今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

摩尼山 西國寺 その1(広島県尾道市西久保町)

2015年01月20日 | 神社・仏閣
摩尼山 総持院 西國寺
恥ずかしい話しだが浄土寺という寺を探して、たどり着いたのがこの寺
真言宗醍醐派大本山という由緒ある寺ということも知らなかった
この日は参道や境内で絵を描いている人が多くいた
挨拶をすると、さすが観光地だけあって親切に対応してくれる



仁王門(広島県指定重要文化財)
室町時代末期の楼門形式の仁王門



絵を描いている人に寺のことを尋ねると「案内板」を読むようにと



北海道から来たというと何故か会話が弾み、周囲にいた人も集まり、互いに絵も描かず写真も撮らず30分ほどこの場で世間話
この寺が尾道では3つの指に入ることもこの時知った
あとの2つは千光寺と浄土寺だということも



扁額「摩尼山」は小松宮彰仁親王の宸筆
この寺のシンボルである「健脚祈願」の大草鞋が吊されている



仁王像
この寺で一番苦労して撮った写真。ふだんは自動で撮っているが、ここは手動で画面を見ながらピント合わせ



格子内に仁王像の目を入れて撮ろうと悪戦苦闘。そんな苦労の一枚



仁王門をくぐると十王堂を経て金堂へと続く108段の石段



持善院






案内板の通り進んでいくことにする



金比羅社



金剛院
「重軽天狗」:願い叶うならば軽々と、願い叶わなければ重々と






遠くに三重塔が見える



108段の石段を上がる



十王堂
堂内には閻魔王を中心に極彩色の十王の像が左右に安置されているらしい。






金堂(重要文化財)
西國寺の歴史だが
行基菩薩の開基と伝えるが、度々の火災により焼失し、現在の堂は南北朝期、備後の守護山名一族によって再建された



治暦2年(1066年)火災により堂宇の大半を焼失したが



永保元年(1081年)には愛宕山の山麓から中腹にかけて巨大な伽藍が完成した



官寺として100を超える末寺を持ち、山陽道随一の伽藍を誇った
現在も尾道市の寺院の中で最大の規模を誇っている



34 岡山県





撮影 平成26年10月27日

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