引き続き都会のなかの見えない川の源流探し🐾
まずは戦後昭和30年頃の地図から…👀
昭和30年ごろには暗渠と化した西原児童公園からの流れの跡を住宅地の裏手のわずかな側壁に見つけました。
見えない水路を辿り、広い交差点にでました👀(地図の①)
この広い交差点では東外れに残るわずかな縁石に戦後復興期の宅地造成にまつわる歴史のカケラを見ることができるのです👀(地図の青矢印⬇︎)
再び、川のはなしに戻って、交差点近くから水路の跡を西方向に見ています👀
そんなこんなで、大山園跡の源頭部を首が痛くなるくらいに見上げたあとは、再び大池のあった交差点にもどります。
昨今の厳しいセキュリティ事情に反して、割とあっさり入れたのは意外ですが、JICAの施設内って全てが英語表記のようです…大丈夫かな💧
カレーとコーヒーを頂いたあと、早速教えてもらった通りに、ガラスの戸口から庭へと出てみました。
敷地はずれの谷底まで降りて行くと、可愛らしい楕円形の池が見えてきました❗️
まずは戦後昭和30年頃の地図から…👀
前回は宇田川の暗渠を三角橋周辺の谷頭から代々木上原駅前西原児童遊園地(地図の赤矢印⬇︎)まで辿ってみました。
戦後、ここから上流(白線)側は埋められて住宅地(徳川山分譲地)になったようですが、そのむかしには代々木の深い谷だったことを頭の隅に置きながら、今回は北西へと宇田川の源頭部を詰めてみたいと思います。
とはいっても、ただひとんちの合間をふつうに歩いているだけなんですが…💧
昭和30年ごろには暗渠と化した西原児童公園からの流れの跡を住宅地の裏手のわずかな側壁に見つけました。
それ以前の代々木上原一帯は豊富な水を利用した田んぼだったのが、高度成長期に合わせて宅地へと変わっていったようです。
見えない水路を辿り、広い交差点にでました👀(地図の①)
大正末期の古地図には、この奥に大池が描かれているのですが、北と西側2ヶ所の源頭からの水が集まって出来た池なのでしょう。
そして、背景のお宅の立派な大谷石の外壁はおそらく戦前から戦後に分譲された徳川山からのものかな。。
「徳川山」の名前の由来は、周辺が明治の一時期に紀伊徳川家の土地だったからで、地名でもないのに、一昔前の昭和前期の渋谷区地図に徳川分譲地とはっきり記載があるのは、おそらく土地のブランド化を図りたい企業側の戦略が地図に反映されたからでしょうね❗️
この広い交差点では東外れに残るわずかな縁石に戦後復興期の宅地造成にまつわる歴史のカケラを見ることができるのです👀(地図の青矢印⬇︎)
昭和30年頃の地図を見ると、代々木上原駅から徳川分譲地に続く道路がここまで新設されているのですが、何故か?その後の高度成長期に入ると、道は姿を消えて、住宅地へと変わっているのです。
そんなかつての道路痕がこの不思議な空き地とわずかな縁石なんですね。
再び、川のはなしに戻って、交差点近くから水路の跡を西方向に見ています👀
道の突き当たりが大山園の跡地で、今回目指している宇田川の源頭部のふたつめがこのあたりですね❗️
因みに水の流れはこんな感じだったのかな。。
大山園の跡地まで近寄ってみると、10m近くもありそうな高さの立派なコンクリートの法面で守られた個人の邸宅になっているようです。
そんな「大山園」とは、明治の中頃に造成された、ある実業家の庭園のことで当時は庶民にも開放された名勝地だったとか。。
実はそれ以前は木戸孝允が所有していたらしいのですが、この方ってたしか維新後まもなく、ここから程近くの駒場にあった徳川家の御鷹場も所有していたはず、、
つまり、「桂小五郎」って、かつてはこのあたりの大地主だったんですねっ❗️
そんなこんなで、大山園跡の源頭部を首が痛くなるくらいに見上げたあとは、再び大池のあった交差点にもどります。
今度は徳川山北西の源頭部を目指してみましょうっ🐾
因みにこの交差点も戦前は周囲の谷頭からの水が合流していた場所のようです👀(地図の②)
改めて、今回の宇田川の源流探しはここがむか〜し狼谷と呼ばれたほどに迫り来る、幾つもの深い谷奥を源としているだけに、谷の数だけ流路があって、特定が難しいことに、今更ながら気づかされています💧
見えない流れを詰めて行くと、いよいよ道も狭まってきました。
このあたりは、いかにも暗渠らしい雰囲気が漂い、標高も先程の大池があった最初の交差点から5mは上がっているようです。
おそらくこのあたりも宇田川の源頭部のひとつでしょう。。
そんな右手の外壁は代々幡斎場でして、ここは江戸時代から続く火葬場。
最近、親しい知人をここから送ったことがあるので、ちょっと悲しくなってしまいました。。
で足早に、地図の②へと引き返して、最後は、徳川山西側の谷の最奥部へと向かうことにします🐾
代々木大山公園の野球場にやって来ました👀
目指す源頭は階段下の西原総合体育館あたり。。
この場所は代々木上原駅前の西原児童遊園地との標高差が15mもあるので、ちょっとした山になっていますね❗️
おそらく、ここが宇田川源頭部のなかでも一番に険しい谷だったのでしょう。
むかしは狼犬もいたのがわかるような気がしますっ。
しかし、、💧💧
ここまでなんとか理屈や屁理屈をつけながら来たものの、湧水どころか水の一滴も落ちていないんですよね。。。
そんな最後、この谷からの流れが、体育館に隣接するJICAの敷地に入るのを古地図で確認して、施設を訪れてみることにしました。
昨今の厳しいセキュリティ事情に反して、割とあっさり入れたのは意外ですが、JICAの施設内って全てが英語表記のようです…大丈夫かな💧
正面入口のホールから階段を下がった先のレストランも外国の方ばかりで、ちょっとした旅行気分になってきましたっ。
レストランは広くて明るく、全てがステキな庭に面していて、ワタシのような余所者でもインターナショナルな料理が格安に食べられるようでして、目的を忘れて、ついついレッドビーンズカレーを注文してしまいました笑
が、、それが功を奏したようで、ご親切な食堂のマスターから、このステキな庭の奥に2つの池が並んでいるという事実をとうとう聞き及んだのです❗️❗️
カレーとコーヒーを頂いたあと、早速教えてもらった通りに、ガラスの戸口から庭へと出てみました。
落ち葉が舞い散る静かな散策路から一階のレストランを振り返ると、このJICAの敷地は建物側から水場に向かって、急激に下がっているのがよくわかります。
敷地はずれの谷底まで降りて行くと、可愛らしい楕円形の池が見えてきました❗️
まわりは薄暗く、木立に包まれて、水面に動きはまったく見らず、いかにも谷間の底らしい神秘的な雰囲気が漂っています。
池のほとりは立ち入りが禁止されていて近くまではいけませんが、2つの池はよく見ると細い水路で繋がっているのも確認できました。
池が西原体育館の源頭から流れてきて溜まったものか?、それとも湧水池なのかはわかりませんが、この水から宇田川が誕生したことだけは間違いなさそうですね❗️
改めて、今回の宇田川源流探しは、渋谷という場所柄、水を見つけることなんて無理だと思っていたところ、最後はたまたま人の助けを拝借して、宇田川の源頭から湧く水をじかに見ることができたのは嬉しいかぎりなのでした。
また、これからも散歩途中の見えない水路探しは続けていきたいものです。。