マイmy巷話

マイMy巷話(かんわ)は「私にはそう見える!」ものを儘に書いているだけの話です。

150歳のかたつむり

2023-05-20 | いきもの(かたつむり)


わが家の貝メンバーのなかでとうとう最後の1匹になってしまった小粒貝。。
このオナジマイマイって、よく見るとチビっこい丸顔でなかなか愛嬌があるものの、実は畑の害虫で嫌われものだったりするんですねー😅



そんなわが家のチビチビくんですが、もはやこの冬は超えられまい😑、、と悲観ムードでいたものの、予想外に全くの元気そのもの❗️



枝から大きく伸びた姿も後期高齢貝とはとても思えないし💦

改めて、キミっていつからいたっけな🤔❓、、と振り返ると、どうやら2020年にはすでに登場しているんですねー❗️



どうやら、いつもお気に入りのケース裏蓋までまっしぐらのようですが、行く先の確かな足取りもホント大したもんだっ👏👏

因みに4年近くはニンゲンに例えれば150歳くらいかな。。す、すごいぞっ❗️




さすがの貝ぬしもこれほどのご長寿貝には会ったことはないため、いまのうちに記念の写真を撮ることにしました📷✨✨

どうやら、長生きの秘訣は食欲。
そして一日の大半を動かずに寝ていることのようですが、先に逝った兄弟らのお迎えはまだしばらく来そうにない予感がします。。。



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かたつむりの脱走

2023-05-19 | いきもの(かたつむり)


きれいになった🧼✨ケースに浮かれる貝たち。。


浮かれついでに貝ぬしにくっついて外に出ようとしてる輩もいるし…あぶないな💧




いや、、💧💧
こっちのほうがもっとあぶないって⁉️
キミはいつの間にしれーっと脱出できたのだ❓❓



ま、そーは言っても貝ぬしの経験からキミらの脱走距離がスズメの涙くらいだと分かっているのだよっ😆



で、貝ぬしの懐深い情けをかけて、わが家自慢の木の温もりを感じる天然木の床の感触を、今回は特別にキミにも暫し楽しんでもらうとするかっ笑


普段からかたつむりは触感にはかなり敏感なのですが、やはりこの床板は相性が良いらしく、すいすい動いて、なんだかベッドの下に入っていくようですね。。。👀


ここまで来たら、もう少し見てみることに。



と、いきなり驚くかたつむり‼️
いったい何に、、😯❓



どうやら、ベッドの足の色に驚いているようですな。。

かたつむりの視力は光を認識できる程度らしく、薄暗いなかにいきなり現れた銀の輝きに反応したのかもしれませんねー❗️なかなか興味深いなっ🤔



この光るモノはなんだ❓❓
とまさに全身で言ってますっ笑



しばらく考えていましたが、どうやら今回は攻略することにしたようです。
脱走を試みるだけのことはあり、やはり冒険心には勝てない貝のようです。



しかし、、ここからの動きはかなり悪くなりました😅
そりゃ木と違い、この感触はキミには間違いなく向かないだろーよ。。



ここで、貝ぬしは洗濯仕事のため、いっとき離席🐾🐾





戻ってみると、しれーっと寝てました。別の場所でっ😆


どうやら、冒険はすべて終わったらしく、うまうまのある素敵✨✨なわが家に連れていけ‼️ということでしょうな。。




そんなわけで、今回の移動距離は1メートルあまり。時間は1時間足らずのかたつむりの旅となりました👏👏


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眠るかたつむりを激写する その2

2023-05-12 | いきもの(かたつむり)
注)下ネタ。お食事中のかたはご注意を。。


今日は窓の外はどんより天気。
そのせいか❓貝たちも何気に動きが悪いようだ。


そんななか、この1匹に注目っ👀
腹には自分が食べて出したもの💩を抱えて寝ているようです。



おや😯
いきなり、ツーーっとまたまた排出するのかっ⁉️

こういう垂れ流しってかたつむりにはたまーに見られるのですが、その理由として貝ぬしが察するところ、、

⭕️すでに腹に抱えている分があり、もはや容量オーバーのため

⭕️老化して出していることさえ気づかない

⭕️単なるものぐさ


と、まぁそのあたりですかね😅
因みにこの貝の場合、容量オーバーに加えて、居眠り中で動きたくないという心理的要素も大きく作用しているような気がします。
その証拠に、、



いくらなんでも、こんなに長い垂れ流しは貝ぬしも見たことないしっ‼️

どれだけキミは食べてるんだっ❓
いやっ、この状況でもまだ寝てるのがワタシゃびっくりですよー😂



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眠るかたつむりを激写する

2023-05-11 | いきもの(かたつむり)


五月晴れの昼下がり。。
プラケースの蓋に張りついた1匹の貝が居眠りしているようだ👀




こう見えても居眠り中。。



かたつむりの寝姿はなかなか面白い。




こう見えても居眠り中。。




かたつむりの居眠りはホント愉快です。


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隠れごとをしている かたつむり

2023-05-07 | いきもの(かたつむり)


新しい携帯のカメラレンズが以前よりも広角になりまして、狭いケースのなかの貝たちの姿もゆとりを持って撮れるようになりました👏👏

そんなわけで、奥に隠れているのは一番若い貝のようですが、あそこで何しているのかな。。😶



広角なのは良いが、この携帯って前よりもやけに接写が難しくなった気がするぞっ💦
やっとピントが合ったので、被写体をよく見ると、、👀




なんと❗️卵を産んでいましたよーっ😳



スキマから覗くと卵は結構な数がありそうです。
おそらく、今朝はなんでもなかったので、その後から夕方までの間に産卵していたようです。




邪魔な貝ぬしの気配を察したようで、竹炭の奥へと場所を移動しはじめました。
これは独りにしておいて欲しいということでしょう。
そして、そばを離れる貝ぬしだったのでした。

かたつむりの産卵は年齢や季節にも依りますが、50個以上を産むこともあります。
今回もそのくらいの数を産んでいるようですが、貝ぬしの経験ではそれが無事に孵化をすることはまずなく、産まれてから育つのは大体10匹前後。。
全てが無精卵だったこともたびたびなんですね。

さて、今回の初産はいったいどちらなんでしょうか。。
実はこの貝って、普段からカルシウムたっぷりのうまうまがあまり好きじゃないので、ちょっと心配な貝ぬしなのでした。



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風と かたつむり

2023-05-06 | いきもの(かたつむり)


一日中とにかく風が強かった日のかたつむりって一体何していると思いますか❓



ラスト1匹になってしまった小さな種類のかたつむりの場合はたいして変わりはないようでして、むしろ普段よりも枝の真ん中で伸び伸びしているみたいだぞっ。




こちらは大きな種類の貝のほう👀

やっぱりと言うべきか、、気圧の差が大きくなると何故か❓大きな貝は潜りたがり屋になるのです。
先達貝に砂利の真ん中を陣取られて、周りをウロウロしてるのは、一番若いチビくんのようですなっ😆




もう一方の水場もこのとおり。。
見事にアタマを隠して尻隠さずってヤツですなっ笑




しばらくすると、狭いなかにもう1匹が割り込んできました。

実は以前、3匹が一気に乗り上げたため、一番下の貝が圧死する💧という悲劇に見舞われたことがあったのですが、まぁ今回はうまい具合に並んでいるようなので、良しとしましょう。


でも、ヒトもそうだが、かたつむりも気圧に影響を受けるって毎回思うがちょっと意外な気がしませんか❓


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渋谷 帝国大学農学部と境界標石

2023-05-05 | 街歩き・歴史散歩
いつものようにちょっと足を伸ばしてぶらぶらとお散歩をしています。。🐌


ここは渋谷の雑踏を抜けて、真っ直ぐに伸びた一本道。
そして、普段からわりと歩き慣れた道❗️、、のはずが、今更ながら道の傍に面白そうな石を見つけてしまいました👀



文字や石の具合からも、これはなかなか古い境界標石だと気がつきました。

どうやら、「帝國大、、學?」と書いてあるみたいです👀
確かにこの先には駒場東大キャンパスがあるので、特に驚くほどの発見ではありませんが、、



現在、あたりは普通の住宅街なんですよねー。
ということは、一体、いつの頃にこの標石は設置されたのか?がちょっと気になり始めました。
ま、毎度の歴史散歩オタクがアタマを擡げたわけですなっ😆


まずは標石に刻まれている「帝国大学」の名称の変遷をちょびっと調べてみると、、
明治10年に設立された東京大学からはじまって、同19年に帝国大学に改称されたのち、明治30年京都にも帝大が出来ると東京の大学は東京帝国大学に再び改称されて、戦後の学制改革まで内外9つの帝大が創立されたとか。。

なんだか、ごちゃごちゃし過ぎて、この標石は一体いつの帝国大学のためのものか❓さっぱりですね😅



ひとまず、駒場にあった明治30年の東京帝国大学に改称したころの農科大学(旧農学部)敷地部分図を見てみます。

敷地の北側に沿った三田用水の下流側の橋を渡った先に、当時の通用門はあったようですが、実はこの橋は徳川幕府の鷹場だった頃に将軍が渡った御成橋なのです。
そこを当時は大学の通用口として、使っていたってわけなのね…🤔

しかし、肝心の標石は、御成橋よりもまだまだ南側の場所。。ってことは敷地がのちに拡張したのでしょうか。


少し時代を進めて、大正8年に農科大学が東京帝国大学農学部に改正された頃の敷地部分図を見てみることにします👀

明治の地図と比べてみると、Gateと書かれた旧御成橋から南側に敷地が拡張されて、立派なFront Gate、つまり大学正門が完成していますね❗️

以前の正門は、敷地の北西側で現在の東大裏あたりにあったのですが、確かにこちらのほうが渋谷駅から一直線で通えるわけですから遥かに便利ですよね。。



そして、現在の地図と同定してみると、、👀

今も三田用水路跡の際に残る帝国大学境界標石が、大正8年頃の土地拡張で作られた正門(紫の線)の位置と確かに一致しているのがわかりました。

この路傍の石が見た目からも御影石の摩耗と刻字の擦り減り具合からして、古いものだは思ってましたが、大正時代の貴重な標石だったとはっ。


改めて、正門のあった場所を正面から眺めてみます👀

ここにあった❗️と分かってしまえば、住宅地のなかの二股路が、なんだか不思議な雰囲気を醸し出しているような気がしてきませんか❓


また次はどんな面白い歴史のカケラが道に落ちてるかな、、楽しみかなっ😊



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