2.聖霊の賜物を追究する人にどう接するか?
今日、聖霊体験を追究するほとんどの教会では、没我の状態で意味の分からない言葉をしゃべることを、初代教会の人々が受けた異言の賜物と同じものだと見なし、教会にそのような賜物があることを自分たちが真実な教会であることの証明としています。そのような教会ではよく、コリント人への第一の手紙14章が引用されます。しかし、聖霊の賜物の理解についての論争が、何年にもわたって教会の間に存在しています。
コリント教会に具体的にどのような事が起きていたのか、すべての事情や背景を知ることはできませんが、大まかな問題点ははっきりしています。コリント教会の新しく生まれたばかりのクリスチャンたちは、当時の圧倒的な異教世界に対抗して戦うにはあまりにも貧弱な、わずか数十名の男女でした。そのため、神様は福音を広く効果的に伝えるために必要な、強力な意思疎通の道具としての聖霊の賜物を彼らに与えられました。その結果、まだ未熟なキリストの弟子たちは、新しく得た言語能力を最大限用いて伝道したいという情熱をもって、当時の神秘宗教に凝り固まっている異教徒たちに、素晴らしい神様の力と恵みを紹介したのです。
今日、ある教会では異言を語る方法、すなわち意味のない音節を語る方法を教えることもあります。それを学んだ人が、最終的に、自然に子音と母音を組合わせながら語り出すようになると、その人は「聖霊の賜物」を受けたと認められます。このようにして異言を語るようになった初心者たちは、異言や聖霊の賜物を強調する礼拝や集会に参席することによって心が高揚し満足感を持ちます。その集会の雰囲気を通して感情が高まり、その頂点に達すると自動的に異言をとなえるようになります。