「リアル書店を救うには」より
最近、「愚にもつかない」と小言を言うと、野球小僧が「何それって ’’うんこ’’みたいなこと?」と訊いてきた。
「うんこ?」
どうも、どうしようもなくバカバカしいこと、どうしようもなく忌々しいことを、「うんこ(みたい)」の一言で片づけることが子供たちの間で流行っているらしい。
その伝でいけば、私が書き綴っていることなど、まさに「うんこ(みたい)」なものだと反省させられるような一年前の文章が、グーグルさんから届けられた。
時々読み返しては、人様に分かりづらい文章(駄文)だと思っていたそれに、最近では自分自身が疲れてきた。
ブログに書くということは人様の目に触れることを(多少は)想定するので、本のなかの言葉を記す時には、個人的に印象に残る言葉であることは勿論だが、箴言のような言葉を拾い出そうとしてしまう。この習慣が、この一年で沁みついてしまった、これが、イケなかった。
本を単純に純粋に楽しむということが、少し減ってしまったような気がするのだ。
例えば、私は医療系の本が好きで、最近では知念実希人氏の「天久鷹央の推理シリーズ」や仙川環氏の作品なども楽しみにしているのだが、これらの本に、そうそう魂を揺さぶるような名言が散りばめられているわけでは、ない。50年後も残る名作かと問われれば、疑問だ。
だが、推理かつ医療系であるだけに、違う世界の現実や本音を垣間見させてくれるし、知識欲を適度に満たしながら楽しませてくれる、私にとってはヒット作だ。
この面白くはあるが格言の少ないヒット作に、箴言めいた何かを求めるとすれば、最近読んだ「時限発祥」(仙川環)にあった西條医師の、この言葉だろうか。
『災難が降りかかってくると、他人のせいにしたり、運が悪いって嘆いたりしたくなるけど、それって非建設的でしょ。少なくとも問題的には繋がらない』
『一喜一憂してもしょうがない。楽観も悲観もせずに、やるべきことを粛々とやるだけ。こういう時は、そういう姿勢が無難ね』
これは、優柔不断な私には打ってつけの言葉だが、そのようなことなど考えずに、もっと単純に素直に本を楽しみたいと思う、読書の秋である。
ところで、一年前にも触れており、「リアル書店を救うには」追記にも記している内容について、少し考えておきたい。
親愛なる丸善ジュンク堂代取は、「雑誌の読み放題サービスの普及は、店頭での雑誌販売に大きなダメージを与えてい」ると指摘されている。
近年、雑誌の発行部数はピーク時の半分、週刊誌に至っては三分の一とも云われるなかで、雑誌読み放題のサービスが店頭販売にいかに悪影響を及ぼしているかは想像に難くないが、タチの悪さで云えば、世論形成に与える影響の方が悪質もしれない。
'16前半の朝ドラ「とと姉ちゃん」を私は見ていないので、正確なところは分からないが、家人によると「婦人雑誌(暮しの手帖)の敏腕辣腕編集長は、記事内容への悪影響を避けるため、広告を掲載することに断固反対し続けた」そうだ。戦後間もない頃の雑誌ですら、広告主の介入が看過できない問題であったというならば、バブルを経験し商業主義にはしったマスコミ業界が、発行部数を半減させながら、モラルを守ることができるとは考えにくい。
広告主の言いなりになり、情報提供者の言いなりになり、誌面を作ればどうなるか。
これが営利企業同士なら、総務か法務あたりが銭金の問題として丁々発止やりあえば片が付くこともあるだろうが、一個人の名誉や思想信条に関わる事柄で大規模な世論誘導が行われたなら、この国の行方は、どうなるだろう。
この点に強い関心を持ったのは、雑誌(マスコミ)による敬宮様への攻撃があまりに凄まじかったからだ。
しかも、その凄まじいバッシング記事が、発売当日にはネット上に(無料)配信されていることに、どうしようもない憤りと不信を感じたからだ。
男児誕生の邪魔立てをするなとばかりに、まだ4歳の敬宮様は「笑わない愛子様」と大見出しでバッシングされた。
風邪で数日欠席された段階で、しかも東宮職が正式に発表する前から、朝日系雑誌は「愛子様不登校」と大見出しをうったが、自身の子供時代を覚えておれば、あるいは子育てを経験しておれば、そのような見出しが敬宮様にも学校にも良い結果を生まないことは火を見るより明らかだ。が、日頃は人権派を気取る新聞社が、小2の8歳のお子様を「公人」の一言で、窮地に追いやった。
その後も、学校生活における一挙手一投足から日常生活での一持ち物に至るまで微に入り細を穿つ報道がなされ続けている。それは、公人の行動を報告するというよりは、敬宮様を辱め、敬宮様の健やかな成長を妨げるのが目的のようにさえ、私の眼には映る。
まだ義務教育を受ける成長過程の児童・生徒の学校内での生活についてまで報道する自由を、マスコミは有しているのだろうか。
それを雑誌発売日にネットに配信する目的は何なのか。
そこにあるのは悪質な誘導以外の何ものでもないように、私には思えてならない。
これと同様のことが他の分野に生じていないとも限らない。
そうであれば、この国は取り返しのつかない方向へ突き進んでしまうのではないだろうか。
リアル書店の悲鳴も分かるが、情報の受け手である読者(消費者)からすれば、個々の書店はともかく大型書店の経営陣の方々は、どちらかと云えば情報の送り手側のように感じられる。
それゆえ、情報の受け手と直接かかわるリアル書店の経営陣の方々にお願いしたい。
売れるモノにこだわることも大事だが、良い本が良いものがウケる世の中になるよう工夫して頂きたい。
その力が、真っ当な本にはあると信じていたい。
その可能性が、リアル書店にはあると信じている。
頑張れ!リアル書店
最近、「愚にもつかない」と小言を言うと、野球小僧が「何それって ’’うんこ’’みたいなこと?」と訊いてきた。
「うんこ?」
どうも、どうしようもなくバカバカしいこと、どうしようもなく忌々しいことを、「うんこ(みたい)」の一言で片づけることが子供たちの間で流行っているらしい。
その伝でいけば、私が書き綴っていることなど、まさに「うんこ(みたい)」なものだと反省させられるような一年前の文章が、グーグルさんから届けられた。
このブログを始める以前から、私は読書備忘録をつけており、読んだ本のタイトルと印象に残った言葉を記していたのだが、このブログを書き始めて、ただ印象に残った言葉を記すだけでなく、「何故その言葉が心にひっかかったのか」ということにも注目するようになった、これが冗長的な文章の始まりである。読書と応援の道「ウンがついている」で、「流れ星が消えないうちに」(橋本紡)について「つづく」としたが、この本も含め読書と心の変遷について考えてみる。長年、読書備忘録をつけてきたが、この「何を......
時々読み返しては、人様に分かりづらい文章(駄文)だと思っていたそれに、最近では自分自身が疲れてきた。
ブログに書くということは人様の目に触れることを(多少は)想定するので、本のなかの言葉を記す時には、個人的に印象に残る言葉であることは勿論だが、箴言のような言葉を拾い出そうとしてしまう。この習慣が、この一年で沁みついてしまった、これが、イケなかった。
本を単純に純粋に楽しむということが、少し減ってしまったような気がするのだ。
例えば、私は医療系の本が好きで、最近では知念実希人氏の「天久鷹央の推理シリーズ」や仙川環氏の作品なども楽しみにしているのだが、これらの本に、そうそう魂を揺さぶるような名言が散りばめられているわけでは、ない。50年後も残る名作かと問われれば、疑問だ。
だが、推理かつ医療系であるだけに、違う世界の現実や本音を垣間見させてくれるし、知識欲を適度に満たしながら楽しませてくれる、私にとってはヒット作だ。
この面白くはあるが格言の少ないヒット作に、箴言めいた何かを求めるとすれば、最近読んだ「時限発祥」(仙川環)にあった西條医師の、この言葉だろうか。
『災難が降りかかってくると、他人のせいにしたり、運が悪いって嘆いたりしたくなるけど、それって非建設的でしょ。少なくとも問題的には繋がらない』
『一喜一憂してもしょうがない。楽観も悲観もせずに、やるべきことを粛々とやるだけ。こういう時は、そういう姿勢が無難ね』
これは、優柔不断な私には打ってつけの言葉だが、そのようなことなど考えずに、もっと単純に素直に本を楽しみたいと思う、読書の秋である。
ところで、一年前にも触れており、「リアル書店を救うには」追記にも記している内容について、少し考えておきたい。
親愛なる丸善ジュンク堂代取は、「雑誌の読み放題サービスの普及は、店頭での雑誌販売に大きなダメージを与えてい」ると指摘されている。
近年、雑誌の発行部数はピーク時の半分、週刊誌に至っては三分の一とも云われるなかで、雑誌読み放題のサービスが店頭販売にいかに悪影響を及ぼしているかは想像に難くないが、タチの悪さで云えば、世論形成に与える影響の方が悪質もしれない。
'16前半の朝ドラ「とと姉ちゃん」を私は見ていないので、正確なところは分からないが、家人によると「婦人雑誌(暮しの手帖)の敏腕辣腕編集長は、記事内容への悪影響を避けるため、広告を掲載することに断固反対し続けた」そうだ。戦後間もない頃の雑誌ですら、広告主の介入が看過できない問題であったというならば、バブルを経験し商業主義にはしったマスコミ業界が、発行部数を半減させながら、モラルを守ることができるとは考えにくい。
広告主の言いなりになり、情報提供者の言いなりになり、誌面を作ればどうなるか。
これが営利企業同士なら、総務か法務あたりが銭金の問題として丁々発止やりあえば片が付くこともあるだろうが、一個人の名誉や思想信条に関わる事柄で大規模な世論誘導が行われたなら、この国の行方は、どうなるだろう。
この点に強い関心を持ったのは、雑誌(マスコミ)による敬宮様への攻撃があまりに凄まじかったからだ。
しかも、その凄まじいバッシング記事が、発売当日にはネット上に(無料)配信されていることに、どうしようもない憤りと不信を感じたからだ。
男児誕生の邪魔立てをするなとばかりに、まだ4歳の敬宮様は「笑わない愛子様」と大見出しでバッシングされた。
風邪で数日欠席された段階で、しかも東宮職が正式に発表する前から、朝日系雑誌は「愛子様不登校」と大見出しをうったが、自身の子供時代を覚えておれば、あるいは子育てを経験しておれば、そのような見出しが敬宮様にも学校にも良い結果を生まないことは火を見るより明らかだ。が、日頃は人権派を気取る新聞社が、小2の8歳のお子様を「公人」の一言で、窮地に追いやった。
その後も、学校生活における一挙手一投足から日常生活での一持ち物に至るまで微に入り細を穿つ報道がなされ続けている。それは、公人の行動を報告するというよりは、敬宮様を辱め、敬宮様の健やかな成長を妨げるのが目的のようにさえ、私の眼には映る。
まだ義務教育を受ける成長過程の児童・生徒の学校内での生活についてまで報道する自由を、マスコミは有しているのだろうか。
それを雑誌発売日にネットに配信する目的は何なのか。
そこにあるのは悪質な誘導以外の何ものでもないように、私には思えてならない。
これと同様のことが他の分野に生じていないとも限らない。
そうであれば、この国は取り返しのつかない方向へ突き進んでしまうのではないだろうか。
リアル書店の悲鳴も分かるが、情報の受け手である読者(消費者)からすれば、個々の書店はともかく大型書店の経営陣の方々は、どちらかと云えば情報の送り手側のように感じられる。
それゆえ、情報の受け手と直接かかわるリアル書店の経営陣の方々にお願いしたい。
売れるモノにこだわることも大事だが、良い本が良いものがウケる世の中になるよう工夫して頂きたい。
その力が、真っ当な本にはあると信じていたい。
その可能性が、リアル書店にはあると信じている。
頑張れ!リアル書店