訪問日 令和6年5月24日
和気神社
昨年春に初めて訪れた時、残念ながら社殿の修復工事中
完成したことを確認しての参拝である
石柱には「至誠」「精義」と刻まれている
鳥居1
霞(かすみ)橋
日笠川に架かる橋で「俗界と聖界の境にある橋」とされる
境内図
清麻呂公銅像
高さ4.63mの青銅製で、故 朝倉文夫氏の作品
昭和58年、清麻呂公御生誕1250年を記念して和気町に寄贈された
和気清麻呂といえば何と言っても「道鏡事件」だが……
女優・気象予報士の「半井小絵」さんが子孫であることにも興味を持っている
日本一の大絵馬
参道を進む
狛いのしし1
全国的にも珍しい狛犬がわりに「狛いのしし」
猪が清麻呂の宇佐神宮参拝の際に護衛を行ったり、足を患った際に霊泉に案内したとされることから、清麻呂の守護とされてきたことに由来する
鳥居2
随身門
本殿、拝殿に続き、明治28年(1895年)に造営された
随身像
和気清麻呂と道鏡事件
僧道鏡が、女帝の「称徳天皇」から特別深い寵愛を得て、太政大臣に次いで法王となり、最後には天皇の位を望むようになった
そこへ、九州大宰府の主神「習宜阿曽麻呂」が朝廷に「道鏡が天皇の位につけば天下は太平となる」という宇佐八幡の神託をもたらした
天皇は驚き、神意を確かめるために和気清麻呂を使いとした
宇佐に到着し、神前に額ずく清麻呂にもたらされた神託は
「我が国は開闢以来、君臣の分定まれり。臣を以って君と為すこと未だあらざるなり。天津日嗣は必ず皇緒を立てよ。無道の人は宜しく早く掃い除くべし」
宇佐から帰京した清麻呂公は堂々と、この神託を言上したのである
当時の大部分の人が道鏡への譲位に疑問をもっていたにも関わらず、左大臣以下だれも声にあげて反対することができなかった
これに対し命をかけて抗議したのが清麻呂ただ一人だった
これにより、清麻呂は大隈国(現鹿児島県)に流罪となる
大隈国に流される途中、道鏡により放たれる刺客などに襲われるが、天変奇異に助けられ、また神の使いか「猪」に守護されながら、無事大隈国へと到着
2年後、称徳天皇の崩御により道鏡は失脚
清麻呂は許され、都に帰り本性本位に復する
*「古事談」の最初に「称徳天皇が道鏡を愛した事」に驚くような記載がある(内容は18禁)
祓所
三福かえる
「宝かえる・無事かえる・若かえる」
和気清麻呂像
和気広虫姫像
和気清麻呂の姉
宇佐八幡宮の神託を請うための勅使に任じられたが、病弱で長旅に耐えないことを理由に、弟の和気清麻呂に代行させた
神託の結果が道鏡及び天皇の意に反していたことから還俗させられた
和気広虫は、孤児の養育に励んだことが伝えられている
鶴亀石
手水舎
社務所
拝殿
現存の社殿は、明治18年(1885年)より順次建て替えられている
邑久大工の田淵耘煙斎勝義の手によるもので、本殿・幣殿・釣殿・拝殿・随神門が一連の作となっている
拝殿内部
狛いのしし2
撫で猪
稲荷神社
天神社(天満宮)
「名付け石」
天神社裏側に奉納
本殿(和気町指定文化財)
明治18年(1885年)造営
大型の屋根と「千鳥破風・軒唐破風」が見事に調和している
細部の彫刻も美しい
大神宮
猿田彦神社
絵馬殿
奉納額
撮影 令和6年5月24日
和気神社
昨年春に初めて訪れた時、残念ながら社殿の修復工事中
完成したことを確認しての参拝である
石柱には「至誠」「精義」と刻まれている
鳥居1
霞(かすみ)橋
日笠川に架かる橋で「俗界と聖界の境にある橋」とされる
境内図
清麻呂公銅像
高さ4.63mの青銅製で、故 朝倉文夫氏の作品
昭和58年、清麻呂公御生誕1250年を記念して和気町に寄贈された
和気清麻呂といえば何と言っても「道鏡事件」だが……
女優・気象予報士の「半井小絵」さんが子孫であることにも興味を持っている
日本一の大絵馬
参道を進む
狛いのしし1
全国的にも珍しい狛犬がわりに「狛いのしし」
猪が清麻呂の宇佐神宮参拝の際に護衛を行ったり、足を患った際に霊泉に案内したとされることから、清麻呂の守護とされてきたことに由来する
鳥居2
随身門
本殿、拝殿に続き、明治28年(1895年)に造営された
随身像
和気清麻呂と道鏡事件
僧道鏡が、女帝の「称徳天皇」から特別深い寵愛を得て、太政大臣に次いで法王となり、最後には天皇の位を望むようになった
そこへ、九州大宰府の主神「習宜阿曽麻呂」が朝廷に「道鏡が天皇の位につけば天下は太平となる」という宇佐八幡の神託をもたらした
天皇は驚き、神意を確かめるために和気清麻呂を使いとした
宇佐に到着し、神前に額ずく清麻呂にもたらされた神託は
「我が国は開闢以来、君臣の分定まれり。臣を以って君と為すこと未だあらざるなり。天津日嗣は必ず皇緒を立てよ。無道の人は宜しく早く掃い除くべし」
宇佐から帰京した清麻呂公は堂々と、この神託を言上したのである
当時の大部分の人が道鏡への譲位に疑問をもっていたにも関わらず、左大臣以下だれも声にあげて反対することができなかった
これに対し命をかけて抗議したのが清麻呂ただ一人だった
これにより、清麻呂は大隈国(現鹿児島県)に流罪となる
大隈国に流される途中、道鏡により放たれる刺客などに襲われるが、天変奇異に助けられ、また神の使いか「猪」に守護されながら、無事大隈国へと到着
2年後、称徳天皇の崩御により道鏡は失脚
清麻呂は許され、都に帰り本性本位に復する
*「古事談」の最初に「称徳天皇が道鏡を愛した事」に驚くような記載がある(内容は18禁)
祓所
三福かえる
「宝かえる・無事かえる・若かえる」
和気清麻呂像
和気広虫姫像
和気清麻呂の姉
宇佐八幡宮の神託を請うための勅使に任じられたが、病弱で長旅に耐えないことを理由に、弟の和気清麻呂に代行させた
神託の結果が道鏡及び天皇の意に反していたことから還俗させられた
和気広虫は、孤児の養育に励んだことが伝えられている
鶴亀石
手水舎
社務所
拝殿
現存の社殿は、明治18年(1885年)より順次建て替えられている
邑久大工の田淵耘煙斎勝義の手によるもので、本殿・幣殿・釣殿・拝殿・随神門が一連の作となっている
拝殿内部
狛いのしし2
撫で猪
稲荷神社
天神社(天満宮)
「名付け石」
天神社裏側に奉納
本殿(和気町指定文化財)
明治18年(1885年)造営
大型の屋根と「千鳥破風・軒唐破風」が見事に調和している
細部の彫刻も美しい
大神宮
猿田彦神社
絵馬殿
奉納額
撮影 令和6年5月24日
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