蔵のまち喜多方から
東大和市は喜多方市の友好都市です、2015・11月11日~12日喜多方市観光交流課と
観光物産協会・そしてボランティアガイドの皆さんが東大和市へ訪れました。
私は体調不良に付参加できませんでしたが、カメラを托しました、
忙しい時間をカメラを持って歩くのは大変だったと思いますが素晴らしい画像を
沢山写して頂きました その一部を紹介します。
東大和市の総面積の約四分の一を占めるのが村山貯水池、現在 都の水源は多摩川20%
と利根川、荒川80%に求められていますが、昭和30年代初めまでは多くが多摩川から取水されて村山・
山口貯水池を経て都内に給水されていたそうです。
そして貴重な戦災遺跡・旧日立航空機株式会社変電所。
この建物は、昭和13年(1938)に建設された航空機のエンジンを製造していた軍需工場の変電所です、
高圧線で送られてきた66,000ボルトの電気を減圧して工場内へ送る重要な施設でした、
アメリカ軍による攻撃 昭和20年多摩地域一帯の他の軍需工場と同様に、この工場でも
2月と4月に計3回の大きな攻撃をうけました。
工場は8割方壊滅したといわれています、変電所は奇跡的に生き残りました、壁面には機銃掃射や爆弾の破片による
無数の穴ができました、建物本体は致命的な損傷を受けなかったのです、戦後工場は平和産業に転換して
平成5年まで操業を続けました。その間この変電所は主要設備機器を更新しながら、実に平成5年まで工場へ電気を
送り続けていました、都立公園の整備のため、変電所を含む敷地の一部を都が買い上げることになり、
変電所は役割を終えました しかし地域住民や元従業員の方々の強い要望により、変電所の建物はそのままの場所で
保存されることになりました、戦争で多くの尊い命が犠牲になったことを、誰よりも雄弁に物語ってくれるこの変電所を
東大和市は平成7年10月1日に文化財に指定し、後世に伝えることにしたのです、無数の弾痕が残る外壁は、当時の攻撃の
すさまじさを教えてくれます、そして、戦争の怖さや悲惨さ、そして平和の尊さを、この変電所をとおして感じて
いただければと思います、 東大和市の資料より。
東大和市の皆さん大変お世話になりました、有難うございました。