マイmy巷話

マイMy巷話(かんわ)は「私にはそう見える!」ものを儘に書いているだけの話です。

カメラ のち りんごのかたつむり

2015-03-24 | いきもの(かたつむり)

たまには、わが家の陸貝にりんごをあげてみました。




早速来たのは、またもや食い意地の張っている長老の一匹ですね❗️




が、周囲を警戒しはじめたようだ👀

かたつむりの視力はほぼ無いといわれているものの、自分より高い場所の気配には結構聡いのです。


そして、、






 
、、、、。


うむ。。これはカメラへの自分アピールでしょうか😓



そんなわけで、やっとりんごを齧り始めた貝なのでした。



にしても、美味しそうな顔して食べてますねー😆






うまうま!




ウマウマっ!!!!



ね?同じ貝でも、あさりやはまぐりと違って、かたつむりはこんなに表情が豊かだって知ってましたか?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

後期高齢のかたつむり

2015-03-12 | いきもの(かたつむり)


子どもらと同様、冬眠から目覚めた親貝。





齢5年と半年ほどか?
殻を見る限り、陸貝としてはかなりの末期と見受けられるが、、、





いやいや、これが新しいエサを与えれば、我先に!とやってきて食べるんですよっ。

そんなわけでこの数日を見ていると、食っちゃ寝て、寝ちゃあ~また食べて~~と。
只今も、ご機嫌印の頭瘤(とうりゅう)を出して、うつらうつらと気持ちよさそうに休息中。。。




この年老いた貝の寿命もせいぜい今年いっぱいかな?
まっ、無理なく天命を全うしてくだされっ( ̄Д ̄)ノ









コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

春寒の候のかたつむり

2015-03-10 | いきもの(かたつむり)
このところ、しばらく寝っぱなしだった、わが家の陸の貝どもが、、、




やっと起きてきましたよ~!





ニンジンを食べまくる貝。





ニンジンを食べまくるのを見られて、怒る貝。




いつのまにやら、木々に春の色を見る季節になりました。
っつうことは、またまた、貝の世話を焼くおばさんの季節でもあるわけか。。。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続) パリの城壁

2015-03-06 | 街歩き・歴史散歩
再び城壁のはなし。。。




フィリップ・オーギュストの壁から時代が過ぎた17世紀~18世紀。
もはや城壁など必要としないほど、強国となったフランス。





ルイ13世が建造した城壁がその頃。

お次、ルイ14世の世になると、我が敵は無し!と、城壁を取り壊して、大通りを造り、そこに街路樹を植えたのです。
大通りに並ぶオシャレなマロニエの木…………。

そんなパリの原型は、このとき生まれたのでしょうね。
同時に今もいくつか残る凱旋門もその頃、造られました。

それが、、、



サン・マルタン門や、



サン・ドニ門なんですね!

この門から先はパリの市外。
当時、外側の様子はどうだったか?というと、、、




例えば、ワタシらが今回泊まったオペラ座界隈のこの場所。
そうだな…東京でいうと新宿のような感じかな?




この写真の場所も、1716年当時の地図を見ると、こんな田舎の草っぱら!
国王が住む街と外では、城壁を境に風景がこんなに違っていたのですね~。




∧( 'Θ' )∧


∧( 'Θ' )∧




お次の時代はフランス革命直前の1784年。。。

このころ、再度パリには壁が作られているのです。
それが、「徴税請負人の壁」といわれるもの。

名前のとおり、再び柵だか壁に囲まれたパリには、56箇所の市門が設けられ、街に入る物品に関税がかけられたとか。。。
そんな課税への反発も革命の根底にはあるのかな?

その市門を設計したのが、ルドゥー。
ルドゥーは、図面が美しい!
額に入れて飾りたくなるくらいに美しいんですね~!





たまたま、ウチの書棚にある画集からの1ページ。
この未来的な図面は、フランス革命前に描かれた建築パースなんですよ~!





で、そんなルドゥーが設計した市門は今はほとんど残ってはいませんが、このラ・ヴィレットのロトンドは、王室建築家としてのルドゥーの均整のとれた作風を今見ることができる貴重な建築となっているのです。

結構、ここホテルから離れていましたけど、出かけてみてよかったかな?




これにて、パリの街歩きは、お仕舞いっ。
あっ、ちなみにパリの壁の歴史はまだ続いていきますので、興味ある方はあとは勝手に調べてくださ~い(^O^)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パリの城壁

2015-03-03 | 街歩き・歴史散歩



ランス駅近くにいまも残るローマ帝国時代の市門。

ランスもパリ同様、遥か昔はローマ帝国の支配下にあったとか。。。
世界史ってホントワタシ、サッパリ??なのです。

で、パリの歴史をほんの少しだけ齧ってみると、ローマ人の時代から近代に至るまで何度も異民族やヴァイキングなどの外敵の侵入に脅かされては軍備を拡大し、血で血を争う数多の政争の果てには、市民革命が勃発したり…と、この2000年以上ものあいだ、ホント❗️パリってフランス革命ばかりか、派手な史実で満たされ続けた町だったんですね🤔


せっかくここまで遊びに来たからには、そんな果てしないパリの歴史のなかのほんのカケラくらい落ちてないかな❓❓と、思いついたのがパリの城壁巡り。
わが家近所の三宿城のあるんだか❓ないんだか❓わからない土塁よりも遥かに面白そうだしっ❗️




まずはすこし下調べをすると👀
パリの城壁はローマ期から7回ほど拡張し続けて、現在のパリ市の地理的な骨格はまさに城壁のあとそのものだったことがわかりました。
城壁跡をいくつか地図上に落とせば、こんな感じでしょうか。。

そのなかから、今回ワタシは、フィリップ・オーギュストの壁の一部(地図黒枠)を辿ってみることにしました。
当初はシテ島でローマ人が建造した城壁を、地道に街の外郭に築きあげていくことで、世界有数のブランド都市にまで上り詰めることができたのは、12世紀のフィリップ・オーギュストの壁かららしいのです。




そして、町あるきには今回このGoogle EarthのRumsey Mapコレクションでたまたま見つけた1716年の貴重なパリの古地図を携帯することにしたのでした👀

フィリップ・オーギュストの時代より500年も時代が下ったパリが描かれているため、さすがに壁らしきものは描かれていませんが、おそらく街並みは今とあまり変わらないことを信じて、古地図片手に街を歩いてみたいとおもいます🐾





お散歩のはじまりは、セーヌ川に面したマリー橋際から。(地図1)




こちらがわのワタシがいる右岸にはかつて、城壁塔だったバルボー塔が建っていて、向こう岸(左岸)のパリ発祥地、サン・ルイ島から壁は続いていたらしい。。




バルボー塔についてのパリ市の歴史標識もありました👀

この城壁塔跡が確認できれば、続く壁の位置を想定しながら北に進むことができますね。




と、壁の遺構がすぐに現れました❗️(地図2)

どうやら、壁の一部が現在高校のグラウンドになっているようです…すごいな💧
突き当たりに見えるのが、サン・ポール寺院かな。



しかも、900年前の壁に向かって高校生がフツウにサッカーをしてますよっ💦ボール⚽️壁に当たってますけどっ💦

日本だったら信じられませんが、パリでは歴史遺産が日常にありふれすぎて、壁ぐらいじゃ、そのありがたみなどあまり感じないのかな…💧




グラウンドの横手にも、フィリップ・オーギュストの壁についてのパリ市の歴史標識がありました👀




よく見ると城壁は隣の高校の建物と見事に一体化していますね。。




続く壁へは、お隣のサン・ポール寺院に抜けるパサージュを歩いてみることに。。
この辺りは、500年変わらない古地図のままの景色なんでしょうね(地図3)





サン・ポール寺院の正面に出てみました👀

かつてのフィリップ・オーギュストの壁は、正面右手の建物との隙間あたりからこちら側に向かって建っていました。
この横断歩道を壁に見立てれば、なんとなくイメージができますね。




寺院向かいの不自然に開けたこのあたりには、城壁の小門があったようです。
壁はこの先を左手に僅かにカーブして続いていたようですが、現在の道の形状にその跡が確かに反映していますね。(地図4)

この先のマレ地区は中世からの街並みが良く保存されている場所だとか。。。
壁探しと合わせて楽しみですね😊




その先、壁はユダヤ人街(ロジエ通り)とほぼ平行に続いていたようです。
丁寧に見ながら進むと右手の路地奥の小さな公園口にそれらしき跡を見つけました❗️(地図5)




現在、テロへの警備レベルがMAXのユダヤ人街は、現在土曜の朝10時半過ぎ。。
未だ静まり返った路地には、ワタシ以外には銃を手にした警備中の兵士と警察車両だけしか人はいないようです…💧





街の風景がますます重みを増してきました。
さて次のお目当ては、この石造りの左側の建物かな?(地図6)




すべてにおいて厳しい身元検査を問われるいまのパリで、なんとかバッグ検査を済ませて、中庭に入ることが叶いました💧
で、ここは、200年前から続くパリの質屋さんなんですねー❗️(パリ信用金庫)。



お目当てのものは庭奥にわずかに残る、あの城壁塔👆
この中庭に、フィリップ・オーギュストの壁の一部が残っていることだけは、事前に調べていたのです。

この信用金庫では昔からパリの庶民がここで衣料品などを質に入れて、当座のお金を工面をしていたらしいのですが、写真を撮るワタシの横を、たくさんの移民らしき女性らが入っていくのを見かけました。
きっとここは何百年経ってもむかしも今も変わらない人の姿が見られる場所なんでしょうね。。





その後、城壁は左手の立派なユダヤ芸術歴史博物館の敷地(地図7)を通って、右岸をぐるりと回っていくはずなのですが、、、


残念ながら、パリの城壁巡りはここまでにします。

現在、気温1度❄️
寒すぎて、身体が持ちませ~ん。
ちなみにパリって北海道よりも北なんですよー💦




そのすぐ先には、1977年竣工のポンピドーセンターが建っています。
ここ来たのはアンカレッジ経由で20時間かかった😅、あの卒業旅行以来だな。





ポンピドーセンター最上階のレストラン。

なんだか、ここ、忘れられた昔の東京のバブリーな雰囲気を今なお漂わせていました。。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする