
11月になってしまった。県病院を巣立ってまる1ヶ月が過ぎた。県病院でメチャクチャいろんな患者さんを診たなあ。今考えると、結構いい医療をしたこともあったなあ。大学には、いつまでいるかなあ。佐伯に近い県立延岡病院には行けないのかなあ?育児相談で、90分間で40人診察した。
○昭和52年11月2日(水)晴。
鼻水が出て(元々自分には、アレルギ一性鼻炎がある)、アナムネ一ゼを取る時に、とてもつらかった。一昨日と同じく外来は20名であった。月曜と比較すると、スム一ズに進んだ。明日は休みだから、充分に休養が取れるなあ。
○昭和52年11月4日(金)晴。
月が20人、水が20人、今日は、13人であった。県病と比較すると、極端に少ない。これでは勉強できないなあ。病棟が始まると、少し忙しくなるかなあ?
○昭和52年11月10日(木)晴。
この日から病棟が稼働し、僕の患者さんが小児科第1号であった。リウマチ熱の患者さんであった。この日、当直であった。当直室もきれいで、風呂もバッチリ入った。
○昭和52年11月12日(土)晴。
○○小児科に行った(代診)。朝7時40分からタクシ一で行き、朝の9時からいきなりバンバン診て13:30までし、1時間30分も休んで、再び診て、17時までして、25.000円(交通費込み)ももらってしまった。タクシ一代が5.000円もしたので、帰りはバスで帰った。診察の初めに腸重積症が来て、外科に送った(後で、うまく整復出来たとの電話をもらった)。自分も、ちゃんとした小児科医なんだなあと思った。