マイmy巷話

マイMy巷話(かんわ)は「私にはそう見える!」ものを儘に書いているだけの話です。

くまちゃんの羽のこと

2013-06-14 | いきもの(その他のケモノ)

ご近所のお宅にお住まいのフクロウ「くまちゃん」。


以前もお伝えしましたが、猛禽類の羽(風切羽)は、べべベ~~と大きく開いた外側から順に初列、次列と名称が分かれているらしいのです。
そして各々その羽の形の違いから、鳥たちは自由に飛び回ることが可能になるってわけですね。


そんな風切羽。。。

先日、大山北尾根を一緒に歩いた野生動物救護ボランティア仲間のK君も「風切落ちてないかな~?」と、終始探していたほどに鳥の羽って好きな人には堪らないモノなんでしょう。


と、かく言うワタシも。。。




フクロウの風切羽をこんなに持ってるし~!
もちろんこれみん~な、アフリカワシミミズク「くまちゃん」の風切羽ね(・ω・)



ところで、普通身近には猛禽がべべベ~!と羽を広げた姿はお目見えできないでしょうから、今回貴重な一枚を…。外側から10枚が、初列風切、そこからの10数枚が次列ですよ~。







くまちゃんのご主人!
いつもいつも貴重なショットをありがとうございま~す!
また、なにか美味しい貢ぎ物を持っていきますから、これからもよろしくお願いしますねっ(=^ェ^=)



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そしてあの仔タヌキは…

2013-06-13 | いきもの(その他のケモノ)
ひと月ぶりのボランティアに。




施設前に咲く夏椿がキレイです。





そして、早速獣舎掃除に取りかかるワタシ。
相も変わらずオオタカ君はすぐ傍らでガン見だし…。



そして、あのコは何処じゃ?。。。





おっ!




いました、いました!

もう、どっからみてもタヌキになっていましたよ。
たったひと月で大きくなったよな…。





おまけに遊びたい盛りのヤンチャちゃん。
広い獣舎に出しても。。。




《遊ぼー遊ぼーっ》



オイオイ…むやみやたらに可愛いけれどお前は野生のケモノ。
フツウ、人間ってものは決して遊んでなどくれない怖~いケモノなんですよ~!


というわけで、このコもしばらくしたら野生に戻さなくてはいけません。



もちろん施設は、今の季節ならではのヒナたちでピーチクパーチク!そりゃ喧しく。。。




どうやら野生動物救護施設はこれからが一番忙しい季節のようです。







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五日市憲法の地を巡る…の続き

2013-06-11 | 山(その他)
え~と。。。
ナンダカンダ間が空くと、すっかり話の続きはさて……(・ω・)?
と、すでに忘却気味のワタシだし。。。



そうそう。五日市郷土館を見学して、五日市憲法についてとても分かりやすく書かれた印刷物「郷土あれこれ」を幾つかひととおり読んだあと、憲法草案が発見された深沢家の土蔵がある深沢集落を目指して、山越えをすることにしたのでした(・Д・)ノ




で、郷土館からすぐ先の左手、裏山沿いに流れる小川のほとりで、ケヤキの大木の枝を手入れしている方に、

「ここから山には登れますか?」

と伺えば…。

「以前はここから金比羅さんに登れたけれど、今は歩く人もいなくなり、ただの山道ですよ」と。


う~ん、「金比羅さん」と「ただの山道」ねぇ。。。(・ω・)
まっ、なんとかなるだろ~よ。。。とそのまま上がってみることに。




里山風情の「ただの山道」。



急斜面で滑りやすいところには、一応ロープもついてる親切な「ただの山道」。。。




30分もしないうちに「ただの山道」は左手から続く尾根とぶつかります。




どうやらこのひとすじの道が、金比羅さん(金比羅山)へと続いているようです。

しかもここ、きちんとしたハイキングコースのようでして、意外にも何人かのハイカーとすれ違いました。



おまけにこんなしっかりした道標まで立ってます!
もちろんワタシには何処もかしこもチンプンカンプン…?






その先には立派なお宮とともに、立派なベンチ、おまけに立派なトイレまで建っていますよ。
とうとう金比羅山の金比羅さんに到着しました!ちなみに標高468m。
ヤッホーヤッホ~~\(^o^)/


…って、今日はワタシ金比羅さんの山登りにきたわけじゃないしっ。

というわけでまだまだ先の深沢を目指して、そこからしばらく尾根を辿っていくことにしましたよ。




山頂過ぎればいきなり今までの里山風景から一変。




登山道沿い右手に見えるいきなり険しいこの大岩はなんだろう…。




どうやら登れそうなので興味本意によじ登ってみると。。。



登った上には石仏が祀られていました。


その後…。



しばらく尾根をたどれば、やっと深沢へと繋がる尾根が右手に見えてきました!
その先いきなり舗装された道に一旦出てからまた山のなかに。「山の神」の表示方向に下りて行きます。







う~ん。。。やはりこの尾根も本当にキレイに整備されています。
どうやら、このあたり「あじさい山」と名がついた場所もあるらしい。

初めは、郷土館裏からの「ただの山道」だったはずが、そのあと意外なほどにとっても歩きやすいハイキング道へとつながり、なんとか無事に下りることができました。




そんなこんなと郷土館から山を登り、1時間半ほどでやっと目指す深沢に入ります。

で、道ゆく風景はというと。。。





















山奥とはいえさすが東京…。
なんだかここは予想外に「活きている田舎」なのでした。

そして、暫く歩き続けた先に、、、








深沢家の門が見えてきました。やっと東京都指定史跡でもある最終目的地に到着しました!



失礼します~。と門をくぐり敷地を回り込んだ先に、、、





ありました!
草むらのなかにポツンと建つ土蔵がひとつ。
ちなみに敷地見取図を見ると、この位置から土蔵手前まで母屋はあったようです。

この土蔵は平成になって綺麗に修復されたもの。
千葉卓三郎の時代から90年の時を経た昭和43年にたくさんの書籍とともにこの憲法草案が発見された当時は屋根も崩れてボロボロ状態だったそうです。




そして、左手の裏山には深沢家代々の墓地が見えました。


明治憲法制定とともに幻に終わった五日市憲法。
一民間人であった起草者千葉卓三郎は作成わずか2年の後、31才で亡くなったそうでして、またその7年後には、この大きな屋敷の跡取りで千葉の最大の支援者だった深沢権八も自由民権志し半ばの29才で亡くなり、この地に葬られました。



まさに夏草の…夢のあと


そんな風情がぴったりの締めくくりで、今回の五日市憲法ツアーはお仕舞いなのです(・ω・)



ちなみに本日約6時間のコースはこんな感じでしょうか。



まっ、とにかく五日市の深沢って処は、色んな意味でなかなか良いとこでした!














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五日市憲法の地を巡る山歩き

2013-06-09 | 山(その他)
最近、ニュースで「憲法改正」がよく話題になっていますよね。
 
 
「法律」が国民が守るルールとすれば、「憲法」は国家が守らなくてはならないルール……。
つい先日テレビのニュース解説で耳にして、なるほどね(・ω・)と‥‥。
 
だって、憲法って言われてもなんだか見えないけれど絶対的ですごい存在‥‥程度しか日頃私たちにはわかりにくいじゃないですか。
 
でも、そんなすごい!存在の憲法だって、はじめは誰かヒトがつくったものなんですよ。
日本でいえば、伊藤博文らがドイツで学んだ憲法を参考に草案を完成させた‥‥と昔、歴史で習ったような?
 
 
そんな明治の官僚たちによる憲法発布以前の明治初期に、一民間人が内外の様々な本をもとに、204条にも及ぶ憲法草案をつくりあげて、憲法で国民の人権(自由)を守ろうと奔走した話って知っていますか?
 
 
 
じつは最近の憲法の話題から、昨夜ふとそんなはなしを昔どっかで読んだっけな…と思い出したワタシ。
たしか、五日市だったよな。。。
 
 
で、あまり下調べもせず、成り行きまかせに本日思い立って出かけてみたわけなのです。
 
「五日市憲法」発祥の地へ。
 
 
 
 
朝9時の武蔵五日市駅。実はワタシ初めてここに来ました‥‥。
なんだかたくさんのハイカーがいてビックリ!みんな何処いくのかな?
 
 
 
檜原街道の東町信号をすぐ左折した観音堂あたりが「勧能学校」跡地。
 
ここは明治5年開校した小学校の前身でもありましたが、当時の地元民権活動家らの拠点だったようです。
そして、ここの教員責任者がまさに五日市憲法を作成した、元仙台藩士の千葉卓三郎。
 
このお方、どんな経緯で来たのかは知りませんが、とにかく渡欧なんてしたこともない東北の一藩士が、御一新間もないこんな山あいで204条もの憲法草案をつくったわけなんですから、執念なのか情熱なのか…なにかにとり憑かれてなければ出来ないとしか言いようがないし。。。
 
 
と、初めからひとり感心しつつ街道沿いを歩くと‥‥。
 
 
 
いい感じのお店を発見なのです!
 
ここ、麺とつくものはなんでも揃っていまして興味深々。
で、冷蔵ものは諦めて、乾麺を幾つか購入。
創業100余年、、、お店の方いわく、
 
「昔はこのあたりは炭をたくさんつくっていたので、それと物々交換で町から貴重な小麦粉を手に入れて(麺を作って)いたんです」
 
つまり、、、
 
 
 
こういう図式が昔の五日市のあきないだったのです!
 
 
 
この明解な図式はワタシがつくったわけじゃなく、ここ五日市郷土館に展示されていたもの(・Д・)ノ
 
 
そう!今日のメインはこの郷土館で「五日市憲法ってなんだ?」のお勉強をしちゃお~う!なのです。
決してここまで素麺買いに来たんじゃないですよ~。
 
…ところで、この郷土館へは昨年天皇夫妻も来館したそうで、資料性の高さが伺えますよね。
 
 
 
そして、郷土館の2階にある五日市憲法コーナーで暫し資料を閲覧。。。
 
ここには草案者千葉卓三郎の筆記帳、そして作成を助けた千葉の一番弟子兼パトロンでもあった地元、深沢村村長、深沢権八が記したノートなど貴重な資料が展示されています。
権八自身も地元で熱心な若き民権活動家。なんと、この人村長には15才でなったらしいですよ!
 
実は五日市憲法草案はこの深沢家敷地内にあったボロボロの土蔵のなかで、昭和43年に見つかったものなんです。
 
かつての名主屋敷にポツンと残る朽ちた土蔵…。
 
明治初期、町田や八王子あたりでも名家の息子らが民権運動に熱心に参加するものの、月日とともに屋敷全てが侘び廃れ、いまはツワモノどもの夢のあと…
みたいな衰退をこの深沢家も辿ったのでしょうかね。。。
 
どうやら、深沢家の屋敷跡地にはいまもその土蔵だけが残っていて、見学可能だとか。
 
 
…で、地図ロイドでチョチョっと見れば、深沢さんちの深沢って、ここからひと山越えたかなりの奥地じゃないか。
 
 
 
……。(・ω・)
 
 
 
時刻はまだ、お昼前だけど、、、
お天道様が半端なく照りつけているな、、、
 
それに距離感がわからないため、深沢までどのくらいかかるか??
 
 
 
しかしっ、深沢家の土蔵を見なきゃ今回、五日市憲法ツアーとはいえないだろー!( ̄Д ̄)ノ
 
 
 
…というわけで、山越えて行ってみることに。
 
 
しかし、五日市の山ってどんな山だっ!?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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唄うくまちゃん

2013-06-02 | いきもの(その他のケモノ)

お花をマイクがわりに。。。

さてさてなにを唄っているのかな‥‥?





前回のくまちゃんは、これ。





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