今年のプロ野球は、日本ハムの10年ぶりの日本一が決まり幕を閉じたのだが、その日本ハムと日本一を争った広島の黒田投手のニュースが続いている。
時事通信が 11/1(火) 20:24に配信した記事<永久欠番、黒田の「15」発表=プロ野球・広島>によると、広島は、1970~80年代の黄金期を代表する強打者だった山本浩二氏の「8」、衣笠祥雄氏の「3」に続き、黒田投手の「15」も永久欠番とする方針を固めたようだが、海の向こうでも黒田投手の偉大さを讃える記事が絶えないようだ。その記事については、黒田投手と記事に敬意を表し大幅に引用させて頂きたいので、また後程。
このように日米の球史に刻まれた黒田選手だが、実は、黒田投手引退のニュースを聞いたとき頭に浮かんだのは、その少し前に読んでいた「陸王」(池井戸潤)の一節だった。
<広島・黒田 優勝で決断「悔いは無い」晴れやか引退会見>デイリースポーツ10月18日(火)19時24分配信より一部引用
広島の黒田博樹投手(41)が18日、今季限りで現役引退を発表するとともに広島市内のホテルで会見を行った。
決断した理由を問われ「すべては難しいが、一つはリーグ優勝して日本シリーズに進出できた。一つの大きな要因だったと思います」と、チーム25年ぶりの優勝を挙げた。
日本シリーズを前に発表したことには「難しいところはあったが、僕自身は終わってから伝えようと思ったが、自分が次投げる登板が最後になるかもしれない。まずはチームメートに伝えないといけない気持ちと、今までたくさんの人に応援してもらった。そういう人たちに伝えないといけない、そういうことにあった」と語った。
現役生活に悔いはなかったかと聞かれ「今年、みんなの力で優勝を経験させてもらった。最高のシーズンを送れたので、悔いはないです」と、晴れやかな表情で語った。
黒田選手引退のニュースを見て、足袋メーカーがマラソンシューズ開発に乗り出す過程を描いた「陸王」(池井戸潤)を思い出したというと、ジャンルが分かっていないようだが、そうではない。
チビッ子野球や甲子園は好きだが、プロ野球にはあまり関心が無い私でも、黒田選手が野球人生を古巣の広島で終えるため、ヤンキーズから提示された高額の年俸を振り切り帰国した男気のある投手だということは、もちろん知っている。
だが、晴れやかな表情で「悔いはない」と言い切る黒田選手の野球人生と、彼がチームに与えた影響を考えた時、なぜか「陸王」で描かれているマラソン選手の言葉が浮かんだのだ。
「陸王」には、どれほど努力しても超えることのできないライバルの存在に観念し、引退を決意するランナーの言葉がある。 (『 』「陸王」より引用)
『今まで、オレはずっと勝つために走ってきた。中学、高校、大学、そして社会人ー地球を一周半するほど走ってきたっていうのに、オレはあいつに勝てない。それに気づいちまった途端に、心に穴が空いちまったんだよ。その穴から、それまで漲っていたはずの気力が抜け落ちていくのが分かった。砂時計みたいにな。オレはもう、続けられない』
この言葉にある寂しさは、どの分野であれ努力が報われなかったという経験を持つ者なら共感できるものだが、とりわけスポーツにかけた人のそれは、打ち込んできた膨大なエネルギーに対して、その後の選択肢の難しさが分かっているから、より切ない。
黒田選手はプロとして十分に活躍し「悔いはない」と晴れやかに引退するにもかかわらず、何故この寂しい言葉が浮かんだのかと考えた時、あまりに対照的だからかとも思ったのだが、その経歴を振り返ると、最初から順風満帆だったわけではない野球人生が見えてきた。
これだけ日米で活躍した黒田投手だが、高校時代はずっと控え投手。高3の夏も三番手の控えで、一球も投げることなく部活を引退しているという。大学野球も華々しい六大学ではないし、大卒後の入団では投手としては遅いスタートとなるにもかかわらず、最初の4年は勝ちにも恵まれない。
それが入団5年目の2001年から突如二けた勝利を挙げる投手に成長し、アテネオリンピックの銅メダルに貢献して以降の黒田選手の世界を股にかけての大活躍は広く伝えられている通りである。
だが、チビッ子野球と甲子園に思い入れのある私のアンテナに掛かる選手ではなかった事が、意外にも、この謎を解く鍵かもしれない。
何で読んだか聞いたか忘れたが、「プロ野球の選手同士であっても甲子園出場経験の有無に拘りあうほどに、野球選手にとって甲子園は特別な場所」なのだという。そうであれば、甲子園出場どころか高校三年間万年控えでマウンドにも立てなかったという悔しさは、その後どんなに活躍したとしても、黒田選手の記憶から容易には消えなかったかもしれない。
が、その悔しさがあったからこそ、プロとして指名し先発として起用してくれた広島に、愛着と恩義を感じ続けてきたのかもしれないし、その思いがあったからこそ、ヤンキーズからの高額の年俸も振り切り、最後は古巣の広島で終えたいという男気のある選択に繋がったのかもしれない。
そう考えると、晴れやかな引退の弁のなかに、「陸王」のマラソン選手を思い起こさせるウエットなものが混じっていたともいえるが、それだけではない。
マラソン選手の敗残の弁に希望に繋がるものがあった為に、黒田選手の晴れやかさに重ねられたのだと思うのだ。
『俺の夢は、お前に預けた』
マラソン選手が引退するにあたり後輩に残した この『俺の夢は、お前に預けた』 という清々しい言葉は、精一杯やりきった者だけが言うことができる言葉のような気がしている。
そこで問われるのは、勝ち負けではなく、諦めることなく努力し続けたか否か、なのかもしれない。
黒田投手の野球人生の始まりは、華々しいものではなかったかもしれないが、地道に努力し続けるなかで花開き、その種を後輩と共に育てることで完結したのだと思う。
黒田投手の『俺の夢は、お前に預けた』の一つの形が、広島復帰であり、25年ぶりの広島優勝だったのだと思っている。
そんな黒田投手の生き方は、一つのロマンとして日米で共有されつつあるようだ。
<黒田博樹の偉大さは「3つの時代で成功したこと」米サイトが功績称える特集>
Full-Count 11/2(水)7:20配信より一部引用(加筆)
・米国内で黒田の功績に改めて賛辞、引退は「ポッカリと穴を残す」
今季限りで現役を引退した広島の黒田博樹投手に対し、米国内で改めて賛辞が贈られている。米スポーツ専門サイト「SBネーション」が「ヒロキ・クロダの並外れたキャリアを振り返る」との見出しで特集し、その輝かしいキャリアをレポートしている。
黒田は専修大から1996年のドラフト逆指名で広島入り。2008年にメジャー移籍をするまで6度の2桁勝利をマークし、2005年に最多勝(15勝)、2006年には最優秀防御率(1.85)にも輝いた。
さらに渡米後のドジャース1年目では9勝をマークすると10年以降は常に10勝以上を挙げ、12年のヤンキース移籍以降も含めて日本人初となる5年連続2桁勝利をマーク。11年からは3年連続で200イニング超えも果たした。
39歳で迎えた14年のヤンキース最終年も199イニングを投げるなど鉄人ぶりを発揮した右腕はメジャー通算212試合、1319イニングを投げ、79勝79敗、防御率3.45と堂々の成績を収めて広島に復帰。古巣でも2年連続で2桁勝利を挙げ、今年 は25年ぶりのリーグ優勝にも貢献した。
・黒田が偉大なのは「“3つの時代”で成功したこと」
NPB通算では321試合、2021回2/3を投げ、124勝105敗、防御率3.55。今年は日米通算200勝を達成するなど、数々の栄冠を手にしてユニフォームを脱ぐことになった。
そんな右腕の引退について記事では「彼が偉大なのは、2つのリーグ、違う言い方をすれば3つの時代、環境で成功したことにある」と言及。「並外れた先発投手」と評し、特にメジャー球団に移籍以降も安定した成績を収め続けたことを高く評価した。
また「クロダが残した衝撃は遠い未来まで影響を及ぼすだろう。キャリア後半、彼は野球界にいくつか のことを 示した。まず、異なったリーグで投球するのは非常に困難だ」とし、好投手であってもMLBで成功できない例があることにも触れている。
黒田の功績を称えた特集は「カープ、ヤンキース、ドジャースそして野球ファンへ、クロダの旅立ちはポッカリと穴を残すだろう」と、その引退を惜しむ一文で締めくくられている。
多くの選手がメジャーでプレーするようになった現在でも、引退に際してこれほどの賛辞が贈られる選手はそうはいない。黒田が残した足跡は日米で今後も語り継がれるに違いない。
http://full-count.jp/2016/11/02/post49862/
記事にもある通り、黒田投手が日米で残した投手としての足跡はもちろん素晴らしく、それだけでも偉大なのだが、私が黒田投手の生き方に一つの’’ロマン’’を感じ、それが日米で共有されつつあるというのは、戦績のことを云ってのことではない。
例の、ヤンキーズからの20億とも云われるオファーを蹴って、その何分の一かの契約金で広島に復帰した’’いわゆるひとつの’’ ’’男気’’についてである。
世界中を徘徊している妖怪カネゴンを向こうに回し、それよりも大切な’’何か’’を示してくれたことにもロマンを感じたが、それが日本野球の格を引き上げることに繋がったことにもロマンを感じているのだ。
’’男気’’に乾杯!
追記
世俗の垢にまみれた私では、もはや手遅れかもしれないが、今も懸命に球を追っている球児よJ君よ、野球に打ち込んでいるR君よ、男気ある男になっておくれ。 「人生に生きる野球道を!」 「静かなダンスが生み出す偉業」
野球でなくとも、真面目に懸命に目標に取り組んでいる若者よ、男気ある人になっておくれ。
そんな人々を、私はこれからも心を込めて応援したいと思っている。
時事通信が 11/1(火) 20:24に配信した記事<永久欠番、黒田の「15」発表=プロ野球・広島>によると、広島は、1970~80年代の黄金期を代表する強打者だった山本浩二氏の「8」、衣笠祥雄氏の「3」に続き、黒田投手の「15」も永久欠番とする方針を固めたようだが、海の向こうでも黒田投手の偉大さを讃える記事が絶えないようだ。その記事については、黒田投手と記事に敬意を表し大幅に引用させて頂きたいので、また後程。
このように日米の球史に刻まれた黒田選手だが、実は、黒田投手引退のニュースを聞いたとき頭に浮かんだのは、その少し前に読んでいた「陸王」(池井戸潤)の一節だった。
<広島・黒田 優勝で決断「悔いは無い」晴れやか引退会見>デイリースポーツ10月18日(火)19時24分配信より一部引用
広島の黒田博樹投手(41)が18日、今季限りで現役引退を発表するとともに広島市内のホテルで会見を行った。
決断した理由を問われ「すべては難しいが、一つはリーグ優勝して日本シリーズに進出できた。一つの大きな要因だったと思います」と、チーム25年ぶりの優勝を挙げた。
日本シリーズを前に発表したことには「難しいところはあったが、僕自身は終わってから伝えようと思ったが、自分が次投げる登板が最後になるかもしれない。まずはチームメートに伝えないといけない気持ちと、今までたくさんの人に応援してもらった。そういう人たちに伝えないといけない、そういうことにあった」と語った。
現役生活に悔いはなかったかと聞かれ「今年、みんなの力で優勝を経験させてもらった。最高のシーズンを送れたので、悔いはないです」と、晴れやかな表情で語った。
黒田選手引退のニュースを見て、足袋メーカーがマラソンシューズ開発に乗り出す過程を描いた「陸王」(池井戸潤)を思い出したというと、ジャンルが分かっていないようだが、そうではない。
チビッ子野球や甲子園は好きだが、プロ野球にはあまり関心が無い私でも、黒田選手が野球人生を古巣の広島で終えるため、ヤンキーズから提示された高額の年俸を振り切り帰国した男気のある投手だということは、もちろん知っている。
だが、晴れやかな表情で「悔いはない」と言い切る黒田選手の野球人生と、彼がチームに与えた影響を考えた時、なぜか「陸王」で描かれているマラソン選手の言葉が浮かんだのだ。
「陸王」には、どれほど努力しても超えることのできないライバルの存在に観念し、引退を決意するランナーの言葉がある。 (『 』「陸王」より引用)
『今まで、オレはずっと勝つために走ってきた。中学、高校、大学、そして社会人ー地球を一周半するほど走ってきたっていうのに、オレはあいつに勝てない。それに気づいちまった途端に、心に穴が空いちまったんだよ。その穴から、それまで漲っていたはずの気力が抜け落ちていくのが分かった。砂時計みたいにな。オレはもう、続けられない』
この言葉にある寂しさは、どの分野であれ努力が報われなかったという経験を持つ者なら共感できるものだが、とりわけスポーツにかけた人のそれは、打ち込んできた膨大なエネルギーに対して、その後の選択肢の難しさが分かっているから、より切ない。
黒田選手はプロとして十分に活躍し「悔いはない」と晴れやかに引退するにもかかわらず、何故この寂しい言葉が浮かんだのかと考えた時、あまりに対照的だからかとも思ったのだが、その経歴を振り返ると、最初から順風満帆だったわけではない野球人生が見えてきた。
これだけ日米で活躍した黒田投手だが、高校時代はずっと控え投手。高3の夏も三番手の控えで、一球も投げることなく部活を引退しているという。大学野球も華々しい六大学ではないし、大卒後の入団では投手としては遅いスタートとなるにもかかわらず、最初の4年は勝ちにも恵まれない。
それが入団5年目の2001年から突如二けた勝利を挙げる投手に成長し、アテネオリンピックの銅メダルに貢献して以降の黒田選手の世界を股にかけての大活躍は広く伝えられている通りである。
だが、チビッ子野球と甲子園に思い入れのある私のアンテナに掛かる選手ではなかった事が、意外にも、この謎を解く鍵かもしれない。
何で読んだか聞いたか忘れたが、「プロ野球の選手同士であっても甲子園出場経験の有無に拘りあうほどに、野球選手にとって甲子園は特別な場所」なのだという。そうであれば、甲子園出場どころか高校三年間万年控えでマウンドにも立てなかったという悔しさは、その後どんなに活躍したとしても、黒田選手の記憶から容易には消えなかったかもしれない。
が、その悔しさがあったからこそ、プロとして指名し先発として起用してくれた広島に、愛着と恩義を感じ続けてきたのかもしれないし、その思いがあったからこそ、ヤンキーズからの高額の年俸も振り切り、最後は古巣の広島で終えたいという男気のある選択に繋がったのかもしれない。
そう考えると、晴れやかな引退の弁のなかに、「陸王」のマラソン選手を思い起こさせるウエットなものが混じっていたともいえるが、それだけではない。
マラソン選手の敗残の弁に希望に繋がるものがあった為に、黒田選手の晴れやかさに重ねられたのだと思うのだ。
『俺の夢は、お前に預けた』
マラソン選手が引退するにあたり後輩に残した この『俺の夢は、お前に預けた』 という清々しい言葉は、精一杯やりきった者だけが言うことができる言葉のような気がしている。
そこで問われるのは、勝ち負けではなく、諦めることなく努力し続けたか否か、なのかもしれない。
黒田投手の野球人生の始まりは、華々しいものではなかったかもしれないが、地道に努力し続けるなかで花開き、その種を後輩と共に育てることで完結したのだと思う。
黒田投手の『俺の夢は、お前に預けた』の一つの形が、広島復帰であり、25年ぶりの広島優勝だったのだと思っている。
そんな黒田投手の生き方は、一つのロマンとして日米で共有されつつあるようだ。
<黒田博樹の偉大さは「3つの時代で成功したこと」米サイトが功績称える特集>
Full-Count 11/2(水)7:20配信より一部引用(加筆)
・米国内で黒田の功績に改めて賛辞、引退は「ポッカリと穴を残す」
今季限りで現役を引退した広島の黒田博樹投手に対し、米国内で改めて賛辞が贈られている。米スポーツ専門サイト「SBネーション」が「ヒロキ・クロダの並外れたキャリアを振り返る」との見出しで特集し、その輝かしいキャリアをレポートしている。
黒田は専修大から1996年のドラフト逆指名で広島入り。2008年にメジャー移籍をするまで6度の2桁勝利をマークし、2005年に最多勝(15勝)、2006年には最優秀防御率(1.85)にも輝いた。
さらに渡米後のドジャース1年目では9勝をマークすると10年以降は常に10勝以上を挙げ、12年のヤンキース移籍以降も含めて日本人初となる5年連続2桁勝利をマーク。11年からは3年連続で200イニング超えも果たした。
39歳で迎えた14年のヤンキース最終年も199イニングを投げるなど鉄人ぶりを発揮した右腕はメジャー通算212試合、1319イニングを投げ、79勝79敗、防御率3.45と堂々の成績を収めて広島に復帰。古巣でも2年連続で2桁勝利を挙げ、今年 は25年ぶりのリーグ優勝にも貢献した。
・黒田が偉大なのは「“3つの時代”で成功したこと」
NPB通算では321試合、2021回2/3を投げ、124勝105敗、防御率3.55。今年は日米通算200勝を達成するなど、数々の栄冠を手にしてユニフォームを脱ぐことになった。
そんな右腕の引退について記事では「彼が偉大なのは、2つのリーグ、違う言い方をすれば3つの時代、環境で成功したことにある」と言及。「並外れた先発投手」と評し、特にメジャー球団に移籍以降も安定した成績を収め続けたことを高く評価した。
また「クロダが残した衝撃は遠い未来まで影響を及ぼすだろう。キャリア後半、彼は野球界にいくつか のことを 示した。まず、異なったリーグで投球するのは非常に困難だ」とし、好投手であってもMLBで成功できない例があることにも触れている。
黒田の功績を称えた特集は「カープ、ヤンキース、ドジャースそして野球ファンへ、クロダの旅立ちはポッカリと穴を残すだろう」と、その引退を惜しむ一文で締めくくられている。
多くの選手がメジャーでプレーするようになった現在でも、引退に際してこれほどの賛辞が贈られる選手はそうはいない。黒田が残した足跡は日米で今後も語り継がれるに違いない。
http://full-count.jp/2016/11/02/post49862/
記事にもある通り、黒田投手が日米で残した投手としての足跡はもちろん素晴らしく、それだけでも偉大なのだが、私が黒田投手の生き方に一つの’’ロマン’’を感じ、それが日米で共有されつつあるというのは、戦績のことを云ってのことではない。
例の、ヤンキーズからの20億とも云われるオファーを蹴って、その何分の一かの契約金で広島に復帰した’’いわゆるひとつの’’ ’’男気’’についてである。
世界中を徘徊している妖怪カネゴンを向こうに回し、それよりも大切な’’何か’’を示してくれたことにもロマンを感じたが、それが日本野球の格を引き上げることに繋がったことにもロマンを感じているのだ。
’’男気’’に乾杯!
追記
世俗の垢にまみれた私では、もはや手遅れかもしれないが、今も懸命に球を追っている球児よJ君よ、野球に打ち込んでいるR君よ、男気ある男になっておくれ。 「人生に生きる野球道を!」 「静かなダンスが生み出す偉業」
野球でなくとも、真面目に懸命に目標に取り組んでいる若者よ、男気ある人になっておくれ。
そんな人々を、私はこれからも心を込めて応援したいと思っている。