私が受け持つ一年生クラスに,給食を苦手としている男の子がいます。
偏食・遅食が激しく,時間内に全部を食べきれたというのは,これまでにも数えるぐらいしかありません。
食べ始める前に量を調整する。
苦手なものでも「いくつは食べる」と約束する。
少し早目に「いただきます」をさせる。
など,いろいろな支援を続けるのですが,なかなか急に効果は上がるものではありません。
残してまで食べさせることはしたくないので,みんなと一緒に「ごちそうさま」です。
そして,いつも「ごちそうさま」の時間になると,まだ中身が残っている器を私のところに持ってきては,「先生…」と,暗い表情を見せます。
その暗い表情を見ると,
「食べきれないことに,悔しさをちゃんと感じてるんだな」
と伝わってくるので,また応援してあげたくなります。
応援だけでなく,具体的にどんな支援の仕方が効果をあげるのか,担任として必死に考えようと思わされます。
そんな中,先週は1日だけ,完食できた日がありました。
「やったー!4回目だ!先生!」
(4回目だったんだ… ちゃんと数えてたんだねぇ)
その喜び様が,私だけでなく周りの友だちにも大きな印象を与えました。
そんなときは,自然と,「おめでとう!」「すごいじゃん!」と,みんなからも美しいほめ言葉が出るものですね。
「もう何カ月にもなるけど,コツコツと続けてきたあの子の努力は,そして私の努力は,全く無駄ではないんだ。」
ちょっとおおげさですけど,そんな思いがしました。
もちろん,その日以降,毎日完食できたというわではありません。
また,偏食・遅食と格闘する毎日が続いています。
このクラスと過ごす日も,すでに1年の半分を過ぎています。
思います。
1年間という時間をしっかりとらえ,個別の目標を明確に掲げる!
ことの必要性を。
上の給食の話は一例ですが,給食意外にも,こんな風にして毎日コツコツとがんばっている子どもの姿がたくさんあるのが学級です。
その成長を助ける先生としては,一人一人の個別の目標をきちんと設定できていることが必要です。
これまでの私の経験から反省すると,
▲なんとなく「こんな子になれたらいいのにな」と漠然とした目標になっていることが多かった。
▲子ども一人一人のよさや課題はとらえているのに,それが具体的な支援策へと結びついていなかった。
▲1年間というスパンを考慮しておらずして,その範囲でできる的確な目標になっていなかった。
▲「明るいクラス!」などの学級の大きな目標のみを柱としてしまい,全員を強引にその一つの基準に合わせようとしていた。
そんな風に思えます。
改めて
「クラス一人一人に,個別の明確な目標を」
掲げて,具体的な支援策を講じていくということ,担任の仕事として確認したいと思います。
しかも,それを考える際には
「1年間というスパンをとらえる」
ことを忘れずに。
今回は,この部分を強調したいです。
1年間という時間は,考え方によってはそう長くはありません。
できることは限られていると,考えた方がいいかもしれません。
そう思うことで,「これだけはできるようにしてあげたい」という目標が,より明確になります。
そして,1年間の中で「いつ」「どうする」という,短期的・中期的・長期的な目標や支援策が思い浮かぶようになるでしょう。
「その子の人生は,これから先も長く長く続いていく。
その人生の中の,1年間というほんのわずかな期間,私が担任としてそばにいてあげられる。
そのわずかな期間の中で,その子の人生がよくなるように,私にできることは何だろうか。
○年生という時期に,つけなければいけない力は何だろうか。」
うまく表現できませんが,そんなスタンスでしょうか。
もちろん,「一人に一つの目標」というわけではありません。
学習面・生活面・情緒面… いろんな視点から子どもの姿を見てあげることです。
上の子は,目標の一つに「時間内に,自分が食べようと思った量の給食を食べられるようになる」ということがあると思っています。