日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

佐伯市での3泊4日

2007-07-26 22:34:12 | Weblog
 佐伯に久し振りに帰って、満86歳の母に会い(嬉しそうだった)、私の大太鼓の先生に会い、私の茶道の師匠に会い、いつも行く市立の茶室に行き、いつも行く喫茶店に家内と行き、市役所に行って参議院選挙の不在者投票をし、自宅の片付けをした。
 で、3泊4日で(月曜に帰って木曜の)今日の朝10時07分の「にちりん」で佐伯を経った。大分では、高速バスに乗ろうとしたが、13時の熊本行きが何と高校生で超満員で乗れなかった。仕方なく次の14時30分のまで待って乗った。熊本駅に着いたのは18時30分過ぎだった。少しラッシュだったが、大分のトキワ前から熊本駅まで、何と4時間も掛かっている。遠い。
 で、今回は、佐伯では、今までとちょっと違ったことがあったし、違ったことをしてきた。
 8月11日(土)に、佐伯市の最大イベントである恒例の「花火大会」が催されることになっている。その前にいつもの市民総盆踊り大会がある。
 数年前に、佐伯の港地区の盆踊り大会で、私が会長をしている「日心太鼓」の子ども達に、盆踊り太鼓をとの依頼があり、その指導者として私が選ばれ、その時に子ども達に指導してとても上手に打つことが出来た。そんな子ども達の実績が買われたのだろう、今回、その「日心太鼓」に市民総盆踊り大会での依頼が来た。
 「佐伯音頭」と「佐伯小唄」を打って欲しいと言われた。子どもが中心の方がいいと言ったのだが、是非、自分にも出て打って欲しいと強く言われたので、そうすることにした。
 又、市役所に行って、佐伯市と佐伯市と姉妹都市のグラッドストーン市との交流の現況と、今後自分がそこでしたいこととその受け入れに付いて、毎年そこに行っている係りの人としばらく話をした。
 8月初めのグラッドスト一ン市での最大のイベントの「国際フェスティバル」の時に合わせて、佐伯市から毎年10人程行ってホ一ムステイし、その時に日本文化を紹介している。昨年は「折り紙」「着付け」「書道」をデモしたとのこと。私が行った1.999年には、佐伯市からは私の家族のみが3人行って、私が仕舞と篠笛と和太鼓の演奏をした。(それに、今は、佐伯市の城南中学校とグラッドスト一ンのある中学校が、姉妹校になり、お互いにそこの生徒がホ一ムステイをしている)。

 私の場合、次第に体力がなくなりつつあり、佐伯に帰るのも疲れるぐらいで、太鼓を教えるのもこの先ずっとと言う訳にはいかない。今、私は58歳であるが、60歳になれば、体を壊す前に少しずつ確実に仕事量を減らして行くつもりにしている。
 出来れば、2カ年後の7月から、日本文化を紹介する為に、姉妹都市に3ヶ月間程、滞在していきたいと思っている。出来ればその後数年間。

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12年目のウサギ

2007-07-26 07:52:59 | Weblog
 我が家のオスのウサギは、既に産まれて12年目に入っている。雑種で、長女がもらってきたが、そのウサギの世話は、長いこと家内がしている。白内障が両眼にあり、時々ぶつかっている。昨年までは、椅子の上や飯台の上にピョンと上がっていたが、今はそれはしない。それとやっかいなのは、大きな精巣ガンが出来ていて、次第に大きくなって、ガチョウの玉子ぐらいの大きさになっている為に、とても歩きにくそう。
 毛も何か粗くなっていて、色もあせた感じになっている。以前と比べると、明かに少しやせている。
 「背がなんでウサギってあんなに猫背なのかなあ」と私が言うと、家内が、「ウサギなの、猫背と言う言い方はないでしょ」と言い返される。「ウサギって、どんな人生観を持って生きているのかなあ」と私が言うと、家内が、「ウサギに人生観はないでしょ、ウサギ観でしょ」と言われる。家内が、「ウサギは、夏は暑いと思うよ、毛皮を着ているんだから」と言うので、私が、「耳がラジエタ一みたいになって温度調節しているから、それは心配ないヨ」と言うと、「そう?」と不信そうに言い返してくる。
 家内と私で、ウサギ゛の精巣ガンの手術をするかどうかで討論した。私は、「歳に似合わずにあんなに元気だから、きっと男性ホルモンが腫瘍からどんどん出ているはず。それはそれで体が釣り合っているから、ゴソッと摘出したら、コトンと行くヨ」と言うと、「そう?」と医者の明快なる返答にも不信そう。
  ウサギって、家内の話ではとても賢いとのこと。排尿をちゃんと紙を敷いた所にしないので困っていた。で、ちゃんとするべき所にした時に、撫でたりして褒めち切ってあげたそうな。そしたら、するべき所でする様になったとのこと。つまり、愛情不足だとそれを表現する為に飼い主を困らせる態度に出るとのこと。家内は、これを知って、もっと子ども達を誉めていおけばよかったと述懐している。
 この賢い(?)ウサギからアチコチかじられて、家はボロボロ状態。柵の外に人間が住んでいて、人間の住む面積の方が圧倒的に狭い。暗い中で、ドカッと寝ていることが多いので、踏まない様に細心の注意をして深夜は歩く。家内が出掛ける時は、冷暖房完備だ。今の我が家は、完全にウサギの家って感じた。
 ウサギは、亡くなる時は、コロッと亡くなるみたいだ。今は、いつ亡くなっても不思議でない状態。その時、家内がペットレス症候群にならなければいいがと今から心配している。

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為になるかも知れない本(その160)

2007-07-26 00:54:52 | Weblog
○昭和53年5月14日(日)曇。
 当直の日、朝8:30から忙しかった。Y先生も、昨晩起こされてグッタリしていた。火曜日は抄読会で発表しないといけない。夜、○○君にAHFを入れたのに、ウトウトして元気がない。明日元気になってくれるかなあ、Y先生(元々の主治医)が受け持ってくれるかなあ。
○昭和53年5月15日(月)曇のち雨。
 朝1:30から○○君、けいれんがあり、ちゃんと止まるまでに5:30まで掛かった。とても慌てて、この日は魔の一日だった。○○先生と○○先生がバッチリ診察して、自家中毒症などと言う。1歳に自家中毒などある訳がないのに。○○先生が、主治医をY先生にと言ってくれて代えてもらった。忙しくて、外来に出れなかった。
○昭和53年5月17日(水)晴のち曇。
 3歳児健診に行った。乳児健診と違ってかわいかった。息抜きって感じになって、何度でも行きたいと思った。今日、心音図の聴診を学生さんに教えることが出来なかった(心音図の検査係をしていて、その時に、心臓の聴診の仕方を学生に教えていた)。帰ってみると、○○君が少し元気になっていた。学生さんにも不満があるだろうなあ。計画的にちゃんと教えてあげるといいのになあ。学生の教育、その評価が何にもなされてきてない、これは、問題だ。

*心臓も肺も、膜型になれると耳が馬鹿になってベル型が使えなくなるので(低音の聴診力が低下するので)、初めにベル型に慣れる様に教え込んだ。又、Ⅱ音の分裂に関しては、心音図を見て、その時間を確認させていた。

○昭和53年5月22日(月)晴。
 外科の○○さんと麻酔の○○さんと恵ちゃんの写真を撮った。3ヶ月と6ヶ月と9ヶ月の貴重な妊婦さんの写真を撮ることになる。これは、将来、お宝ですよ。後2、3年後に、私が如何に素晴らしいことをしたかということが理解できるはず。僕の所が男の子で(実際は、女の子であったが)、○○さんと○○さんの子が男の子で(実際は、外科の先生の子どもさんは、女の子)、うちの周一(男の子だったら、周一と名付けることにしていた)が恋敵で醜い争いになったらどうしようかと、全く奇想天外な妄想を今から抱いているのだが。学生二人を受け持った。石川君と有田君だ。二人とも真面目って感じだ。
*当時は、まだ、超音波の性能があまり良くなくて、男女の区別がよくはずれていた。

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