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ひまわりさんの日々の信仰日記と再臨信仰のエッセンスについてご紹介しています

黙示録の獣の刻印とは  第4回

2016年05月08日 | 日記

 獣を特定するポイント

皆さんは、見張りの働き、番兵の働き、どういうものか皆わかっていますよね。番兵、見張りと言うのは、夜、寝ずの番をします。町の中の民衆を守るために、見張りをするわけです。敵軍が攻めてきたら、真っ先に気づいてみんなに知らせるのが、番兵の働きです。火事が起こったら「火事だ!!」と真っ先に知らせる働きがあります。皆が死なないように、犠牲にならないように「早く起きなさい」と、警告を発するわけです。

今晩、私が皆さんの魂のための、番兵、見張り役を果たしていきたいと思っています。これは深刻な問題なのです。この地上のすべての生きた魂に関わる問題です。目をふさいで、私は知らないとは言えないのです。私は全然そんな事に興味はないとも言えません。それから逃れることは誰も出来ないのです。

では、獣の刻印とは何でしょう。まず、獣とは何者かを理解する必要があります。黙示録13章の獣を特定するには、9つのポイントがあります。これら9つのポイントを聖書から読み取ることができます。単純なものです。

(第一)それはヨーロッパにおけるローマ帝国の分裂後に起こるという事で、これが獣の権力のヒントとなります。

(第二)それは政治権力を装っていながら、宗教権力なのですね。

(第三)その獣は神を冒涜する言葉を吐きます。冒涜とは何なのでしょうか。もし、自分が私は神であると言ったら、それが冒涜であります。私には人の罪を赦す権威があると言うならば、それが冒涜です。(第四)それは、政治的権力を振るいます。それは教会権力でありながら、色々な政治的権力、政府、国を使って神の民を迫害しようとする、つまり政治的権力を振るうようになります。

(第五)のポイント、ヒントですが、それは神の民、聖徒たちを迫害します。すでに善良な多くのクリスチャンを殺害してきました。

(第六)の点、それは、1260日とありますけれども、1260年支配しました。聖書はこういうヒントを示し、与えてくれているわけです。

(第七)の点、それは神の十戒を変えようと試みます。実際に神様の律法、戒めを変えたのです。

(第八)の点、それは死ぬほどの傷から復活します。それは、かつて、剣によって殺害されたけれども、死んだように思われたのに復活して、多くの世界中の人々から尊敬を得るほどの権力です。こういった点について、聖書ははっきり述べています。この獣の権力の正体を突き止めるのに、間違いを犯さないように、聖書がヒントを与えてくれているんです。それなのになぜ、この獣の権力について、多くの人々はただ憶測だけに頼るのでしょうか。彼らは研究をしないからです。聖書に書かれている通りの、単純な読み方、とらえ方をしないからです。

(第九)それは、名前に666の数字を帯びていることです。ダニエル書7章に非常に興味深い預言があります。全部読む時間はありませんが、皆さん、後で個人的に読んでいただいて、どういう事が書かれているか知って頂きたいと思うのですけれども、ダニエル書と言うのは旧約聖書の預言の書で、ヨハネの黙示録と言うのは新約聖書の最後にある預言の書です。

ダニエル書7章には、黙示録13章の獣についての描写があります。ダニエル書7章では、ダニエルが幻の中で4種類の獣が登場するのを見るわけです。第1の獣は、ワシの翼を持ったライオンの姿をしていました。これはバビロニヤ帝国を表わしていました。第2の獣は、熊の姿をして3本の肋骨を口に加え、そして肩の一方がもう一方よりも盛り上がっていました。これはメデヤとペルシャと言う二つの帝国が同盟を組んで、一つの強力な帝国を打ち立てた様子を描いているのですが、ペルシャの方が力が強くて、盛り上がっていたわけです。第3の獣は、豹のような様子をしていました。そして4つの翼を持っていました。豹と言うのは非常に足の早い獣です。これはギリシャのアレキサンダー大王が、ものすごい速さで各地を征服していった様子を描いているわけです。しかもこの豹は羽をつけているので、さらにスピードを上げて、その征服支配を進めていく様子を、神様は幻を通して、映画のようにダニエルに示されたわけです。しかも、その獣には4つの頭がありました。


黙示録の獣の刻印とは  第4回

2016年05月08日 | 日記

 獣を特定するポイント

皆さんは、見張りの働き、番兵の働き、どういうものか皆わかっていますよね。番兵、見張りと言うのは、夜、寝ずの番をします。町の中の民衆を守るために、見張りをするわけです。敵軍が攻めてきたら、真っ先に気づいてみんなに知らせるのが、番兵の働きです。火事が起こったら「火事だ!!」と真っ先に知らせる働きがあります。皆が死なないように、犠牲にならないように「早く起きなさい」と、警告を発するわけです。

今晩、私が皆さんの魂のための、番兵、見張り役を果たしていきたいと思っています。これは深刻な問題なのです。この地上のすべての生きた魂に関わる問題です。目をふさいで、私は知らないとは言えないのです。私は全然そんな事に興味はないとも言えません。それから逃れることは誰も出来ないのです。

では、獣の刻印とは何でしょう。まず、獣とは何者かを理解する必要があります。黙示録13章の獣を特定するには、9つのポイントがあります。これら9つのポイントを聖書から読み取ることができます。単純なものです。

(第一)それはヨーロッパにおけるローマ帝国の分裂後に起こるという事で、これが獣の権力のヒントとなります。

(第二)それは政治権力を装っていながら、宗教権力なのですね。

(第三)その獣は神を冒涜する言葉を吐きます。冒涜とは何なのでしょうか。もし、自分が私は神であると言ったら、それが冒涜であります。私には人の罪を赦す権威があると言うならば、それが冒涜です。(第四)それは、政治的権力を振るいます。それは教会権力でありながら、色々な政治的権力、政府、国を使って神の民を迫害しようとする、つまり政治的権力を振るうようになります。

(第五)のポイント、ヒントですが、それは神の民、聖徒たちを迫害します。すでに善良な多くのクリスチャンを殺害してきました。

(第六)の点、それは、1260日とありますけれども、1260年支配しました。聖書はこういうヒントを示し、与えてくれているわけです。

(第七)の点、それは神の十戒を変えようと試みます。実際に神様の律法、戒めを変えたのです。

(第八)の点、それは死ぬほどの傷から復活します。それは、かつて、剣によって殺害されたけれども、死んだように思われたのに復活して、多くの世界中の人々から尊敬を得るほどの権力です。こういった点について、聖書ははっきり述べています。この獣の権力の正体を突き止めるのに、間違いを犯さないように、聖書がヒントを与えてくれているんです。それなのになぜ、この獣の権力について、多くの人々はただ憶測だけに頼るのでしょうか。彼らは研究をしないからです。聖書に書かれている通りの、単純な読み方、とらえ方をしないからです。

(第九)それは、名前に666の数字を帯びていることです。ダニエル書7章に非常に興味深い預言があります。全部読む時間はありませんが、皆さん、後で個人的に読んでいただいて、どういう事が書かれているか知って頂きたいと思うのですけれども、ダニエル書と言うのは旧約聖書の預言の書で、ヨハネの黙示録と言うのは新約聖書の最後にある預言の書です。

ダニエル書7章には、黙示録13章の獣についての描写があります。ダニエル書7章では、ダニエルが幻の中で4種類の獣が登場するのを見るわけです。第1の獣は、ワシの翼を持ったライオンの姿をしていました。これはバビロニヤ帝国を表わしていました。第2の獣は、熊の姿をして3本の肋骨を口に加え、そして肩の一方がもう一方よりも盛り上がっていました。これはメデヤとペルシャと言う二つの帝国が同盟を組んで、一つの強力な帝国を打ち立てた様子を描いているのですが、ペルシャの方が力が強くて、盛り上がっていたわけです。第3の獣は、豹のような様子をしていました。そして4つの翼を持っていました。豹と言うのは非常に足の早い獣です。これはギリシャのアレキサンダー大王が、ものすごい速さで各地を征服していった様子を描いているわけです。しかもこの豹は羽をつけているので、さらにスピードを上げて、その征服支配を進めていく様子を、神様は幻を通して、映画のようにダニエルに示されたわけです。しかも、その獣には4つの頭がありました。


黙示録の獣の刻印とは  第3回

2016年05月07日 | 日記

 獣の数字は人間を指す

ローマ帝国時代に、刻印を入れた人たちと言うのは奴隷とか軍人たちだけでした。そういった身分の人たちには選択の自由はなかったわけですね。刻印、印が強要されました。

17節を読みます。「この刻印のない者は皆のものを買う事も売ることもできないようにした。この刻印はその獣の名、またはその数字のことである」。ここである単純なことを理解しなくてはいけません。

獣の刻印は何かと言う事です。この獣の刻印と言うのは666とありますから、コンピューターのバーコードだという人もいます。あるいは、人々の皮膚に埋め込まれるマイクロチップ、そういったものだと主張する人たちもいます。または、クレジットカードのことだと考える人たちもいます。しかし、聖書はそうは言っていません。これは間違った憶測なんです。聖書に書かれている通りに理解しなくてはいけないのです。人間の理論に耳を傾けないで下さい。神様の言葉に耳を傾けましょう。

ここに、刻印はその獣の名とあります。またはその名の数字のことであると書かれています。ここに大きなヒントがあります。獣の刻印がバーコードあるとするならこの記述に沿わないわけです。水から上がってきた第一の獣の権力の名前のことです。そしてその第一の獣の権力、名前から数字を出してゆく必要があるのです。18節に、さらなるヒントがあるんですけれど、お読みします。「ここに知恵が必要である」。知恵が必要なんですね。「思慮のある者は、獣の数字を解くがよい」。獣の数字とは何でしょうか。「その数字とは、人間を指すものである」。コンピユーターではありません。マイクロチップではありません。クレジットカードではありません。「人間を指す」数字である、とここに言われています。そして、その数字は666とあります。666とありますね。これは人間の名前の数字であると言われているわけです。コンピューターは人間ではありません。マイクロチップは人間ではありません。ですから、そういった解釈は人間の憶測なのです。それなのに、多くのクリスチャンが混乱しています。まさしく、南に向かっていながら自分は北に向かっていると真心から信じているような状態です。何かを真心から信じていてもそれが間違いであったならば、それは真心から間違っていることなのです。


 黙示録の獣の刻印とは 第2回

2016年05月06日 | 日記

  二つの獣の権力の台頭

獣の刻印の問題は、もっとも興味を引く預言です。では、獣の刻印とは何でしょうか。この獣の刻印とは何かということを知りたくて、多くの人が聖書を探り調べてきました。聖書の中で最も重要な預言が、獣の刻印に関するものです。そこで、この獣の刻印に興味があるという人に、私は逆に尋ねるのです。では獣の勢力、権力と言うのは何ですかと。ほとんどのクリスチャンが、獣の勢力が何かということは知りません。「獣の刻印を受けなければいいんでしょ」と言います。しかし、この獣の刻印が何かということを知らなければ、どうしてこの獣が強要しようとする刻印について知ることが出来るでしょうか。

獣が刻印を人々に強要する前に、私たちはこの獣が何かという事を知らなくてはいけないのです。黙示録3章22節にこのように書かれています。「耳のあるものは御霊が諸教会に言う事を聞くがよい」。耳のある人、皆さん全員耳を持ってきたでしょうね。この肉の耳だけでなくて、霊的耳を持ってこられたことを期待しています。この奥義を解くための知恵を、聖霊から皆さん一人ひとりがいただかれることを私は願い祈る者です。

黙示録13章11節から18節を見ますと、そこに、獣の刻印について書かれています。では、黙示録13章の11節からお読みします。「わたしはまた、ほかの獣が地から上ってくるのを見た。それには小羊のような角が二つあって、龍のように物を言った。そして、先の獣の持つすべての権力をその前で働かせた。また、地と地に住む人々に、致命的な傷がいやされた先の獣を拝ませ、また、大いなるしるしを行って、人々の前で火を天から地に降らせることさえした。さらに、先の獣の前で行うのを許されたしるしで、地に住む人々を惑わし、かつ、剣の傷を受けてもなお生きている先の獣の像を造ることを地に住む人々に命じた」。15節。「それから、その獣の像に息を吹き込んで、その獣の像がものを言う事さえできるようにした。また、その獣の像を拝まない者を皆殺させた」。

黙示録13章を研究すると、二つの獣の権力が登場します。一つは、海から上ってきます。第二の獣は地から上ってきます。これらの、二つの獣は、獣の刻印に関する重要な役割をそれぞれ果たすことになります。ここでは、第二の獣が地に住む人々を、第一の獣の像を拝むように強制すると聖書は言っています。ですから第二の獣が、獣の刻印を全地の人々に強要するわけですけれども、その背後で糸を引いているのが第一の獣というわけです。第二の獣が、獣の像なるものを造って全地の人々に拝ませようとします。その獣の像とは何の獣かというと第一の獣であり、その第一の獣を拝ませようとするわけですね。

つまり、第一の獣の権力を尊重しない人々がいたら、拝まない人がいたら、第二の獣がその人たちを罰する、迫害するようになると言うのです。ですから、第二の獣が、獣の像を拝ませようとするのは自分のためではなくて、最初に登場する第一の獣のためにそのような行為に出るわけですね。

次に16節をお読みします。「また、小さい者にも大いなる者にも、富める者にも貧しい者にも、自由人にも奴隷にも、すべての人々にその右の手あるいは額に刻印を押させ」。興味深い聖句ですね。この獣の刻印と言うのは、右の手か額に押されるとありますね。それはどういう意味でしょうか。頭にポンとスタンプを押すのでしょうか。常識的に言ってそんなものではないとわかりますね。では、どういう意味でしょうか。

この獣の教えを受け入れて、信じるならば、従うならばその獣の刻印を同意して受け入れることになるという象徴ですね。象徴的に書かれています。また、その獣の教え、教理を信じることなく同意しなかったとしても、圧力に負けてその権力に屈してしまうならば、その時は、やはり獣の刻印を受けることになるわけです。