マイmy巷話

マイMy巷話(かんわ)は「私にはそう見える!」ものを儘に書いているだけの話です。

世田谷・駒沢練兵場の排水溝を辿ってみる

2024-03-25 | 街歩き・歴史散歩

先日は、池尻稲荷神社脇の旧陸軍駒沢練兵場の排水溝跡を覗くつもりが、たまたま見つけた鳥居脇の不思議な水準点標石→別記事のほうに食指が動いてしまったため、今回は仕切り直してみることに。
なので、マイマイ🐌はまたまたお休み。すみません。


こちらは大正初期の古地図👀

広大な駒沢練兵場では、大陸への侵略を想定して馬や牽引車に引かせて斜面を駆け上がる厳しい訓練を連日行っていたそうですが、その敷地の水はけの悪さを改善するために造られたのが、今回の排水溝なんですね。

で、排水溝のあった箇所を地図で見るとたしかに土塁記号が練兵場から神社横手まではっきりと描かれています。

また、等高線に注目すると土塁記号のあたりはゆるい谷間になっていて、目黒川まで凹型地形が続いているようです。

つまり、川が源頭から下流へと流れるように、自然の地形を利用して作られた排水溝から、練兵場の窪地に集まった雨水を流していたというわけですね❗️

池尻稲荷神社の湧水が「枯れずの井戸」と呼ばれたのも納得です。。

ただし、大正時代の流路は、練兵場から現在の国道246号を超えると、一面が田んぼのなか(現在の目黒区大橋あたり)に続いているため、灌漑用水として利用されていたのかもしれません。


時代は下がって、昭和2年の地図👀

戦時下の地図改描で軍事施設表記が地図からどんどん消されていくなか、排水溝はやけにはっきりと描かれていますねー❗️


別の地図で見てみると、国道から北側部分は田んぼや畑は失われて、建物が密集しています。

排水溝は目黒川南側の工場敷地に沿った箇所のみが青く描かれているようです。

そこに上の地図を描き出せば、練兵場の土塁から目黒川までを辿っていけそうですね❗️


🐾

🐾


まずははじまりから。
旧練兵場内の土嚢記号の突端あたりに来てみました。

周囲がやけに広くなっていますが、かつてはここに集まった水を目黒川へと溝を通して流していたわけですね。。


周りを見ると集水枡がいくつも並んでいるので、この地下は今も水のトンネル銀座かと思われます。


で、そこから土塁記号に沿って、裏路地の暗渠を歩いていきます。
100年前のここは、多くの若い兵隊さんらの使役で掘らせたのでしょうか。。


路地を抜ければまもなく池尻稲荷神社。


そして神社脇の暗渠にまで、やって来ました。

今までよりも水路の側壁が上がって、造りも立派になっていますが、ここはむかし大雨が降ると怖いくらいの濁流が練兵場から押し寄せてきて、国道の向こうまで溢れかえったそうですよ💦


排水路には、コンクリート橋もしっかり架かっていたようですね👀

察するに、、なんだかんだと治水工事にかかった金額は、神社の氏子ばかりか練兵場にもしっかり負担してもらったんじゃないかな🤔

そんな暗渠に沿った銀杏は、傍らの石碑によれば、昭和3年に在郷軍人の手で植えたものだとか。

出征祈願に武運長久、、数えきれない人らが一心に願い、その手をあわせた思い出ばなしがここにはあるんでしょうね。。


はなしは戻って、排水溝の暗渠は国道側の鳥居手前で大きく右へとカーブして、隣接するマンションの敷地へと抜けているようです。


ちょうどこの裏が神社の枯れずの井戸になりますが、ここから見下ろす暗渠は、井戸からの排水口と古びたコンクリート蓋がアクセントになり、なかなか良い雰囲気だったりします。


その先、暗渠は神社横のこちらの建物の外側通路になっているようです。

厚いコンクリートの蓋上には、古い石積みが残されていました。


246号の池尻交差点を渡って、神社を振り返ってみます👀

排水溝は神社脇からとなりの古畑病院経由で国道下を抜けて、目黒側へと続いているようです。


国道を渡った先を斜めに入った路傍で、僅かに水路の側壁らしきものを見つけることができました👀
当時、この横には世田谷警察署があったようですね。


いまでは狭い路地を住宅が所狭しと並んでいますが、この崩れた石のかたまりも側壁の跡でしょうか。。


昭和初年の地図を参照に、この二又では左をしっかり選びます❗️


世田谷の裏路地であるあるですが、この不自然な道の曲がり具合に水路の名残が感じられます。

ちょっと注目したいのは、、下水道のマンホールに合わせて、気を利かせた縁石のカーブが、いじらしく見えますが、それでも蓋開かないような気がするのはワタシだけかな笑


暗渠の路地裏から、いよいよ地図にも描かれていた工場敷地に沿った一直線の水路跡を辿れば、目黒川はもうまもなく❗️


そして、無事に目黒川緑道に合流しました❗️


こうして、古地図を参照に100年前に造られた駒沢練兵場の排水溝は、今でも足下の見えない場所に存在していることがわかりました。

また、標高のある練兵場からうまく地形を利用しながら、目黒川までを排水溝は最短距離で造られていたことも判明したし。。💡

どんなに些細なものでも、歴史の遺構があるかぎり、そこに理由のないものなんて絶対ありえないっ❗️ということをまたもや再認識した、スーパーへの買い物ついでのちょっとした旅路でした笑

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動きが両極端な かたつむり

2024-03-21 | いきもの(かたつむり)


仲良くくっつく高齢の貝同士。。😌



アタマからはご機嫌印👑の頭瘤も見えていますが、この2匹が仲良く並ぶのもなかなか珍しいんですよねぇ。。。

一方、向こうでは若い貝が風呂のなかに篭っているようだ👀

かたつむりの頭瘤はいつ見ても不思議なカタチなんですよねぇ。。

この自然の造形はまるで生きた宝石を見ているようで、キミらがたまに出しては自慢げに見せたくなるのもよくわかるっ❗️


で、1匹が動くと片方も一緒に続いていくらしい。。。🐌🐌

そしてアタマには頭瘤✨✨
こうして身を寄せ合ってお年寄りが歩む姿は、なんだかヒトと変わらなかったりするのです😌


一方、こっちっ!
なんだか石と同化してるが、、😅
今日のキミはいつもの多動は陰を潜めて、徹底的に引きこもりたいらしいなっ笑

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かたつむりは力持ち

2024-03-17 | いきもの(かたつむり)


ご長老貝が憩う場に若い貝がやってきました👀
かたつむりは個人プレーが基本多い生き物だが、わりと仲間に寄り添うのも好きだったりするのです😌


でも、若い貝はひたすら前進あるのみらしい。。。。🐌
あの〜💧💧ここ行き止まってますからっ、アナタ木に潜ってますからっ❗️
そろそろバックしたほうがよいですよ〜😅


そんな貝ぬしの薄っぺらな忠告など聞く気はないらしく、とうとうご長老ごと木を持ち上げちゃいましたよっ😳



しかし、かたつむりってホント力持ちですよねぇ。。。
あ、せっかく寛いでいたご長老貝には申し訳ありませんが😅


しかも、年寄りに向かって《どう❓おどろいた❓》とドヤ顔で、こりゃ間違いなく言ってますよっ笑

そろそろ、キミの先輩を放してほしいものです。。


しばらく後⏰
先輩を持ち上げるのはやめたらしいが、先輩を立てずに、やっぱり邪魔してますなっ笑
敬うべき相手と一緒にいたいなら、もすこし優しくしてくださいよー❗️

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新聞を食べる かたつむり

2024-03-15 | いきもの(かたつむり)


今朝キレイ✨に洗ったばかりの貝の家で、長老貝が好物のうまうまに見向きもしないそのワケは、、


ズバリ❗️新聞紙のほうが好きだから😍😍

若い衆より年寄り貝がもぐもぐと食べてる姿を見るほうが、こっちもなんだかホッとするような気持ちになりますよねぇ。。


ありゃ❓こっちに気づいたようです💧
お食事中に失礼しましたー笑

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ふつうに暮らす かたつむり

2024-03-14 | いきもの(かたつむり)


齢4年、、年寄り貝が起きてきて、朝食を食べていた👀
たしかに今日は朝から暖かい。。。



冬場からずっと定宿にしている竹炭からちょ這い出てきては、食べて戻る。。
お年寄りの動きはわかりやすい笑

で、奥のほうではケヤキの樹皮に潜る貝もいたりするが、、それぞれに冬場の貝の定位置は個性があったりする。


すっかり殻の外皮も剥がれてしまいましたが、中身はまだまだ元気なご長老。。。🐌

この先も無理せず頑張ってほしいものです。。

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世田谷・池尻稲荷神社の謎の水準点標石

2024-03-03 | 街歩き・歴史散歩
今回も都会の裏路地でふと見つけた不思議な石のはなしをしたいと思います。
再び、マイマイ🐌ネタはお休み。すみません。。


こちらは、渋谷から続いた国道246号沿いに鎮座する池尻稲荷神社👀

ここ、目の前の大きな国道とその上を走る首都高速の喧しさと威圧感からか?、日頃からついつい足早に通り過ぎてしまいがちだったのですが、、



先日、前を通りかかった際、この裏手に戦前あった駒沢練兵場の排水路が、今も神社脇に暗渠として残ることを思い出しまして、鳥居の横から経路に入った矢先、標石らしきものを見つけたのです。


大きな記念碑の裏側に横たわっている石は、1m近くはありそうな立派な花崗岩で出来ています。
おまけによく見れば、BM No-12とも刻まれていますね👀


一旦神社の敷地に入って、見えにくい記念碑の隙間から標石の表側を観察してみると、家紋らしき彫刻が入り、おまけに石のあたまには丸い出っ張りもありますね。。これは⁉️


ますます興味が沸いてきたので、境内をざっと眺めてみると、すぐにこの家紋らしきものは、神社の社紋だとわかりました。


BMの刻み文字。。
上部には球分体。。
そして、国道沿いの神社に社紋入りの立派な花崗岩の標石。。

このヒントから、これは昔の、おそらく戦前に作られた水準点標石じゃないか⁉️と思い始めました。

水準点とは明治維新後に海外から導入された技術を用いて、国土の高さを測るために各地に設置された基準点のことでして、当初は標石ではなく、内務省の管理下で国道沿いの既存の不朽物に几号を彫ったものを基準にしたそうです。例えば、神社の鳥居や石造りの構造物などなど。。いま見つけたらマニアなら堪らないレアものでしょうね。

その後、国土の測量は陸軍下の陸地測量部に移り、戦後は国土地理院へと続いているんですねー。
つまり、戦前の日本国土のデータは軍が全てを掌握していたってわけか。。🤔


そんな現在の国土地理院の地図を見ると、神社に水準点の記載はなく、一番近くの水準点は、神社から500メートルは先。
もしかして、以前はここに水準点が設置されていたものの、なんらかの事情で移されて、廃点になったのでしょうか❓❓

結局、地理院の測量担当の方に伺ってみたところ、池尻稲荷神社に該当する水準点の資料は見つかりませんという返事をいただきました。
やはり、水準点ではないようです。。


ではどうしてこんな立派な神社の社紋入りの水準点標石もしくは、似たものがつくられて、またその後、記念碑裏に隠されてしまったのでしょうか。。❓

もしかして、この記念碑になにかヒントはないか🤔❓と裏面をなんとか読んでみたところ、鎮座300年祝賀事業として、昭和38年9月に神社を改修、造営した際の記念碑だとまでは、わかりましたが、水準点のことはさっぱり分からず💧💧

最後は、神社の方に伺ってみることにしたのですが、やはり当時を知る氏子の方々は皆いなくなってしまったため、何故作られたかはわからないそうです。
それでも、唯一わかっているのは、昭和38年に、翌年のオリンピック開催に向けた高速道路建設のための国道拡幅工事で神社の敷地が今の場所までセットバックされた際に、あの石も移されて、いまのように記念碑裏手に置かれてしまったのだとか。。


いやー謎ですよね。
謎ではあるが、この土地がかつては駒沢練兵場をはじめ陸軍施設が集まる、軍人が住む町だったこと、その町の鎮守が池尻稲荷神社だったこと、そして、土地の測量を管理、設置したのが陸軍の管轄部署だったという因子から、ある日あるとき、あの標石がひょこりと誕生したのかもしれません。

それが、戦後の東京オリンピックを期に誰もが夢中になった新しい街づくりの陰で、ひっそりと失われて、また忘れ去られてしまったたくさんの旧いモノらの仲間入りを図らずもしてしまった、、、

最後はそんなプロットがふとアタマを過ぎってしまいましたが、まぁ今回も見慣れた町でふと見つけた石から、楽しい妄想を膨らませてしまいました笑

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