日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

外国人研修生

2007-07-20 12:05:01 | Weblog
 外国人研修生のことが問題になっている。研修生からもお金を取り、受け入れ先からもお金を二重に取っているのだ。氷山の一角で終わればいいが。
 本来の目的は、日本での研修にあるはず。しかし実態は、研修生は家への仕送りが主目的で、日本側としては安上がりな労働力が主目的となっていることは否めないだろう。
 インドネシアの多くの研修生と懇意にしていたので彼らからの話で得ることが出来た知識であるが(約10年前のことなので、今はどうだかわからない)。3万が小遣いで、3万がそこでの生活費で、最低賃金(もあるのかなあ)で働いていた。日本人がしたがらない仕事をさせ、ケガをしても、お粗末な治し方をしていた(その実態を知って、同情していた)。彼らにしてみれが、本国に3万送れるだけで満足している様であった。多くの人が、又、来たいと言われていた。
 日本では、殆どが集団生活をしていて、その周りの住民との交流は実に少ない。こちらに来る人は、それなりのエリ一トで、それなりの試験があり、又日本に来てからも日本語の試験を時々受けていた。
 インドネシアの研修生の場合、一番の問題は、来る時に10万ほどのお金が必要なことで(後で返してもらえる)、それを親戚から集めるのが大変とのことであった。インドネシアで10万円なんて、スゴイ大金になる。バリに行った時に、ガイドの男性は、月に6000円しか会社からもらっていないと言っていた。又、生活費は、家族で2万前後で生活しているとも言っていた。
 同じ様な感じで、医師の研修医制度の問題があると思う。医師不足の病院は、研修医でも数は医師として普通にカウントされるので、安い給料で雇えればそれに越したことはないと考えている。教える側も、自分のことで精一杯で、充分に教えることは出来ないと自覚している。そんな不自然の中で、ス一パ一ロ一テ一トが実施されている。
 で、そこにどう言うル一トがあるのか定かでないが、派遣を充分にしてももらえる病院とそうでない病院がある。地域医療は、もう、崩壊している。
 原点に戻って、根本から考え方を変えないと、かって医療が崩壊してしまったイギリスの様になりますぞ・・・・?!(イギリスでは、外国人医師が4割を占める?!)

 あるサイトには、イギリスの最近のテロと関連付けて、以下の内容がありました。
 イギリス政府は、サッチャー政権時代に小泉政権と同じくNHSへの予算を削減することで医療費を大幅に削減しました。それにともなってイギリス人医師の給与や待遇も悪くなり、多くの優秀なイギリス人医師がアメリカへと移住し、アメリカで医者をするようになりました。また、残った医師の士気は極端に低下し、その結果、医療崩壊が起きてイギリスの医師が極端に不足しました。
 イギリスのNHSでは日本と違って、専門医の診察を受けるためにはプライマリケア医(いわゆるGeneral Practitioner:GP)の紹介が必要になります。アクセスが大幅に制限されているのです。したがって、医師が不足すると風邪の診療でGPの診察を受けるのに2週間待ち、ガンの専門医の診察を受けるのにトータル半年待ちというようなことが当たり前のようになってきます。待っている間に病状が進行して亡くなるということも多くなってきました。そこで、イギリス政府はどうしたか?
 海外、特にEU諸国、アフリカやアラブ、インドなどから大量に医師を輸入したのです。
 イギリスで医者にかかるとやけに色が黒っぽい人が多いというのはその辺の理由があるからなのです。ちなみに、あまりにイギリスが医師を輸入しすぎたため、アフリカでは優秀な医師が流出し、アフリカの地域医療が崩壊しました。
 ブレア政権になって、この状況を改善しようということでイギリス政府はNHSの予算を増やし、医学部の定員も増やして医師を大量に養成(具体的には1.5倍)しようとしました。でも、この策には一つの大きな落とし穴がありました。一度に大量に医師を養成したため、医師の研修先が足りず、移住して英国医師国家資格を取得(これは他国の医師免許を持っている人が、イギリスの病院で一定期間臨床研修を治めて、一定のレベルが満たされれば認められます)しようを試みていた移民系医師を締め出さざるを得なくなったのです。
 多くの移民系の医師は、故郷から家など財産をすべて売り払ってイギリスに移住してきていました。彼らは2年ほど医師以外の職をしながら、自分が研修病院にマッチングで採用され、英国医師国家資格を取るために研修できる日々を今か今かと待っていたわけです。ところが、移民系医師を締め出すと、彼らは完全に路頭に迷うことになってしまいます。家財道具を売り払っているので故郷に帰ることすら出来ません。
 「イギリスで医師が足りないというから、わざわざ財産を売り払ってまでイギリスに来たのに、イギリス人医学生が増えたからと言って、突然解雇通告をしたり、研修受け入れ拒否をして我々を路頭に迷わせようとしている。人種差別も著しい」彼らにとってイギリス政府の政策はそのように映ったに違いありません。実はここ2年ほど、各地で移民系医師のデモが相次いでいました。
 一つの可能性ではありますが、このようなイギリス政府の移民医師に対する扱いの悪さが今回のテロにつながった可能性は十分にあります。
 ・・・


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為になるかも知れない本(その154)

2007-07-20 06:35:23 | Weblog
○昭和53年2月9日(木)雨のち曇。
 今日も忙しく働いた。一番下っ端だから仕方ない。○○先生の患者さんの検尿とヘプロ一ベテスト(溶連菌の検査で、30分放置した血液を遠沈してその血清を使って凝集反応を見る、結構時間が掛かる)を頼まれてした。外来の患者さんのはしてもいいが、入院の患者さんのは、主治医が責任持ってするべきだ!
○昭和53年2月10日(金)曇。
 心カテをした。大伏在静脈からの切開を○○先生がしてしまった。(僕が主治医なので)僕にてっきりさせると思っていたのだが(その後しばらくして、二外科の心臓外科医K先生の助言で、穿刺法に変わった)。PSはあり、ASDも怪しい。当直の日だったが、暇だった。病棟も落ち着いている。県病もあまり忙しくないとのこと。医療費が上がったので患者さんが来なくなったのかなあ?温かい天気のせいもあるのかなあ。
○昭和53年2月11日(土)曇。
 (大学の同級生で、同じテニス部だった)○○君の結婚式があった(今も、連絡を取り合っている)。○○とも会った(やはり、大学の同級生で、テニス部でペア一を組んでいて、彼は前衛だった。ずっと連絡を取り合っている)。皆、相変わらずって感じだ。民医連の同級生の友達が沢山来ていた。民医連の人達は、医療にとても積極的な感じがする。僕も卒業前に民医連に入る様に勧められたが、僕にはどうしても一つのイデオロギ一で医療することに賛同できなかった。それは今でも同じ。民医連では、大学と違って初めから給与も保証されていて、ちゃんとしたカリキュラムもあって、忙しいけど3年もすると臨床家としては立派になっている。
○昭和53年2月13日(月)曇。
 夕方、○○先生から、抄読会の準備をと言われた。僕は、「やります」と答えたが、前の週も僕だったのだ。上の○○先生なんか、医局でビックコミックの雑紙なんか見ていて、暇そうだ。何で僕にばかり仕事ばかりを押し付けてくるのかなあ。
○昭和53年2月14日(火)晴。
 今日はとても忙しかった。午前中が心臓外来だった。それから教授回診があって、僕が抄読会で発表した。何とこの忙しいのに2つも発表した。それが終わってから当直であった。しかもこの日入院を一人受け持ってしまった。僕は文句も言わずに、黙々と頑張っている。パパになるから、ファイトがあるのだ。
○昭和53年2月15日(水)晴。
 水曜日は外来当番ではないが、いつも僕は外来に行っている。何故か、水曜日が一番伸び伸びと診療できる感じだ。近頃、スライド撮りに凝っている。思うに、これは財産だと思う(最終的には、教授の依頼で自分が教室のスライド整理係になり、教材を分野別に整理して行った)。スライドを使って講義するのとしないのでは、学生さんにとっては雲泥の違いだ。
○昭和53年2月16日(木)曇。
 羞恥心の塊の恵ちゃんは、明日、勇気を出して大学病院産婦人科にかかりそうな雰囲気なのです。頑張ってネ。

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