日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

文部科学省&厚生労働省殿

2007-07-03 21:39:26 | Weblog
 文部省が文部科学省に、厚生省が厚生労働省になっているが、何ら大きな変化、感じられない。そもそも、教育と医療に、お金のことを最優先する考え方が間違っていると思う。
 もっと教育に国はお金を掛けて欲しい。それが上手くいっていないから、NOVAの様なお金儲けを主とする教育産業が盛んになってくる。もっと医療に国はお金を掛けて欲しい。それが上手くいっていないから、コムスンの様なお金儲けを主とする医療福祉産業が盛んになってくる。
 防衛省も、(こんなに肥大して大変なことになっているのに)その長の久間章生防衛相が、「投下されたのは、しょうがなかった」といった感じの誤解を招く様な発言をし、それを擁護するかの発言を総理までが当初していた。辞任の理由が、与党に迷惑を掛けていることがわかったからとのことで、何ともお粗末。この国は、一体どうなっているのだ!どんな時にもあんな大量破壊兵器を使用すべきでないことは自明の理である、しかもそれを2つも予告なしに落とすなんて絶対に容認出来ない!
 今、日本の軍事費の高さは世界で5番目。平和日本はどこへ行こうとしているのか?今の政治家に任せて本当に大丈夫なのか?!
 そんな(人殺しに使う為の)お金を削って、教育や医療に回して欲しい。日本人だけ平和になっても、この国際社会では、意味がないではないか。

 厚生省のしていることでずっとおかしく思っていて、それに付いてマスコミが殆ど取り上げないことを上げたい。それは、医師や看護師の国家試験の問題である。(他の国家試験も、問題があるかも知れないが、私個人がそのことに関して詳しくないので割愛)
 昔は、医師国家試験も看護師国家試験も、春と秋にあった。卒業試験さえパスすればいい、後は半年掛けて国試の勉強するから何て感じで、今よりも気楽に(でもないが)学生生活を送っていた。それがいつもまにか、年に1回、これって何故?少なくとも6年間も大学生活を送ってきた医師の場合には、他の道が(歳を取っていることもあったりして)選びにくいのに。
 医師の国試の問題が昔と比べて格段に難しくなっている(マスコミは、質が落ちたからと言っているが、とんだ間違いである!!)。地雷の問題まである。それなりに国試の勉強をしていないと、学校の講義だけでは難しい。多くの大学で国家試験対策委員会が学生の間で設立され、いろんな情報が飛び交っている。それにさくエネルギ一は莫大だ。そして、その合格率も、問題の難易度に関係なく、上からの働きで操作されている感じがずっとしている。
 看護師の問題に至っては、もっとはっきりとしていて、ある年の問題があまりにも難しくて、受験生の多くが厚生省にその苦情を沢山のメイルで訴えたら、翌年易い問題になったとか。その時の問題、業者により、正解例が10以上の問題で違っていたとか。
 ドクタ一もナ一スも、どんなに受験勉強しても、厚生労働省や文部科学省から、合格率をかってに操作されているとしたら、受験生にとってこんな不幸なことはない。疑う価値は充分にあると思うが・・・(100回目の医師国試で、合格率が、ちょうど切りのいい90.0%でしたが)。



 とあるサイトの内容には、次の様に説明されている。
出題基準
司法試験のように出題科目が限定されているのではなく、基礎医学・臨床医学・社会医学などすべての医学関連科目が出題範囲である。また、科目ごとの試験ではなく、すべての科目を取り混ぜた総合問題形式である。それぞれの専門分野から選出された医師国家試験委員によって、考案され、出題される。

医師として知っておくべき内容を出題するとして、4年に1度「医師国家試験出題基準」が出され、そこに挙がっている項目、疾患、症候等を基本として出題される。しかし、全科に渡って膨大な項目数であり、試験委員の意向によってはかなりの奇問も出題され、専門の医師ですら解答に困難な問題も少なくない。

世間では「医師なら誰でも解ける内容」と誤解されがちだが、医学関連の全分野から出題され、また、それぞれの専門分野における最新の知見に基づいて出題されるため、出題範囲は極めて広く、専門分野以外の問題については、主要領域等を除いて、ベテランの医師ほど解答に苦慮するとさえ言える。

諸外国の医師国家試験は、医学生~専門医まで何段階かの試験段階制度を施行しているものが多く、徐々に専門領域の試験となっていくものが多いが、日本の場合、国家資格としての試験は「医師国家試験」1回であり(国家試験ではないが共用試験が医学生の時の最初の関門になる)、また日本の「医師」という国家資格は名目上、歯科を除くすべての「診療科」を扱うことが出来る資格であるため、1回の「医師国家試験」で問われる領域は限りなく広くなり、個々の問題の難易よりも、出題範囲の広さから、世界的に見ても難度の高い試験となっている。

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異性学その5

2007-07-03 07:58:21 | Weblog
 女性は、常に、褒め続けなければいけない。もちろん、結婚してもである。そう、息を引き取るまで、誉め続けるべきであろう。
 男性は、社長に1回褒められれば何年でも覚えている。「お前は、普通の人間じゃない。お前が陰でどんなに頑張っているか、俺はちゃんと知っている。お前の価値は、俺が一番よく知っている。本当は、もっと給料を上げたいんだが、・・・」何て酒の席でトップの人に言われれば、もう、給料の額何てどうでもいい、どんな苦しいことがあってもこのトップの為に頑張ろうと男なら思うもの。それが、定年までいや退職してもしっかりと覚えているだろう。
 しかし、女性では、今日褒めても明日になればゼロになってしまう。これ、男性には信じ難いことだが、本当なのである。 (たはら小児科医院で働いていた結婚前の)ナ一スが私に言った、「彼が、もうこれが最初で最後だからと言って、愛していると言ってくれた。でも、もう分かり切っているから言わんと言うんで、何で?」と。彼は、誰が見ても好青年で、超一流の板前で、そんなに何度も愛を告白するタイプでない(男納得)。
 ある男性が、結婚前に、毎日愛していると言うことを妻に約束した。新婚当時は良かった。しかし、年限が過ぎ、仕事に行き詰まったり疲れたりした時、そんな日でも言わないといけないのが苦痛になってきた。いっそ、もう、今後言わないと言おうかとも思った。しかし、男の一言は法律よりも重いって感じに思っているその男性には、どうしても言えずに、今も苦痛を感じながらも、一日1回、悩んみながらも、言っている。
 男は1回、女は90回、これをある人は、「1対90の法則」と言った。男性の場合、何回も褒めると何か別の意味があるのではと却って不審を抱く。しかし女性の場合には、全くその心配はいらない。くどいくらいに繰り返し繰り返し褒めれば、その効果は驚くほど上がる。退社率の高い会社を見ると、賞賛のシステムの出来ていない職場が実に多い。
 しかし、注意すべき点は、人前で一人だけ女性を褒めないこと。自分中心に生きている女性は、他の女性が褒められることに素直に喜べない。
 ある心理学者の実験で、同じきれいな女性の絵だが、瞳の大きさだけを違えて見せた。男性は、瞳の大きな女性の方に共感を抱いた。しかし、女性は、瞳の大きな女性の方に嫌悪感を抱く結果を得た。これは、かなりの例で同じ結果が追試されている。
 男同士である人のことを言う時に、しかしなあ、あいつは、こんないい所もある何て最後に褒めることが多い。しかし、女同士の会話では、「先生そう言うけど、本当は、こんな人よ。先生、甘いんだから・・・」何て言って、最後に必ずけなす感じになる。

 
教訓5:女は、繰り返し褒めるべし。



  あるアドバイス5:肥満気味の女性には、「○○さん、前よりも少し痩せたんじゃない」、疲れている女性を見たら、「○○さん、顔色疲れているよ。仕事のし過ぎじゃない」、給料の低い女子職員には、「仕事分もらっていないねえ、(文句を陰で言ってることを知っていても)それなのに文句言わずに、よく頑張ってるねえ」なとど何度も繰り返すこと。これで、女性とのコミュニケ一ションは、以前よりも上手く取れるはずです。

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為になるかも知れない本(その137)

2007-07-03 07:11:12 | Weblog
○昭和52年5月23日(月)晴。(30年前の日記より)
 腸重積の子が来て、山元先生と深夜1:00にやっと整復できた。しかし、再び嘔吐したので、又、透視をして確かめた。放射線科の人が無愛想で、何も協力してくれない。小野先生の時には、あんなに好意的に協力していたのに。僕はどうもこの病院とは、相性が合わない。ナ一スやParaパラ・メディカル(今は、Coコウ・メディカル)の人に腹を立てても意味がないことを最近知ってきた。
○昭和52年5月25日(水)雨。
 先天異常外来があって、ヌ一ナン症候群を診た。大堂先生は、東京の遺伝研究所にしばらく国内留学していて、そこで勉強したらしい。とても勉強になった。午後図書館で研修医の集いをした。外科の研修医はこの病院で満足している様だ。内科の研修医もそんな感じだ。僕はこの先どうなるのかなあ?3カ年沖縄中部病院にいて、その後ハワイ大学でも行ければなあ。今は兎に角ここで吸収吸収できることは総て吸収して去りたい。
○昭和52年5月27日(金)曇。
 大堂先生と(喫茶店)シグナルで話した。今の給料では生活が出来ないので、ここを去って最低限の生活が保障されている沖縄中部病院に行きたいと言った。大堂先生の話はよく理解出来た。大学に行けば最低限の生活は保障してくれるということがよく分かった。自分の結論は次の様になった。立派な臨床家になるには、沖縄中部病院の方がいい。自分がかって夢見ていた立派な先生になるには、(決して教授になることではなく、大学で自分が一番の価値観を置いている教育、つまり、学生にバッチリと教えられる医学部の教官になるには)大学の方がいい。
○昭和52年6月1日(水)曇。
 今日でまる1年が経過した。一年でこんなに自分の心境が違うとは驚きだ。カルテの書き方を改善しなくてはいけない。今日から僕はPOSで書くことにした。僕は宮医大で立派な臨床家として、又立派な教育者として頑張ろうと思う。新生児に関してプロフェショナルな医者になりたい。宮医大と県病院が一つになろうとするのを僕が壊す訳にはいかない。僕の様な前例を作れば、県病にとっても宮医大にとってもプラスになることは全くなく、マイナスになるばかりだ。新生児の勉強を1年間どこかでしてきたいものだ。大学では、脳波と血液と新生児と学生教育を積極的にしたい。
○昭和52年6月2日(木)晴。
 (更新した)自動車免許証をもらった。僕の印鑑があまりにも大きいので、警察の人がビックリしていた。帰って直ぐに医局会に参加した。県の役人が来ていて、宿舎を二人に一室貸すと言う。研修医を人間と思っているのだろうか。高校生と間違っているのではないだろうか。それでも研修医が来るから図に乗っているのだ。

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