マイmy巷話

マイMy巷話(かんわ)は「私にはそう見える!」ものを儘に書いているだけの話です。

平和を好む かたつむり

2019-09-29 | いきもの(かたつむり)


小さな貝は大きな貝よりも仲間との接触が比較的淡白だったりするのです。

だから、今日は珍しく顔を付き合わせて、何をしているのかな、、、👀



どうやら、好物のザリガニ用のカルシウム粒を仲良く一緒に食べているようですね😊
お互いのお目々が縮まってウマウマ〜❤️な顔を見せています。



が、そんな至福のときは続かず。。
残り僅かになったウマウマを巡って、どんどん表情が剣呑になってきたぞっ💦



すっかりお目々が釣り上がってますが、、😓
場面は貝どもの攻防が繰り広げられる展開に❗️



あっ。噛んだっ😵

貝だって噛まれれば痛いしっ💦
顔がそう言ってますねー。




で、やられりゃ逃げたくなるのは、当然でしょうな。。🤔




好物もなくなりゃ、こんな痛い目にあう所にひと時だって居たくはないのは自明の理。


基本、かたつむりは平和的😌
こうして、今日も事なきを得た貝なのであった。


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産後の かたつむり

2019-09-28 | いきもの(かたつむり)


つい先日産卵したばかりのかたつむり。
ただいま、まったり中のようですね。





その下には、器のなかの砂利に頭を突っ込んだままの一匹がいるではないか。
うむ。。。キミももしや?






一方、まったり中のかたつむりは排泄をはじめました。
あれだけ卵を産めば、腹も減ってたくさん食べたに違いない。

かたつむりの肛門は見ての通り、殻の口側の小さな穴。そこから出て来る排泄物はくねらせた身体で上手に折りたたんで、ひと塊りにまとめています。
ちなみに、まとめかたは個体差の個性に寄りけり。テキトーなのもいれば、等間隔に折りたたむ器用なヤツもいるのです。
また、肛門の並びには呼吸口が配置されているのです。






そして、フンの色は食べたものとおんなじなのが、かたつむり。
身体のなかで食べたものの色素を分解できないため、何をこの貝が食べたのかはすぐに、わかっちゃいますねー。
茶色は木の枝、薄黄色は茄子、あとはザリガニ餌用のカルシウム粒、、って感じかな。







で、たくさん出せば、流石にそれをいつまでも、座布団にしているのがそろそろ落ち着かなくなってきたのか、ものぐさそうに動き出しました。




しばらくしたら、再び違った場所でひと眠りかな?


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かたつむりと産卵

2019-09-24 | いきもの(かたつむり)


おとといから、一匹のかたつむりが陶器の容器に入ったまま微動だにしません。

で、今朝はパートナーらしき大きな貝もさすがに気になるのか、隣で連れ添っているではないか。
まっ、人で言えば、出産の立会いみたいなものですね。




そして、先程。。。






3日ぶりにやっと動いたかたつむり。
どうやら、エサも食べずにそのまま眠ってしまったようです。
かたつむりもやっぱ疲れるんだな。。。








容器のなかには、たくさんの卵。
今回は孵化すると良いのですが、、





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稲城市 平尾の十三塚に行ってみる その2

2019-09-19 | 街歩き・歴史散歩


稲城市郷土資料室で見つけた平尾の江戸時代の古地図に今回歩いたルートなどをざっと描いてみました。

古地図とはいえ、丘陵地に深く入り込んだ谷戸の田んぼが麻生川へと続いていたのがよくわかります。

十三塚は平尾村南側の台地の境界上に塚とはっきりと記載もありますね!

遠望が効く南側の山に一列に並んだ13の塚の光景を思い浮かべると、、、🤔
当時の人にはかなり不気味に映ったのかも知れませんね。




多少の知識を得た郷土資料室をあとにして、人もまばらな平尾小通りを歩いていきます。
左に続く平尾団地のあたりは、古地図を見ると芝や畑が広がる箇所だったようですね。。



平尾外周通りに突きあたりました。
ここは左へと曲がります🐾

この外周道路はなんだか不思議な道路で、自然の地形がまるで土塁のように外敵を防いでいるように見えます。

古地図を見ると、どうやらここは隣村との境界だったことから、はるか昔には本当に要塞の役目を果たしていたのかもしれませんね。



しばらくすると、左手に入定塚と名づけられた公園が見えてきました。

が、ここはお目当ての塚ではありません。


その先右手のフェンスに囲まれた空き地がおそらく塚じゃないかな?


説明板がありました👀
薄くて読みづらいものの、確かにここが室町時代に僧侶が入定したと伝わる塚のようです。


敷地には入れないため、フェンス越しに周囲を見回すと、、

塚はもともとが10m四方と立派なものだったようですが、今では原っぱの奥に多少の盛り土が残るだけの姿になっているようです。

ここに発掘された貴重な供養の板碑を残して置けないのも分からなくはないが、多少は歴史の指標を表すものが建っていてもいいんじゃないかな…と物足りなさを感じてしまいました。



ま、ブツブツ言っても仕方がないので、無粋な金網に囲まれた原っぱにたくさんのツリガネニンジンが咲いていたので、鑑賞することにしましょう。。😌





お次は十三塚へ向かいます🐾

入定塚から続く外周道は直角に折れ曲がると、台地の際にあたる場所に着きます。
とは言っても、木々で覆われているので、ここが崖っぷちだとは全くわかりませんが、、




またもや、フェンスの中に薄過ぎて全く読めないものの、説明版が建っています👀
ここが十三塚か。。

十三の土饅頭、、と史料からイメージしていたものとはほど遠く、ただの雑木林でしか見えませんが、改めてみると十三塚が現存する、、と説明にはあっても、そのままの姿で現存しているとは書かれてはいないことに今更ながら実感しました。

でも、おざなりにでも塚のひとつくらいは整備して、遥々来た人に見せてほしいなとちょっと思ったりもしましたが、、。

これって私ばかりか、近くで畑仕事をしていた土地の方もおんなじ話をしていましたよー❗️


そんな立ち入り禁止の十三塚の森から、一部フェンスが途切れた箇所から尾根を下る小道を見つけました👀

傍らには古い年号が刻まれた墓地が並んでいるので、江戸時代には十三塚はこの墓地や経路ですでに分断されていたようです。



竹藪に囲まれた急坂を一気に下っていきます。


台地を降り、明るい平地に到達しました🐾

そして、ここから地名は平尾から五力田に変わります。
見上げると平尾の町は昔の山城のように見えていますが、高台の際にずらりと並ぶ十三塚は、むかしはどんな風に村人らの目に映っていたのでしょうね。。



帰りは平尾の南面に広がる尾根道を歩いてみることにしました🐾

この神社は源義経が奥州から駆けつける途中にこの地で一泊したという伝説があるようです。
関東のあちこちに鎌倉みちがあるように、義経頼朝伝説もそれに付随しているようです。



神社横には古道が伸びています。
で、自然と先に進んでいくことに。。



尾根上には、享保の年号が刻まれた石仏が建っています👀

道中、鎌倉室町伝説が続いていたため、なんだか江戸の石仏に新しさを感じてしまいますが、お供えものと赤いお花に地元の方の信仰の厚さを感じました😌



そんな、深い歴史を持った、緑豊かなお散歩コースは古沢緑地というらしいですよー。
(ありゃ😅看板には管理者以外立ち入らないで下さいって書いてあるけど大丈夫かなっ⁉️)

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稲城市 平尾の十三塚に行ってみる

2019-09-19 | 街歩き・歴史散歩
以前、町田市小山田の谷戸をS-OKさんに誘われて歩いたことがありました。

等高線上に人文学的な要素をトレースするような地形の読み解きはなかなか面白く、ちょっとハマりそうだな、、とその時思ったものの、その後身辺がなんだか忙しくなり過ぎて、そのままに。。

が、つい先日の13日の金曜日にふと多摩の谷戸を歩いてみようかな、、と思い立ったわけなのです。

きっかけは13。
世界のスケールで考えるとややこしいので、日本に限れば、13ってなんで一目置かれた数なんだろう、、と。
円を表す干支の12より1多いアンバランスさが人の感覚に不安を与えるのか?
一三夜や十三仏信仰にまつわる名残かな?とも🤔

で、私の頭に浮かんできたのが十三塚だったのです。
それは13個がずらり並んだ土饅頭❗️
柳田國男で読んだ気もするが、遠い昔に民間で信仰されて、それにまつわる13塚伝説が彼方此方に今なお残るミステリーなスポットですが、まさかあたりに残っているかな、、と調べてみると、新百合ヶ丘の近くにあって、13の全てが残っている?みたいな記述もありました。
あたりには谷戸なんかもあるようだしっ。。
よしっ、気が向いた勢いで見に行ってみましょー🐾



そして、小田急線を降りて、久しぶりの新百合ヶ丘駅に着きました。
やはり、丘って名のつく場所はなんだかステキな街ですね。。



駅から麻生警察署への道を進み、麻生川と交わった麻生高校前の交差点から右へと逸れていきます。
川を上流側に辿っていくと、ここで暗渠になっているようです👀


この辺りの地名は平尾。

この麻生川は周辺の丘陵を源流に持ち、鶴見川へと続いているようです。




住宅が建ち並ぶ平尾の町並み。
平坦地の奥に連なる北側の丘に向かっていきます。

暗渠とはいえ、橋の跡らしき箇所や柵に囲まれた貯水池をいくつも見つけましたが、湧水地にありがちな蛇行したむかし道がほとんど見当たらず、すっかり整備された町の区画割になってます。



丘陵地に突き当たると、一角に土地の侵食で出来たと思われる不思議な窪地があります。

稲城市郷土資料室は、そんな窪地に建つ施設ふれんど平尾の二階にあることを、今回事前にチェックしてきました。

ここで、サクッと下調べしてから、目当ての場所に向かいたいというわけですね❗️



サクッとのつもりが、、💧
この資料室には思いがけず地域の民俗、歴史に自然とさまざまな資料が部屋ごとにごちゃごちゃとしかも面白く展示されていて、思った以上に時間が過ぎてしまいました。

持ち帰りの資料もいろいろと豊富で何枚かいただきました。

でも、例の十三塚については、昭和期に発掘調査をしたものの、何も発見されなかったことがわかったため、ちょっとがっかりなのです。。

とはいえ、十三塚に隣接する台地際には他にも入定塚という史跡もあることがわかりました。

この塚の史料は、昭和34年の発掘で16世紀に入定した僧(地中に埋められて念仏を唱えながら往生すること)の遺物や、中国銭、中世の板碑などが資料室に展示されていて、なかなか面白そうだ。。🤔

是非こちらの塚にも行ってみることにしましょう❗️



資料室にずいぶん時間をかけてしまいました。。⏰
施設を後にして、背後に続く丘陵地帯を右手に見ながら歩んでいきます🐾

そうそう❗️この丘も実は多摩川水系と鶴見川水系の分水界という大役を果たしている立派な存在だと今回の資料室で学びました。


なんだかそろそろ眠くなりました。
続きは次回。。。🐌


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かたつむり の寝相

2019-09-02 | いきもの(かたつむり)

かたつむりの寝姿、、、


と言えば、こんな風にしっかり膜を張って、寝ている様を思い浮かべるかもしれないが、うちの貝どもを観察する限り、そんな風に寝ているのはごく少数なんですよね。。


大概は殻から身を出したまま、お目目を引っ込めてテキトーに居眠りをしているわけですが、、、


なかには、後生大事に食べたもの💩を抱えたまま、ケースの天井で居眠りしている輩もいるのです😅

かたつむりは視力がほとんどないせいか、目を出そうが引っ込めようが、眠るという行為にその様はあまり大差はなさそうなんですよ。

ただ、目を半開きで寝ているほとんどはオトナの貝でして、特に中高年〜後期高齢貝になると筋肉が衰えて身体を支えきれなくなり、寝相が見苦しくなってくるってわけ。
ま、ヒトも貝も大差ないですな。。🤔


一例がこの貝👀

寄る年波に筋肉が衰え、ケースに張り付いていられずにポトリと落ちてから1日が経過中。。。
別に半死半生なわけじゃないっ😆
これ本人的にはフツーに寝ているってわけなのです。


で、なんとなくカメラを近づけてみる📷


カネゴンかっ!?



あ〜びっくりした。。。😅

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