再び、小野路の古道歩きのはなしです🐾
前回の小野路城歩きの帰りのバス待ちで、見つけた江戸時代の小野路宿図。。 (写真は一部分。赤丸、点線は描き込み)
どうやら当時の宿場外れは突き当たりで、八王子道と府中道に分かれていたようです。
そこで、明治末頃の古地図を見てみると、突き当たりの赤丸地点は交差点になっていて、現在のバス道路に当たる里道が伸びています。
そして、府中道は太い実線の県道へと昇格しているようです。
一方の八王子道は、実線と破線で記された里道(聯路 れんろ)として描かれているようですが、なんだか府中道と比べて微妙だな。。🤔
そもそも、小野路〜八王子ルートは遥か昔から明治頃まで貴人、武士、庶民、とあまねく階級の人々に利用された主要な往還だったそうですが、今もその経路は存在しているのでしょうか❓
で、今回は八王子道(小野路道)の踏み跡を確かめに出かけてみたくなりました。
おそらく、試練の歩きになりそうな予感。。💧
ひとまず、快晴の秋空の下、またもや小野路にやって来ました。
八王子道への出だしは、このバス停降りた先の交差点(赤丸ポイント)を右折です🐾
早速ですが、やはりむかし道は狭すぎる💧 よくよく見ないと通り過ぎそうな暗さですね。
程なく、小野路川があらわれます。 たしか宿場図にはこの場所に水車小屋が描かれていましたね。
まずびっくりしたのは、この狭い道に何台も車が来るんですっ。 あんな風に道幅いっぱいにギリで走って行きますっ❗️
入り口の看板にも狭くて対向はできないと書いてあるのに、この先に抜け道か、何か目当てのものがあるとしか思えない。。💧
やはり、その先に農場が見えてきました👀 なるほど、車は畑仕事に来た方々だったのか🤔
宿場図ではこのあたりに明治初年に廃寺になった清浄院という寺の記述がありましたが、八王子城主だった北条氏照は曼陀羅供養の法会にここを訪れているそうです。
かつては小野路を支配した後北条氏に庇護された立派なお寺だったのかな。。
当時の聯路は道幅2メートル前後で、荷車がやっと通るか通らないか、、という感じでしょうか。
というわけで、鄙びた景色が続きます。。 ここもかなり古道映えしていますな。
時折、分かれた道に建つ案内板が近場の谷戸や小野路城への方向を、道ゆくひとに示しています。 が、八王子へ行くとなるとやはり、地図とGPSだけが頼りですよね😓
向こう側の中央に見える木々がすこし盛り上がった場所が小野路城跡でしょうか。。
こうしていると、むかしの人らにとって、道というのは、地図がないかわりに、重要な景色や目的物を点にして、長い時間をかけて無数の点を繋いでは消してを繰り返した末に出来た形なんでしょうね。
つまり、むかし道は全てにおいてワケがある。
いまとは真逆の発想ですよね❗️
再び、道が分かれています。 ここはわかりにくいですが、案内板の浅間神社の方向に、右折ですね。
明治の古地図では、ここから先の聯路記号の破線と実線が、いきなり上下逆に描かれていますが、たまたまや描き間違いでもなく、この先の道がますます狭くなり、荷車もむりですよ〜という意味なんですね。
ま、そんな細かい地図記号を活用する人は、そのころは軍人ぐらいでしょうけど、、。
案の定、荷台が通れないほどの狭さかな。。
にしても、数百年と変わらないように思えてしまう古道が、都会からすぐの場にこうして生き続ける小野路の町はホントにすごいですよねー👏
古代から続く道だけあり、地盤が硬い尾根を選んでいることも、歩くと納得❗️ 現在この尾根を町田市の基準点が続いていますが、その先、ひときわ高い場所に浅間神社が見えてきました。
いきなりの富士山信仰にすこし意外な気もしましたが、高尾山の山頂近くの浅間神社が後北条氏建立だったことを、ふと思い出しました。
小田原を拠点とした北条氏ならば富士浅間大権現への信仰心は場所柄にも相当厚いわけで、自らの所領に社を建てるのもありだな、、と。
もちろん、小野路の高所に建つ浅間神社と北条氏との関わりは不明ですし、もしかすると砦の跡だったりするのかもしれません。
浅間神社から見渡す里山風景。 ここから、府中道の方角の眺望が効きすぎるのも、やはり砦だった感じかな。。
その先、浅間神社からの尾根道は下りはじめて、小野路のバス道路が見えてきました。
本来、八王子道は尾根沿いの高度を保ったままに西へ進むはずですが、現在その道が不明になっているため、どこかで再び上がらなくてはいけません😓
ひとまずはバス道路を歩くことに。。 路傍には石仏が並んでいました。
道中、古道にしては石仏が見当たらないのは廃仏毀釈のせいかな、、と思ってましたが、お祀りするのにまとめて移されたのかもしれません。
間違いようもない大きな文字が現れました。よこやまの道か、、、。
どうやらこの先の八王子道が、このよこやまの道と部分的に重なっているようなので、案内板に従って入ってみることにします。
よこやまの道とは東西に連なる多摩丘陵に沿った道の総称のようです。
ここまでの八王子道は、高低差が少なく、標高も高めで見晴らしの良いところを選んで続いていました。
それに、先日の台風の後でさえ、崩れているような箇所が見当たらないことから、地盤も確かに固い!
さて、この先はどんな道が続くのでしょうか。。。