今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

くがみ山 国上寺 その1(新潟県燕市国上)

2020年03月02日 | 神社・仏閣
訪問日 令和元年10月30日

くがみ山 国上寺 その1
登山者と国上寺(こくじょうじ)参拝者が共用する駐車場に到着する
案内図を見ると少し歩かなければならないようだ



緩やかな坂道を進んでいく



ボケ封じ・がん封じ地蔵



他人事ではない年齢になってきている



やすらぎ観音



手を合わせ目を閉じ、3呼吸後に目を開けると、やすらぎを授けてくれるという






山門近くに修学旅行の女子高生の集団がいたので、静かな場所に移動する



鐘楼






正面に見えるのが本堂



本堂に向かう参道の左右に安置されている石仏






元明天皇和銅2年(709)に越後一の宮 弥彦大神の託宣により建立された、越後最古の古刹



六角堂
悲劇の武将、源義公伝説が寺伝にある
兄・頼朝に追われた義経は、文治3年(1187年)平泉へ逃れるその途中に国上寺本堂に隠れていた






義経が隠れていることを頼朝に密告する者がいて、一行は寺を去り、弥彦へ向かった
その折に義経自作の「大黒天木像」を奉納された



大黒天が背負っている福袋の背後には、「治承 庚子年 正月朔日 源義経 華押」と刻まれている






本堂
上杉謙信により十万石を拝領し、七堂伽藍を建立
往時には国上山山中に21ケ寺、県内外を含め130有余ケ寺の末寺を有し、常時1000人以上の修行僧を置き御祈祷所として隆盛を極めた



戦国時代、織田信長が延暦寺を焼き討ちしたように、何度か焼き討ちにあった



残念だが読めない



さて、この本堂で驚いたことがある
国上寺は12年(令和2年4月17日〜5月11日 御開帳)に一度、本尊の阿弥陀如来の御開帳を行っている
絵巻の設置理由の一つには御開帳を成功させ、多くの人に来てもらうことがあったというが……



登場人物



「御仏偉人群降臨之絵巻」



「五鈷杵掛けの松 名手笛奏之絵巻」









「露天風呂湯浴之絵巻」















「龍乗遊戯之絵巻」



賛否両論があるようだが……



さて、堂内の様子を撮ってみる



御本尊は「上品上生阿弥陀如来」
行基菩薩の御作婆羅門僧正の御開眼にして、聖武天皇の御后光明皇后により賜った霊仏であると伝えられ、現在は、子年(12年に1度)の開帳



令和2年4月17日〜5月11日 御開帳









「万元上人像」 万元和尚は国上寺の中興の祖
戦国時代、荒れ果てた境内に見かねた万元和尚は「私に協力させてほしい」と願い出て、越後の隅から隅まで30年という年月をかけて托鉢した






「奉納額」












撮影 令和元年10月30日

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