マイmy巷話

マイMy巷話(かんわ)は「私にはそう見える!」ものを儘に書いているだけの話です。

眠る貝としつこい鳥

2019-11-17 | いきもの(かたつむり)


枯れ葉の季節。。。






桜の枯れ葉を拾い集めては、わが家のかたつむりのおウチのなかに入れているこのごろ。





朝晩めっきり寒くなると、かたつむりもこうして葉っぱにくるまって居眠りをすることが、増えてきました。





そして、




我が家向かいのビル通気口を、永らく営巣に使っていたワカケホンセイインコ。

昨年、通気口は塞がれてしまって、穴のなかにはもはや入れないというのに、未だ納得はしていなかったんですねー。
たびたび来ては、こうして壁にしがみついているんですよっ。






外壁のほんの小さな穴を見つけては、なんとかしてそこに入ろうと、頭をグリグリ、、
笑っちゃうのが、そんなメス?をパートナーは隣で励ましているんですねっ。







で、そのうち何羽かやって来て、最後は皆してギャーギャーと揉めるんだな。





前よりなんだか穴に入れない分、壁にしがみつく姿がますます目立つワカケホンセイインコ。

いったいいつになったら諦めるのやら、、


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小野路から八王子みちを辿ってみる 最終回

2019-11-16 | 街歩き・歴史散歩
小野路から八王子までの道のりを古地図を頼りに京王線の北野駅までやってきました🐾


辿った道は長い時間とともに土地開発や川の治水、鉄道敷設などで相当にあやふやな場面があったものの、それでも尚、今も古道が確かに残ることにちょっとびっくりしてます。


この明治末期の古地図を見るのもあとわずか。
北野駅から古道の実線(県道)を八王子まで辿る道のりもいよいよラストスパートなのです。。


国道16号を北上するには、駅のガード下をくぐらなくてはいけません。


しかし、やけに大きな国道だな、、💧
お掃除をする人と比べてもこのスケール感は半端ないっ笑


突き当たりに鬱蒼とした木立に囲まれた、、というかまるで緑が蓋をしているような北野八幡社が見えてきました👀

古地図では鳥居に向かう道がここで鍵の手に曲がっている場所。
北野の街も今とは違いかなりの賑わいを見せていたことから、むか〜しはここが城下町だったのかもしれませんな…🤔


静かな境内でしばしのひとやすみ。
秋はずるいな。。
秋色ひとつで全てがステキにみえちゃうんですからっ❗️


天満社を後に再び国道へ出て、北野町南の交差点からひとつ西側の道へと入っていきます。


すると、ここで絹ケ丘の交差点でお別れしたはずの野猿街道と再び出会うことができました🙌

がそれも束の間、、野猿街道は鉄道高架を上がってしまうため、ここは慎重に右手の側道を選んで進むことにします🐾


踏切音が聞こえてきました🦻
正面を走るのはどうやら京王線の電車のようですね。


どうやら京王線と横浜線が並走する大きな踏切のようだな。。

よくみると横浜線側にはさりげなく小野路街道踏切と書かれた標示物、いや貴重な遺構が残っています。
でも、、横浜線側にだけ今は存在しない街道の名前の踏切名が何故こうして残っているのかな…🤔

それはおそらくここに線路が敷設された時代背景と関わりがあるのかもしれません。

横浜線が開業したのが、ちょうどこの古地図が作成された頃の明治41年。
当時の八王子は政府の殖産興業の要だった生糸の集積地でして、ここに近郊から集められた生糸は、いくつかの陸路(絹の道)で輸出地の横浜港へと運ばれていたのです。

早く、安く、しかも安全確実に❗️はいまの配送と何ら変わりはないらしく、未舗装道で起伏の激しい街道筋を人力荷車で頑張って運ぶ💦よりも、平地を走る鉄道🚂が望まれるのは自明のことですよね。。

そんなわけで、満を辞しての横浜線の開業は地元のひとらにとってはお祭り騒ぎだったんじゃないかと。。
だから、花形機関車が八王子を出発して最初に通過する小野路道の踏切の存在は、かなりのインパクトがあったのは想像に難くないんじゃないのかな、、❓


いよいよ古道は八王子の市街地に入っていきます。
六万坊という、仏教めいた交差点名が残るすぐ側には、今日拝んだなかで1番に大きなお地蔵さんが佇んでいました。
隣りに残るのは、街道沿いらしく常夜灯かな❓


ここは注意深く古地図を見て👀、右の側道を選びます。


その先のやや下がった敷地に建つ、江戸時代の修行の場だった滝不動尊は、八王子が扇状地だということがよくわかる場所だとか。。

山から平地に土砂が堆積して出来た扇状地の末端に湧いた水が、さらに下がった低地へと滝のように流れた箇所がこのあたりらしく、すでに滝のある景色は失われていますが、お堂裏手に湧き水だけは今もしっかり流れているようでした。
古地図をみると、ここには田んぼのなかに水車記号が2つ並んでいることからも、水の豊かな土地だったのがよくわかりますね。


滝不動からは右手が下がった扇状地のキワをしばらく歩いていくと、、


青い空の下に都会らしい風景が現れてきました。八王子駅もあとすこしっ。
この橋名も小野路街道時代の貴重な名残でして、小野路がむかしの八王子の人にとって、よく知られた土地だったことが橋名からもわかる気がします。


いよいよ八王子駅前に到着しました😆

小野路からの長い旅はここまで、、、と言いたいところですが、正しい終着地までもすこし行ってみましょう🐾


駅前の高層ビルを通り越した先の門前らしき細い路地の突き当たりにお寺の本堂が見えてきました。

この興林寺前が小野路みちの始まりであり、今回の八王子道の終着点に当たるわけなのです。


やっとゴールに着きました。

すでに西日だし。。
小野路から8時間かかったし。。。
距離としては15キロ、いやもっとかな。。。。

地図とにらめっこしながら、ひたすら歩き続けた一日となりましたね💧


お寺の敷地塀に続く野猿街道は、この先の横山町の郵便局前を起点にしているそうです。。


振り返り:
今回は、小野路のバス停に建っていた宿場見取り図のなかの八王子道という文字を見つけて始まった古道歩きでした。
実は歩いてみると八王子道は野猿街道、小野路街道または小野路道、そして、よこやまの道にからきだの道、、と様々な名で呼ばれていることも、なかなか興味深かったですね。
そのことからも、この道は長い歴史とともに、複雑な顔があり、人の暮らしに欠かせない存在だった、と言うことでしょうか。。

また、面白そうな古道があれば、是非歩いてみたいと思っています。

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小野路から八王子みちを辿ってみる 6

2019-11-14 | 街歩き・歴史散歩
いよいよ、小野路からの八王子道最高峰の野猿峠へ。



小野路城とも関わりの深い八王子城主、北条氏照の養父だった大石定久の菩提寺をあとにして、野猿街道に沿った古道を古地図を頼りに丁寧に辿っていきたいと思います🐾




永林寺の赤門の見える参道を出て右に。
この道も明治末期の古地図の通りですね!



その先、野猿街道と合流する手前の藪に古道はまだ続いているようです👀
交差点標識は殿ヶ谷戸。
地名は永林寺(由木城)を大石定久が拠点としていた名残かと思われます。



野猿街道に沿った大栗川沿いの古道を草むらを踏み分けて進んでいきます。

古地図を見ると、、👀
川の左手は一面田んぼで、右手の段丘には殿谷戸の村があったようですが、今も確かに村側は一段高くなっていますねー。



細い道の先に永林寺薬師堂が現れました。
まわりにはいくつもの石仏が並んでいますが、先程の玉泉寺前の観音堂然り、当時は庶民の巡礼の道でもあったのでしょう。




その後も野猿街道を見下ろす高さで八王子道はつかず離れず新旧並んでいますが、野猿峠までの道は左右から迫り出す谷間に整備されたことが、なんとなくわかるような?



ここは谷間を削った切通しの道だったのでしょうか。




しばらくすると古道は野猿街道と合流して、広い歩道を歩いていくだけとなりました。
広いけど、ここ人いない、、、車しかいない、、💧




野猿峠の交差点標識が現れました。
よく見ると、Yaen Passって、上から貼り直されています。
最近、あちこちでインチキなローマ字から英語表記に変わったりしてますが、これもオリンピックに向けての細工なんでしょうか。。

背後のこんもりとした山は、伝説では大石定久の墓所、もしくは甲冑を埋めた場所とも言われている地。
古地図には、ここが名所だったのかピークには手ノ平松と書かれていますが、標高200mは当時かなり目立っていたのかな。。




道路の遥か先には奥多摩の山も望めます。
とっても広い野猿峠です!



野猿峠バス停手前には、昭和の初め頃の水飲み場が残っていました。
傍らの説明板には、ひと息で峠越えとは人も馬もいかず、、とあるので、かなりの難所だった様子が窺い知れます。

そして、古地図をみると当時の八王子道は水飲み場あたりで迫り出した山を切通して、右に巻きながら峠を降りているようです。
そう考えると、昔はこの野猿峠の見晴らしは迫り出す山に遮られて、八王子側の景色は全く望めなかったのかもしれませんね。。
今ではそんな山ごとすっかりなくなっているのが、なんだか凄いんですが、、💧




野猿峠から絹ケ丘二丁目の交差点まで下りてきました。
ここも人がいないのに、めちゃくちゃ広い交差点です。




野猿街道は直進のままですが、八王子道は交差点先を左折なんですねー。




一歩入れば、再びむかしみちの雰囲気に、ありつけました!




高低差のある小さな交差点の路傍には、塚らしき箇所が曰くありげにあり、ここには馬頭観音や石仏がひとまとめに祀られているようです。




このあたりは古地図には打越と書かれています。
横浜あたりでも聞く地名ですが、おそらくここも、川を挟んで両側から山が迫っている場所だったのでしょう。。




いつのまにか街らしい風景にかわったようです。。👀

この湯殿川を渡れば、いよいよ終着駅のひとつ手前の京王線の北野駅です。
ホント、遥々来たよ〜八王子っ😆




次で最後ですよー。


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小野路から八王子みちを辿ってみる 5

2019-11-11 | 街歩き・歴史散歩
小野路からの八王子みちも、多摩市の丘陵を後にして、いよいよ大詰めを迎えています🐾


まずは京王堀之内駅周辺でその先に続くはずの消えた古道のカケラ探しから。。


ひとまず、古地図の聯路でその先の目測をたててみる👀


次に実際歩くための地理院地図を眺めてみる👀

うーん🤔
取っ掛かりになりそうな川や橋の位置も、治水工事や町の開発で大きく変貌したために、目当ての道が失われて、この先の難易度が最大級に上がっているようです💧


全体ばかりを目で追っても仕方がないので、駅の西側の南八幡宮を基点にして、地図を見比べながら、丁寧に辿ってみることに。。


まずは、お宮の横を南北に通る155号線を横切ったあと、、


道ひとつ入った先を北上してみます。


大栗川に出ました👀
昔の橋はどうやらこの辺りにあったようです。


現在の大栗川に掛かる橋の上から、支流の大田川との合流点を眺めています。
川に挟まれた三角地は松木という土地らしいですが、ここにも中世武士の遺構があちこちにあるのだとか。。
ちょっと興味が出たものの、やはり、よそ見は止めておきましょう💧



橋を渡ると、この道路が野猿街道ですね❗️

この道路を進めば、もはや迷うことなく八王子まで辿り着けますが、古道歩きに徹するには、再び野猿街道を外れて、このコンビニから北西に標高を上げつつ、唐木田の山へと進まなくてはいけません。。

どうやら、この野猿街道は昭和に入ってからの命名らしく、今回初めて知りました。



野猿街道を外れると、あたりはすっかり区画整備されていて、古道のカケラなど見当たりません💧

仕方なく、地図の等高線から判断して畑から向こうの畑へ、、と消えた経路を点で繋いで進むことにします。


その先、緑に囲まれた石仏のある公園に入りました。


この越野下根公園を古道は抜けていたようです。


公園を出た道が、谷戸のような風情に変わりました。
この曲がり具合からも、再び八王子みちを捕まえたようですっ。


古道の脇道に残る観音堂もなかなかの風情があります。

ちょうど掃き掃除をしていた方曰く、脇道を上がった先には日枝神社と別当寺の玉泉寺が並んでいて、昔はもっと細い道だったのを、車が入れるように広げたのだとか、、。
つまりはここ私道なんですねー。


日枝神社や玉泉寺も立ち寄りたいものの、先が長いので、ここも忠実に古道を辿っていくことに。。

玉泉寺門前のコスモスがなかなかの古道映えをしていますなっ笑


バス道に出ました👀

由木中央小学校のバス停が目の前に立っていますが、古地図上の小野路からの里道記号(聯路)が、ここで県道(実線)に変わり、八王子まで続いていることに気付きました。

それは、おそらく明治時代に主要な貿易品だった八王子の絹糸を横浜まで、より早く正確に運搬するために八王子近辺の道が整備されたためでしょう。

この県道もこの先、比較的平坦な場所を選びながら、小山田から横浜へと繋がっています。
一方、今まで歩いたような遠回りの山道だらけで、とっても大変な小野路みちは、こういった事情からも、その役割が失われていったことが考えられますよね。。

改めて、古地図の線の描き方ひとつで、いろんな見方が自分勝手に出来ちゃうのも古道歩きのたのしみかなっ😆


はなしを戻して、続く道の先に立派な寺標が現れました。


立派な朱塗りの総門に出迎えられて、なんだか相当な古刹のようです。。

ちょっとこればかりは、無視できないので、覗いてみることにします。


なんだか、、💧💧
マトリョーシカ的に、門の奥にも門が、そのまた奥にも門がありますね❗️

そんな説明板を読んで、おおよそわかったことは、北条氏照が婿養子に入った大石家の居館(由木城)だったのがこの寺で、その後氏照が助成したことから、今に残る立派な伽藍を持つ寺にまでなったのだとか。。

小野路城や八王子城を支配した北条氏照との深い関わりがここでも発見できました。


そろそろ書き飽きてきたけど、あと少し続きます。。。🐌

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小野路から八王子みちを辿ってみる 4

2019-11-09 | 街歩き・歴史散歩
はなしは、町田市小野路の宿場はずれから、古地図を頼りに八王子市入りをいよいよ果たしたところから🐾


改めて、明治の古地図を見ています👀

唐木田駅の先を、からきだの道を頼りに砦山の中腹まで上がったものの、土地の開発で尾根道がすっかり消えていることが分かりました。



ひとまず、からきだの道を下りてからは、砦山(現府中カントリークラブ)と別所公園の間の車道をしばらく進んで、別所中学校手前から右に続く軽車道に入ってみます。
どうやら、消えた古道はそこから捕まえられそうです。


左手は中学校校庭で、右側はカントリークラブの境界壁。
校庭沿いのカツラ並木が、まん丸な葉っぱをたくさん落としていました。秋ですな。。🍂


古地図と地理院図を見比べた結果、1つ目の鉄塔を越えた先の頼りなげな街灯が立つ、この小径がかつての古道のなごりだと判明っ。
やっと捕まえましたねっ👏


が、捕まえた道も2つ目の鉄塔あたりまで、、💧

古道はこの鉄塔に入り、山の尾根筋を下っていくようですが、鉄塔巡視路も見当たらないため、辿ることは叶わないようです。
またもや、遠回りで山を降りた先から古道を探さなくてはいけませんね。。


現在、マンションの敷地裏手の雑木林の階段を使ってどんどん高度を下げています🐾


降りた先にはニュータウンらしい風景が現れました❗️
正面あたりが京王堀之内駅のようですね。

で、またまた地図ちず、、👀


どうやら、目当ての古道は、駅前の巨大なマンションに設置された斜行エレベーターへと、進化していることがわかりましたっ笑


その先、エレベーターからガウディのグエル公園のような場所を抜けて、駅前広場に古道は続いていたはず。。


なんとか京王堀之内駅まで来ましたが、八王子駅まではまだ長いですねーっ💦


次でおしまい。。。🐌

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小野路から八王子みちを辿ってみる 3

2019-11-07 | 街歩き・歴史散歩
今回は携帯のwebを利用しながら古道歩きを続けています。


この今昔マップon the webは、現在と過去の地図を一画面で見れるため、携帯片手に楽々歩けちゃうわけですね❗️


そんなわけで、携帯片手に小野路からの八王子道を唐木田駅前のショッピングセンターまでは、ひとまずやって来ました。

続く古道はこのショッピングセンターに沿っていたようですが、ここも駅前の開発で片鱗の影さえ見当たりません。


で、地形から道を探し当ててみることに👀

古地図を見ると、明治期の唐木田駅前はかなり大きなV字の谷で、古道もその谷上を巻きながら、続いています。
現在は、地形を生かして谷底に小田急の車両基地が造られていますが、鉄オタではないものの、ここ、なかなか楽しい景観でした❗️


この谷底を見下ろしながら、右方向に急カーブする道を選びました。
おそらく、古地図の経路がここのはず。。


いかにも、むかし道らしい曲がり具合になりましたね❗️


大きな谷の向こう側には、先程歩いてきたばかりの多摩市福祉センターが見えています👀

車両基地と要塞のような建物、そして人の気配のなさ、、、

ここ、まるで絵のように時間も風景も張りついて見える、不思議な場所でした。


が、先はあまりに長い😑
感傷にひたる暇はなしっ笑

前方に鳥居が見えてきました❗️
古地図上にも鳥居の記号があります。ルートファインディングはやはり間違いありませんよー。


この唐木田稲荷は地域の氏神様らしく、小さなお堂のなかにはかつての里道に立っていた石仏が所狭しと集められていました。

あの小野路のバス道路に集められた石仏と同様に、むかしはこの神様らも道ゆく人らをあちらこちらから見守っていたはず。。


神社からは北に進路を変えて、閑静な住宅地のなかを進んでいきます。


再び、緑漂う雰囲気になってきました。
さっきはよこやまの道に出会いましたが、今度は、石標に「からきだの道」と書かれていますね👀


ここから、八王子道は、正面の唐木田の山を越えていくことになるのですが、この「からきだの道」で、ひとまず、上がってみることにしました。


まもなく、アズマヤの建つ、見晴らし場に着きました。

説明板には砦山、、と歴史を感じる名称が書かれています👀
なんだか多摩の地域は、ちょっと歩くとあちこちで関東武士の遺構と出会ってしまうようです。

どうやら、からきだの道の散策路はここをピークに西へと高度を下げてしまうため、山を越えて、古道を辿ることはできないようですね。

そして、この山全体もやはり大規模開発を経て、ゴルフのコースになっているようです。

道が失われても、からきだの道で古道歩きのちょっとした体験気分が味わえたのも確か❗️
古道ウォーカーは、ないものを無理に求めるよりも、あるものでとりあえず楽しむことが信条なのです✨


このあとは消滅した古道へのとっかかりを見つけなくてはいけません🤔

どうやら、道路は八王子市に入ったようですが、古道の終点の八王子駅前へは、まだまだなのです💧💧


儘に、続く。。。🐌
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小野路から八王子みちを辿ってみる 2

2019-11-06 | 街歩き・歴史散歩



かつての小野路宿から八王子を目指した古道歩きの続きです。

地図🔴マークまでは、町田市の歴史環境保全地域の尾根沿いを楽しく歩くことが出来たものの、最後は道が不明になり、小野路のバス道路へと降り立ってしまいました。

再び古道を捉えるには、🔴マーク西隣の153m三角点までの尾根を再び上がらなくてはいけません。


明治末期の古地図にも、この三角点から続く経路は西へと確かに続いています。


そして、🔴ポイントがここ👆

この経路は現在よこやまの道と呼ばれるハイキングルートのようなので、案内板に従って、尾根まで上がっていくことにします。


が、その先に問題発生❗️
尾根への階段近くにどうやらスズメバチの巣があるらしく、シャレにならないほど飛び回っています💦

これはさすがに退散です。。


とんだハプニングに合いました。
仕方がないので、尾根に上がるのを断念して、擁壁ぞいを道なりに歩くことにします。
ま、何処かで上がれるでしょう。


その先、尾根みちへの合流ポイントに出会いました。
せっかくなので、尾根沿いを先程の三角点の方へ少し戻ってみると、どうやらここは丹沢の山々を望む、格好の場所のようです❗️
江戸時代の小野路宿は大山詣の人で賑わったらしく、道中に大山の峰を仰ぎながら歩いたむかしの風情が、ここにいると、なんだかわかる気になってきました。


再び、逆戻り🐾
この先しばらくは、よこやまの道と古道は重なっているため、迷うことはありません。

左手に東京国際ゴルフ倶楽部のコースが見えてきました。


古地図でこのあたりは、複雑な等高線で描かれていますが、ゴルフ場の開発で土地が真っ平になったようです。
当然、むかしの道はゴルフコースと化しているため、尾根の北側に沿った車道をつかず離れずに歩いています。

モチベーションを保つために古地図記号から察すると、周囲はかつて、谷戸の間に田んぼが続き、広葉樹と針葉樹が左右に生い茂る鄙びた景色が広がっていたようです。


明るい車道はまだまだ続き、やっとよこやまの道を見送り、多摩市のプールと重厚感が半端ない💦福祉センターの角を右折します。
古道はこれから唐木田駅の方向へ向かっていくわけですね❗️


その先は幹線道路を渡って、唐木田駅へと交差点をまっすぐに行きたいところですが、、


古道はおそらく唐木田駅への幹線道路のひとつ右隣りのこちらの小さな道だと判断しました。
ま、だから何だってはなしですけど、、😅

とにかく、このあたりは全てが新しいもので埋めつくされているため、古道を見つけるどころかふつうの石ころひとつ落ちていません。

この先も大丈夫かな😓
それなりにはなしは続きます。。。
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小野路から八王子みちを辿ってみる

2019-11-05 | 街歩き・歴史散歩
再び、小野路の古道歩きのはなしです🐾


前回の小野路城歩きの帰りのバス待ちで、見つけた江戸時代の小野路宿図。。
(写真は一部分。赤丸、点線は描き込み)

どうやら当時の宿場外れは突き当たりで、八王子道と府中道に分かれていたようです。


そこで、明治末頃の古地図を見てみると、突き当たりの赤丸地点は交差点になっていて、現在のバス道路に当たる里道が伸びています。

そして、府中道は太い実線の県道へと昇格しているようです。

一方の八王子道は、実線と破線で記された里道(聯路 れんろ)として描かれているようですが、なんだか府中道と比べて微妙だな。。🤔

そもそも、小野路〜八王子ルートは遥か昔から明治頃まで貴人、武士、庶民、とあまねく階級の人々に利用された主要な往還だったそうですが、今もその経路は存在しているのでしょうか❓

で、今回は八王子道(小野路道)の踏み跡を確かめに出かけてみたくなりました。
おそらく、試練の歩きになりそうな予感。。💧


ひとまず、快晴の秋空の下、またもや小野路にやって来ました。

八王子道への出だしは、このバス停降りた先の交差点(赤丸ポイント)を右折です🐾


早速ですが、やはりむかし道は狭すぎる💧
よくよく見ないと通り過ぎそうな暗さですね。


程なく、小野路川があらわれます。
たしか宿場図にはこの場所に水車小屋が描かれていましたね。



まずびっくりしたのは、この狭い道に何台も車が来るんですっ。
あんな風に道幅いっぱいにギリで走って行きますっ❗️
入り口の看板にも狭くて対向はできないと書いてあるのに、この先に抜け道か、何か目当てのものがあるとしか思えない。。💧



やはり、その先に農場が見えてきました👀
なるほど、車は畑仕事に来た方々だったのか🤔

宿場図ではこのあたりに明治初年に廃寺になった清浄院という寺の記述がありましたが、八王子城主だった北条氏照は曼陀羅供養の法会にここを訪れているそうです。
かつては小野路を支配した後北条氏に庇護された立派なお寺だったのかな。。


当時の聯路は道幅2メートル前後で、荷車がやっと通るか通らないか、、という感じでしょうか。



というわけで、鄙びた景色が続きます。。
ここもかなり古道映えしていますな。



時折、分かれた道に建つ案内板が近場の谷戸や小野路城への方向を、道ゆくひとに示しています。
が、八王子へ行くとなるとやはり、地図とGPSだけが頼りですよね😓



向こう側の中央に見える木々がすこし盛り上がった場所が小野路城跡でしょうか。。

こうしていると、むかしの人らにとって、道というのは、地図がないかわりに、重要な景色や目的物を点にして、長い時間をかけて無数の点を繋いでは消してを繰り返した末に出来た形なんでしょうね。

つまり、むかし道は全てにおいてワケがある。
いまとは真逆の発想ですよね❗️



再び、道が分かれています。
ここはわかりにくいですが、案内板の浅間神社の方向に、右折ですね。


明治の古地図では、ここから先の聯路記号の破線と実線が、いきなり上下逆に描かれていますが、たまたまや描き間違いでもなく、この先の道がますます狭くなり、荷車もむりですよ〜という意味なんですね。
ま、そんな細かい地図記号を活用する人は、そのころは軍人ぐらいでしょうけど、、。



案の定、荷台が通れないほどの狭さかな。。

にしても、数百年と変わらないように思えてしまう古道が、都会からすぐの場にこうして生き続ける小野路の町はホントにすごいですよねー👏



古代から続く道だけあり、地盤が硬い尾根を選んでいることも、歩くと納得❗️
現在この尾根を町田市の基準点が続いていますが、その先、ひときわ高い場所に浅間神社が見えてきました。

いきなりの富士山信仰にすこし意外な気もしましたが、高尾山の山頂近くの浅間神社が後北条氏建立だったことを、ふと思い出しました。
小田原を拠点とした北条氏ならば富士浅間大権現への信仰心は場所柄にも相当厚いわけで、自らの所領に社を建てるのもありだな、、と。
もちろん、小野路の高所に建つ浅間神社と北条氏との関わりは不明ですし、もしかすると砦の跡だったりするのかもしれません。



浅間神社から見渡す里山風景。
ここから、府中道の方角の眺望が効きすぎるのも、やはり砦だった感じかな。。



その先、浅間神社からの尾根道は下りはじめて、小野路のバス道路が見えてきました。

本来、八王子道は尾根沿いの高度を保ったままに西へ進むはずですが、現在その道が不明になっているため、どこかで再び上がらなくてはいけません😓




ひとまずはバス道路を歩くことに。。
路傍には石仏が並んでいました。

道中、古道にしては石仏が見当たらないのは廃仏毀釈のせいかな、、と思ってましたが、お祀りするのにまとめて移されたのかもしれません。



間違いようもない大きな文字が現れました。よこやまの道か、、、。

どうやらこの先の八王子道が、このよこやまの道と部分的に重なっているようなので、案内板に従って入ってみることにします。
よこやまの道とは東西に連なる多摩丘陵に沿った道の総称のようです。



ここまでの八王子道は、高低差が少なく、標高も高めで見晴らしの良いところを選んで続いていました。
それに、先日の台風の後でさえ、崩れているような箇所が見当たらないことから、地盤も確かに固い!


さて、この先はどんな道が続くのでしょうか。。。


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