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秘密教義第二巻第3部付録第V節

2014年08月07日 16時38分22秒 | 秘教/オカルト科学

   秘密教義 第二巻 第3部 
       付録 第V節 

              H.P.ブラヴァツキー
              麻名隆志 訳



         第V節
                       [p.731]
     有機体の進化と創造的諸中心

 宇宙の進化,でなければ自然の全王国における種の漸進的発展は,一定不変の諸法則によって働くと主張される。これは認められており,法則は現代科学においてよりも秘教科学においてはるかに厳密に施行される。しかし,われわれは次のようにも教えられる。それは同様に,「より不完全なものからより完全なものへ,より単純なものからより複雑なものへ,ひとつひとつは微小であるが,要求される方向へたえまなく累積していくような,止むことなき変化によって,発展はなされる」という一法則である,と。比較的巨大な種が生じるのは,極度に小さなものからである。
 秘教科学はそれに同意する。しかし,この法則は初源の創造[Primary Creation]として知られているものにだけ適用されるとつけ加える。それは,原初的諸原子からの,そしてそれらの最初の分化においては前原初的原子[pre-primordial ATOM]からの諸世界の進化である。また,空間と時間における周期的進化の時期の間,この法則は制限され,下級王国でだけ働く。それは,最初の地質的期間[複数]に,単純から複雑へと,第三環[Round]の残存物[relics]から生き残っている未開発の材料に対してそのように働く。残存物は地球の活動が始まる時に客観的実在へと投射される。
 科学と同様,秘教哲学は意匠[design]あるいは「特殊創造」を認めない。「奇蹟的」なものに対するいかなる主張も拒絶するし,自然の一定かつ不変の諸法則のほかに何も受け入れない。しかし,それは周期的法則,力(あるいは霊)と質料の二重の流れを教える。そして質料は,存在の中立的中心[neutral centre]から発して,その周期的前進と止むことなき変形において発展する。諸時代を通じて全脊椎動物が発展したもとの「原始的胚種」[primitive germ]は,植物と動物が展開[evolve]したもとである原始的胚種とは異なっている。働きかけられるべき質料が発見されるときの条件によって働き具合が決定されるような副次的諸法則があるが,
科学――特に生理学と人類学――はそれについてほとんど気づいていないようである。科学の信奉者はかの「原始的胚種」について語り,「意匠」と「意匠する者」が,すばらしい構造の肋骨と特に手を持った人間の場合に,もしも存在するならば,「非常にはるか昔に置かれ,そして(意匠)は,実際,原始的胚種に含まれているにちがいない」し,そこから全脊椎動物のみならず,「おそらく全生命,動物と植物がゆっくりと発展してきたのだ」(「現代科学と現代思想」の94ページ)ということが,疑問の余地なく示されていると言い張るのだ。
 これは「原始的胚種」については本当であると同じ程度に,かの「胚種」が人間よりも「非常にはるか昔に遡る」だけだというのは嘘である。というのは,それは,われわれの太陽系の起源でさえからも,測られぬほどかつ考えられぬほど遠い(空間においてでなく,時間において)ところにあるからだ。ヒンズー哲学が大変正確に教えているように,「Aniyamsam Aniyasam」は,偽りの観念を通してのみ知ることができる。それは,一なるものから生じ,各々は七からなる一形態に生じた「多」であり,生きている霊的胚種あるいは諸力の諸中心であり,まず初源の衝撃[PRIMARY IMPULSE]を創ってからそれから,進化と漸進的緩慢的発展の法則にその衝撃を与えたのである。
 教えをこのわれわれの地球に厳密に限れば,次のことが示されよう。すなわち,最初の人間のエーテル形態は七つのディヤン・チョーハンの力の中心によって七層にまず投射されたのと同じように,植物と動物の形態の軍勢のあらゆる始祖[ROOT]あるいは親種に対して創造的力[power]の諸中心がある。このことは,再びいうが,「特殊創造」ではないし,普遍的法則によって働く一般的「基礎計画[ground-plan]」におけるものを除けば,いかなる「意匠」もない。しかし,確かに「意匠する者[designers]」は存在する。もっとも,これらは,語の絶対的な意味では,全能でもなければ全知でもない。それらは単に建設者[Builders]あるいは石工であって,(われわれの界では)ついぞ知られることなき親方石工[Master Mason]――一つなる生命であり法則であるもの,によって与えられる衝撃のもとに働いている。この天体に属しながら,それらは他のいかなるものにも働く手あるいは可能性を,少なくても現顕現期[Manvantara]では持っていない。諸周期において厳密に幾何学的かつ数学的尺度の進行に対して働くということは,絶滅した動物種が存分に示している。また,それらが,(副次的動物の子孫の)下級生命の細部における意匠によって活動するということは,博物学が十分に証拠立てている。新種の創造においては,ネコ属の大きな変異――オオヤマネコ,トラ,ネコ,など――におけるがごとく,ときには親種族から非常にかけ離れたりするが,新環境下で必要とされようと無用となろうと,種に対して付属物を加えたり奪ったりして新しい進化を方向づけるのは「意匠する者」である。こうして,大小にかかわらずあらゆる動物と植物を自然が養っていると言うとき,それは正しい。というのは,総計された自然を形成するのは,自然のそれら地球の霊達であるからだ。自然は,ときたまその意匠に失敗するとしても,盲目であるとは考えられないし,失敗を責められることもない。性質と属性の分化した一つの総計に属するので,それは,単に制限され不完全なものだからである。
 霊の物質への旅(それに比例して霊は隠される)――両者は一つなのだが――と次いで,能動的であるのと受動的であるのとが交替して,霊への逆上昇と物質の征服が続く,霊の永遠の螺旋的巡行,という進化的諸周期のようなものがなかったなら,動物学と地質学の諸発見をいかに説明するのであろうか? 権威ある科学の言明にもとづけば,軟体動物から大海竜へ,最小の陸虫から再び第三紀の巨大動物へと動物生命を辿ることができることはどうなのか? そして後者どもがかつて妨げられたことが,これら全ての種が減少し衰え小さくなったという事実によって示されていることは,どうなのか? より不完全なものからより完全なものへ,そしてより単純なものからより複雑なものへと働く外見上の発達過程が,偉大な宇宙的過程における単に二次的な性質の非常に不完全な一般化であるのでなく,本当に普遍的法則であるのならば,そしてもし主張されるような諸周期がないのならば,中生代の動植物は新石器時代最後のものと席を交換すべきであった。首長竜と魚竜こそが現在の海と川の爬虫類から発達していると見つけるべきものであって,小型化した現代の類似物に席を譲ったのではない。さらに言えば,旧友である良き気性の象こそがノアの洪水以前の化石先祖であっただろう。また鮮新世のマンモスこそが珍獣動物園にいたであろう。メガロニックスmegalonyx [貧歯目重歩上科に属する北アメリカ更新世のウシ大の化石哺乳類]と巨大なオオナマケモノmegatherium [重歩上科に属する南アメリカ中新世~更新世と北アメリカ更新世の体長6mの化石哺乳類]がナマケモノの代わりに南アメリカの森にいただろう。その森には石炭期の巨大シダがコケと現在の木――それは小木であって,カリフォルニアの巨木でさえ,過去の地質時代の巨大木にくらべれば小木である――の席を占めていただろう。第三紀と中生代のmegasthenian[MegasthenaはDanaの分類における哺乳綱の第二目。最大で最強の哺乳類を含む]の世界の生物たちは現時代のmicrosthenian [Microsthena はDanaの分類における哺乳綱の一目。最小で最弱の哺乳類を含む]の動植物よりも複雑で完全であったに違いないとは確かなのだろうか? 例えば,ドリオピテクスは現代のゴリラやギボンよりも,より発達した知能に対して,解剖学的により完全でより適していることが見出されている。それなら,これはどうなのか? これら巨大な陸棲と海棲の竜[dragon,恐竜?]の全ての,また空飛ぶ巨大な爬虫類の構造が,蛇,亀,鰐,そして鯨――要するに,われわれが知っている全ての動物――の解剖学的構造よりもはるかに発達し複雑であることはなかったと,信じるべきなのか?
 しかしながら,議論のために,進化のこれら全ての周期,人種,七つの形態と秘教的教えの全内容が,妄想と落し穴以上のものではない認めよう。科学に同意し,人間と彼の乗り物が,オカルティストが主張するように,閉じ込められた「霊」と殻あるいは身体――徐々に改良され今や完成した機械装置である――である代わりに,単により発達した動物であり,その最初の形態は,トビトカゲ[flying dragon,トンボ?]とブヨ,鯨とアメーバ,鰐と蛙,など,などとこの地球上で同一の原始的胚種から現われたと言おう。この場合,人間は他の全ての哺乳類と全く同じ発達と同じ成長過程ょ通って来たに違いないのか? もし人間が一個の動物であって,それ以上のものではなく,獣から出た,大変知力の発達したものであるなら,人間は彼と同種類の巨大な哺乳動物,彼の時代の巨大人類[meganthropos;ところで1941年にはジャワの前期更新世層からMeganthropus palaeojavanicusという化石人類が発見された]であったと認められるべきであり,少なくとも,そうであったという特権が与えられるべきである。このことがまさに,秘教科学が,はじめの三つの環において起こったこととして示すものであり,この点,他のたいていのことと同様,秘教科学は現代科学よりも論理的で首尾一貫しているのである。それは,人間の身体を獣の創造と同じ所に分類し,最初から最後まで動物進化の道上にあると断言する。一方,科学は人間を,未知の祖先から生まれた親のない孤児,「特殊化していない骨格」のままにしているのが実際なのだ! そしてこの誤りは,周期のに関する教義を頑なに拒否するところから来ている。
                
              ―――――

            A.
                       [p.734]
   哺乳綱の起源と進化:科学と秘教的系統発生学。

 すでに行なった西洋進化論の批判において,人間の起源の問題についてほとんど専念して取り扱ったので,種の分化に関するオカルティストの立場を定めることは悪くないだろう。人間以前の[pre-human ]動植物はスタンザへの注釈においてすでに一般的に扱った。そして,現代生物学の推論の多く,すなわち爬虫類からの鳥類の派生,「自然選択」の部分的正しさ,そして一般的に変形説[transformation theory]の正しさが認められた。今や片づけるべく残っているのは,最初の哺乳類相の起源の謎である。ド・カトルファージュ氏は,それが第二時代のHomo primigeniusと同時代であると証明しようとそんなにめざましくも努力している。
 「種の起源」に関係した幾分錯綜した問題――より特別には化石あるいは現存の哺乳類の多様なグループの問題――は,略図の助けでより明解になるだろう。西洋の生物学者* が信じている「生物進化の諸要因」がどの程度まで事実と合致して適切だと考えられるかが,こうして明らかになるだろう。
  * ダーウィン説はあまりにも無理を強いられてきておりハックスリィでさえそれが「狂信」へと時々退廃するのをかつて非難せざるをえなかった。一仮説の価値を無意識的に誇張する思索家の良い例をオスカー・シュミットは挙げている。彼は認める(「由来の学説とダーウィニズム」,p.158),「自然選択」 は「種形成の解答が他の自然条件において見出されるように,ある場合には……不十分であり,他の場合には……不必要である」。彼はまた認める,「中間段階が欠けている。このことは胎盤の無いものから胎盤の有る哺乳類への直接的移行を確信を持って推論する権利を与えるだろう」(p.271)と;また,「われわれは哺乳類の起源に対する憶測と推論についてもっぱら言及しているのだ」(p.268) と;そして「仮説的系統」の考案者たちの,とりわけヘッケルの度重なる失敗を。にもかかわらず彼は 194ページで「自然選択に基づいた由来の学説によって得られたものは,有機体が「血縁的な存在」であるという結びつきに関する「知識」である」と承認する。知識とは上に引用した承認事項と照らすと,それでは,単に推測と理論の同義語であるのだろうか?
 エーテル-スピリチュアル的,アストラル的,物質的進化の間の境界を定める線が引かれなければならない。おそらく,ダーウィン説信奉者が第二過程の可能性を考えようとしたまい遊ばしたのならば,「哺乳類の起源に対する憶測と推論について言及しているのだ」(O.シュミット教授の「由来の学説とダーウィニズム」,p.268 ) という事実をもはや嘆かなくてすんだであったろう!! 現在のところ,卵生の脊椎動物と哺乳綱の生殖系の間にある認められている隔たりは,進化論者とともに,全ての現存する有機体を一つの血統的連続線に結びつけようと望んでいる思索家にとって絶望的な難問となっている。
 例えば,有蹄類の場合をとりあげよう。「これほど豊富な化石資料は他の部門では見られない」と言われている。この方向で大変な進展がなされてきたので,いくつかの例では,現代と始新世の有蹄類との間の中間的絆が発掘されてきた。著名な例は,現在の一指の馬が古第三紀の三指のアンキテリウムAnchitherium[ユーラシア・北アメリカ中新世のウマ科動物]から派生したという完全な証拠の場合である。西洋生物学と東洋の教義の間の比較のもととなるこの基準は,したがって,これ以上の良いものにはできないだろう。ここで用いられた系統図は,一般に科学者の見解を具体化しているように,Rutimeyer の徹底的な研究に基づくシュミットのものである。そのおおよその正確さについては――進化論の見地からは――これ以上望むところはほとんどない:――

          有蹄類。

I .
           

 進化の中間地点。科学は行き詰まりに到る。「これらの二つの科がどの祖先[root]にさかのぼるのかは不明である」(シュミット)。


  /   オカルティズムによる「祖先[ROOT]」。
  │アノプロテリウム科   パレオテリウム科
  │     \     / 
  │      \   /
  │       \ /
II.│ 哺乳類界(動物)の七つの原始の物質-アスト
  │ラル的かつ両性的祖先型の一つ。これらは初期の
  │レムリア人種と――科学のいう「知られざる祖先」
  \と同時代のものである。


 Iは西洋進化論者によって探求された領域を表わすもので,そこには気候的影響,「自然選択」,そして有機体を分化させる他の全ての物質的原因が存在する。生物学と古生物学はここに活動分野を見出し,種の分離に対して,ダーウィンやスペンサーや他の者が示したように,大いに寄与している多くの物質的作用を研究している。しかし,この領域でさえ,ディヤン・チョーハンの知恵の半意識的[sub-conscious ]働きは全ての「完全へ向かう止むことなき奮闘」の根本をなしている。その影響は,ド・カトルファージュが「環境 milieux」と名づけ,スペンサーが「環境 Environment」と名づけた純粋に物質的な[material]諸原因によって非常に修正されるけれども。
 「進化の中間地点」とはアストラル的原型[prototypes]が次第に物質的原型になるのをはっきりと開始し,かくて今やわれわれの周囲で働いている分化的作用に支配されるようになるような段階である。物質界的因果関係は,「皮膚の毛」を身につけると――すなわち,一般に生理的装備に続いて直ちに起こる。両性の分離以前のヒトと哺乳類の形態*
  * どうか次のことに留意されたい。動物――哺乳類を含む――は全てヒトが脱ぎ捨てた組織から進化してきたけれども,なお,はるかに下級の存在として哺乳動物はヒトよりもはるかに早い時期に胎盤を持つようになり別個<のものになった。
は,アストラル質料[matter]から紡ぎ出され,食べたり飲んだり消化したりなどなどする物質的有機体のものとは全然似ない構造を持っている。有機体において知られている生理的装置はほとんど全て,アストラルから七つの根元型が物質化しはじめるのに引き続いて――現存する二界[plane,水準あるいは面とすべきだが慣行訳にしたがう]の間の「中間停止」のあいだに展開[evolve]された。われわれに馴染みある,副次的な地上の諸法則の影響が付随して起き,哺乳類の種の全ての産出という結果になった以上には,進化の「基本計画[ground-plan ]」は,これらの祖先型にはほとんど描き出されなかった。ゆっくりした分化の長い時期[aeon]は,しかしながら,この結果を生じさせるのに必要だった。
 第II図は(粗い)質料[物質]へ降下する前の純粋にアストラルの原型[prototypes]の領域を表わす。アストラル質料は,注意されなければならないのは,第4番目の状態の質料であり,われわれの粗い質料のように,それ自身の「原質」[protyle]を持っている。自然にはいくつかの「原質」があり,物質の色々な界[plane]に対応している。二つの亜物質界のエレメンタル王国,マインド界(マナス[manus ],第5番目の状態の質料)は,ブッディ界(第6番目の状態の質料)と同様,各々そして全て,対象宇宙の基礎を構成する六つの「原質」の一つから展開される。地球上の質料のいわゆる三つの「状態」は,「固体」,「液体」,そして「気体」として知られているが,厳正に言えば亜-状態にすぎない。物質界への降下,それはついに生理学的な人間と動物となったが,その過去の実在性については,いわゆるスピリチュアリズムの「物質化」の事実において明白な証拠がある。
 これら全ての例において,アストラル界の物質界への完全な一時的同化[mergence,統合吸収]が起きる。初期レムリア時代――地質学でのジュラ紀――のアストラル人種からの生理学的人間の進化は,交霊会の部屋での「霊[spirits]」(?)の「物質化」と正確に対応している。クルックス教授の「ケティー・キング」の場合には,生理学的機構――心臓,肺,など――の存在が疑う余地無く示された!!
 これはある程度までゲーテの原型[ARCHETYPE]だと言える。彼の言を聞こう:「かくしてわれわれは多くを得るべきであった。九つの完全な有機体は全て,一つの原型にしたがって形づくられる。原型は,そのまさに永続的な部分において多少とも単に変動し,そしてさらに,日に日に,再生産によって自分自身を完成し変形する」。これは,最初のアストラル根源型[astral root-types ]から種が分化するというオカルト的事実の一見不完全な予示となっている。「自然選択」,などなどの全民兵隊が生み出すのが何であろうと,構造的設計図の基本的統一性は後続する修正の全てによっても,実際上影響されずに残る。ある意味で全ての動物王国と人間王国に共通する「型の統一性」は,スペンサーやその他の者が考えると思われるように,全ての有機的形態の血縁性の証拠であるのではなく,自然が彼女の創造物を形作るにあたって従がった「基本設計[基礎計画]」の本質的統一性に対する証拠物件である。
 真相を要約するため,種の分化において関与する現実的要因[factor]の作表を再び利用しよう。過程自体の諸段階については,有機体の発展のもとである基礎的諸原理であるから,生物の専門家に領域に入ってしまう以上の注釈はここでは必要ない。



                

    動物と植物の種の起源に関与する要因。

     基本的アストラル原型[PROTOTYPES]が
         物質界に入る。
      
                ―――――
 ラマルクの発達に  1.遺伝によって伝えられる変異。
関する「生得と必要  2.自然選択。
の」法則を生じしめ  3.性選択。
るディヤン・チョー  4.生理的選択。
ハンの衝撃[Impulse]  5.隔離。
。それは全ての下位  6.成長の相関。
の媒介者[代理者]  7.環境への適応。(機械論的因果
の背後に横たわって     関係に反して,知的な。)
いる。
           
              
                  [A終わり,p.738]

(『暗燦』第5号、1996年8月?)