訪問日 令和5年5月13日
朝倉山 真禅院
天台宗の寺院
真禅院の前身は天平11年(739年)行基により創建された「象背山宮処寺」とされる
延暦年間(790年頃)勅令があり、最澄によって南宮神社(現南宮大社)と両部習合(神仏習合)され、「大神宮寺」と改称
石段入口付近にある石柱には「朝倉山南神宮寺」と彫られている
天慶2年(939年)平将門の乱の時、朱雀天皇の勅命により調伏の修法を南神宮寺で行ったとある
文亀元年(1501年)火災で焼失し、永正8年(1511年)に再建
慶長5年(1600年)には関ヶ原の戦いで南宮神社とともに焼失し、寛永19年(1642年)に落成
本地堂(重要文化財)
明治元年(1868年)神仏分離により、南宮神社内の寺院・仏堂を統廃合し、当時の真禅院の住職と地元の人々の手により現在地に移築した
明治4年(1871年)までに移築が完了し、朝倉山真禅院として再出発した
本尊:阿弥陀如来
寛永19年(1642年)に再建された
十王堂
鐘楼(岐阜県指定文化財)
梵鐘(重要文化財)
無銘だが撞座(つきざ)の位置、龍頭の取り付き方などに古代鐘特有の様式を示し、奈良時代から平安時代前期の制作と推定
三重塔(重要文化財)
寛永19年(1642年)建立
本尊:大日如来(金剛界)
3年前、道路地図に記載のあった南宮大社を訪れた時、案内板を見ると少し離れた場所に塔の図を発見
地元の人に場所を聞き訪れてみると、何と重要文化財の三重塔であることがわかり歓喜したことを思い出す
昭和57年(1982年)から昭和59年(1984年)にかけて三重の塔の修理が行われた。(昭和の大修理)
午後からの雨予報の通り小粒の雨が落ちてきた
車に傘を置いてきてきたので急ぎ他の堂宇に移動する
観音堂(垂井町指定文化財)
南宮大社奥の院高山社の本地仏であり「高山観音」として親しまれている
護摩堂
釈迦堂
雨が強くなってきたので駐車場に戻る
撮影 令和5年5月13日
朝倉山 真禅院
天台宗の寺院
真禅院の前身は天平11年(739年)行基により創建された「象背山宮処寺」とされる
延暦年間(790年頃)勅令があり、最澄によって南宮神社(現南宮大社)と両部習合(神仏習合)され、「大神宮寺」と改称
石段入口付近にある石柱には「朝倉山南神宮寺」と彫られている
天慶2年(939年)平将門の乱の時、朱雀天皇の勅命により調伏の修法を南神宮寺で行ったとある
文亀元年(1501年)火災で焼失し、永正8年(1511年)に再建
慶長5年(1600年)には関ヶ原の戦いで南宮神社とともに焼失し、寛永19年(1642年)に落成
本地堂(重要文化財)
明治元年(1868年)神仏分離により、南宮神社内の寺院・仏堂を統廃合し、当時の真禅院の住職と地元の人々の手により現在地に移築した
明治4年(1871年)までに移築が完了し、朝倉山真禅院として再出発した
本尊:阿弥陀如来
寛永19年(1642年)に再建された
十王堂
鐘楼(岐阜県指定文化財)
梵鐘(重要文化財)
無銘だが撞座(つきざ)の位置、龍頭の取り付き方などに古代鐘特有の様式を示し、奈良時代から平安時代前期の制作と推定
三重塔(重要文化財)
寛永19年(1642年)建立
本尊:大日如来(金剛界)
3年前、道路地図に記載のあった南宮大社を訪れた時、案内板を見ると少し離れた場所に塔の図を発見
地元の人に場所を聞き訪れてみると、何と重要文化財の三重塔であることがわかり歓喜したことを思い出す
昭和57年(1982年)から昭和59年(1984年)にかけて三重の塔の修理が行われた。(昭和の大修理)
午後からの雨予報の通り小粒の雨が落ちてきた
車に傘を置いてきてきたので急ぎ他の堂宇に移動する
観音堂(垂井町指定文化財)
南宮大社奥の院高山社の本地仏であり「高山観音」として親しまれている
護摩堂
釈迦堂
雨が強くなってきたので駐車場に戻る
撮影 令和5年5月13日