今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

万松山 龍潭寺(静岡県浜松市北区引佐町井伊谷)

2017年06月16日 | 神社・仏閣
万松山 龍潭寺(りょうたんじ)
NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』で「おとわ」は井伊家の跡取りが代々受け継ぐ
「次郎」の名を与えられ次郎法師と名乗り出家し、厳しい修業の日々を送った寺である
すぐ忘れるのだが案内板で境内の状況を頭に入れる



伝井伊共保出生井(浜松市指定史跡)
寛弘7年(1010)井伊氏初代の井伊共保(ともやす)が生まれたと伝えられる井戸
周囲は畑というより畑の中にある






江戸時代に建てられた笠塔婆形の石碑に井戸の傍らに橘の木があったことから「橘」を家紋、「井」を旗幕の紋としたことが記されている



井戸の整備は彦根藩主が繰り返し行っており井伊氏にまつわる聖地として篤く崇拝していた






山門
明暦2年(1656)建立。四脚門。扁額には山号の「萬松山」



「浄苑」と記された建物



内部に「観音大菩薩尊銅像」が安置されている。



鐘楼



ある程度覚悟はしていたが、大河ドラマの影響で予想以上の観光客で落ち着くまで屋外を廻ることにした



井伊氏歴代墓所
正面右に初代 井伊共保、左に22代 井伊直盛(桶狭間で戦死、直虎の父)



写真右から、直盛夫人、井伊直虎(次郎法師)、23代 井伊直親(今川の手で殺害)、直親夫人、24代 井伊直政



宗良親王 御墓
元中年間(1384年 - 1392年)、宗良親王(後醍醐天皇の皇子)がこの寺を中興した



摂社 井伊社



「水原秋櫻子 句碑」 水無月の 落葉とどめず 神います



「慈母観音石」
慈母の胸に抱かれた赤子の姿がうかがえるところにより信仰されている
信仰心のない私にはどうしてもみえない



井伊谷宮



本堂
一時の混雑が解消されてきたので堂内に入ることにした



戦国時代の永禄3年(1560)に戦死した井伊直盛がこの寺に葬られると、直盛の法号から龍潭寺と改められた



大河ドラマではこの場所で畑を耕したり、剣術の稽古をしたりしている



やはり現地で歴史を感じることは大切なことだ









本尊 虚空蔵菩薩(秘仏)  御前立 釈迦如来三尊佛






開山堂
元禄15年(1702)建立









開山黙宗瑞淵和尚






井伊家霊屋



堂内には元祖共保公、22代直盛公、24代直政公の木像を安置する。幕末の大老井伊直弼公の位牌もお祀りされている



24代直政公



22代直盛公



元祖共保公



萬松稲荷
享保1年(1716)稲荷大明神建立



寛政8年(1796)稲荷堂再建






井伊家赤備具足



庭園(国名勝)
池泉鑑賞式庭園。寺伝によれば小堀遠州の作庭



音声により庭園の詳細な説明がなされ、2度も聞いたが想像力が欠如しているためか良く理解できない






仁王門
昭和62年(1987)に建立






撮影 平成29年5月12日

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 大乗山宝池院 摩訶耶寺(静... | トップ | 初山 宝林寺(静岡県浜松市... »

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
素晴らしい写真ばかりで… (OTETSUDAI @)
2017-06-16 21:04:54
先日も記しましたが浜松には何度も行きました。先輩に市内の何処を案内されたかと言うと、5月に節句のたこ揚げの砂丘の記憶があります。市内にこのような素晴らしい寺院があるとは想像もしませんでした。
TVドラマは全く観ませんので薄々とした歴史観しかありません。寺院と社は別物と思っていましたが寺院に神社もありお稲荷さんもあるのですね。その逆=神社敷地内に寺院があるという処もあるのでしょうか。
綺麗な木像です。撮影可なのですね。
庭園は京都で観た感がします。全く同じではありませんが…「似て非なるもの」とでも言うのでしょうか。
墓石は質素ですね。それがいいところと思います。同じ静岡県御殿場市の富士霊園に本田宗一郎の墓所があります。「芸術」という感です。私はいろんな車種に乗りましたがホンダ車は手にしたことがありません。
またまた余計な事を記してしまいました。久しく浜松に行っていないので、今日も無銭旅行をさせて頂きましてありがとうございました。
返信する
しばらくブームは続きそうですね (2014kurumatabi)
2017-06-16 22:58:15
大河ドラマと朝ドラは結構視ているので皆さんも同じかなと思って書いてしまいました。大学時代司馬遼太郎原作の「国盗り物語」が歴史に興味を持った最初かも知れません。ただ面白いという程度で、今のように現地を訪れるなど想像もしていませんでした。そこでしか味わうことができない空気感というのがとても気に入っています。
この土地に30年住み何度もこの寺院を訪れているという地元の人に話を聞く機会がありましたが、直虎が女だった(男だったという説もある)ということを、大河ドラマで初めて知ったと話してくれました。誰も見ていないので真実が謎というのも歴史の楽しいところでもあります。
視聴率は低迷しているようですが、しばらくブームは続き、地元の方々の多くは喜んでいることでしょう。
返信する

コメントを投稿

神社・仏閣」カテゴリの最新記事