2010年7月7日-3
地球温暖化防止と原発推進との関係
人間の生命と健康のための環境を保全するという観点からは、放射性物質を作り出すという点だけで、核分裂型の原子力発電炉は、作ってはいけないものである。イギリスのサッチャー政権のときに原子力発電事業を民営化しようとしても、保険の引き受け手がなくて断念したわけである。
人あるいは生物が生きるための環境保護の立場ならば、核廃棄物の生産速度よりも速い処理速度の処理技術が無ければ、核廃棄物を生産してはいけないはずである。にもかかわらず、「(発電時)はCO2を出さない」から「クリーン」だという言説(むしろ安全デマの一種)が広く流布したことは、なぜだろうか。
二酸化炭素排出が地球温暖化に結びつくとしても、それが原発の理由に利用されるのであれば、そしてその方向に行きそうであれば、地球温暖化論の様々な段階での議論が妥当かどうか疑うべきである。日本においても、学術会議第三部会の振る舞いや地球温暖化研究者の言説から、原発推進に役立っていると思う。(なお、本来の問題は、人間にとって不都合な(『気候』変動ではなく)気象メカニズムないしは気象条件であって、「地球温暖化」は、問題の矮小化だと思う((問題があるとすればだが))。)
一部の論者は、福島原発事故が起きてしまったことについて、原発反対者にも責任があると根拠を明示せずに主張している。例えば、武田徹『原発報道とメディア』(要引用頁)とか、宮台真司×飯田哲也『原発社会からの離脱』(要引用頁)とかである。
さて、志村嘉一郎『東電帝国?その失敗の本質』によれば、東京電力は当初から、地球温暖化「問題」への対処としての京都議定書に関わっていた。
「京都議定書〔に対して〕〔略〕、産業界の反対は強かった。だが、平岩の政治工作が功を奏したのか、二〇〇二年五月二一日に衆議院で、三一日に参議院で批准が承認され、六月四日に国際連合に受諾書を寄託した。
閣議決定された「京都議定書目標達成計画」では、〔略〕分厚いページの計画書の最後の方に、「原子力発電の着実な推進」の項目がある。そこに、
〈発電過程で二酸化炭素を排出しない原子力発電については、地球温暖化対策の推進の上で極めて重要な位置を占めるものである。今後も安全確保を大前提に、原子力発電の一層の活用を図るとともに、基幹電源として官民相協力して着実に推進する。その推進に当たっては、供給安定性等に優れているという原子力発電の特性を一層改善する観点から、国内における核燃料サイクルの確立を国の基本的な考え方として着実に進めていく。〉
と書かれていた。
京都議定書の推進で動いてきた平岩外四と東京電力の思惑はここにあったのである。
東京電力の原発を推進する書類には、
〈地球温暖化防止京都会議でも、温室効果ガスの削減目標をクリアするため、日本は、出力一二五万キロワットの原発二〇基の新増設が必要、との方針が打ち出された。〉
と、ある。
「当時、原発二〇基増設などとは、国会に対し一言も説明がなかった」
と、入沢は述懐する。
このとき、平岩は八八歳。経団連会長を八年前にやめても、東電相談役として原発二〇基の増設推進に動き回っていたのであった。」(志村嘉一郎 2011.6『東電帝国?その失敗の本質』、124-125頁)。
[S]
志村嘉一郎.2011.6.東電帝国?その失敗の本質.232pp.文藝春秋[文春新書].[y798]
地球温暖化防止と原発推進との関係
人間の生命と健康のための環境を保全するという観点からは、放射性物質を作り出すという点だけで、核分裂型の原子力発電炉は、作ってはいけないものである。イギリスのサッチャー政権のときに原子力発電事業を民営化しようとしても、保険の引き受け手がなくて断念したわけである。
人あるいは生物が生きるための環境保護の立場ならば、核廃棄物の生産速度よりも速い処理速度の処理技術が無ければ、核廃棄物を生産してはいけないはずである。にもかかわらず、「(発電時)はCO2を出さない」から「クリーン」だという言説(むしろ安全デマの一種)が広く流布したことは、なぜだろうか。
二酸化炭素排出が地球温暖化に結びつくとしても、それが原発の理由に利用されるのであれば、そしてその方向に行きそうであれば、地球温暖化論の様々な段階での議論が妥当かどうか疑うべきである。日本においても、学術会議第三部会の振る舞いや地球温暖化研究者の言説から、原発推進に役立っていると思う。(なお、本来の問題は、人間にとって不都合な(『気候』変動ではなく)気象メカニズムないしは気象条件であって、「地球温暖化」は、問題の矮小化だと思う((問題があるとすればだが))。)
一部の論者は、福島原発事故が起きてしまったことについて、原発反対者にも責任があると根拠を明示せずに主張している。例えば、武田徹『原発報道とメディア』(要引用頁)とか、宮台真司×飯田哲也『原発社会からの離脱』(要引用頁)とかである。
さて、志村嘉一郎『東電帝国?その失敗の本質』によれば、東京電力は当初から、地球温暖化「問題」への対処としての京都議定書に関わっていた。
「京都議定書〔に対して〕〔略〕、産業界の反対は強かった。だが、平岩の政治工作が功を奏したのか、二〇〇二年五月二一日に衆議院で、三一日に参議院で批准が承認され、六月四日に国際連合に受諾書を寄託した。
閣議決定された「京都議定書目標達成計画」では、〔略〕分厚いページの計画書の最後の方に、「原子力発電の着実な推進」の項目がある。そこに、
〈発電過程で二酸化炭素を排出しない原子力発電については、地球温暖化対策の推進の上で極めて重要な位置を占めるものである。今後も安全確保を大前提に、原子力発電の一層の活用を図るとともに、基幹電源として官民相協力して着実に推進する。その推進に当たっては、供給安定性等に優れているという原子力発電の特性を一層改善する観点から、国内における核燃料サイクルの確立を国の基本的な考え方として着実に進めていく。〉
と書かれていた。
京都議定書の推進で動いてきた平岩外四と東京電力の思惑はここにあったのである。
東京電力の原発を推進する書類には、
〈地球温暖化防止京都会議でも、温室効果ガスの削減目標をクリアするため、日本は、出力一二五万キロワットの原発二〇基の新増設が必要、との方針が打ち出された。〉
と、ある。
「当時、原発二〇基増設などとは、国会に対し一言も説明がなかった」
と、入沢は述懐する。
このとき、平岩は八八歳。経団連会長を八年前にやめても、東電相談役として原発二〇基の増設推進に動き回っていたのであった。」(志村嘉一郎 2011.6『東電帝国?その失敗の本質』、124-125頁)。
[S]
志村嘉一郎.2011.6.東電帝国?その失敗の本質.232pp.文藝春秋[文春新書].[y798]