ここは世田谷代田の住宅地👀 お庭のなかに建っている昭和元年の古い鉄塔下に逆さで置かれたコンクリートの箱は、おそらくむかしの防火水槽でしょうか。。
で、こーいうモノはいつ頃出来たのかな、、🤔と、昭和16年に内閣府情報局が各家庭向けに発行した「家庭防空の手引」という冊子を読んでみました。
《一死奉公、団結を強くし退却を考えずに敵弾と戦えば被害は殆どないのです》
《爆弾は一度落ちたところに2度と落ちることは絶対ないため、勇敢に飛び出して防空に活動すること》
《空襲は受けるものだと覚悟を決めて、全国民が敵機の空襲を待ち構えてをれば、空襲の惨禍は未然に防止され、なんだこんなものかと軽微で済む》
いやいや💦逃げずにひたすら気合いを入れれば、敵機の爆弾を防げるわけでも火は消えたりもしないからっ💦まずは逃げてくださいよっ❗️
改めて、これ👆政府が国民向けに出しているんですからねっ。
ウソみたいなホントの話とはこーいうことを言うんでしょうね。。。
また、手引き書では、各家庭の平時からの準備として、消火のために防火水槽、井戸、砂、土、ムシロなどを便利な場所に置くことや、燈火管制などを挙げています。
上の写真の陶管は、かつての陸軍の駒沢練兵場に隣接する池尻のお宅の軒先にあったもので、おそらく防火水槽かと思われますが、つい先日取り壊されて、いまはすっかり更地になっています。
また、池尻近くにかつてあった陸軍獣医学校並びのお宅には、正面玄関の植木と並んで古井戸が残っていました。 大きな道路に面したここなら、確かに消火に便利そうですね。
池尻から渋谷方向に上がった大橋の国道246号線沿いにも、防火水槽がポツリと残されています。
高速道路下の都会の喧騒のなかで、コンクリート造の古びた水槽はなかなかの存在感を放っていますね❗️
戦時中、三宿や三軒茶屋周辺の国道や沿線に沿った住宅や商店は、火災の延焼を防ぐために多くが取り壊されたそうですが、こういった建物疎開も、国の防火対策として、防火水槽や井戸での消火とともに、平然と行われていたようです。
昨日からの雨で溜まった水槽の水面には高層ビルが青く映っていました。。
また、松見坂交差点から少し下がった住宅の横にも、陶器ものとコンクリート製の防火水槽が仲良く並んでいたりします。
松見坂周辺もかつては三宿、池尻と並ぶ軍都の地。
だから、余計に町は戦争の災禍に遭っているんですね。。。
大橋とともにこの防火水槽も、過去の様々な惨禍を乗り越えて、いまは人知れず草木を育てる受け皿として生まれ変わっていました。。
そんなわけで、普段なら通り過ぎてしまう見慣れた場所も、目線次第でちょっとした宝物を発見したような気分になることがたまーにあるのです。
また、散歩や買い物ついでや仕事の合間に、新しいなにかが見つかるといいのですが。。