日本の心・さいき

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異性学その13

2007-07-16 07:10:57 | Weblog
 交通事故などで、ショック状態になった時、直ぐに血圧がストンと下がらない。しばらくは、最高血圧が、50mmHg前後で保っている。この時に、直ぐに、適切に点滴をすれば、殆ど助かると思われる。この時間が、明らかに、女性の方が長い。
 人体の体重の13分の1は、全血液量で、その内の3分の1を失うと、ヒトは、死亡すると教わる。しかし、それは、男性に当てはまることであって、ある産科の先生に尋ねてみると、経験豊富なその先生は、「子宮外妊娠なんかで全血液量の半分出血しても、ちゃんと助かってますヨ」、と言われた。
 だから、正確には、男の場合全血液量の3分の1で死亡し、女性の場合は2分の1を超えてようやく死亡すると書き改められるべきである。
 小児の時間外患児の男女別をみても、入院患児の男女別をみても、どこの施設でも、男児の方が多くなっている。入院期間も、男児の方が長い感じがしている。
 じっとしていても、体重当たり、体表面積当たり、奪われていく熱量は、女よりも男が多いし、体を動かせばもっとその差が広がる。
 産まれてからの勝負だけでなく、産まれる前からも、既に勝負が付いている。流産した胎児の男女別では、女100に対して、男140である。
 出産した時は、男105に対して、女100なのに、1歳までに、男の子は、女の子の倍亡くなって、結婚適齢期で、数が同じになり、それから男はどんどん死んで、65歳以上では女100に対して男70でしかなく、85歳以上では女100に対して男50でしかない。
 ソ連とアメリカの宇宙船の第一号には、それぞれメスの犬とメスのサルを乗せた。メスはオスに比べて孤独に強く、忍耐力の面で数段優れているからである。これは動物生理学の分野で広く認められていることであり、もちろん、ヒトにも当てはまる。
 ヒトの場合、独身の男性は、独身の女性よりも10年寿命が短い。周りを見ても気が付くと思うが、配偶者のいる場合でも、配偶者がいなくなると、男性は早死にしている。その点、女性の場合は、独身と既婚者にはさほど差がなく、逆に、早く夫に死に別れした子持ちの女性は、余生生き生きと、逞しく長生きしている様である。
 産後の母親を病院で常に見ていて思うこと。10カ月もお腹を抱えた後に、何時間もの陣痛後に3.000gもある赤ん坊を産み、その後も休むことなく不眠不休で母乳をあげている。退院後も、手を取る育児、協力をどうしても充分にしてもらえない夫の存在。それらを充分に経験しているにも関わらず、もう一人又二番目の子どもが欲しいと言う。もしもこれが男性であれば、男性の半分は痛みで失神し、更にその半分は即死し、お産した男性も、二度と産もうとはしないであろう。
 もしもこの世で核戦争が起きれば、初めに死ぬのは感受性の高い男性で、次に感受性の引い男性で、そして、感受性の高い女性で、最後に逞しい女性が生き残るに違いない。
 弱きもの、汝の名は、男なり。特に昨今、弱くなっていますね。

(参考図書:「解剖学的女性論」渡辺惇一 講談社)

教訓13:弱い女性などいない、反対に、強い男性などいない、これが基本である。
  あるアドバイス13:男は、女の涙に弱い。女は感情が高ぶると涙を流す。それは、強い弱いとは関係ないこと。それに反して、男の涙は、本当の涙だ。

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為になるかも知れない本(その150)

2007-07-16 06:48:56 | Weblog
○昭和52年12月10日(土)晴。
 ○○小児科に(代診で)行った(先生は、物欲の少ない感じの先生で、金儲けそんなにしないでいい主義の先生で、この間、趣味のゴルフにこの時行くことが多かった様である。しかし、学研肌で、心エコ一にも詳しく、循環器の小児科医としては、プロであった)。てごわい感じの人が数人いた。イレウスの感じの子がいて、迷いながらもいつもの外科に送った。麻疹の初期、水痘の初期、百日咳の初期、マイコプラズマ感染症、中毒疹、クウィンケの浮腫など、診断に迷う感じのものが沢山あった。しかし、真の実力を試されている感じで、しんどかったが、結構楽しかった。
○昭和52年12月11日(日)晴。
 疲れていたので、午後から大学に行って処方箋を書き、指示をした。(心筋症の)○○ちゃんの脈がとても速くなっていて、少し慌てた。アミサリンが必要なのかなあ。Kは多くないが、尿酸が高いのが気になる。薬の副作用かなあ?
○昭和52年12月12日(月)曇。
 ○○小児科で送って気になっていた子、急性胃腸炎で入院して退院したとの連絡があった。まあ、軽くなかったと言うことかなあ。子どもの腹痛は難しいなあ。当直だった。ハ一ラ一症候群を受け持った(県病の時に主治医になっていた)。
○昭和52年12月13日(火)曇。
 ハ一ラ一症候群(人間の顔の中で一番醜い顔?と言う人もいる)の子、朝2時に起こされた。心音が異常に亢進して、頻脈になっていた。そして、あっけなく、亡くなってしまった。今まで何度、入退院を繰り返しただろうか。例の如く、ゼクをお願いした(本当は、したくなかった、病名もはっきりしていたから)。「亡くなった時、解剖はしないと主人と前々から話し会って決めていましたので、すみません。先生には、とてもよくして頂いたこと、深く感謝しています」と言われた(H教授は、心臓の所見が知りたかった様であったが、自分としては、ゼクにならなくてホッとした)。

*母親は、とても人間の出来た神様みたいな人で、県病の時から全てに協力的だった。主治医の私が一生懸命に診ていることをよく知っていた。この親から学んだことは多かった。親の愛、特に母親の愛の深さを勉強させて頂いた。
○昭和52年12月15日(木)曇。
 午後、アナリ一ゼをした。
*大学の検査室が、尿沈渣や血液像をしないことになり、自分がすることが多かった。特に、外来の血液のアナリ一ゼは、殆ど自分がした。スゴイ仕事量であった。その片付けまで、ナ一スが、それは私達の仕事ではありませんからと言われて、一番下っ端の自分がするしかなかった(夜遅く帰る前にすることが多かった)。で、いつの間にか、自分が、小児科での検査室の係って感じに思われる様になってしまった。そこで、医学生に、マンツ一マンでそれを教え、ベッドサイドでは、一人一人手を直に取って、触診と打診と聴診を教え込んだ。年齢別に、肝臓だけでなく、脾臓と両方の腎、浮球感を含めて触れる感じを徹底的に教え込んだ。この為にか、医学生から次第に慕われる様になった。

 ○○ちゃん、少し肺でクラックルズが聞こえる。又、心不全になったのかなあ。
*彼女は、余命幾ばくもないないと言われていたので、父親は、病棟でビデオをよく撮っていた。しかし、奇跡が起き、心筋症が改善し、元気になって退院出来た。その後、賀状を定期的にずっと頂いている。今は、茶道を趣味に持ち、医療関係の仕事に就いている。

 県病院で白血病で子どもを亡くした○○さんの両親(心のこもった賀状を欠かさず毎年頂いている)が来た。とても嬉しかった。「亡くなった時、先生から頼まれていたら、解剖してもいいと思っていました」と言われた。僕をこんなにまで信頼してくれる人がいるなんて、僕は幸せだ。僕は、患者さんにとても恵まれてきていると思う。

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