日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

為になるかも知れない本(その147)

2007-07-13 07:48:55 | Weblog
○昭和52年11月1日(火)晴。
 11月になってしまった。県病院を巣立ってまる1ヶ月が過ぎた。県病院でメチャクチャいろんな患者さんを診たなあ。今考えると、結構いい医療をしたこともあったなあ。大学には、いつまでいるかなあ。佐伯に近い県立延岡病院には行けないのかなあ?育児相談で、90分間で40人診察した。
○昭和52年11月2日(水)晴。
 鼻水が出て(元々自分には、アレルギ一性鼻炎がある)、アナムネ一ゼを取る時に、とてもつらかった。一昨日と同じく外来は20名であった。月曜と比較すると、スム一ズに進んだ。明日は休みだから、充分に休養が取れるなあ。
○昭和52年11月4日(金)晴。
 月が20人、水が20人、今日は、13人であった。県病と比較すると、極端に少ない。これでは勉強できないなあ。病棟が始まると、少し忙しくなるかなあ?
○昭和52年11月10日(木)晴。
 この日から病棟が稼働し、僕の患者さんが小児科第1号であった。リウマチ熱の患者さんであった。この日、当直であった。当直室もきれいで、風呂もバッチリ入った。
○昭和52年11月12日(土)晴。
 ○○小児科に行った(代診)。朝7時40分からタクシ一で行き、朝の9時からいきなりバンバン診て13:30までし、1時間30分も休んで、再び診て、17時までして、25.000円(交通費込み)ももらってしまった。タクシ一代が5.000円もしたので、帰りはバスで帰った。診察の初めに腸重積症が来て、外科に送った(後で、うまく整復出来たとの電話をもらった)。自分も、ちゃんとした小児科医なんだなあと思った。


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為になるかも知れない本(その146)

2007-07-13 07:12:43 | Weblog
○昭和52年10月23日(日)晴。
 久し振りにゆっくりした。日曜日にこんなにゆっくりしたこと、本当に久し振りだ。家で何もしない感じでゴロンとしていた。大学ってとても威厳がある感じだが、実際の中身はどうかなあ。新設何てスタッフ不足だ。教授一人(H教授、先天性心疾患などの循環器)、助教授一人(O助教授、染色体異常などの先天異常)、講師一人(X講師、代謝・内分泌)、後、自分を含めて助手が4人(S助手・M助手・Y助手・田原、全て循環器)、わずか7名で診療から教育からリサ一チまで、ちゃんと出来るのかなあ?研修医はいない。31日から診療が始まれば、忙しくなるだろうなあ。
○昭和52年10月27日(木)晴。
 近頃、少し痩せていることに気が付いた(嬉しい)。この調子で行けば、今年の終わりまでには、65Kgを切れるかも知れない。心臓外来があって県病まで行った。とても忙しかった。フェニックス病棟に自分の作った本を持って行った。小児科医局に4冊あげた。
○昭和52年10月29日(晴)。
 開院記念日であった。
○昭和52年10月30日(日)(曇)。
 家から一歩も出なかった。のどが痛い。県病に行った時にもらったウイルスかなあ。もう、ここに来て1カ月も経つのだなあ。仕事らしい仕事は何もしてこなかった。給料だけバッチリもらっている感じだ。これに、ボ一ナスがあるんだなあ。毎月、当直料があり(平日1万、5人で回す)、バイトがあれば、20万近くになるかなあ。
○昭和52年10月31日(月)晴、8:05記。
 今日から、診療開始だ。カゼ気味で調子がよくない。明日は育児相談があるし、今週中にスライドが出来上がっていないといけないなあ。


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