マイmy巷話

マイMy巷話(かんわ)は「私にはそう見える!」ものを儘に書いているだけの話です。

渋谷 見えない宇田川とその源流をたどる その2

2022-11-27 | 街歩き・歴史散歩
引き続き都会のなかの見えない川の源流探し🐾



まずは戦後昭和30年頃の地図から…👀

前回は宇田川の暗渠を三角橋周辺の谷頭から代々木上原駅前西原児童遊園地(地図の赤矢印⬇︎)まで辿ってみました。

戦後、ここから上流(白線)側は埋められて住宅地(徳川山分譲地)になったようですが、そのむかしには代々木の深い谷だったことを頭の隅に置きながら、今回は北西へと宇田川の源頭部を詰めてみたいと思います。
とはいっても、ただひとんちの合間をふつうに歩いているだけなんですが…💧



昭和30年ごろには暗渠と化した西原児童公園からの流れの跡を住宅地の裏手のわずかな側壁に見つけました。

それ以前の代々木上原一帯は豊富な水を利用した田んぼだったのが、高度成長期に合わせて宅地へと変わっていったようです。



見えない水路を辿り、広い交差点にでました👀(地図の

大正末期の古地図には、この奥に大池が描かれているのですが、北と西側2ヶ所の源頭からの水が集まって出来た池なのでしょう。

そして、背景のお宅の立派な大谷石の外壁はおそらく戦前から戦後に分譲された徳川山からのものかな。。

「徳川山」の名前の由来は、周辺が明治の一時期に紀伊徳川家の土地だったからで、地名でもないのに、一昔前の昭和前期の渋谷区地図に徳川分譲地とはっきり記載があるのは、おそらく土地のブランド化を図りたい企業側の戦略が地図に反映されたからでしょうね❗️


この広い交差点では東外れに残るわずかな縁石に戦後復興期の宅地造成にまつわる歴史のカケラを見ることができるのです👀(地図の青矢印⬇︎

昭和30年頃の地図を見ると、代々木上原駅から徳川分譲地に続く道路がここまで新設されているのですが、何故か?その後の高度成長期に入ると、道は姿を消えて、住宅地へと変わっているのです。
そんなかつての道路痕がこの不思議な空き地とわずかな縁石なんですね。


再び、川のはなしに戻って、交差点近くから水路の跡を西方向に見ています👀

道の突き当たりが大山園の跡地で、今回目指している宇田川の源頭部のふたつめがこのあたりですね❗️
因みに水の流れはこんな感じだったのかな。。

大山園の跡地まで近寄ってみると、10m近くもありそうな高さの立派なコンクリートの法面で守られた個人の邸宅になっているようです。

そんな「大山園」とは、明治の中頃に造成された、ある実業家の庭園のことで当時は庶民にも開放された名勝地だったとか。。

実はそれ以前は木戸孝允が所有していたらしいのですが、この方ってたしか維新後まもなく、ここから程近くの駒場にあった徳川家の御鷹場も所有していたはず、、

つまり、「桂小五郎」って、かつてはこのあたりの大地主だったんですねっ❗️


そんなこんなで、大山園跡の源頭部を首が痛くなるくらいに見上げたあとは、再び大池のあった交差点にもどります。

今度は徳川山北西の源頭部を目指してみましょうっ🐾

因みにこの交差点も戦前は周囲の谷頭からの水が合流していた場所のようです👀(地図の②)

改めて、今回の宇田川の源流探しはここがむか〜し狼谷と呼ばれたほどに迫り来る、幾つもの深い谷奥を源としているだけに、谷の数だけ流路があって、特定が難しいことに、今更ながら気づかされています💧


見えない流れを詰めて行くと、いよいよ道も狭まってきました。

このあたりは、いかにも暗渠らしい雰囲気が漂い、標高も先程の大池があった最初の交差点から5mは上がっているようです。
おそらくこのあたりも宇田川の源頭部のひとつでしょう。。

そんな右手の外壁は代々幡斎場でして、ここは江戸時代から続く火葬場。
最近、親しい知人をここから送ったことがあるので、ちょっと悲しくなってしまいました。。

で足早に、地図のへと引き返して、最後は、徳川山西側の谷の最奥部へと向かうことにします🐾

代々木大山公園の野球場にやって来ました👀

目指す源頭は階段下の西原総合体育館あたり。。
この場所は代々木上原駅前の西原児童遊園地との標高差が15mもあるので、ちょっとした山になっていますね❗️
おそらく、ここが宇田川源頭部のなかでも一番に険しい谷だったのでしょう。
むかしは狼犬もいたのがわかるような気がしますっ。


しかし、、💧💧

ここまでなんとか理屈や屁理屈をつけながら来たものの、湧水どころか水の一滴も落ちていないんですよね。。。

そんな最後、この谷からの流れが、体育館に隣接するJICAの敷地に入るのを古地図で確認して、施設を訪れてみることにしました。


昨今の厳しいセキュリティ事情に反して、割とあっさり入れたのは意外ですが、JICAの施設内って全てが英語表記のようです…大丈夫かな💧

正面入口のホールから階段を下がった先のレストランも外国の方ばかりで、ちょっとした旅行気分になってきましたっ。

レストランは広くて明るく、全てがステキな庭に面していて、ワタシのような余所者でもインターナショナルな料理が格安に食べられるようでして、目的を忘れて、ついついレッドビーンズカレーを注文してしまいました笑

が、、それが功を奏したようで、ご親切な食堂のマスターから、このステキな庭の奥に2つの池が並んでいるという事実をとうとう聞き及んだのです❗️❗️


カレーとコーヒーを頂いたあと、早速教えてもらった通りに、ガラスの戸口から庭へと出てみました。

落ち葉が舞い散る静かな散策路から一階のレストランを振り返ると、このJICAの敷地は建物側から水場に向かって、急激に下がっているのがよくわかります。


敷地はずれの谷底まで降りて行くと、可愛らしい楕円形の池が見えてきました❗️

まわりは薄暗く、木立に包まれて、水面に動きはまったく見らず、いかにも谷間の底らしい神秘的な雰囲気が漂っています。


池のほとりは立ち入りが禁止されていて近くまではいけませんが、2つの池はよく見ると細い水路で繋がっているのも確認できました。

池が西原体育館の源頭から流れてきて溜まったものか?、それとも湧水池なのかはわかりませんが、この水から宇田川が誕生したことだけは間違いなさそうですね❗️


改めて、今回の宇田川源流探しは、渋谷という場所柄、水を見つけることなんて無理だと思っていたところ、最後はたまたま人の助けを拝借して、宇田川の源頭から湧く水をじかに見ることができたのは嬉しいかぎりなのでした。

また、これからも散歩途中の見えない水路探しは続けていきたいものです。。

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渋谷 見えない宇田川とその源流をたどる

2022-11-22 | 街歩き・歴史散歩
多摩川を見渡す場所から都会に越してきて十余年。。
ウチの近くに川はないと思っていたところ、偶然、昭和の頃の古地図を見て、まわりは川や用水路だらけで、蛇行する川ではよく氾濫も起きていた❗️、、なんてことを知りました。
つまり、全てが暗渠化されていたんですね…。

それをきっかけにヒマが出来ると都会のなかの見えない川とそれにまつわる歴史のカケラ探しがなかなか楽しいことに気付いたのです。

で、今回の暗渠探検は散歩を兼ねて渋谷の外れのいまでは渋谷繁華街に町の名前だけが残る宇田川に注目してみました。


まずは宇田川の豆知識👀📖
渋谷川の支流。
むかしは、今の代々木公園からNHKに沿って流れる豊富な水量を利用した稲作が営まれていた。
その水の深さでときには人が溺死するくらいの底なし田んぼだったとも。
因みに湧水地という場所柄、低い水温のせいでお米の味はあまりよくなかったらしい。。

また、地理的には川の源頭部にあたる幾つかの谷戸(代々木上原や大山、西原、幡ヶ谷あたり)からの湧水が代々木上原周辺で宇田川の様相を呈して、代々木八幡からの支流と合流。
その流れが渋谷駅の宮下パークあたりで渋谷川にバトンタッチ🏁❗️

そんなところでしょうか。。


これは大正末期の代々木上原あたりの古地図です👀

曲がりくねった等高線の集まりはまるで山の地図を見ているようですねっ。
これじゃ、谷を詰めれば水が出てくるのも妙に納得です。

そんな地図とにらめっこした結果、今回の宇田川散策は代々木上原周辺の3ヶ所の谷間あたりから湧き出る水の流れに焦点を当てて源頭を探ってみることにしました。
目指すのはこちらの3ヶ所。。

三角橋
大山園
徳川山

ではひとまずスタート。。。🐌


先ずは三角橋を昭和初期の古地図から見ていきます👀

三角橋交差点は渋谷区と世田谷区との区境ですが、どうやら周辺には水源地が2ヶ所あることがわかりました。ひとつめは小田急 東北沢駅の北側のガード下あたりで、ここはすでに川は失われていて砂利取場になっているようです。

そして、もう一つは三角橋北側の湧水池(地図③)
池を端とした流れは地図にはっきりと描かれているので、今も水路跡のヒントが何処で見つかればラッキーですよね❗️


🐾

🐾



三角橋交差点にやってきました👀

ここは暗渠となった三田用水の三角橋跡あたり。。
傍の大きなケヤキの根元に目を向けると、石を穿った跡の残る大谷石が護岸の役目を失った今でもこの木を支えています。
この三田用水の石はまわりにも幾つか残っているので、三角橋の道路拡張工事が進む前に是非探してみて下さいね。


そんな三角橋で宇田川という社名の材木屋さんを発見しましたっ😳

もしかして川と関わりがあるのかな❓❓、、と調べてみると、どうやら社長さんのお名前のようでしたが、宇田川の源頭に同名の会社があるなんて、偶然にしては凄いですよね。。


三角橋の都道420号線から北へと道が下がっています。
水源池はこの坂を突き当ったマンションと邸宅との境に見えるあの木のあたりでしょうか。。

玉川用水やこの都道に沿って流れていた三田用水は、安全確実に江戸の町まで水を通せるようにひたすら標高の高い場所を選んで水路は造られています。
それを分水嶺に例えると、三角橋から確かにこうして地形が下がっているわけですから、むかしのひとの土地を見る才知はすごいですよね。。


古地図①📸
坂を降りた先をフェンス越しに見てみる👀

側溝の先に湧水池はあったと思われますが、敷地境界を真っ直ぐに2本並んだヒトんちの側溝があまりに立派すぎて、ワタシはそっちに見入っちゃいましたっ😆


古地図②📸
側溝から東側に移動して、マンションの敷地に沿って歩いて見る👀

少し道が左に傾いているのは、側溝を源頭部ととらえると、ここが東と西に迫り上がったV字の深い谷だったからなんですねー。


で、マンションのエントランス側に回ってみると、喚起を促す危険💦な急坂が谷底へと続いています。
水源池からの水路(青矢印)は坂を下ったあの奥ですね❗️


古地図③📸
今度は反対側の西側の谷へと移動してみました👀

建物の敷地境界を下った先を池からの水路は右から左へと(南から北)続いていたはずですが、いまは暗渠になっているのでしょうか。。


で、、肝心な宇田川のはじまりとなる池はいったい何処にあった❓もしくはあるのでしょうか🤔

…おそらくヒントはこちらの広大な邸宅(大樹荘)の東側の庭にあるはずですが、見ての通り確認など出来るはずもありませんでした💧
しかし、、なんでしょうね。
この邸宅は❓❓


代わりに水源池近くの窪地に古い井戸を見つけました👀
昔は湧水に恵まれたこの井戸で日々の暮らしが営まれていたのかもしれませんね。。


そんな三角橋周辺の2ヶ所の湧水地からの流れはこの上原中学校の南東角あたりで合流したようです。



その流れは、昭和初期の地図には現在の中学校東側の街路樹に沿うように、北側に向かって描かれています。

街路樹の落ち葉に隠れた量水器にもこの学校の歴史の古さが感じられますね。。


水路はこの先、井の頭通りを越えて、代々木上原の駅へと続きますが、なんだかこの交差点って不自然に盛り上がっているように見えませんか❓

で調べてみると、当初の井の頭通りは貯水池の水を世田谷区の和田堀給水所まで通した送水管の上に造られたために高さが生じ、その後、渋谷まで道路が新設された際も地表レベルはそのままに保たれていたからなんですね❗️
もちろん新設道路には送水管は埋まっていません。


はなしは戻り、水路は代々木上原駅のガードを抜けて、矢印先の小さな駅前公園に向かっています👀



実はこの西原児童公園あたりで、今まで追ってきた三角橋からの流れと、これから見に行く2箇所の源頭地(大山園と徳川山)からの流れは集まって、代々木八幡方向へと続いた結果、宇田川は誕生するんですねー❗️



そんな宇田川誕生の記念になりそうなこの公園も、残念ながら川は暗渠化されて、歴史と共に厚いコンクリートの蓋のなかに入れられてしまいました。。
公園の階段に残る橋のような遺構はそんな昭和の中頃に作られたもののようですね。


次回は、宇田川源頭部の残り2ヶ所、大山園と徳川山周辺を歩いてみます。。。🐌
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冬場は静かな かたつむり

2022-11-16 | いきもの(かたつむり)

近頃、わが家のかたつむりの個体数が減っているので、ちょっと心配な貝ぬしなのです😑

とはいえ、寒くなって動きが少なくなった貝たちは今日も冬ニンジンをのんびりと食べているので、貝の住む場所が外🌳であれ、ウチ🏠であれ、結局のところ生命力のある個体だけが残るということなのでしょう。。

ま、この顔ぶれで春まで暮していく、、と貝ぬしは思っています😌


こうして、10数年と貝の観察記を続けていますが、最近、貝に興味をもつ方々が増えているような気がしています。
あくまでも、ここに連ねた記録は、貝ぬしが貝をジーっと👀見てきた私感とそれを見て思いついた雑文だけなのですが、それでも、見てもらえることに感謝しなければいけないですね。。


🐌

🐌


次回からしばらく、貝の記録は冬のお休み期間に入りまして、マニアなご近所散策を記したいと思います。

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かたつむりの落としもの

2022-11-08 | いきもの(かたつむり)


今日はなんだか暖かい。。
だから、貝どもも朝からもぞもぞと動いています😌




そして、こんなものが落ちてました👆
そう。恋矢💘ですね❗️

近頃、貝の野辺送りばかりが続いていたので、これ見るとなにやらホッとするんだな、、😮‍💨

で、まだ柔らかくて落としたばかりの恋矢の落とし主はだれでしょうね、、👀



まず真っ先に考えられるのはどー見てもキミかなっ笑



ケースの蓋も見てみると、、👀
膜をしっかりと張って寝んでいるこの貝は違うだろうな。。



こちらの西陽に当たって活き活きしている貝なんて見るから怪しいかな🤔



同じくこの貝も元気だな😅


かたつむりはしばらく活動が停滞していても、いきなり覚醒して、なぜか一斉に発情をすることがあるんですよ。。
それが冬の最中の今日のような暖かい日だったりするんですね。

おそらく、貝ぬしが不在中の昼間にごちゃごちゃラブラブした結果、カップルが目でたく成立👼💘したんでしょう。
もし受精がうまくいけば、来月末から再来月が産卵に。。

寒い冬の孵化は厳しいかな。。

🐌

🐌



442年ぶりの天体ショーらしい❗️
よく見ておこう📸


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かたつむりの顔

2022-11-02 | いきもの(かたつむり)

都会ではかたつむりは知っていても見たことがないと話す子どもはわりと多い気がする。
実際、ウチの近所の子もそんなことを言ってました。

かたつむりには顔があって、表情もかわるんですよ〜

…と、もしその子らにはなしをしても、きっとピンとも来ないでしょうな🤔
で、百聞は一見に、、とも言いますので、今年に入ってからの貝どもの楽しい顔をここらでまとめてみました。

かたつむりを知らない子どもらのお父さんお母さんのためにちょっとだけお役に立てれば光栄です✨✨


●好奇心バリバリ編

狭いケースを這い上ってきたこの貝は開けた外の世界にビックリして目が大きく伸びきってしまいました。



●これは何だ?編

かたつむりは自分が気に入らないところを這うのが大嫌いなのです。
アルミ板の未知な感触にビビりながら、目でセンサーの役割を果たしています。


●お年寄りなかたつむり編

ドーナツ🍩のように、まぁるく開いた口がなかなか笑えますが、これは貝が歳をとってきて口元に締まりがなくなってきたから!
かたつむりがこんな顔になりはじめたら、要注意なんですね。



●どっち行こうか?迷ってる編

ケースを上がって、見慣れない場所まで来るとかたつむりも警戒をします。
だから、この貝も右行こうか?やっぱ左かな?、、と脳で考え、目に現れているのです。



●これでも休んでいます!編

このように、かたつむりは個性豊かな目からたくさんの表情が生まれているわけですが、その反面、かたつむりの目には視力がほとんどないため、まわりがぼんやりとしか見えていないらしい。
だから、ひとりたたずんだままの仮眠中でもアイマスク知らずにこうして目を出して休めるってわけ!
ちょっとアタマを傾げた様子がなんだか置き物みたいですよね🤭



●キミはミノムシ?いや、かたつむりです!編

枝にぶら下がって、かなり無理のある格好でもずーっと寝ていられるのがかたつむりなんですねー😆
ねじれた身体に半開きの目がなかなか傑作かな?


因みにこのケヤキの枝ですが、、


小腹の減った貝どものオヤツには最適らしく、ガリガリと齧られて、今ではまだら模様になっています!



かたつむりの顔編はこれからも時々まとめて出していくつもり。。
こうご期待っ笑


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