

前の家と違って、とても広い(昨日、引っ越した)。僕の勉強部屋も、とても立派だ。明日から医大で勤務だ。僕はもう県病の職員ではないのだ。文部教官(助手)で、国家公務員なのだ。そう思うと、とても嬉しかった。
○昭和52年10月3日(月)曇。
初出勤だった。大学って、なんかノンビ一リしていて、それでいてエネルギ一をかなり使っている所って感じがした。午後から県病院に行って、統計を執った。同じ人間のカルテ番号があちこちあって、困る。
○昭和52年10月7日(金)曇。
木曜以外は、月曜からずっと未熟児の統計を執る為に県病に行っている。いやになっちゃうなあ。県病にいた時、大学からリサ一チの為に仕事をさせられ、憤りを感じていたが、今度は逆だ。しかし、やっと終わる目途が付いた感じだ。
○昭和52年10月8日(土)晴。
土曜だというのに、県病に行って、未熟児の統計を執った。思った以上に、この統計の仕事は大変だ。来年これを執る人、同情するなあ。
○昭和52年10月9日(日)晴。
この日も、県病に行って、統計を執った。全くいやになっちゃうなあ。
○昭和52年10月10日(月)晴。
体育の日で休みというのに、県病に行って、続きの未熟児の統計を執った。これで終わりかと思うと嬉しい。
○昭和52年10月16日(日)晴。
○○○病院から帰ってきた(15日の午後から、ある病院のバイトに行った)。入院は落ち着いていて、外来は、土曜に蕁麻疹と感冒で二人来ただけだった。何と、一泊で6万550円ももらってしまった。しかも、食事もしっかりと付いていた。スゴイと言うしかない。50人の入院患者を抱えているので、これでも、しっかり採算があっているのだろう。こんな楽なバイトが月にいつも1回あれば、本当にラッキ一なんだがなあ(自分にとっては、こんな高額で楽ないいバイトは、これが最初で最後であった)。