蔵のまち喜多方から
雲が多い一日で寒くて風も吹いています
庭の柿の木の葉が全部落葉しました、毎日掃き掃除が続きましたがやっと終了です。
所用の為、関柴町三津井へ行って来ました。近くに勝福寺観音堂が在ります、境内のイチョウの樹が
一際目立ったので訪れてきました。
観音堂はその昔、勝の前が京から松島への旅の途中病のため、この村で倒れ、これを哀れんだ村人達が、
松島の景勝を一夜にして築きあげて慰めたところ亡くなり、その冥福を祈り建立されたと伝えられています。
天文年間の頃(1532~54)その後数度の火災にあって焼失、再興されますが、寺はいつの頃からか廃寺となります。
時世の変化と共に幾度かの廃壊の危機に瀕しては地元の根強い信仰に護持されてきました。
昭和53年~56年にかけて数次にわたり、文化庁の現地調査が実施され、勝福寺観音堂は会津地方の三間堂の中でも
独特の要素をもち、中世末期の仏堂として優れたものと価値が認められて 重要文化財に指定されました。
昭和59年7月から20か月かけて解体修理が行われました、文化庁の許可を得て現状の変更が数か所行われました。
何時も見て頂いている、巨大 木鼻が付いている正面向拝は現在ある右手に移設されました。
昨年茅葺きの屋根が葺き替えられました、
会津三十三観音 六番札所です。 境内の外に勝御前の墓と伝えられる無銘の墓石があります。
本尊は十一面観音造、脇侍に毘沙門天立像、不動明王立像、普段は非公開です。