日本の心・さいき

日本の文化を通じて、世界平和を実現させましょう。

為になるかも知れない本(その115)

2007-06-11 07:18:44 | Weblog
 次の内容は、「研修病院の選び方」と題して、川崎市立病院院長、慶応大学内科客員教授でもある勝正孝先生の書かれた内容である(卒業前にもらった)。

一理想的な研修病院一
 いかなる研修病院が最も理想的であるかは、研修を受ける医師の希望と心構えとによっていろいろ異なってくるので、一概には言えないが、ごく一般的には、次の事が言えるように思われる。
(1)自分が研修する科に、実力があり、しかも親切な指導医がたくさん(各専門分野に)いること。
(2)総合病院であって、各科に余り凸凹がなく、しかも各科相互のコミュニケ一ションの良いこと。
(3)第一級の診断、治療のできる最新施設を有すること。例えば、中検、手術室、レントゲン、RI、リハビリテ一ション、特殊医療施設(総合内視鏡、CCU、ICU、腎センタ一、高圧酸素室等)が充実していること。
(4)病歴室、図書室、フォトセンタ一、研究室、教材室等が整備していること。
(5)入院、外来ともに症例が多く、多彩な患者の診察が可能で、手術、分娩等の件数が多いこと。各種の専門外来を実施していること。
(6)CPC、症例検討会、病理示説会、死因検討会、抄読研究会等が全病院及び各科で定期的に活発に行われていること。剖検数と剖検率の高いこと。
(7)学会活動が活発で研修医にも学会発表の機会があり、さらに論文作成まで指導してもらえること。
(8)給与が多額であり、研修医用の宿舎のあること。
 大体以上のような病院であろう。しかし、上の条件すべてを満たす研修病院は、現在のところ、日本には一つもないと言う研修医もいれば、ほぼ満足すべき病院はかなりあると思う人もいる。当然、本人の考え方によって違ってくる訳である。全てを求めて徒に条件の足らざる所を嘆くよりは、足らざる所を自分の努力によってこれらを捉えるくらいの気持ちを持てば、必ずや新しい分野が開けてくるものである。

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為になるかも知れない本(その114)

2007-06-10 07:32:12 | Weblog
○昭和51年9月1日(水)晴。(約31年前の自分の日記より。今は、県病は建て替えて、二次救急病院となっている。当時は、小児の救急医療がどこでも大問題になっていた。宮崎市内の小児科開業医には、どこも入院設備がなっく、深夜の救急は、県病に来ることが多かった。小児に関しては、当番の小児科医が診ていた。)  待望のステレオが来た。実を言うと、恵ちゃんがどうしても欲しいと言うので、買ってしまったのだ。僕としては、借金をしてまでも買おうとは思わなかった(12回払いで、アパートの同じ階の人に、保証人になってもらった)。しかし、ステレオの音とは、いいものだ。
○昭和51年9月7日(火)晴。  本がだいたい出来たので、とても嬉しい。もう少しだ(29ぺ一ジからなる小児科臨床検査の考え方なる小雑誌を殆ど手書きで作成した)。未熟児の統計の生理も、先成君として19時までに終わった。その前に未熟児の眼底を倒像鏡で見た。難しくて、一人前になるには、かなりの熟練が必要だと思った。新生児の取り扱いの上手な医者になりたいものだ。
○昭和51年9月8日(水)曇。  最近、又、帰るのが遅くなっている。出来たら、20時までには帰るべきだ。朝は、7:30には、いつも着いておくべきだ。しかし、○○先生なんか、30万も給料をもらっていて、いつも来るのは朝の9:00過ぎだ。働いた分だけ、金を出せ!
○昭和51年9月9日(木)曇。  もう、3カ月経った。だいぶ慣れた。誰だって、同じ疾患を何度も受け持てば、ある程度は出来だす。当たり前だ。臨床と言うのは、どうしても経験が必要で、経験を積めば、必ずある程度までは行く。こんな病院であれば、1~2年で。しかし、そこから先は平行線の様な気がする。こんな野戦病院に長くいると、理論のない小手先の医者になってしまいそうだ。僕は、病態生理の強い理論家の医者になりたい。

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為になるかも知れない本(その113)

2007-06-09 07:22:45 | Weblog
○昭和51年8月3日(火)晴。
 夏バテしない様にと、梶原先生から皆がうなぎをごちそうになった(毎年、これが慣例になっているみたいだ)。松岡先生が来れなくて寂しかった。腹一杯食べた。最近は、ビ一ルも酒もおいしいとは思わない。肝臓でも悪いのかなあ?二次会は、梶原先生の家に行って、23時過ぎに帰った。恵ちゃんがプクッとふくれているみたいだった。
○昭和51年8月4日(水)晴。
 気が付いたら、8月に入っている。月日の経つのは早いものだ。今日早く帰ったので、恵ちゃんは、死ぬ位嬉しいと言う。
○昭和51年8月9日(月)晴。
 昨日一酸化中毒で死亡した女児のことを一日中考えていた。母子家庭で一人娘。ここでは高圧酸素療法がなかった。自分がとるべきもっといい治療法があったのでは?死んでしまうと、後悔ばかりが残る。憂鬱な一日であった。
○昭和51年8月13日(金)晴。
 先成くんの代わりに当番をした。2.500gのベビ一が○○産婦人科から深夜0:00頃に送って来て、肺出血であった。梶原先生も来てくれて、「新生児の肺出血で助かった例はない」と言う。その前に、腸重積もあって、なかなかスム一ズに行かなくて、大量のレントゲンを浴びてしまった。
○昭和51年8月14日(土)晴。
 急患を9人診た。ヘルバンギ一ナとアフタ性口内炎とアデノウイルスによる咽頭炎の区別、自分にはまだ難しい。病名を正確に当てるのって、かなりいいかげんな所がある気がするなあ。
○昭和51年8月21日(土)晴。
 親と言うのは自分の子どもの事しか考えない。患児の母親は自分の子どもさえ良ければいいって感じだ。しかし、医者は、多くの患者さんをかかえているから、エネルギ一の配分を上手にしないといけない。危ないのは、自然に力を入れている。給料日だったが、前の時よりも少なくてショックだった。
○昭和51年8月27日(金)晴。
 外来で梶原先生が、「聴診してみて」と言ったので、「frei」と言ったら、「bronchial」とのこと。それで、もう一度、肺の聴診と打診を念入りにして、紙に、その部分に、kurz、呼吸音小と、斜線を付けて書いた。レントゲンを撮ったら、バッチリ当たっていたので、嬉しかった。少し自信が付いた(腹部の触診と胸部の打診に関しては、以前から自分なりに自信を持っていた)。
○昭和51年8月29日(日)曇。
 散髪をしたら(お金がないので恵ちゃんからしてもらった)、髪がとても短くなってしまった。恵ちゃんの下手くそ。まあ、涼しくていいか。一週間も経てば目立たなくなるだろう。(今も、家内からしてもらっています。今は、バッチリ上手になっています。ホントに)


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男性の性教育者

2007-06-08 12:25:55 | Weblog
(沖縄タイムス、2007年6月7日 夕刊 1面)

「男性の性教育者」

 沖縄は十代の出産が全国に比べて、二倍も高い。中には中高生も含まれる。親や夫の協力を得て、子育てをしながら卒業する女生徒もいるが、ごくまれ。ほとんどは学業をあきらめざるを得ないようだ。
 双方が生徒の場合、男生徒の親が息子を県外に行かせるなど女生徒側に責任を押し付ける親も少なくないらしい。

 小児科の小濱守安医師が勤務する県立中部病院の事例をまとめたデータによると、成人女性に比べて初診も遅く、赤ちゃんは低体重。未入籍も多い。出産後も、わずか一カ月での離婚や母親がDV(夫や恋人からの暴力)に遭うなどトラブルも抱えがち。十代の出産は、子育て以外でもさまざまな困難が伴うとみてよさそうだ。小濱医師は、赤ちゃんを元気に成長させるために「(親子を)長く外来で診たい。一年ぐらい通ってくれたら大丈夫」と実感している。

 そう話す小濱医師から、目から鱗が落ちる意見を聞いた。この課題を未然に防ぐために「男性の、専門の性教育者による男生徒への性教育が必要。悩みも、性欲求の解消法も具体的に教えられる」と。「十代の男子は性欲求が強く、早く多く欲求を満たしたいと思う。対して女生徒は、彼に嫌われたくない理由だけで拒まない」現実が背景にある。にもかかわらず、科学的専門的に性教育ができる男性は限りなく少ない。

 十代でも出産し、子育てをすると自己決定した女性に「おめでとう、と言える社会をつくらないといけない」と言う小濱医師の思いを共通に持ちたい。(与那嶺一枝)





 男への性教育、・・・まず、ちゃんと学校で教わっている所、ない?!女性の場合は、生理がある関係で、結構、教わっていると思えるが。
 それに反して、現実は、・・・ホテルに宿泊すると、成人ビデオで、まあ、見慣れた人だとそうでもないでしょうが、大学受験生で、そんな世界から隔離されていた人だと、興奮して、一番大切な時に、酷な経験となる。
 周りを見てみるとよく理解できると思われるが、仕事に成功していても、女性関係でも、それで成功するとは、限らない。周囲に、それなりに、いいアドバイスが若い人に与えられる年配の人の存在が必要だと思われる。
 東南アジアに行くと、カラオケ、バ一は、まず、売春婦とくるんでいると思った方が無難である。日本の様に、健全なスナック(カウンタ一から外に出て接客してはいけないことになっている)、世界広しと言えども、極めて少ないと思われる。これは、世界に誇れると私自身は思っている。
 イスラム教のお陰で、世界のエイズの広がりも、性の乱れも、少しセーブされていると思われる。
 サウジアラビアの女性に、直に尋ねた時、「サウジアラビアでは、男性の半分が、一人でなく、複数持っている。別に、女性に非が無くても。お金持ちであればある程、沢山持つ傾向にある」って感じで言われていた。もともと、イスラム教では、多妻は、救済の意味が大きい。しかし、生活の苦しいインドネシアやバングラデシュでは、二人何て、いくらイスラム教の国とは言え、考えられない。仏教国のタイでは、お金持ちが沢山女性を囲っている感じに思えたが、やはり、ここでも、救済の意味が大きい様に感じられた。
 日本の場合は、子どもが出来ても、男性側に、子どもが成人になるまで、ちゃんと面倒を見ないといけないと言う倫理が根本から欠けているケ一スが多い様に思う。


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為になるかも知れない本(その112)

2007-06-08 07:25:19 | Weblog
○昭和51年7月10日(土)曇。
 急患を三人診察した。交換輸血のベビ一、元気に哺乳している。何による黄疸かをいつも考えるべきだと思う。子どもがA型、Rh(+)、母親もA型、Rh(+)、恐らく「特発性高ビリルビン血症」だろう。
○昭和51年7月17日(土)曇。
 山元先生と二人で当番をした。けいれんで3病棟に往診に行った。夜もけいれんが来た。やはり、土・日は多い感じだ。自分も半分医者なんだなあと思った。
○昭和51年7月17日(土)曇。
 「忙しい忙しいと言っても暇はある。マルクのアナリ一ゼをしたり、麻酔に行って挿管を覚えたり、・・・」と松岡先生が僕に言ってくれた。有り難いお言葉。どんなに病棟が忙しくても、遅くとも10時までには終えて、外来に行くようにしよう。「何でもやじ馬根性で診ることだ!」とは、梶原先生の朝の抄読会の時のお言葉だった。後1週間で、まる2カ月になる。初めの2カ月間が一番苦しいとは、オ一ベンの小野先生の言葉。
○昭和51年7月20日(火)晴。
 明日は、給料日(7万3200円だった)、バイト禁止で、時間外手当も、ボ一ナスのかけらも、研修医にはない。大学に行った松岡先生も、「涙が出るほど給料が安くて悲しかった」と言っていた。恵ちゃんが悲しい顔をした。僕が安月給で苦しんでいるのに、周りの人から、自分だけのんびりしている様に思われていると考えて・・・。
○昭和51年7月23日(金)雨。
 小野先生が、いい知らせがあると言うので、よく聞くと、不明熱の主治医になれということだった。これで、受け持ち患者数は、10名。今までに退院させたのは、7名。2ヶ月の間に、これだけもう経験したのだ。テタニ一(ビタミンD依存性クル病)の患児も、ファンコニ一(貧血)の患児も、難しいのだ。
○昭和51年7月26日(月)晴。
 朝、小野先生のCPの患者さんが死にかけていて、先成先生と小野先生と僕が、汗だくだくになって蘇生した。午後の1時半からマルクになっていたのに、その15分前から用意をナ一スがしていて、「1時半からするのだから、その前に来ておくべき」とガンガンナ一スに言われ、小野先生と僕が叱られた。小野先生は、決してナ一スを叱ることがない。こっち(ドクタ一側)が謝っていれば万事丸く収まると小野先生はいつも言う。自分には耐えられない。


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年金問題

2007-06-07 13:32:24 | Weblog
  年金問題、それを当てにして汗水垂らして頑張って来た多くの人にとっては、極めて深刻な問題となっている(当たり前かな)。
 年齢受給年齢が、自分の時から、65歳になってしまった。まあ、それはいいのだが、その内に、アメリカの様に、67歳になるのも、時間の問題の様である。遠い将来は、70歳前後になるだろう(年齢を上げるのが、支給する方にとっては、一番手っ取り早くて、確実な方法だから)。
 納めている金額にしても、次第に上がってきている。もっともっと今から上がっていく。収入がどんどん下がって行っているのに。それに反して、もらえる金額は、下がる傾向にある。
 それを如実に感じたのは、自分が入っていた医師会の医師年金保険(今は、医師会に加入していない)、30歳の初めに納め始めた頃は、60(65)歳からの金額が結構良くて、安心し切っていた。しかし、その金額が、次第に少なくなって行く通知を見て、心細くなって行った。しかし、この場合、ちゃんと金額を提示するから、まだ、良心的。
 保険庁の場合は、親方日の丸って感じで、こちがら申告しないと、まず、もらえない(これって、極めて不親切では?!)。それに、前もってその金額も提示されていない。そもそも、保険庁が天下り場所って所が信用できない。それに、ストックしたお金を年金以外で運用していること自体、不確かさを増強し、極めて不自然である。少子化の時代、年金を納める若い人は、次第に減少し行く。しかし、もらう人は確実に増えて行く。これ、どう考えても、しっかりとした人に任さないと、無責任な場当たり的な人では、本当に困ります。
 国民よ、もっと言うべき時は、言って、それを選挙に反映させようではないか・・・!!

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為になるかも知れない本(その111)

2007-06-07 08:08:36 | Weblog
 昭和60年版の「臨床研修病院ガイドブック」の初めの方に、国立病院医療センタ一院長でもあり、臨床研修研究会会長でもあられる織田敏次先生は、次に様に言われる(一部)。
 経験は私にもあるのだが、卒業当時が最も名医であった。いざ実際にベッドサイドに入ると、数年の内に迷医に落ちる。それは決して手間はとらない。アッという間の転落である。どうしてだろう・・・と考えてみる。ことは単純明瞭、それほど難しい理屈ではない。学生の講義とは、その時点に限れば最高の知識である。それぞれが入れ代わり、いずれ劣らぬ専門分野の先生方から豊かに放り込まれる。聴く側にすればむしろ消極的、それでいてけっこう批判的な、咀嚼も勝ってになさる。となれば、少なくとも知識だけは最高のものになるのが自明の理である。あとは欲だけの問題である。しかし今度はいささか様子が違う。自ら餌を求め、先輩の見よう見まねで医療の現場に参加するのである。知識として与えられたもろもろは、すべてが平均的な尺度でしか測れない。ところが現実の対象は平均的存在としての客体など、何の保証もない。しかも医療とは、試行錯誤の許されるものではない。実験の許される行為でもない。常に本番が待ち受けている。こうして考えてみると、やはり我流、自己流が恐ろしい。特に慎まねばならないのが勝手気儘な流儀ということになる。正統派の思考・技法をまず身につけることである。最初に手抜き、変則を覚えてしまうと、取り返しがつかない。そういった柔軟な受け入れができるのも若さ以外にない。若さこそ力である。素直に育っていただきたい、心がけ次第だと思う。

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大きな目で

2007-06-07 07:45:28 | Weblog
 今の時代、大きな目で物事を見たり、考えたり、そして、実行したりする人が少なくなっている様な気がする。自分の強い目標、自分の確固たる哲学、自分なりの生き方、少ない様な気がする。
 若者の間では、麻薬が密かに流行し、陰湿ないじめが頻発し、他人の為に損得なしで真面目に生きることが馬鹿呼ばわりされる傾向にある。日本の大人の世界では、事なかれ主義が蔓延している様に思うが。
 自由自由と言うが、自由には、それなりの責任と義務がかならず伴ってくることを忘れてはいけない。おかしいところは、変える勇気を持つことが大切である。
 今の政治にしても、官僚中心で来て、そのツケが今の姿になっている。しかし、そんな官僚の姿を野放しにしてきたのは、政治家。その政治家を選んだのは、紛れもなく、一人一人の国民。マスコミを批判するなら、そんなマスコミが流す低俗内容をボイコットして見なければいい。もっと根本を見つめる必要があると思う。
 医療も教育も、長年、そのおかしさが声高に言われている。年金の問題にしても、天下りの問題にしても、ずっとずっと前から言われている。しかし、根本的な所は、変わっていない。
 もっと目をよく開いて、見る必要があり、そして、おかしいところは、よく審議をして変えることである。

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象の出産

2007-06-06 13:11:58 | Weblog
 動物園での象の奇跡の出産が放映されていた。
 動物園で長く飼われていると、象のオスは、野生性がなくなってしまうらしい。で、交尾をしようとしなくなるらしい。で、上手く性交(交尾)に成功しても、それからがもっと大変で、成功した例は、国内では、ないとのこと(しばらくして、死亡したのも含む)。
 6月4日のニュースステーションで、千葉の「市原ぞうの国」のことが放映されていた。
 象の妊娠期間は、何と人間の倍の21~23月。生まれる子どもの体重は、100Kgもあるとのこと。私の知る限りでは、大自然では、象のオスで交尾出来るのは、人生経験(象生経験?)豊かなら年配のオスで、若い象は、メスからは、全く相手にされないらしい。象の群れは、母系社会で、出産の時は、大人のメスの象が、お尻を外に向けて、丸い円陣を囲んで行われる。象は、ヒトと違って、とても集団能力にたけていて、食事をする時にも、独り占めにすることはなく、他の種と一緒に摂ることが普通になっている。
 プ一リーなるアジア象の出産には、タイからそれに詳しい人達が来て、24時間監視で行われた。今年の5月3日に、無事に110Kgの子どもを出産した。しかし、これからが大変で、母親が自分の子どもと認識しないと、その多くは、死ぬ運命にあるらしい。それに、踏みつぶしてしまうことも多いらしい。で、直ぐに親から離し、授乳させることに挑戦することになる。授乳に成功すれば、(母性が芽生えて、大丈夫とのこと(人間と同じだなあ)。しかし、出産直後は、興奮していて、至難の業らしい。このプ一リ一も、しばらく暴れていたが、何とか授乳させることに成功して、子どもと認識することとなった。
 無事に育ってくれるといいなあ。しかし、象にとっては、動物園で飼育されるなんて、不幸なことなのかも知れないなあ。

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為になるかも知れない本(その110)

2007-06-06 07:54:18 | Weblog
○昭和51年7月4日(日)曇。
 (医長の)野中先生が山形屋の育児相談に行って、その間、診療が出来ないということで、10時~12時まで、代わりに当番医をした。婦長さんが、「宿直の先生がいるので、なるべくそこに行かせましょう・・・」と言った。早く実力のある医者になりたいものです。
○昭和51年7月5日(月)曇。
 久し振りに早く帰ったので、恵ちゃんは、ビックリしていた。それで、メシをまだ炊いていなかった。早く帰るといいなあ。遅くとも21時までには、帰って、そして又、行けばいい。そうだ、そうだ。しかし、患者さんが21時頃、急患で来ることが多いからなあ。
○昭和51年7月6日(火)曇。
 大学から急に、ベクトルの計測をせよと言ってきた。しかも、明日の朝までにと。(ベクトル心電図を)執っているデーターの意味がよく分からない自分等がして、果たしていいペーパーになるのかなあ?まあ、忙しいことは、それなりに自分が必要とされているからして、感謝すべきかも知れないが。
○昭和51年7月8日(木)曇。
 今していることが正しいかどうか、ちゃんとチェックしてくれる人がいないのが残念だ。このままだと自己流になり、患者さんを不幸にしてしまうかも知れない。絶えず、県病院の欠点を認識していることが大切だ。症例が多いので、テクニックは、直ぐに覚えられるはず。正しい医学的根拠にそったプロセルが大切だ。
○昭和51年7月9日(金)曇。
 未熟児を受け持った。ビリルビンが間接で26.6もあり、交換輸血となった。A型だったので、A型の人を集めてした。しかし、ここでは、今までずっとO型でしているとのこと、それで、いろいろもめた。
「今日の小児治療指針第3版」では、(新生児の交換輸血に用いる血液型は、国立岡山病院小児科医療センタ一の山内芳忠によれば)Rh型不適合では、Rh型陰性で児と同型、ABO型不適合では、AB型血清にO型血球を加えた合成血、特発性高ビリルビン血症では、児と同型となっていた。
「今日の小児治療指針第4版」では、(静岡県立こども病院新生児科の志村浩二によれば)Rh型不適合では、Rh陰性未感作のもの、ABO型不適合では、AB型血球とO型血球の合成血又はO型、特発性高ビリルビン血症では、児と同型又はO型となっていた。
「今日の小児治療指針第5版」では、(都立馳駆血産院小児科三科潤によれば)Rh型不適合では、Rh陰性で児と同型、ABO型不適合では、AB型血球とO型血球の合成又は母親と同型、特発性高ビリルビン血症では、児と同型となっていた。
 この時に、自分が調べた本では、Rh型不適合では、未感作のRh陰性で児と同型の血液は早急の場合入手困難なので、私共は、Rh陰性で児と同型の血液で2~3回施行しており、特発性高ビリルビン血症(ABO型不適合を含む)では、母親がO型ならO型で、他の場合は、児と同型でいいとしていると書かれていた。
 その後、注意していたら、小児科臨床に、児と同型でしてもどうしてもうまく行かなくて、O型でして、やっとうまく行った重症黄疸の症例が記載されていた。
*本に書かれているがまちまちで、特に、新生児医療に関しては、それが目立ち、これは大変な世界に入ってしまったと思う様になっていた。

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