マイmy巷話

マイMy巷話(かんわ)は「私にはそう見える!」ものを儘に書いているだけの話です。

老いてもかたつむりはかたつむり

2015-05-28 | いきもの(かたつむり)


齢5年を過ぎた、後期高齢貝。
いつもすごく元気で、よその貝の邪魔ばかりする嫌われ者です。
おまけに誰より食べます。そして、絶えずケース中を徘徊してます。
つまり、すごくわかり易い貝なのです。






で、かたつむりはきれい好き。
どんなに老いても陸貝の矜持は忘れずに、
今日も殻の掃除とメンテは怠りません。







いやっ、メンテのし過ぎで、もはや身体が崩れ過ぎって!?
わかってんのかっ( ̄▽ ̄)!?




かたつむりはあんな立派な触角を持っているのに、
視力はほとんど無く、わずかな光を感知する程度らしい。。。






だから、自分がこ~んなに老い果てた姿でいることも、未だ見えないままなのね。。。





(・ω・)






どんなに老いても、老いを知らないかたつむり。
それはヒトと比べて、果たして幸か不幸か。。。。どっちかな?
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浜松町・大名屋敷跡地の謎の富士

2015-05-24 | 街歩き・歴史散歩

再び、先日歩いた浜松町の赤穂藩森家上屋敷跡地に関わる話を。。
またもや、マニア度が高すぎますね💧



こちら、毎度おなじみアプリで出した明治9年~19年の芝愛宕下の地図なのですが、地図というよりも詳細な絵図。
まさに当時を知る貴重な「読み物」ですねっ❗️

例えば、、👀
地図の上には東京馬車鉄道会社🚂という文字が読めますが、そこから南へ続く線路沿いを、庭に池を配した立派な邸宅が並んでいます。

この地図が作られたのはまさに明治の黎明期✨✨
新橋の停車場を出発した日本初の蒸気機関車が横浜に向けて走る光景を、自分の家から眺めることは、当時はかなりのステイタスだったのかもしれませんね❗️



そんな古地図の一箇所をクローズアップしてみます。

緑の枠内が赤穂藩森家上屋敷の跡地ですが、官軍が江戸に入城するや否や、ほとんどの大名屋敷は門や塀だけを残して、取り壊されてしまったため、この森家の敷地もずいぶん細かく分譲されたことがわかります。
因みに近頃ニュースになった江戸時代の人骨がたくさん発掘された工事現場は、当時は人の家の庭になってますなっ🤔

ところで、今回ワタシが注目したのは、線路に面して描かれたやけにデカい「富士山」なのです🗻❗️

おまけに、隣には富士五湖に見立てたような池まで配されていて、あわせて大きな屋敷もあったようです。
ここは一体どんなセレブのお宅だったんでしょうか。。。気になるっ🤔


で、携帯片手に調べると、当時の芝区神明町21番は扶桑教会という富士講の本部にあたる場所だったようです。

江戸時代には、民衆の厚い信仰をもとに隆盛した富士講も、明治の厳しい宗教政策で、かなりの混乱を極めたらしいのです。
そこである宗教者が、分裂した組織を統一してこの扶桑教会をつくり、旧赤穂藩の屋敷跡の一部を買い取り、移築した元華族の邸宅を本部にして、同時にこの大きな富士山も造築した。。
というのが地図に描かれるまでの経緯のようですね。

おそらく富士山左側の紫色で彩色された大きな邸宅が、その本部棟かと思われますが、蒸気機関車に乗って新橋を離れて間もなく目にする大きな富士山には、当時の乗客もさぞびっくりしたでしょうね。。
まさに100年先の東海道新幹線から見える本物の富士山を予見しているみたいなミステリーっ😆⁉️

その後の扶桑教は明治後半には渋谷の桜丘町へ移転したため、現在その場所には富士の遺構は全く残ってないのは、なんだか残念ですね。


……というわけで、今回も古地図で見つけた不思議なものから、予想もしない展開に、歴史の枠が広がっちゃいました。
それが地図読みの楽しみってことなんですかね?

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浜松町・人骨の出た大名屋敷周辺を歩く

2015-05-16 | 街歩き・歴史散歩

安保関連法案のニュースも大事だが、ひそかに、ワタシ的に最近気になっているニュースといえば……。

ズバリっ👆
JR浜松町駅に近い、昔大名屋敷のあった跡地の工事現場の土深くから発見された、二人の頭蓋骨と動物含めた骨片に関するニュースなのです。



いきなりですが、これ幕末の現場周辺の古地図…👀

昔は、愛宕下から増上寺周辺は、大名小路があったりして、大名や旗本の立派な門がずらりと並んでいたんですね。

で、今回骨の出た場所には、かつて赤穂藩 森家の上屋敷があったとか。。。🤔

フムフム。。。
ここなら、バスを乗り継ぎゃ行けそうですねっ🐾



そして、JR新橋駅に来ました。
いかにも大都会ですね…💧
ビル下には、道路整備で平成に入って移された日比谷稲荷の鳥居が見えています。



ここはむかし、愛宕ノ下大名小路と云われる道👀
この先、浅野内匠頭切腹の場となった田村家の上屋敷や遠山の金さんの屋敷もあったとか、、。

中央区や港区あたりには誰もいないのに無駄に広い裏路地があるのですが、実はこのように昔、セレブリティな家々の専用通路だったってことって多いんですよねぇ。。



森家の跡地に行く手前に古地図に「江川太郎左衛門」という文字を見つけます👀
回り道をしてそのあたりに行ってみましょう。。

ここから東海道線が見えています。
だから、しょちゅう新幹線が通っていました。




そして、「江川太郎左衛門」の場所がこのあたりですが、なぜかミロのビーナスが建っている👀



港区のイタリア公園と書いてありますね。

なぜ、江川さんの名前にしなかったのか?と思っちゃいましたが、、
因みに「江川太郎左衛門」は代々世襲の名でして、歴史暗記でおなじみの、韮山反射炉=江川太郎左衛門よりも、地図に名が載るこの太郎左衛門さんは、後のヒトなのでした。



さて、道草を食いましたが、いよいよ森家の敷地あとに向かいます🐾

そこは東海道線を越えた、あの一連のビルあたり。。
古地図を見ると、新見藩の関但馬守の上屋敷と並んでいるようですが、かつてはその敷地も、森家の所領だったそうです。森家広し。。



そんな広大な土地のなか、問題の工事現場は果たして特定できるでしょうか?
鬼門の方角から入ってみると、いかにも古そうな石垣を見つけました。



この港区の看板を読むとこの路地が赤穂藩 森家の北側敷地境界だったことは確かなようです。

そして、森家の敷地を目視してみると、、



ここから、あの世界貿易センタービルまでぜんぶと、、、



横向けば、あの奥まで見えている道路をすべてが敷地だったとは💧💧

広すぎるぞ。森家。。。😑

確かにこんなに広けりゃ、骨でもなんでもいろんな遺物から異物まで、
ここに埋まっていてもおかしくないような気になってきました。


そんなわけで、現場は判りました。

その場所は古地図上では、まわりを長屋に囲まれた大名上屋敷の一角意外だったのですが、近くここにはマンションが建つらしいので、やはり特定は避けることにします。。



じつは、この一帯は他にもあちこちが派手に工事だらけ‼️
で、旗本屋敷跡地のビル解体現場も派手に放水をしながら、ぶっ壊していましたっ😮


で、改めて思ったわけなのです。
今回の工事現場での骨の発掘は、都会のなかでは特別な出来事でもなんでもなく、時々ひっそりと起こっては、ひっそりどっかに行っちゃうんだろうなって、、、。



《追記》
その後の調査が港区のホームページで発表されましたが、発掘された人骨諸々は江戸初期より以前にあった墓地の埋葬物だったとか…。
均された広い敷地を必要とする大名の江戸屋敷には、当時寺院の土地を譲ってもらうことが結構あったため、こういう例はおそらく他にもあるかと思われます。
他家の事例ですが、 土地譲渡をめぐって寺院から訴えられた大名屋敷の顛末が港区郷土資料館のホームページ内の「資料館だより」 で閲覧できますので、興味あるかたは是非読んでみてください。

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ちょっと不思議な京都を歩く

2015-05-11 | 街歩き・歴史散歩
ただいま、京都検定の2級を目指している妹に誘われて、
この週末京都まで物見遊山に、のこのこと出かけてきましたよ🐾



『か~ものぉ~ 🎵河原ぁに~ 千鳥がさ~わ~ぐぅ~~🎶』




ここは、広隆寺の門前。
広隆寺と言えば、国宝指定 第一号の「弥勒菩薩」❗️




……の近くに、いかにも京都らしい町名を見つけます👀




これもいかにも京都らしい、六角堂を借景にしたスタバの内観ですが、特に桜の季節は最高なんです❗️




昔は京都の旦那衆がブラブラ遊んだという、花遊小路。。。
何だか駐輪場も洒落ています。




お次は、鳥居の端が、左右のビルの室内に突っ込んでいる不思議な光景。。。
ここ、日本人より、外人がしきりにカメラに収めていましたね。




昼はヒトだらけの錦市場の夜はとっても静かです。




で、夜は蛸薬師通りの割烹「蛸八」で一杯。
グジ、鴨、鱧、小芋、、、全部美味しい‼️



三条のイノダ本店の朝もやはり外せません❗️



そして、最後は妹に付き合わされて、祇園周辺の京都ミステリーコースを歩くことに。

まずは昔、都人の野辺送りの道だった、六道の辻に建つ、極彩色の六波羅蜜寺からはじまりますが、、






その辻向かいの看板「菱六もやし」がなんだか気になります。




野辺送りの最後に、死者を弔ったといわれる六道珍皇寺がここですね❗️

そのあとは、縁切りやら縁結びで有名な安井金毘羅宮にも訪れてみました。

しかし、この金毘羅さんの絵馬の祈願文は、凄かった❗️
不倫や離婚。。。などなど、本人にとって災いとなる「悪縁」を
切り、新たな良縁を願う場があるんですね、、💧


そんなこんなの、京都旅。、、

最後に「もやし」って一体なんですかね❓❓

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ワカケホンセイインコの巣営

2015-05-04 | いきもの(その他のケモノ)


ウチの向かいのビルの通気口に巣営するワカケホンセイインコのカップル。。。。





冬のうちは、この安全安心設計の巣をほかのヤツらに取られまじっ!
……と、毎日必ず何処からともなくやってきては、仲良く並んでいるのを、
よく見かけましたが、4月に入ると、ほとんど姿が見えなくなったような? ⊂((・⊥・))⊃







そんなこんなの5月。。。
通気口の巣穴の前で、こんな姿を目撃するようになりました。
これ、何度も口移しで、オスがメスへと給餌をしているのですね~!
何故か?隣で別のオスがその様を眺めているが、、、?





そう。野生のワカケさんの繁殖はまさにこの時期なのです(^ω^)







だから、こうして巣穴に引きこもるメスのために、1日に何度もオスはエサを与え続け、
ヒナを狙ったカラスが近寄ろうものなら、、、






そっちをガン見で、決してオスはその場を離れません!!





スゴイな~~スゴイな~~ワカケさんって(=゜ω゜)ノ!!







そんなとっても楽しい向かいのビル。。。。




実は、先日のワタシの誕生日の夜、このビルのオーナー夫妻と、
近所で食事会をしたのね。
ご夫妻も、まさかワタシが向かいから、こうして自分のビルに巣営する野鳥どもを観察しているなんて、
夢にも思っちゃいないでしょうなっ(= ̄ ρ ̄=)




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たぶん病気のかたつむり

2015-05-01 | いきもの(かたつむり)

ヒトと同様、かたつむりにも、脳やら肺やら胃やら肝臓やらが、
からだの中にちゃんと収まっているのです。

だから、奴らもやっぱりヒトと同様、身体にいろんな異常が起こるわけなんだなっ💧

たとえば、、、、



齢5年の後期高齢貝👀
これ、いまは食べることだけが唯一の生き甲斐でして、いつも生き生き❗️と動き回っているのです。




そんな貝の子どもたちも、成長にはかなりの開きがみられるものの、今の所は皆元気。。



でも、実はそのなかでも一番チビっこ貝が兄弟の殻をやたらと齧りたがるクセがあることに、気づいたのです。

他のデカイ兄弟と比べて、殻の状態も良くないし、おまけにガリガリと自分の殻まで齧ってますよっ💧


で、、貝ぬしは思うわけ。
多分こいつはヒトでいう、発達障害じゃないか?と。。
だから、そのストレスから、食欲がエサに向かわず、他の貝の殻に行っちゃうのではないか?と。。。。




お次に問題を抱える貝👀

ご覧の通り、アタマの横の生殖口から、大きなものが飛び出たままの状態が、ずっと続いています。

で、数日前には、腫瘍が変色してきて、意識は朦朧状態に。。。
こりゃ、もうダメかな💧




駄目元で、どくだみ茶を煎じたキッチン紙にアタマを包んでみました。


それから、3日。。。🐌

ちょびっと元気を取り戻して、飛び出た中身もすこしは小さくなってきたような気がしています。


というわけでして、貝もヒトも生きていればいろいろありますな。。。

コメント (2)
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