日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

異性学その6

2007-07-05 06:07:26 | Weblog
 男性の場合は、自分でそれなりに責任を取ろうとする。しかし、女性の場合は、いささか難しくなる。
 あるナ一スが次の様に私に言った、「私としては他にその時に好きな人がいた。しかし、あの人が、お前がいない人生なんて考えられないと言って、私がいなければこの人は駄目になると思って(結婚)」と。
 女性は、何かことが起きた時、自分が間違っていたと進んで言うことはない。自己防衛本能が強い女性は、自分の非を認めようとはなかなかしないもの。
 女性には、誤りをはっきりと指摘しないことが賢明である。皆の前で注意することなどは、極力避けるべきこと。始末書を書かせることなどはもっての他である。
 本人が誤りに気付いていれば、さりげなく小さな声でそっと言うこと。そして、女性を叱っても最後は必ず花を持たせること。
 「今回は、たまたま、貴方らしくないことをしてそうなったけど、すごく落ち込んでいると思うけど、今からは、それをバネにして頑張って欲しい。貴方ならちゃんと立ち直って立派にやって行けるはず」って感じで同情する感じで励ましてあげること。その時、間違ったその点だけを延べ、人格や性格を全部否定する感じの発言は、絶対に避けること。
 その女性の誤りの指摘が正しくても、いや、むしろ指摘が正しければ正しいほど、白黒付ける様にすればする程、女性は逆に怒りが強くなってくる。
 男性社会の中では、自分が一方的に損をしてけじめを付け、責任を取る訓練が出来ているのであるが、女性の場合、謝罪させてけじめを付けるさせるのは、百害あって一利なしである。



教訓6:女性には、過ちをはっきりとさせないこと。

あるアドバイス6:男性の中に、責任を取ろうとしない男がいれば、それは、女性からみれば、最低の男に見えるであろう。注意しましょう。


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為になるかも知れない本(その139)

2007-07-05 06:03:36 | Weblog
○昭和52年6月21日(火)曇。(今から20年前に記載した私の日記です。当時の診療記録も、しっかりと保管しています)
 よく働いた。朝4:30に起こされた。話を聞くと、1時から熱が出ていると言う。子どもの見方に付いていろいろ説明するのだが聞く耳はない感じで薬だけくれって感じだ。医者はいつでも診療してくれる哲人みたいに思っているのだろうか。それとも、医者だから深夜でも診るのは当然と思っているのだろうか。アスピリンだけ処方して帰した。睡眠不足のせいか、○○ちゃんの朝の採血がスッと行かなくて、ナ一スから小言を言われた。
○昭和52年7月1日(金)晴。
 今日から小児科病棟では冷房が入って涼しくなった(研修医の時は、家ではエアコンが買えなくて、ファンの付いた安いのを買っていた)。もう、7月に入ってしまった。早いものだ。1年目と1カ月が経ってしまったのだ。1年前の自分と比べると信じられない位に腕が上がっている。病棟のナ一スに、心電図と遺伝の講義をした(「ナ一スの為の心電図の見方」という小冊子を作成した)。
○昭和52年7月5日(火)晴。
 僕がもしも開業したら、はやるかなあ?よく説明してあげたい。入院設備を持ちたい。朝早くから診療したい。難しいのは送ることだなあ。心疾患だけは、ちゃんと診断を付けてあげたいなあ。先天異常の見方は、大学に行けば、覚えられるだろう。
○昭和52年7月6日(水)晴。
 大学に行ったら、僕はどんな感じになるのだろうか?教えることはとても好きだし、試験問題を作ることなんか大好きだ。診療もそれに劣らず好き。しかし、大学には、研究がある。この研究の論文数や内容で大学人の評価が決まる。僕には研究の頭はナイ。しかし、川崎医大の柴田進先生は言われていた、「研究は、決して頭の良い必要はない」と。それで行けば、未開発の領域が小児科にはまだ多いので、何とかやって行けそうな気もするけど。

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