マイmy巷話

マイMy巷話(かんわ)は「私にはそう見える!」ものを儘に書いているだけの話です。

パリの建築

2015-02-28 | 街歩き・歴史散歩
初日から、地図も持たない知らない町で爆弾騒ぎに振り回され、おまけに何処行っても冷蔵庫みたいな寒さに、風邪をこじらせなんだか弱気に。。。
今時、寒さに当てられ強いのは、ほうれん草みたいな葉っぱだけって?
ぶっちゃけ、ワタシってストレス耐性が日頃から低いのよ…(´・ω・`)



それでも翌日は、パリ郊外のポワシーという町まで世界遺産に登録された名建築を見に、出かけたんだなっ( ̄Д ̄)ノ
ポワシーは、パリから北西に25kmほど離れた場所の、駅前からしてなんだか物寂しい雰囲気の町でしたね…。
パリの刑務所もある、この町。
偶然通りかかったバスの車窓から見えた刑務所の真っ白な壁が、まるで中世の城壁のようでした。



で、まずは。


パリからポワシーまでの交通手段は、観光客に悪名高いRER(フランスの国鉄みたいな?路線ね)
に乗り込みまして、30分……のはずが、この路線の行き先案内の不親切さに、3度も乗り間違える!という、ロスタイムもあわせて、延々1時間半…………まっ、最後はワタシゃめまいがしたなっ。


駅からは、これまた案内がまるで不親切過ぎるバスに乗り込み約10分。
とにかく、いちいち動くたびにウスゲとともにウロウロ状態っ( ̄(工) ̄)







バス停を降りて、すぐ先のフェンスを入った木立の向こうに、やっと、白いヴィラが現れました。





これが、ル・コルビュジェの「サヴォア邸」。





長いこと本だけで見てきたものが、いままさに目の前に存在していることに、感動を覚える。。。





近代建築の5原則のひとつ「屋上庭園」から眺める。





このバスルームも、本で見た見たっ!




この別荘の竣工は、1931年。

自由で明るく健康的なこの空間は、当時のヨーロッパの世相と閉鎖的な伝統すべてをひっくり返さんとする革命だったんでしょうね。
いま、ワタシらは安易にそれを「モダニズム」というカテゴリーに、分けているだけですけど、、、。


先日出かけた鎌倉の近代美術館でもこの雰囲気は多少感じることができるんですが、やっぱ師匠の作品は気高い!




お次に向かった先は、、、



打って変わって、いまパリの建築で最も旬といえば、これじゃないかな?




ブローニュの森の一角に昨年秋に完成したフランク・ゲーリー設計の「ルイ・ヴィトン財団美術館」。





つい先程、80余年の歴史を耐え抜いた、サヴォア邸を見てきただけに、この建築がそれだけの永い時間を生き続けていけるのかな……と。




厳重警戒態勢のパリ。
観光名所あたりでは、こんな光景は当たり前なんですね。。。






で、観光名所の筆頭といえば、ここでしょっ!?
やっぱ、丹沢の鉄塔とは見上げるスケールが違いました…。





最後は、パリの西はずれから地下鉄を乗り継いで東のはずれに~~。
これも、建築史の本でしか見たことのない名作だなっ( ̄Д ̄)ノ




オスカー・ニーマイヤー「フランス共産党本部」。

竣工は1981年らしいのですが、設計にかなりの期間を費やしたため、60~70年代らしさを感じませんか?
…にしても、このご時世、よくも厳重に施錠された敷地内、おまけに会議室まで入らせてもらえましたよっ。




建物の下に入り込む。
巨大なコンクリートとガラスの塊を持ち上げる柱。その、わずかな隙間に奇跡を感じる。。。






……と、この日は、晴れ時々雨のパリで建築三昧、疲れてはカフェ三昧だったのでした。



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パリ回顧

2015-02-26 | 街歩き・歴史散歩
そんなわけで、、、


あまりにも凍えるパリで、風邪をこじらせ再び副鼻腔炎になったワタシ(´・ω・`)
最後は、これまでの山で鍛えた気力だけで、なんとか帰ってくることが出来たのですが。。。




で、パリって、30年前に初めて訪れた時もビックリしたことなのですが、ホント、白人以外の人種もたくさん住んでいる町なんですよね~。

今回ワタシは、中心部はもちろん、街の端まで東西南北、あらゆる交通手段で回ったのですが、地域によって、あまりにも激しい貧富の差があるのを目の当たりにしました。

地下鉄を乗り継いで、パリ北部の町に出かければ、高架下のゴミだらけのなかを物を取り合う無数の黒人たちの凄まじい光景がある一方で、オペラ座界隈やサンジェルマンデプレあたりでは「ボンジュール マダ~ム」みたいな?仕立てのいい服や宝飾をつけた白人のセレブリティばかりが集まるカフェやレストランやショップもあるわけ。

そうそう!昨年のバレンタインで頂いたマリーアントワネットのチョコを求めに、パリ一番の老舗へも足を運んだのですが、店員に「これを4箱ください」と英語で言えば、なぜか2つしか持ってこない…。
挙げ句、フランス語でなにやらぐちゃぐちゃ~~と。



(・ω・)?



2箱と言って、4箱もどさくさに買わされた…は、海外でよくある話だが、こっちは4箱ほしい!って言ってるのに、2箱だけってさ?何故に少ないのよ……(´・_・`)

まっ、10000円以下の買い物客には、パリの老舗じゃそんな感じかな?って。
しかも、チョコじゃん!!




あと、ビックリしたことといえば、もうひとつ( ̄Д ̄)ノ

パリに着いた足で、ひとりでTGV(新幹線)に1時間ほど乗って、ランスという町まで教会を見に出かけたんですよ。
ランスはシャンパンの町でして、有名なシャンパンはここの町で作られているんですよね~。

で、容赦ない寒さのなか、ヒトも少ないランスの街歩きを済ませて、夕方パリに戻るTGVを駅で待っていても、なぜか来ないんですよ。
定刻も過ぎて、こりゃおかしいな?と。

すると、コンコースで大勢の人が駅員を囲んでわいわい騒いでいるわけだ( ̄Д ̄)ノ

駅員は英語が全く通じず、ワタシもフランス語が全くわからない……。
おまけに運が悪いことに、ランスまでは新幹線の往復だから…と楽観視していたため、地図やらガイドブックの一切を今回携帯しておらず、ここからパリまでの繋がりが全くわからない!!!
あちゃー!( ;´Д`)
山以外で地図不携帯がこんなにイタイとは!!と思えど、後の祭りってわけっ。



で、とにかく駅員に、


「パリ!パリ!バック トゥ パリぃ~~!」(`Д´)ノ

と、アホのようにワタシゃ必死で訴えましたよっ。

すると、駅員曰く、


(ーДー)『パリへの列車は待ってもこない。今日はきっと来ないだろう。。。だから、あのホームから出る次の列車に乗ってくれ。あとは、??駅から新幹線を乗り継いで、??駅まで行ってから、??駅まで行ければパリに帰れるかも知れない。幸運を祈る。』





……(; ̄O ̄)




もはや、幻聴なのか、夢なのか……?
駅員のフランス語がワタシの頭の中で、そう言ってるように本能的に通訳されたわけだ!
何故か、最後の『good luck』だけが、英語だったな。。。うん。。



時刻は夕方5時半。


もう、こうなりゃ、前進あるのみ( `ω´)ノ!
と、言われるがまま、次の列車に乗ったワタシ。
すると、幸運にも本日初めて日本人らしきカップルに会ったわけっ。


「よかったですぅ~!いったい何が起こったんですか?事故じゃなさそうですけど、ワタシパリに帰りたいんですけど~」


「どうも、線路に爆弾が落ちたらしく、パリ行きが封鎖されたみたいです。テロかもしれませんね。」







////!(◎_◎;)







わかります?
その時のワタシの驚きようが、わかりますかっ!!??


ビックリ~!!なんて、容易いものじゃありませんよぉ~~。


で、ワタシら3人、なにがなんだかわからないまま、終着駅までたどり着き、そこから、ボルドーうんぬん行きのTGVに乗りこむと、またもや日本人の女性がワタシらに近づいてきて、「よかった~日本人がいて~!」と。。。

そこで、やっと事態が呑み込めたのでした。
フランス語が話せるその女性いわく、ランス行きの線路沿いに本日不発弾が見つかったため、その除去作業でいきなり止まったのが、事実のようでした。


まっ、ひとまずやれやれ。。。。。


どうやら、みなさんランスには観光に来ていたようでして、結局同じ目的で訪れた日本人同士が偶然集まり、結束して知恵を出し合い、(つか、ワタシ以外が)無事にパリまでその日のうちに戻ることができました。
人間、危機が来るとなんだかわからないが、自ずと収まるところに行き着くんだなって、チビっと悟った気がしたあの時。。。



まっ、初日からやれやれ……(; ̄O ̄)って感じだったのでした。




次回、ムダに続く@(・●・)@




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目黒・見えない空川と三つの水源…の続き

2015-02-11 | 街歩き・歴史散歩
《前回の続き》



こちらは明治初年の駒場あたりの地図なのですが、地図というよりも江戸切絵図のように絵そのものって感じかな?

とはいえ、測量技術も拙い時期に、まだまだお江戸の風情が残る郊外がずいぶん精確に描かれているのはスゴイな。。😯
駒場東大周辺の三ヶ所を水源に持つ空川も青彩色で描かれています。



お次は、明治末の地図を見てみると…👀

何故か?地図に川が見当たらなくなっていますので、青線を入れてみましたが、明治になると空川は単なる用水路のような存在になっていたのかもしれませんね。

そんな川であっても川でない?不思議な空川のお散歩の続きを。。。

🐾


🐾



現在はほとんどの場所で立ち入りが禁止されている空川の跡。
それでも古地図を見ながら暗渠を付かず離れず辿っていくと、やっと台地から川へと下り立つことができました。(古地図7番)



家屋の隙間を縫うように川跡を歩いた先に、護岸部分がガンタ積みと言われるレンガやコンクリートで組まれた基礎を持つお宅を発見しました。
よく見るとレトロな陶菅もなかに通っていますね👀



そんなお宅を見上げると、木造トタン張りでしかも三階建てなんですねーっ❗️😳(現在は改築されています)




この先の蛇行する暗渠沿いにも、なかなか楽しいレトロな箇所があります👀(ここも改築されてます)



暗渠とあわせた路上観察もなかなか油断できないこのコースっ😆

こちらの左手お宅もよく見ると、コンクリートブロックの外壁と塀が一体になっていて、なかなかトリッキーですね。




幅広い道路に出て、もう一度暗渠を振り返ってみました。(地図9番・左手建物と空き地には現在マンションが建っています)




ここまで来ると曲がりくねった道に流路のあとをわずかに窺いしるのみ。。

淡島通りも近くなると、高い建物が多くなり、まわりの雑踏もなんだか気になり始めて来ました。




それでも、横手の路地奥の階段に気づくと、ここが川底だったことがなんとなくはわかりますね(地図10番)

どうやら、このあたりで空川の3つめの水源で駒場東大内の一二郎池からの流れが合流していたはずですが、当時はここが一面の田んぼだったため、流路との境が曖昧だったのかもしれません。



暗渠は淡島通りを越えて、今は失われた旧遠江橋へと続いていきます。地図11番)
かつて、松見坂地蔵堂横に造られた小さな太鼓橋には、鷹狩りの徳川将軍が、そして明治に入ると明治天皇が行幸で渡った立派な歴史があったとか。。




お地蔵さまの隣にいまも残る橋の親柱は、江戸時代と明治末頃のもの。
かつての松見坂道路拡張工事で近くの敷地に捨てられていたのを、ここに持って来たそうですよ。




そんな空川の暗渠道は、山手通り手前のビルの合間でとうとう途切れてしまいました。




山手通りまで上がると思いっきり都会ですね…いままでの足跡がウソのようだっ😓


さて、帰ろっ🐾

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目黒・見えない空川と三つの水源をたどる

2015-02-11 | 街歩き・歴史散歩
ふたたび、ご近所の川にまつわるおはなしを。。



まずは目黒駒場東大周辺の明治末頃の地図がこちら👆

地図の北側には以前歩いた三田用水が流れていますが、今回のお散歩はその崖下を流れるこちらの空川❗️

因みに青い彩色は、ワタシが入れていますが、よくよく見ると、川を挟んだ北側と南側の等高線が細かく迫っているため、ここがかなり深い谷になっているのがわかりますよね❓

古地図を見ると、川の水源らしき三ヶ所(駒場野公園、駒場東大の坂下門口、駒場東大の一二郎池周辺)は、まさに駒場東大の周辺で、散歩を兼ねて回れそうだ。


ソラガワか。。

川の名前としての響きは良いけど、なんだか今の暗渠を予見していたような名前ですが、、ともかく源流から探ってみましょう❗️

🐾


🐾



公園でしきりに鳴いていたシジュウラくんからのスタート。



こちらは古地図1番の目黒区駒場野公園👀

まず、空川の最初の一滴は、そんな野鳥の鳴き声が響くこの公園からはじまりますが、源流探しの初っ端から湧水を確認することが出来ました👏



この湧水の恵みは、明治の黎明期に農学校の実習田として利用されたようでして、古地図には確かに谷間を田んぼの記号が続いています。
ここは、現在ケルネル田圃と呼ばれていて、都会で見られる貴重な田んぼ。
どうやら近くの学校の学生さんが農作業をしているようです。。




さて、もうひとつの水源へと移動します🐾
こっちも都会とは思えないくらいにきれいな水面でしょう?




ここは古地図2番の駒場東大第一キャンパス内、坂下門口の小川👀

湧き出た水が水面で動いていますが、ホントに生きているんですね、、水って❗️



こうして、2箇所から湧き出た流れは駒場東大駅のガードを越えた、このあたりで合流して、いよいよ空川になるはず❗️(古地図3番)

…ですが、今ではここから暗渠に転じてしまうのですね。残念っ😓

この先は古地図を見ながら、見えない川の探検が始まります。

まずは、駅前のマンションの路地脇に、取っ掛かりとなる水路跡を見つけて、そこから流れを追っていくことにしましょう🐾




が、出だしからいきなり立ち入り禁止路に💧💧
(古地図4~5番あたり)




この先も、歩いちゃダメ❗️と赤い札が、シート張りの殺風景な暗渠への立ち入り禁止を無情にも訴えてます。

近くを流れる北澤川は、同じ暗渠でも、今は住民に優しいお散歩コースになっているのに。。




ますます護岸の積み上げが高くなっていますが、確かにここは古地図では等高線がかなり詰まっている場所のようですね👀

相変わらず、暗渠への立ち入りは禁止ですけど😑




こうして川跡を眺めながら辿っていくと二股に出ました。

ここ、ナンのこともない場所に見えますが、実は右に続く道は、徳川将軍が駒場野で狩をした際にたびたび通った「御成道」らしいのです😳
(古地図6番)


そんな、御成道に架かっていたといわれる旧御成橋あたりで肝心な暗渠を見失う事態に💦



古地図で位置を同定して、なんとか近くのマンションの敷地に暗渠へと降りる階段を見つけました。

が、、しっかり施錠されているため、またまた降りることは叶いませんね😓

そして、後で分かったのですが、このマンションの敷地に昭和のはじめ頃、マレーの虎と呼ばれた山下陸軍大将の邸宅があったらしいのです❗️

なんだか、都会の暗渠には、将軍やら大将やらといろんな要素が纏わりついているんですね、、😅



再び、縫うように続く狭い暗渠を崖上から追いかけていきます👀

家屋が迫った細い水路跡は、当初の大切な灌漑の役割から、裏路地の生活排水路へと変わっていった川の姿が偲ばれますね。。




やっと川底まで降りられそうな階段を見つけました❗️

眺望が効くこの高台からは渋谷の景色を見下ろすことができました。(古地図7番)




階段を降りると、いよいよ幻の空川の上に着地することが出来ました❗️👏👏



次回に続く。。。🐌


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愛情深いワカケホンセイインコ

2015-02-06 | いきもの(その他のケモノ)
昨日の寒空から一転。
今日は、穏やかな日になりそうな予感。。。





そんななか、ギィ~ギィ~ギィ~!
と、表からうるさい声が聞こえてきました。





覗いてみると、うちの向かいにお住まいのワカケカップルに向かって、一羽のオスがしきりに呼びかけているみたい( ̄ー ̄)





それを横目に、メスのほうは知らん顔で羽を繕っているものの、彼氏は相当不機嫌な様子。
眉間に黒いしわが寄ってるしっ(^∧^)





と、そんな不穏な空気のなかに、もう一羽が登場しました~!
すかさずメスは巣穴のなかに……ドキドキっ、、、(@_@)





決して取られまじ!!
と、身体を張って巣穴を守るメス。





結局、強い彼氏が二羽を蹴散らし、再び二人のラブラブタイムになりました。
たびたびの危機を乗り越えて、ますます絆が深まっていくのね。。。(⌒‐⌒)





ホント!仲良しさんねっ。
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見回りをするワカケホンセイインコ

2015-02-05 | いきもの(その他のケモノ)

昨日の青空のした。。。



久しぶりにわが家のビル屋上へと、洗濯ものを干しに行く~~( ̄д ̄)ノ




と、パタパタ飛んできたのは、、、。







おなじみのワカケホンセイインコなのでした!

こいつは、ウチの前のビルの排気口を営巣にするつがいの片方でして、首回りの黒さで、たぶんオスかな?

言葉をしゃべると言われる、聡明な鳥。
日頃、自分らを観察している、向かいのビルのおかしなおばさんのことなんて、すでにわかっちゃいるに違いない。
なんだか今日は観察する側が、観察されている気分?(´・ω・`)




で、相方の彼女は?といいますと、




いつもの我が巣をしっかり守っていました。



この野鳥の繁殖はまもなく。。。
気を抜いて、大切な巣を取られちゃ一大事!と、日々のパトロールと巣のメンテは怠らないワカケさんなのです(・ω・)
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ワラジで歩くヨモギ平(丹沢歩き)

2015-02-02 | 山(丹沢)

不覚にも今年入って、山に行く機会がなかなかつくれないまま、あっという間に暦は2月。。。( ̄(工) ̄)




で、、、



昨秋の稲刈りでお世話になった新潟十日町の農家の方に作っていただいたワラジを履いて、今回は冬の丹沢に行ってきましたっ(=^ェ^=)






まず最初は、久しぶりの蓑毛から。
大日堂裏手、いつもは伸び放題の野草をかき分け歩く道は、ずいぶん手入れされていて、このような道標も出来ていましたね。




ヤビツ峠に至る道には冬の野鳥がいっぱいっ(=゜ω゜)ノ
いま、目の前のこの枝にルリビタキのオスが止まったぞっ!






でも、今日は先が長いため道草はできませ~ん( ̄Д ̄)ノ(というか、出発がやはり遅かったのね…)
足早にヤビツ峠から谷沿いの道を使って諸戸へとショートカット。

ここ、真上を県道が走るものの、雪深く、なかなかの秘境感があるんですね~。
既に数人の踏み跡がありましたけど…。




そして、諸戸のBOSCOキャンプ場内に到着。

キャンプ場内では本日も木を伐る音が響いていて、この時期の山は伐採、搬出でとっても忙しそう……。
もちろん、作業する方に声をかけてから入っていきましたよっ。





さて、このオーダーメイドのマイワラジを履いて、雪道をヨモギ平まで出発しますか~!!(=゜ω゜)ノ





道はすでにアイスバーン。

歩くたびにシャリンシャリンと音がして、時に割れた氷が滑り落ちていくものの、さすが、ワラジ。。。
かなりの安定感がありますね~!






おまけに、先行の方の踏み跡を辿れば、ますます安心。
歩幅と足跡の形を見ると、たぶん歩き慣れている人じゃないかな…。





ヨモギ平の直下、鹿柵を2つ抜けたところから見返れば、大山が!
季節を問わず、この場所はワタシのお気に入りなんですよね。
前回は昨年初夏にAちゃんと一緒に来たっけな。。。





やっと、ヨモギ平に着いた!






広くて静かな冬のヨモギ平。。。





聞こえてくるのは、コゲラが木を突いている音だけなんですよ。。。

しばらく、山のなかのこの平らかな地の真ん中で、ひとり足を投げ出し惚けていました。
お天気は、ポカポカ陽気。

う~ん。。眠い。。。




*・゜゜・*:.。..。.:( ̄ー ̄)







お次はあの先の三ノ塔。。。





でも、また、必ずヨモギ平には来ようっと。。。






そして、再びワラジ旅~~( ̄Д ̄)ノ
西日の射し込む山から山へとさすらい歩く~~ワラジ旅~~~( ̄Д ̄)ノ



相も変わらず安定感ありだなっ!!





いつの間にやら、右手には丹沢の看板の峰々がズラリ!

こんなにパノラミックなのに、不思議と、いまの瞬間をコンパクトに自分のスケール感に合わせて楽しむことが出来るのが、丹沢なんですよね。。。
南アルプスや奥多摩などに行ってみて、改めて、この山々の良さを認識したこのごろ。






いよいよあの先が三ノ塔の頂上か。。。
急な斜面もワラジ効果で、どんどん高度を上げていくのがわかります。





そんななか、ひょっこりと登山道にでましたっ。
このひょっこり感もここならでは!ですな。





う~ん。。。今日のお地蔵さまのお召し物は、とてもステキな色合いなのね。。。





時刻は2時前。静かで穏やかな山頂。





今日は、遠く南アルプスの雪嶺まで見渡せる絶好の日。







最後は、春岳沢の水で、泥だらけのワラジを丁寧に洗って、無事に蓑毛まで帰ることができました。




延々、7時間。。。
久しぶりに丹沢を満喫した1日になりました(=^ェ^=)






本日の振り返り( ̄Д ̄)ノ

さすが、長年にわたって先人たちが使い続けてきたシロモノですね~!
ワラジは、雪のどんな場面でも終始安心して歩くことができました。
でも、いったん水を吸収するとむちゃくちゃ重くなるのは想定外。
おまけにワタシの足元はいつものゴム長。。。
重ねて履けば、最後は筋トレ強化合宿状態になるのは、仕方がないか…。
それでも、これも昨年買って、未だ重くて使っていないチェーンスパイクよりはワラジのほうが今後も是非使いたいアイテムかな?

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