「グラジオラス」 アヤメ科 ☆7月13日の誕生花☆
グラジオラス全般の花言葉は… 密会・用心・思い出・忘却・勝利
赤い花…堅固・用心深い ピンク色の花…たゆまぬ努力・ひたむきな愛・満足 紫色の花…情熱的な恋

7月4日 (火) 今日の和泉市のお天気は 

“晴” 

の予報です。
昨日(3日)の予報は “晴” でしたが、久しぶりに予報は大外れでした

終日青空を見ることはなく、どんより曇り空でした(雨が降るほどではない。
それでも気温は高く、最高気温は30.3℃(もう真夏日は珍しくもないですね
妻は予報を信じ、シーツを洗って外干ししていたのですが、カラッと晴れず
臭いと言って、部屋干し用の洗剤で洗いなおしていました
今日の予報も “晴” です。今日はしっかり晴れるんだろうねぇ 終日
マークが並んでいますが 
最低気温は22.6℃、最高気温は31.8℃(湿度50~60%)を予想しています。京都は37℃の予想らしいですよ
明日はもう “曇のち雨” で、晴天は続きませんね。この先…
の日が交互に来るようです。
今日は各地で今年一番の気温になるそうです 熱中症対策… “喉が渇く前に給水を” と呼び掛けています。
〖昔はこうだった話〗もう何度かアップした事が有るので、またか とお思いでしょうが、新しいブロ友さんも
出来ましたし、改めて読んでいただき “あぁそうだったそうだった” と懐かしんでいただければ嬉しいです。
昔はこうだった話… 今日は “給食袋/水筒” です
子供たちの持ち物で私たちの小学生時代と違う事が2つ有ります。
その1 私たちが必ず小学校に持って行った物で、今の子が持っていない物…
それは “給食袋” です。 中にアルマイトの食器が3つ入っていましたね。
コッペパンを乗せるお皿と、おかずを入れる中ぐらいの容器、脱脂粉乳を入れる
小さい容器の3つでワンセットでした。
それをランドセルのフックに掛けてガチャガチャいわせながら通ったものです。
今では食器は学校が管理し、ちゃんと洗ってくれているのでしょうね。
ひげの給食のころは、放課後、学校を休んだ友達に給食のパンを届けていましたが、今はそれはしませんね。
食糧難の時代ならではだったのでしょう。

あの頃給食で食べた鯨肉の “竜田揚げ”… 味はともかく、あのモサモサした食感(いつまでも噛み切れない)
を思い出します(笑。カレーに入っている肉も鯨肉でした。 今思えば贅沢だった?(笑。
あれは何才くらいだったか(中学生?)、友達の家で遊んでいて、お昼にカレーをよばれました。
? 入っている肉が「クジラ肉じゃない!」
カレーにはクジラ肉と思い込んでいたので驚きましたねぇ 
数年前、急にクジラ肉が懐かしくなり、通販で「鯨大和煮缶詰36缶」を購入しました。
まぁ懐かしさが勝っていたんでしょうね。そんなに美味しいと思いませんでした。が、息子や娘や孫たちは
珍しさからか「美味しい美味しい」と言ってほとんどを持って帰って食べてしまいました

今の給食は “ご飯” や “うどん”、“ラーメン” まで出るようですが、ひげのころの主食は “コッペパン”
“六甲マーガリン” が付いていましたが、固いんだこれが
冬場はパンやマーガリンをストーブで温めていました。
小さい器には牛乳ですが、ひげのころは脱脂粉乳でしたね。 脱脂粉乳についてはまた別に書きます。
たまに祭日の前などの給食に “ぜんざい” が出ることも有りました
甘味に飢えていたので美味しかったなぁ 
このころの甘い食べ物を思う時、 “チクロ” だとか “サッカリン” という甘味料が思い浮かびます。
少し調べてみると…〖 チクロは、砂糖の40倍の甘味があるとされる
人工甘味料で、日本では昭和31年に食品添加物に指定された。
チクロは、砂糖に比べ経済性に優れ、加工しやすいなどの利点から、
粉末ジュースや菓子、果物の缶詰などさまざまな食品に使われていた。
チクロを使ったジュースやお菓子は、後味がすっきりしていて
くせのない自然な甘さで、砂糖よりもおいしく感じられた。しかし米国で1968年、発がん性の疑いが指摘され、
日本でも大騒ぎになった。昭和44年、米国で使用が禁止されたのに続き、日本でも添加物の指定が取り消され、
使用禁止になった〗…だそうです
渡辺のジュースの素ですもう一杯…(榎本健一)
おもちがはいって、べたべと、美味しいくらいに旨いんだ (なんのこっちゃ? 汁粉の素・林家三平)
たくさん飲んで、沢山食べたけど… 大丈夫かい、
後の祭りよ~~ 
その2 私たちが小学校に持って行った事の無い物で、
今の子が必ず持っている物…それは “水筒” です。
昔の小学校のグランドの隅には、水道の蛇口が10個位並んだ手洗い場、
足洗い場が有りました(今の学校は教室の前、廊下に手洗い場があります。
のどが渇くと蛇口に向かって口を開け、ゴクゴク飲んでいたものです。
夏の体操の後は頭からその水をかぶって… 気持ち良かったぁ(笑。
あの爽快感を今の子は知らない! 可哀そうに(笑。
水筒と云えば遠足の時に持って行く位で、学校に持って行くことは有りませんでした。
その頃の水筒といえば、アルマイト製のむき出しで、今の水筒のような保温保冷の効果は有りません。
そうそう、水筒のキャップに方位磁石が埋め込まれていましたね。あれ、何だったんでしょうね。
遭難するような場所に行く訳では無し、東西南北が判ったとて、どうって事も無かったような…。
皆さん1度でも役に立った事がありますか(笑。 兵隊さんが使っていた頃の名残りなんでしょうね。
中の栓はコルクだった事も思い出しました。
そうそう遠足に持って行くおやつは「酢こんぶ(都こんぶ)」が定番でした。なんでだろう?
学校でのテストの事を思い出しました
ひげの小学校の頃のテストと云えば、ガリ版印刷でした。
先生はその問題を鉄筆で一字一字ロウ紙に刻んでいたんですね。今の先生は楽ですね。
(違う方面で大変なんでしょうけど) 私が5年生の時に転校したクラスの先生はスパルタでした。
毎日ガリ版で刷った用紙3~4枚の宿題が当たり前、夏休みなど
100枚近い宿題を出していました。同じ様な問題を何度も何度も…
反復教育でした。私はこの先生にとても気に入られ、毎日のように
印刷を手伝わされました。1クラス65人分の宿題4枚で260枚(汗。
少し辛かったのですが、先生に気に入られているのが心地良くて(笑。
帰りにお好み焼きに連れて行ってもらった事も有りました
今なら問題になりそうですね(笑。 とりとめのない文章で失礼
今日の花は 「グラジオラス」 です。



によると… アフリカ、南ヨーロッパ、西アジアなどに200種前後が分布する球根植物です。
その中でも大半の種が南アフリカにあり、さらにその半分以上がケープ地方に集中します。
球根植物ですが、その大きさや形は種により様々です。一般的に園芸品種は上から軽く押しつぶしたような
平たい球形や単なる球形で光沢のある繊維質や紙のような膜質の皮に覆われています。
グラジオラスの球根は正確には「球茎(きゅうけい)」と言って、茎が栄養を蓄えられるように肥大したものです。
身近な球茎として、サトイモやクロッカスなどが挙げられます。



地際から先端のとがった平べったい葉っぱを左右交互に出します。球根からはなく黄を長く伸ばして、
花を穂状に咲かせます。花後はタマゴ型の実をつけてタネを作ります。また、球根のまわりに
木子と呼ばれる小さな球根をつけます(種によっては木子がつかないものもあります)。


園芸では単に「グラジオラス」というと、春植え夏咲きの園芸品種を指します。
それ以外にも春咲きの園芸品種やヨーロッパでは古くから親しまれている「春型」の原種、
数々の園芸品種を生み出す元となった「夏型」「冬型」の原種があります。


名前の由来 グラジオラスの名前はラテン語のグラディウス(剣)からきており、葉の姿に由来します。
歴史 人との関わりは古く、ヨーロッパでは古代ギリシャ時代に球茎を穀物の粉と混ぜて焼いたものを
食用にしていたという記録が残っています。中世には兵士たちのお守りとして用いられていたそうです。


球茎が網目状の皮で包まれており、それが「鎧に似ている→ケガをしない」と験を担いだと言われますが
はっきりしたことはわかりません。 日本には江戸時代末にオランダ人が長崎に持ち込んだのが最初で、
トウショウブ(唐菖蒲)、オランダアヤメなどと呼ばれていました。
“和泉市こども絵画展”…
今日の絵は自治会の文化祭に出品された 「絵手紙」 です。

ひげと同世代の女性の描かれた絵です。 “たまには ゴロ~ンと ひと休みひと休み” …
ですねぇ、ひげも休み休みブログをアップしようと思うのですが、つい毎日書いてしまいます(笑。
過去の 「ひげ爺の子供見守り隊」 の紹介です
2017年01月17日 5年生の仲良し女の子が連れ立って帰って来ました。
「おかえり~」「ただいま、今日なぁ、二人で中央公園に行って走るねん」
「走る? もうマラソン大会は終わったでぇ」
「あんなぁ、お正月に美味しい物をいっぱい食べたやろう? 首回りとか…腰回りとか…」(笑。
「なんや、痩せようってか?」 「おっちゃんは知らんやろうけどヤバいねん」(笑。
「ほうか~、ほいじゃぁビフォーアフターを撮ったろうか?」 「嫌や~」(笑。
2017年01月18日 6年生の女の子が帰って来ました 「おかえり~」
「ただいま~、明日スキーやねん」 「おう、明日か? スキーは初めてか?」 「そやねん…」
「なんか心配そうなの…」 「2つ心配事が有るねんな~」 「なんや?」
「私、眼鏡かけてるやろう? ゴーグル出来るやろか?」(笑。
「なんや、そんな事かい。 眼鏡をかけとるのはお前だけじゃないんじゃけぇ、
眼鏡の上からでも出来るようになっとるよ~。 ほいでもう一つは何や?」
「あんな~私ドンクサイやろう、リフト、上手く乗れるやろか?」(笑。
「おうおう、乗るのは簡単じゃけど、降りる方が難しいで。 着いたらすぐ逃げんなら
後からリフトに押されるでぇ」 「えぇ~? 嫌やなぁ」
「大丈夫、大丈夫、係員が手を引いてくれるよ」 「ならいいけど…」
初めてって心配なんですね(笑。
その後、ひげが若かった頃のスキーの話になり…
ひげが行ったスキー場はまだリフトが無く、太いロープ(2~3m間隔でコブが作ってある)が
ゲレンデの下と上を繋いでぐるぐる回っていて、それにつかまって上まで昇った事。
前の人が握力が弱く、滑り落ちると下の人までずり落ちる事。
当時のスキー靴は編み上げで、良く雪が靴に滲みて足の先が冷たくなった事。
その靴下をストーブに乾すと湯気が上がった事。
スキーズボンは体操の選手が穿いているような、ジャージの細いもので、寒かった事…
そんな事を話しながら帰りました。
明朝7時20分に学校へ集合し、ハチ高原(兵庫県養父市)に行くのだそうです。
4年生の男の子が帰って来ました 「おかえり~」
「ただいま~。 おっちゃん今日なぁ算数のテストが有って95点やった」
「ほ~、惜しいの。 ほいでどんな問題を間違えたんや?」 「見したろか、チョコくれる?」
「おう、やるやる」(笑。 ランドセルから出して見せてくれました。

「ありゃ~、この前の問題(だんの数を□だん、まわりの長さを〇cmとして、
□と〇の関係を式に表しましょう)は出来とるのに… もったいないの~」
「勘違いしてん」 「ほうかぁ、まぁ分っとるんじゃけぇええよのぅ。 はいチョコ」(笑。
2017年01月24日 小雪のチラつく寒い見守りでした。 下着はヒートテック、
冬用のスポーツウエアに ネックウォーマー、ボアの耳当て、手袋2重… これ以上は無い防寒対策です(笑。
見守りの終わりに中1の女の子(見守っていた子)が2人連れ立って帰って来ました。
私のいでたちを見て 「おっちゃんカッコええ。 写真撮らせて~」(笑。
「おう、男前に撮ってくれや~」 「まかしとき~」 彼女の携帯でカシャ!
ギャッハッハッ… 女の子たちが撮った写真を見て大笑いしています。
「なんや? なにが可笑しい? おっちゃんにも見せてくれや」

「なに? これ!」(笑。 最近の携帯は色んな事が出来るんですねぇ(笑。
グラジオラス全般の花言葉は… 密会・用心・思い出・忘却・勝利
赤い花…堅固・用心深い ピンク色の花…たゆまぬ努力・ひたむきな愛・満足 紫色の花…情熱的な恋








昨日(3日)の予報は “晴” でしたが、久しぶりに予報は大外れでした


終日青空を見ることはなく、どんより曇り空でした(雨が降るほどではない。
それでも気温は高く、最高気温は30.3℃(もう真夏日は珍しくもないですね

妻は予報を信じ、シーツを洗って外干ししていたのですが、カラッと晴れず
臭いと言って、部屋干し用の洗剤で洗いなおしていました

今日の予報も “晴” です。今日はしっかり晴れるんだろうねぇ 終日




最低気温は22.6℃、最高気温は31.8℃(湿度50~60%)を予想しています。京都は37℃の予想らしいですよ

明日はもう “曇のち雨” で、晴天は続きませんね。この先…



今日は各地で今年一番の気温になるそうです 熱中症対策… “喉が渇く前に給水を” と呼び掛けています。
〖昔はこうだった話〗もう何度かアップした事が有るので、またか とお思いでしょうが、新しいブロ友さんも
出来ましたし、改めて読んでいただき “あぁそうだったそうだった” と懐かしんでいただければ嬉しいです。


子供たちの持ち物で私たちの小学生時代と違う事が2つ有ります。
その1 私たちが必ず小学校に持って行った物で、今の子が持っていない物…
それは “給食袋” です。 中にアルマイトの食器が3つ入っていましたね。
コッペパンを乗せるお皿と、おかずを入れる中ぐらいの容器、脱脂粉乳を入れる
小さい容器の3つでワンセットでした。
それをランドセルのフックに掛けてガチャガチャいわせながら通ったものです。
今では食器は学校が管理し、ちゃんと洗ってくれているのでしょうね。
ひげの給食のころは、放課後、学校を休んだ友達に給食のパンを届けていましたが、今はそれはしませんね。
食糧難の時代ならではだったのでしょう。


あの頃給食で食べた鯨肉の “竜田揚げ”… 味はともかく、あのモサモサした食感(いつまでも噛み切れない)
を思い出します(笑。カレーに入っている肉も鯨肉でした。 今思えば贅沢だった?(笑。
あれは何才くらいだったか(中学生?)、友達の家で遊んでいて、お昼にカレーをよばれました。
? 入っている肉が「クジラ肉じゃない!」



まぁ懐かしさが勝っていたんでしょうね。そんなに美味しいと思いませんでした。が、息子や娘や孫たちは
珍しさからか「美味しい美味しい」と言ってほとんどを持って帰って食べてしまいました



今の給食は “ご飯” や “うどん”、“ラーメン” まで出るようですが、ひげのころの主食は “コッペパン”

“六甲マーガリン” が付いていましたが、固いんだこれが

小さい器には牛乳ですが、ひげのころは脱脂粉乳でしたね。 脱脂粉乳についてはまた別に書きます。
たまに祭日の前などの給食に “ぜんざい” が出ることも有りました


このころの甘い食べ物を思う時、 “チクロ” だとか “サッカリン” という甘味料が思い浮かびます。

人工甘味料で、日本では昭和31年に食品添加物に指定された。
チクロは、砂糖に比べ経済性に優れ、加工しやすいなどの利点から、
粉末ジュースや菓子、果物の缶詰などさまざまな食品に使われていた。
チクロを使ったジュースやお菓子は、後味がすっきりしていて
くせのない自然な甘さで、砂糖よりもおいしく感じられた。しかし米国で1968年、発がん性の疑いが指摘され、
日本でも大騒ぎになった。昭和44年、米国で使用が禁止されたのに続き、日本でも添加物の指定が取り消され、
使用禁止になった〗…だそうです



たくさん飲んで、沢山食べたけど… 大丈夫かい、



今の子が必ず持っている物…それは “水筒” です。
昔の小学校のグランドの隅には、水道の蛇口が10個位並んだ手洗い場、
足洗い場が有りました(今の学校は教室の前、廊下に手洗い場があります。
のどが渇くと蛇口に向かって口を開け、ゴクゴク飲んでいたものです。
夏の体操の後は頭からその水をかぶって… 気持ち良かったぁ(笑。
あの爽快感を今の子は知らない! 可哀そうに(笑。



水筒と云えば遠足の時に持って行く位で、学校に持って行くことは有りませんでした。
その頃の水筒といえば、アルマイト製のむき出しで、今の水筒のような保温保冷の効果は有りません。
そうそう、水筒のキャップに方位磁石が埋め込まれていましたね。あれ、何だったんでしょうね。
遭難するような場所に行く訳では無し、東西南北が判ったとて、どうって事も無かったような…。
皆さん1度でも役に立った事がありますか(笑。 兵隊さんが使っていた頃の名残りなんでしょうね。
中の栓はコルクだった事も思い出しました。
そうそう遠足に持って行くおやつは「酢こんぶ(都こんぶ)」が定番でした。なんでだろう?

学校でのテストの事を思い出しました

先生はその問題を鉄筆で一字一字ロウ紙に刻んでいたんですね。今の先生は楽ですね。
(違う方面で大変なんでしょうけど) 私が5年生の時に転校したクラスの先生はスパルタでした。

100枚近い宿題を出していました。同じ様な問題を何度も何度も…
反復教育でした。私はこの先生にとても気に入られ、毎日のように
印刷を手伝わされました。1クラス65人分の宿題4枚で260枚(汗。
少し辛かったのですが、先生に気に入られているのが心地良くて(笑。
帰りにお好み焼きに連れて行ってもらった事も有りました

今なら問題になりそうですね(笑。 とりとめのない文章で失礼






その中でも大半の種が南アフリカにあり、さらにその半分以上がケープ地方に集中します。
球根植物ですが、その大きさや形は種により様々です。一般的に園芸品種は上から軽く押しつぶしたような
平たい球形や単なる球形で光沢のある繊維質や紙のような膜質の皮に覆われています。
グラジオラスの球根は正確には「球茎(きゅうけい)」と言って、茎が栄養を蓄えられるように肥大したものです。
身近な球茎として、サトイモやクロッカスなどが挙げられます。



地際から先端のとがった平べったい葉っぱを左右交互に出します。球根からはなく黄を長く伸ばして、
花を穂状に咲かせます。花後はタマゴ型の実をつけてタネを作ります。また、球根のまわりに
木子と呼ばれる小さな球根をつけます(種によっては木子がつかないものもあります)。


園芸では単に「グラジオラス」というと、春植え夏咲きの園芸品種を指します。
それ以外にも春咲きの園芸品種やヨーロッパでは古くから親しまれている「春型」の原種、
数々の園芸品種を生み出す元となった「夏型」「冬型」の原種があります。


名前の由来 グラジオラスの名前はラテン語のグラディウス(剣)からきており、葉の姿に由来します。
歴史 人との関わりは古く、ヨーロッパでは古代ギリシャ時代に球茎を穀物の粉と混ぜて焼いたものを
食用にしていたという記録が残っています。中世には兵士たちのお守りとして用いられていたそうです。


球茎が網目状の皮で包まれており、それが「鎧に似ている→ケガをしない」と験を担いだと言われますが
はっきりしたことはわかりません。 日本には江戸時代末にオランダ人が長崎に持ち込んだのが最初で、
トウショウブ(唐菖蒲)、オランダアヤメなどと呼ばれていました。
“和泉市こども絵画展”…


ひげと同世代の女性の描かれた絵です。 “たまには ゴロ~ンと ひと休みひと休み” …
ですねぇ、ひげも休み休みブログをアップしようと思うのですが、つい毎日書いてしまいます(笑。


「おかえり~」「ただいま、今日なぁ、二人で中央公園に行って走るねん」
「走る? もうマラソン大会は終わったでぇ」
「あんなぁ、お正月に美味しい物をいっぱい食べたやろう? 首回りとか…腰回りとか…」(笑。
「なんや、痩せようってか?」 「おっちゃんは知らんやろうけどヤバいねん」(笑。
「ほうか~、ほいじゃぁビフォーアフターを撮ったろうか?」 「嫌や~」(笑。

「ただいま~、明日スキーやねん」 「おう、明日か? スキーは初めてか?」 「そやねん…」
「なんか心配そうなの…」 「2つ心配事が有るねんな~」 「なんや?」
「私、眼鏡かけてるやろう? ゴーグル出来るやろか?」(笑。
「なんや、そんな事かい。 眼鏡をかけとるのはお前だけじゃないんじゃけぇ、
眼鏡の上からでも出来るようになっとるよ~。 ほいでもう一つは何や?」
「あんな~私ドンクサイやろう、リフト、上手く乗れるやろか?」(笑。
「おうおう、乗るのは簡単じゃけど、降りる方が難しいで。 着いたらすぐ逃げんなら
後からリフトに押されるでぇ」 「えぇ~? 嫌やなぁ」
「大丈夫、大丈夫、係員が手を引いてくれるよ」 「ならいいけど…」
初めてって心配なんですね(笑。
その後、ひげが若かった頃のスキーの話になり…
ひげが行ったスキー場はまだリフトが無く、太いロープ(2~3m間隔でコブが作ってある)が
ゲレンデの下と上を繋いでぐるぐる回っていて、それにつかまって上まで昇った事。
前の人が握力が弱く、滑り落ちると下の人までずり落ちる事。
当時のスキー靴は編み上げで、良く雪が靴に滲みて足の先が冷たくなった事。
その靴下をストーブに乾すと湯気が上がった事。
スキーズボンは体操の選手が穿いているような、ジャージの細いもので、寒かった事…
そんな事を話しながら帰りました。
明朝7時20分に学校へ集合し、ハチ高原(兵庫県養父市)に行くのだそうです。

「ただいま~。 おっちゃん今日なぁ算数のテストが有って95点やった」
「ほ~、惜しいの。 ほいでどんな問題を間違えたんや?」 「見したろか、チョコくれる?」
「おう、やるやる」(笑。 ランドセルから出して見せてくれました。

「ありゃ~、この前の問題(だんの数を□だん、まわりの長さを〇cmとして、
□と〇の関係を式に表しましょう)は出来とるのに… もったいないの~」
「勘違いしてん」 「ほうかぁ、まぁ分っとるんじゃけぇええよのぅ。 はいチョコ」(笑。

冬用のスポーツウエアに ネックウォーマー、ボアの耳当て、手袋2重… これ以上は無い防寒対策です(笑。
見守りの終わりに中1の女の子(見守っていた子)が2人連れ立って帰って来ました。
私のいでたちを見て 「おっちゃんカッコええ。 写真撮らせて~」(笑。
「おう、男前に撮ってくれや~」 「まかしとき~」 彼女の携帯でカシャ!
ギャッハッハッ… 女の子たちが撮った写真を見て大笑いしています。
「なんや? なにが可笑しい? おっちゃんにも見せてくれや」

「なに? これ!」(笑。 最近の携帯は色んな事が出来るんですねぇ(笑。