われ、
やむなく韓国へ戻ることになりました。
韓国では、ソウル大学医学部の有名な先生に診てもらったのですが、現状を維持するのがやっとで、
治癒は難しいと宣告されてしまったのです。
青年は神様を信じて20歳まで生きてきて、一度も神様を疑ったりしたことはなかったのですが、
入院生活が2年も続き、神様を疑いそうになりました、でもその時、神様の希望の約束を信じ、
み言葉が自分の力になるように祈り続けたところ、医者が驚くほど、病状が回復し、
今はこうして、歌のグループに入り、神様の素晴らしさを証できて感謝です、という証でした。
青年を力づけた聖句は「神はそのひとり子を賜ったほどに、この世を愛して下さった。
それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネ3:16)でした。

   罪に勝利する道は?(デビット・カン講演12)

ローマ人への手紙7章6節を読みます。
「しかし今は、わたしたちをつないでいたものに対して死んだので、わたしたちは律法から解放され、
その結果、古い文字によってではなく、新しい霊によって仕えているのである」
私たちが死んで、古い文字によってではなく、新しい霊によって、とあります。
ここでパウロは、古い契約と、新しい契約について述べているわけです。7章19節を読みます。
「すなわち、私の欲している善はしないで、欲していない悪はこれを行っている」
 パウロは、自分は義人になりたいのに、なれないでいると叫んでいるのです。
善を行いたいのに、自分が行いたくない悪を行ってしまう、24節で叫びをあげていますね。
「わたしはなんというみじめな人間なのだろう、だれがこの死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか」
 わたしたちは、この死の体にとどまっていて、それを脱げないでいるわけです。
解決は何でしょうか。このような問題に、どのように勝利できるでしょうか。