今、出発の刻(たびだちのとき)

車中泊によるきままな旅
<名所旧跡を訪ねる>

龍峯山 興禅寺(鳥取県鳥取市栗谷町10)

2023年06月29日 | 神社・仏閣
訪問日 令和5年5月16日

龍峯山 興禅寺
黄檗宗の寺院
鳥取藩主池田家の菩提寺

山門
偶々なのかこれまで黄檗宗寺院をあまり訪れたことがない
この山門の屋根の形も珍しい
数年前に黄檗宗大本山萬福寺を訪れた時の総門と同じ形をしている
中央の屋根を高くし、左右を一段低くした中国門の牌楼(ぱいろう)式というらしい



扁額には山号の「龍峯山」



鐘楼






本堂(国登録有形文化財)
寛永9年(1632年)池田光仲が岡山藩より鳥取藩に転封となり、池田忠継の菩提寺を鳥取に移した
臨済宗妙心寺派の寺院で忠継の院号である龍峯院殿より「広徳山 龍峯寺」と名乗っていた



住職が黄檗宗への転向を願い池田光仲はそれを認めた
しかし、妙心寺はこれを不服とし転向を認めず、両者間で争議が起こった



元禄6年(1693年)に池田光仲が没し、翌年の元禄7年(1694年)寺号が妙心寺に返納された
こうして黄檗宗に改宗され、光仲の院号である興禅院殿より寺号が「龍峯山 興禅寺」と改められた
その後、藩により興禅寺の隣地に再び龍峯寺が建立され、忠継の他、輝政・忠雄の位牌が移された
興禅寺は池田家の菩提寺ではあるが墓所はない



明治の廃藩置県以後は藩の支援が途絶え、経済的危機に見舞われた
本堂の売却を希望し、兵庫県美方郡新温泉町浜坂の龍雲寺に明治21年(1888年)に移築された









現在は、もとの御霊屋を改造して本堂としている
文化11年(1814年)に建てられた入母屋造平入の本堂主体部の前面に、御拝ノ間・拝殿と向拝が取り付き、複雑な屋根形式となっている
平成25年(2013年)12月、国の登録有形文化財に登録された









「渡辺数馬の墓」 調べてみると……
「日本三大仇討」とは,曽我兄弟の仇討,赤穂浪士の討入り,伊賀上野の敵討という有名な三つの仇討事件のこと
一富士は曽我兄弟,二鷹は赤穂浪士,三茄子は 荒木又右衛門 を指している



「猪田伊折佐の墓」 初めて聞く名前で墓には行かなかった






「臼井本覚の墓」 こちらも初めて聞く名前であった



墓石の整備をしていた職人に場所を聞いた



歴史のある地域に住む人の話しは面白く、現地に来て学ぶことが多い



「尾崎放哉句碑」
種田山頭火らと並び、自由律俳句のもっとも著名な俳人の一人だという



撮影 令和5年5月16日
コメント
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