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勤務医の所得税減税を!?

2007-07-21 11:02:29 | Weblog
勤務医の所得税軽減を 
日医、08年度税制改正の重点項目
日刊薬業2007/07/20


 日本医師会は7月18日、2008年度の税制改正要望項目を発表した。30項目のうち、産科医不足や勤務医対策、地域医療対策など、新規の要望が半数の15項目を占めているのが今回の特徴。勤務医対策では、病院に勤務する医師への支援として、小児科や救急医療に携わる医師の所得税を大幅に軽減するよう求めた。
 産科医療対策では、正常分娩による自由診療の所得について事業税の課税対象から除外するよう要望した。また、産科医療の無過失補償制度で、医療機関が支払う保険料の全額を必要経費か損金の扱いとし、被害者が受け取る補償額を所得税の課税対象から除外することも盛り込んだ。
 地域医療対策では、小児科医療や救急医療、在宅医療を担う診療所のほか、医師不足地域の診療所のうち、地域医療の確保上、重要な役割を担う診療所については法人税や所得税を軽減するよう求めた。医師不足地域での診療所の事業承継を支援するため、診療所の土地・建物を後継医師に譲渡する際の譲渡益については、「必要な措置を講ずること」とした。
 また、新医療法人対策では、旧医療法に定められた持ち分のある社団医療法人が、新法で定める持ち分のない医療法人に移行する際に課税が生じないよう求めた。
 例年、要望項目に挙がっている消費税のゼロ税率・軽減税率については、今回も明記した。同日の定例記者会見で、今村聡常任理事は「参院選後に消費税の税率アップが議論される可能性があることから、より強力に要望していく必要がある」と述べた。

 私もかっては20年近く、医師会員であった。で、この案、どうかなあ?それよりも、医師の仕事量を減らす方が優先じゃないのかなあ。更に優先することは、医師を増やすことだと思います。田舎では、当直でなくても、医師一人の科は、本当に24時間完全拘束って感じになっていますので。
 バングラデシュのダッカに行った時に、研修医がいて、産科を研修していて、1週間の内4日間ぶっつづけ24時間働いて、3日間まるまる休んでいた。で、ドクタ一だけには、税が掛からないと喜んでいた。しかし、月給、日本円で当直料を入れても10万円にも満たない。これでは、外国に行く人がいても不思議ではないなあと思ったけど。日本のドクタ一も、その内、優秀な人が(休暇もバッチリ取れて給料もいいので)海外移住何てことにならなければいいけど。


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為になるかも知れない本(その155)

2007-07-21 07:04:27 | Weblog
○昭和53年2月17日(金)晴。
 今日は、恵ちゃんが大学病院行って妊娠8週と1日と言われて帰った日でした。とても恥ずかしかったそうです。だけど、助教授が優しく診察してくれたので、少し満足して帰ってきました。恵ちゃんはこれで母親になることが確定した訳で、これで私もパパになれることになりました。恵ちゃんは、加治木や屋久島や河内に電話していました。とっても嬉しそうでした。
○昭和53年2月18日(土)晴のち曇。
 ○○小児科に(代診で)行った。100人ちょっと診察した。一人一人念を入れて診察した。この3万円は大きな額だなあ、今の我が家にとっては。
○昭和53年2月24日(金)晴。
 初めて心臓までカテ一テルを入れてした。思った以上にスッと入っていった。嬉しかった。麻酔の仕方が良かったのか、あまり痛くなかった様だ。一つ一つ確実にものにしていくしかない。今日は当直で、又一人、受け持ってしまった。
○昭和53年3月3日(金)晴。
 試験監督に行った。学生さん達、一生懸命に書いていた。カンニングする人なんか、全くいない感じだった。宮医大生って、大人しいなあ。
○昭和53年3月7日(火)晴。
 当直明けであったが、○○先生がへたばっていたので、代わりに心臓外来をした。火曜の教授の回診の仕方を、今回から初めにみっちりとデモをして、それからすることになった。
○昭和53年3月8日(水)晴。
 両親が今日来た。県病院に行って、副腎皮質過形のカルテを借りてきた(学会発表の為)。
○昭和53年3月9日(木)晴。
 (largeVSDの)○○○ちゃんのオペを見た(私が小児科での主治医)。低体温法での心臓の手術、初めて見た。スゴイなあ。見る方も、疲れるなあ。
○昭和53年3月10日(金)晴。
 今日心カテに付いてと言われた。急に言われても困ったが、断る勇気はなかった。学会の準備をする予定だったのだが。
○昭和53年3月11日(土)晴。
 今からスライド原稿を書こうかなあと思っていた時に、小林の○○産婦人科から嘔吐の子どもを送るとのこと。長く待って来た。検査をバッチリした。病名がわからない。スゴイ嘔吐だ。腸回転異常かなあ?
*当時は、今と違って、パワーポイントなどはなく、1週間前にスライド原稿が出来ておく必要があった。
○昭和53年3月12日(日)晴。
 とても疲れた。朝3時に寝た。8時に起きた。嘔吐の原因は何かなあ?お袋さんと話す暇なく、お袋さんは午後1時に帰っていた(父は先に帰っていた)。
○昭和53年3月16日(木)晴。
 カゼが少し治ったけど、まだ、本調子になっていない。しかし、今日は当直。幸いに、忙しくなかった。
○昭和53年3月17日(金)晴。
 給料日であった。手取りが20万ないと思っていたが、あった。大学では少ない様でいつも多い。県病では多いようでいつも少なかった。期末手当と○○小児科で、今月は、30万を突破してしまった。(高校の時の生物の)○○先生の二人の子どもさんが、熊大医(浪人後)と大分医(現役)に合格したとのこと(○○先生は、山大医の専門課程の途中で、医師になるのを断念して教師になった。大分医に合格した娘さんは、何になろうか迷っていたが、自分の「為になるかも知れない本」を読んで医学部に行く決意をしたとのこと)。

*文部教官7名が、誤解を解く為に、給料を皆で見せ合った。一番多いのがもちろん教授、しかし、驚いた、いろいろ引かれて30万もない。目を何度も疑った。次が講師、後、助手3人にさほど差がなく20万ちょっと。一番少なかったのが、当直をしない助教授だった。O助教授は、言った、「お金は、必要以上は要らないが、やはり、多い方が何かにつけていいよ」と。H教授は言われた、「いや、女房から助けられましたよ。安月給の時は(教授の奥さんは、保健所勤務の医師)。大学の給料だけでは、とても子どもを大学なんかやれませよ」と。

○昭和53年3月18日(土)曇。
 いい日ではなかった。○○小児科に(代診で)行った。136人診た。疲れた。○○先生から、「患者さんが不安になるので、出来るだけここと同じ処方で」と言われて、少しショックだった。髄膜炎の感じの子がいたので、国立病院に紹介した。
○昭和53年3月19日(日)晴。
 学会の日だった。上がらなかったし、少し大風呂敷を広げ過ぎた感じもした(県病の時、上の先生から、初期嘔吐だろう、その後、肥厚性幽門狭窄症だろうなどと言われて受け持たされたが、かなりしばらくしてからやはりおかしいと思って内分泌を疑って尿の17KSが1以上あったので、AGSと自分が診断したのだ)。質問もなかった。喋る練習をあまりしてなかったのに、自分としては80点の出来と思った。


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