得さんのページ

喜多方発・・・蔵の街の地域情報を主に発信します。観光・歴史・文化・催しその他等。

喜多方発・蔦が絡まる元、米蔵。

2009-05-11 16:32:07 | Weblog
蔵の街・喜多方から、本日の画像は駅前に在る蔦が絡まる巨大な蔵・元の米蔵です。
石造りの蔵です。各駅の周りには元農協の米蔵が何棟も建っていましたが、いまは数える程しか残っていません。将来これらの蔵も有形文化財か産業遺産になると思います。喜多方市内には登録有形文化財に匹敵する蔵が聞くところによると、数十棟もあるとか、やがて登録有形文化財の蔵の街が誕生するのではないでしょうか。

喜多方も米どころです。駅周辺の農協の蔵に米が集荷されました。現在は車社会になり米蔵は街なかに分散されています。市内にも大きな米穀店があり、集荷、精米、出荷と一環作業で進められ都会では今、会津米・喜多方米・の評判も良いそうです。

その米の作付け、田植え作業が最盛期を迎えようとしています。2~3日見ない間に田植えが済んでいる田んぼが増えてきました。田植えの時期も昔から見るとかなり早くなったそうです。
現在は全ての作業が機械化ですが昔は手作業でしたからたいへんでした。馬・牛を使い、しろかきから始まります。馬・牛を誘導するのが小学校の5~6年生から中学生くらいの男の子です。水が入った田んぼに裸足ではいり牛馬の鼻に付けた長い竿を持って一日中ビシャびしゃになりながら広い田んぼの中を歩き続けました。
家は農家でありませんが、私は毎年農繁期には必ず近所の農家や親戚の家に行って馬の誘導をしました。その作業のことを「はなどり」と言います。
実は私はその作業が大嫌いだったのですが「はなどり」にも上手、下手がありまして「おまえは上手い、じょうずだ」とおだてられて毎日やったものです。
その当時は農繁期は学校が一週間ぐらい農繁休校でした。今で言う連休です。
1955年頃のお話です。牛・馬のはなどり経験のある方もいることでしょう。