生命哲学/生物哲学/生活哲学ブログ

《生命/生物、生活》を、システム的かつ体系的に、分析し総合し統合する。射程域:哲学、美術音楽詩、政治経済社会、秘教

欲望または志向による形態進化

2014年03月27日 23時53分23秒 | 秘教/オカルト科学
2014年3月27日-6
欲望または志向による形態進化

  「勇気を培う方法とは、あらゆる状況において勇気を示していくことです。状況に立ち向かい、勇気の中で成長することです。何でもやり続けることによって、勇気が培われます。小さな事で勇気を培っていくうちにも、宇宙全体の中で独りであるというような大きな事においても勇気を持つことが容易になります。」(クレーム 2002: 192頁)。

 あらゆる物質に意識があり、魚を海から乾いた陸地に駆り立てたり、類人猿から人間へと進化させたりしたのは、原子の意識であり、それに内在する欲望の原理だという。これは、「ラマルクの〈内在的で必然的な〉発展法則を構成しているデアーニ チョーハンの衝撃」が駆り立てているということになるのか?

 
  「いのちの本質とはまさに変化です。それは基本です。宇宙全体に変化以上にリアルな〔実在する〕ものはありません。変化が起こると、人は自分自身のマインドの中で、非常に取るに足らないやり方でしかそれをコントロール〔統御〕することができません。いのちが新たな形態、新たな表現方法を見いだすにつれて起こる変化は人間にはコントロールできません。
 最初に海から出て乾いた陸地に住み始めた魚は、それまで考えもしなかった変化を体験したのです。そこには私たちが志向と呼ぶメカニズムが働き、まさにその本性によって魚を海から陸に駆り立てたのです。魚は異なった環境を求めたのです。欲望の特性はグラマーですが、同時にそれはあらゆる岩や石、物質そのものの中にあります。死んだ物質というようなものはありません。あらゆる物質に意識があります。魚を海から乾いた陸地に駆り立て、類人猿から人間へと進化させたのは原子の意識であり、宇宙のすべての原子に内在している欲望の原理です。
 そのプロセスはロゴスによって思い描かれました。単なる物質的な可能性としてではなく、それは、すべてのものと同じように、エネルギー的な観点から心象化されたのです。エネルギーがそれを不可避なものにします。欲望そのものの原理、志向、いのちのまさに本質から、海の生き物から陸の生き物への変化が起こったのです。それを行うには勇気がいります。初めはすべての魚がそうしたのではありません。彼らは海の端まで来て、「いや、私はいやだ。あそこはそれほど濡れていないじゃないか。どうやって生き延びればいいんだ?」と言っていたのでしょう。するとある魚が通りかかって、おそらく第四光線タイプでしょうが、こう言った。「あそこは乾いている。よし、僕が行くから、みんなついておいで!」」
(『協力の術』p.192-193)[受信:2014年3月27日]
http://sharejapan.org/sinews/magazines/swl9d8/vep55f/57lqb5


クレーム,ベンジャミン.2002(石川道子 訳 2002/5/1).協力の術.356+x pp.シェア・ジャパン出版.[1,500円+税][B20020513][Rh20041016]



生命と物質

2014年03月27日 23時18分31秒 | 秘教/オカルト科学
2014年3月27日-5
生命と物質

  「物質はこの存在界での魂の顕現のための乗り物であり、
魂はそれより高位の界での霊の顕現のための乗り物であり、
これら三つ〔物質、魂、霊〕は生命によって総合される一つの三位一体である。
生命はそれらすべてに充満している。」
(『秘密教義』第一巻80頁)。[試訳20140327]

  「Matter is the Vehicle for the manifestation
of Soul on this plane of existence, and Soul is the
Vehicle on a higher plane for the manifestation of
Spirit, and these three are a Trinity synthesized
by Life, which pervades them all.
 “The Secret Doctrine” Vol. I. Page 80.」
Alice A. Bailey "Esoteric Psychology - Volume I",
SYNOPSIS OF A TREATISE ON THE SEVEN RAYS
[受信:2014年3月27日]
http://www.lucistrust.org:8081/obooks/?q=node/376






タクソンと家族的類似性

2014年03月27日 11時02分11秒 | タクソン学/走書き・草稿
2014年3月27日-4
タクソンと家族的類似性

 黒崎宏『科学と人間』の42~49頁は、「概念とコトバ」と題して、「ウィトゲンシュタインの言う「家族」と「家族的類似性」について述べ」ている。


□ 文献 □
小野山敬一.類似性と「みにくいアヒルの子の定理」.[http://www10.plala.or.jp/trinity7/taxon/duck.htm][受信:2014年3月27日。]]

黒崎宏.1977/10/25.科学と人間:ウィトゲンシュタイン的アプローチ.v+3+268+ii pp.勁草書房.[2,500円][B19980703]

黒崎宏.1997.言語ゲーム一元論:後期ウィトゲンシュタインの帰結.xii+220+3pp.頸草書房.[2,400円][B19990713]


関口浩喜.2009/6.家族的類似性についての予備的考察.福岡大学人文論叢 41(1): 1-34.[http://www.adm.fukuoka-u.ac.jp/fu844/home2/Ronso/Jinbun/L41-1/L4101_0001.pdf[受信:2014年3月27日。]

関口浩喜.2006/6.夢論.福岡大学人文論叢 38(1): 1-25.
[http://www.adm.fukuoka-u.ac.jp/fu844/home2/Ronso/Jinbun/L38-1/L3801-0001.pdf[受信:2014年3月27日。]]

横山信幸.2012年8月15日 (水) 家族的類似性の基準と徴候≪「探究」を探求する14≫
[http://sets.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/14-8280.html[受信:2014年3月27日。]]

渡辺慧.1978/?.認識とパタン.岩波新書.

渡辺慧.1986. 知るということ-認識学序説.vii+181pp.東京大学出版会, 東京.

田中勝.醜いアヒルの子の定理.
[http://www.sm.fukuoka-u.ac.jp/~sieger/Ugly_duckling_theorem.pdf
[受信:2014年3月27日。]]




秘教原論1:秘教における考え方と基本的前提

2014年03月27日 09時28分01秒 | 秘教/オカルト科学
2014年3月27日-3
秘教原論1:秘教における考え方と基本的前提



1. 仏陀 曰く……

 照応の法則 the law of correspondence

 
2. 知識と智慧

  「知識とは、〔略〕人間の発見したものと、経験したものとの綜合といってもよかろう。それは五感の感覚で認識し、人間の知性を用いて相互に関連づけ、診断し、定義し得るものであり、心の中で確かであると感ずるもの、或いは、実験によって確かめ得るものである。〔略〕要するに、事物の形態の面の成形と発達とを取扱うもののすべての謂である。故にそれは進化の物的面、及び太陽系と惑星(地球)と人間の進化の場である三つの世界と人間のもろもろの体とに於ける質料とに関心を寄せるのである。」[『人間と太陽との得度』、仲里誠桔 訳 1981: 14頁。]。
  「Knowledge ... might be termed the sumtotal of human discovery and experience, that which can be recognised by the five senses, and be correlated, diagnosed, and defined by the use of the human intellect. It is that about which we feel mental certitude, or that which we can ascertain by the use of experiment. (......) It concerns all that deals with the building and developing of the form side of things. Therefore it concerns the material side of evolution, matter in the solar systems, in the planet, in the three worlds of human evolution, and in the bodies of men.」(「Initiation: Human and Solar」[受信:2014年3月27日。]
http://www.bailey.it/images/testi-inglese/Initiation-Human-and-Solar.pdf

  「叡智は、〔略〕形態の内にある生命の発達、千変万化する乗り物を通じた霊の進歩、そして生命〔生涯〕から生命〔生涯〕へと互いに継いでいく意識の拡張と関係する。それは、進化の生命の面を扱う。それは物たち things の本質を扱うのであって、物そのものを扱うのではないから、推論能力からは離れて、真理を直観的に感知することであり、また偽と真の間、実在と非実在の間を区別する内的知覚である。〔略〕
 知識が質料の学〔科学? →秘教でのscienceの定義を探すこと〕であるように、叡智は霊の学である。知識が分離的で客観的にあるのに対して、叡智は総合的で主観的である。知識は分割し、叡智は統一する。知識は区別し、叡智は融合する〔組み合わせる〕。では、礎解〔x理解〕 understanding とはどういう意味であるのか?」[20140327試訳。仲里誠桔 訳 1981: 14頁を参照した。]
 「Wisdom ... has to do with the development of the life within the form, with the progress of the spirit through those ever-changing vehicles, and with the expansions of consciousness that succeed each other from life to life. It deals with the life side of evolution. Since it deals with the essence of things and not with the things themselves, it is the intuitive apprehension of truth apart from the reasoning faculty, and the innate perception that can distinguish between the false and the true, between the real and the unreal. (......)
  Wisdom is the science of the spirit, just as knowledge is the science of matter. Knowledge is separative and objective, whilst wisdom is synthetic and subjective. Knowledge divides; wisdom unites. Knowledge differentiates whilst wisdom blends. What, then, is meant by the understanding?

 
3. understanding 礎解

 understanding とは、下に立つことである。すなわち、なんらかの物事について、その元または基体を把握することである。