「日米を魅了する’’男気’’」 「瑞垣 テキトーに中途半端 やめるってよ」より
プロ野球には関心が薄い私が、どうしたわけか黒田投手引退には心動かされるものがあり、ニュースを追いながら本などを読んできた締めくくりに、再度「陸王」(池井戸潤)について記しておこうと思うのは、「ラスト・イニング」(あさのあつこ)の野球部監督が「勝ちたくないのか」と’’勝ち’’に拘っていたからだ。
「陸王」の本の帯にはデカデカと、「勝利を、信じろ。」とある。
「陸王」は、マラソン界を描いているので、その’’勝利’’は勿論マラソンレースを意味するのだが、それだけでは、ない。
マラソン選手は、ひとり孤独に走っているわけではなく、所属する会社やスポンサーや、選手の足に合うシューズの開発に取り組む人々の思いとともに、42,195キロを走っている。
本書は、初めてランニングシューズの開発に挑む零細企業が、社員一同入れ込むことのできる選手に出会い、全面支援しながら企業利益をあげる方法を模索する過程を描いているだが、「勝利を、信じろ」というメッセージは、その過程に関わる人々と読者に向けられたものだと、思う。
本書の舞台となる足袋業者「こはぜ屋」は100年続いた老舗だが、衣服の変化と人口減少の影響で、日々の資金繰りにも頭を抱える状況だ。
堅実な金庫番は、「新規事業を考えるより伝統を重んじ現状死守に徹すべし」と言い張るが、肝心の銀行から、「新規事業でも立ち上げない限り新たな融資はできない」という通告されるに至り、四代目社長が決意する。
『伝統を守るのと、伝統に囚われるのとでは違う。
その殻を破るとすれば、今がそのときではないか。』
伝統に固執するのではなく、縋るのでもなく、その殻を破りながらも守るべきものは守っていくという発想で生み出されたのが、足袋の製造で培った技術を活かし、「裸足感覚で走る」をコンセプトにしたランニングシューズ’’陸王’’なのだ。
だが、良い発想と情熱を持っていたとしても、それだけで上手くいくほど商売は甘くはない。
世界的スポーツブランドとの熾烈な競争では、資金繰りから素材の調達にまで横やりが入るし、’’陸王’’を選ぶ選手にまで、その刃は向けられる。そこで描かれるス商業スポーツの一面は不愉快極まりないのだが、それが現実なので致し方が無い。
この醜い現実に、ジリ貧の超零細企業が立ち向かおうという話なのだから、毎度のことながら池井戸作品はスケールがでかい。
話のスケールがでかいだけに新規事業に関する難問が次々襲ってくるのだが、襲ってくるのは経営問題だけではない。
「こはぜ屋」は会社経営にも行き詰まっていたが、社長の長男・大地が就活で連戦連敗で就職浪人中であることも、会社に影を落としていた。
家業を手伝いながら就職活動を続ける長男・大地は、時に落ち込み時に自暴自棄になってしまうのだが、そんな大地に(雇われ)技術顧問・飯山は仕事とは何かと、語りかける。
この技術顧問は、自社が倒産した時にも機械とその部品を真っ先に持ち出したというほど、製造業におけるモノの重要性を重んじる人間だが、そんな人間であっても、『人だよ。絶対に代わりが無いのは、モノじゃない。人なんだ』 という。
だからこそ、モノ(部品)ではない人は、プライドをもって仕事をしなければならないという。
『本当のプライドってのは、看板でも肩書でもない。自分の仕事に対して抱くものなんだ。
会社が大きくても小さくても、肩書が立派だろうとそうじゃなかろうと、そんなことは関係ない。
どれだけ自分と、自分の仕事に責任と価値を見出せるかさ』
この技術顧問・飯山の言葉は長男・大地の心に響くが、それだけに、飯山が世界的特許を持ちながらも会社を倒産させてしまったことが、腑に落ちない。
4代目社長の父は言う。
『世の中ってのは、ただ一所懸命に頑張るだけじゃ報われないこともあるんだよ』
それに加えて、「経営には賭けの要素もある」という。
『どんな仕事をしてたって、中小企業の経営だろうと、大企業のサラリーマンだろうと、なにかに賭けなきゃならない時は必ずあるもんさ』 と言う父に対して、息子・大地は「賭けでは負けることもある」と反論するのだが、このとき父が返す言葉には、全ての勝負に通じる心構えが示されている。
『だから人生の賭けには、それなりの覚悟が必要なんだよ。
そして、勝つために全力を尽くす。愚痴をいわず人のせいにせず、できることはすべてやる。
そして結果は真摯に受け止める』
『だけどな。全力で頑張ってる奴が、すべての賭けに負けることはない。
いつかは必ず勝つ。お前もいまは苦しいかもしれないが、諦めないことだな』
二人の人生の先輩から、プライドをもち仕事をするということ、全力で頑張っていれば何時かは必ず勝つ、と教えられた大地は新たな気持ちで就職活動を始めるのだが、この物語には大地だけではなく、もう一人、若者が登場する。
それが、将来を期待されながら故障に泣いていたマラソンランナーの茂木だ。
物語の終盤になり、この若い二人が就職活動と(故障の原因となった)因縁のレースに再チャレンジする場面で、それぞれに決意する言葉が、清々しい。
大地は思う。
『困難であろうと、これを乗り越えないことには、次へ進めない。
だったら、そのためには戦うしかない。時間と体力が許す限り』
茂木は決意する。
『ただゴールするために走るんじゃない。勝つために走るんだ』
『長距離レースを他人のペースで走るのは、それ自体が冒険である。
とはいえ、自分のペースを守るだけで勝てるほど甘くもない。
勝つことは、他人を負かすことだからだ。
だが、他人に勝つためには、もう一つの勝負に勝つ必要がある。
自分との闘いだ。』
「瑞垣 テキトーに中途半端 やめるってよ」で、「勝つこと」にこだわる監督の「オトシマエをつける」という考え方について書いたが、これは本書の『他人に勝つためには、もう一つの勝負に勝つ必要がある。自分との闘いだ』に通じるものかもしれない。
そろそろ勝負に打って出る年齢ではなくなってきたと感じる今日この頃だが、勝負に勝つということが、「まず自分との闘いに勝つということ」「それは自分の生き方や選択に落とし前をつけるということ」だとしたら、私の人生、まだまだ一勝負も二勝負もあるはずだ。
私よ テキトーに中途半端 やめろってよ
プロ野球には関心が薄い私が、どうしたわけか黒田投手引退には心動かされるものがあり、ニュースを追いながら本などを読んできた締めくくりに、再度「陸王」(池井戸潤)について記しておこうと思うのは、「ラスト・イニング」(あさのあつこ)の野球部監督が「勝ちたくないのか」と’’勝ち’’に拘っていたからだ。
「陸王」の本の帯にはデカデカと、「勝利を、信じろ。」とある。
「陸王」は、マラソン界を描いているので、その’’勝利’’は勿論マラソンレースを意味するのだが、それだけでは、ない。
マラソン選手は、ひとり孤独に走っているわけではなく、所属する会社やスポンサーや、選手の足に合うシューズの開発に取り組む人々の思いとともに、42,195キロを走っている。
本書は、初めてランニングシューズの開発に挑む零細企業が、社員一同入れ込むことのできる選手に出会い、全面支援しながら企業利益をあげる方法を模索する過程を描いているだが、「勝利を、信じろ」というメッセージは、その過程に関わる人々と読者に向けられたものだと、思う。
本書の舞台となる足袋業者「こはぜ屋」は100年続いた老舗だが、衣服の変化と人口減少の影響で、日々の資金繰りにも頭を抱える状況だ。
堅実な金庫番は、「新規事業を考えるより伝統を重んじ現状死守に徹すべし」と言い張るが、肝心の銀行から、「新規事業でも立ち上げない限り新たな融資はできない」という通告されるに至り、四代目社長が決意する。
『伝統を守るのと、伝統に囚われるのとでは違う。
その殻を破るとすれば、今がそのときではないか。』
伝統に固執するのではなく、縋るのでもなく、その殻を破りながらも守るべきものは守っていくという発想で生み出されたのが、足袋の製造で培った技術を活かし、「裸足感覚で走る」をコンセプトにしたランニングシューズ’’陸王’’なのだ。
だが、良い発想と情熱を持っていたとしても、それだけで上手くいくほど商売は甘くはない。
世界的スポーツブランドとの熾烈な競争では、資金繰りから素材の調達にまで横やりが入るし、’’陸王’’を選ぶ選手にまで、その刃は向けられる。そこで描かれるス商業スポーツの一面は不愉快極まりないのだが、それが現実なので致し方が無い。
この醜い現実に、ジリ貧の超零細企業が立ち向かおうという話なのだから、毎度のことながら池井戸作品はスケールがでかい。
話のスケールがでかいだけに新規事業に関する難問が次々襲ってくるのだが、襲ってくるのは経営問題だけではない。
「こはぜ屋」は会社経営にも行き詰まっていたが、社長の長男・大地が就活で連戦連敗で就職浪人中であることも、会社に影を落としていた。
家業を手伝いながら就職活動を続ける長男・大地は、時に落ち込み時に自暴自棄になってしまうのだが、そんな大地に(雇われ)技術顧問・飯山は仕事とは何かと、語りかける。
この技術顧問は、自社が倒産した時にも機械とその部品を真っ先に持ち出したというほど、製造業におけるモノの重要性を重んじる人間だが、そんな人間であっても、『人だよ。絶対に代わりが無いのは、モノじゃない。人なんだ』 という。
だからこそ、モノ(部品)ではない人は、プライドをもって仕事をしなければならないという。
『本当のプライドってのは、看板でも肩書でもない。自分の仕事に対して抱くものなんだ。
会社が大きくても小さくても、肩書が立派だろうとそうじゃなかろうと、そんなことは関係ない。
どれだけ自分と、自分の仕事に責任と価値を見出せるかさ』
この技術顧問・飯山の言葉は長男・大地の心に響くが、それだけに、飯山が世界的特許を持ちながらも会社を倒産させてしまったことが、腑に落ちない。
4代目社長の父は言う。
『世の中ってのは、ただ一所懸命に頑張るだけじゃ報われないこともあるんだよ』
それに加えて、「経営には賭けの要素もある」という。
『どんな仕事をしてたって、中小企業の経営だろうと、大企業のサラリーマンだろうと、なにかに賭けなきゃならない時は必ずあるもんさ』 と言う父に対して、息子・大地は「賭けでは負けることもある」と反論するのだが、このとき父が返す言葉には、全ての勝負に通じる心構えが示されている。
『だから人生の賭けには、それなりの覚悟が必要なんだよ。
そして、勝つために全力を尽くす。愚痴をいわず人のせいにせず、できることはすべてやる。
そして結果は真摯に受け止める』
『だけどな。全力で頑張ってる奴が、すべての賭けに負けることはない。
いつかは必ず勝つ。お前もいまは苦しいかもしれないが、諦めないことだな』
二人の人生の先輩から、プライドをもち仕事をするということ、全力で頑張っていれば何時かは必ず勝つ、と教えられた大地は新たな気持ちで就職活動を始めるのだが、この物語には大地だけではなく、もう一人、若者が登場する。
それが、将来を期待されながら故障に泣いていたマラソンランナーの茂木だ。
物語の終盤になり、この若い二人が就職活動と(故障の原因となった)因縁のレースに再チャレンジする場面で、それぞれに決意する言葉が、清々しい。
大地は思う。
『困難であろうと、これを乗り越えないことには、次へ進めない。
だったら、そのためには戦うしかない。時間と体力が許す限り』
茂木は決意する。
『ただゴールするために走るんじゃない。勝つために走るんだ』
『長距離レースを他人のペースで走るのは、それ自体が冒険である。
とはいえ、自分のペースを守るだけで勝てるほど甘くもない。
勝つことは、他人を負かすことだからだ。
だが、他人に勝つためには、もう一つの勝負に勝つ必要がある。
自分との闘いだ。』
「瑞垣 テキトーに中途半端 やめるってよ」で、「勝つこと」にこだわる監督の「オトシマエをつける」という考え方について書いたが、これは本書の『他人に勝つためには、もう一つの勝負に勝つ必要がある。自分との闘いだ』に通じるものかもしれない。
そろそろ勝負に打って出る年齢ではなくなってきたと感じる今日この頃だが、勝負に勝つということが、「まず自分との闘いに勝つということ」「それは自分の生き方や選択に落とし前をつけるということ」だとしたら、私の人生、まだまだ一勝負も二勝負もあるはずだ。
私よ テキトーに中途半端 やめろってよ