今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

宮地嶽神社 その1(福岡県福津市宮司元町7-1)

2023年07月25日 | 神社・仏閣
訪問日 令和5年5月22日

宮地嶽神社
宮地嶽神社の総本社
年間参拝者数220万人を数え初詣参拝者(100万人以上)は太宰府天満宮に次ぐ2番目と九州を代表する神社の一つ

三之鳥居
初めて訪れる神社で600台規模の第1駐車場にも驚いたが年末年始には第6駐車場まで稼働するという
この鳥居は駐車場から歩き2つ目の鳥居になる
一之鳥居というのは約1キロ先にある宮地浜にあるという



男坂とよばれる参道石段
2016年「嵐」のテレビCM「光の道」の舞台になり、宮地嶽神社の名前は全国に知れ渡ることになったらしい



神馬1



六百俵の碑









狛犬1






歴史を感じる石灯籠



五之鳥居
「光の道」最後の鳥居となり階段はこの先で終わる



階段上から眺めていると何か仕掛けがあると直感した



2月下旬、10月下旬の年に2度、男坂の石段から宮地浜まで真っ直ぐに伸びる参道の延長線上に夕日が沈み、「光の道」と呼ばれている
この時期に「夕日のまつり」が開催され、参道の階段は観覧席として使用される為、閉鎖される



その様子が大きな写真の看板で知ることができる
参道の階段の上段は、有料で事前予約制、中段以下は無料で整理券配布により観覧できる



神馬2



神牛



先に進むと門と鳥居が、社殿の姿がまだ見えてこない



神馬3



狛犬2






鳥居の奥に楼門が見えてきた



うぶすな石
手水舎の横にたくさんの産土石(ウブスナイシ)が置かれている



宮地嶽神社巫女日記によると
この石は安産祈願に使われていた
赤ちゃんが無事に生まれます様にそして健康に成長しますようにと願いを掛け持ち帰り
無事に生まれた暁には、その石を神社に返し、再び次の方が持ち帰る
安産祈願の運の良い石として母親たちの願いを叶えてきたという



手水舎
このような手水舎は寺社巡りをして初めて見た
水が透明の板の上から流れ、下には花(実に美しい)



狛犬3






楼門



額には「宮地嶽神社」



楼門の先には拝殿が見える



拝殿



拝殿前の空間は咲いてはいなかったが花で一杯になっている



社伝によると、創建は約1700年前にさかのぼる
息長足比売命(神功皇后)が、渡韓のおりに宮地岳の頂に祭壇を設け天神地祇を祀り、祈願し船出したのが始まりと伝わる



拝殿内の額には「宮地嶽三柱大神(みやじだけみはしらおおかみ)」
祭神:「息長足比売命(おきながたらしひめのみこと)」別名「神功皇后」
    随従の勝村・勝頼大神を併せ、「宮地嶽三柱大神」として祀っている



神功皇后とは、第14代仲哀天皇の后で応神天皇の母
 仲哀天皇2年、1月に立后。天皇の九州熊襲征伐に随伴する
 仲哀天皇9年2月の天皇崩御に際して遺志を継ぎ、3月に熊襲征伐を達成する
 同年10月、海を越えて新羅へ攻め込み百済、高麗をも服属させる(三韓征伐)
 同年12月、天皇の遺児である誉田別尊(応神天皇)を出産






社務所



日本一の大注連縄
この神社を訪れるきっかけとなったのは日本一だという大注連縄
ここを訪れる数日前に出雲大社を参拝し大注連縄を見ているだけに興味が湧いた



感覚的には出雲大社の方が大きく仕上がりも丁寧に感じるのだが……



本殿
奥之宮八社巡りを考えなければこの姿を観ることはなかった



宮地嶽古墳からの出土品で九州北部王朝の王の墓ではないかといわれていることもあり、本殿御遷座80年の節目に黄金の屋根に仕上げた



次回に続く

撮影 令和5年5月22日
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 宗像大社 辺津宮(福岡県宗像... | トップ | 宮地嶽神社 その2(福岡県福... »

コメントを投稿

神社・仏閣」カテゴリの最新記事