「七転び八起きならぬナナフシ」より
最近立て続けに、あの作家さんがこの作品か?というものを読み残念に感じていた。
そのような本の二冊目が、「リーチ先生」(原田マハ)だ。
原田マハ氏の作品には波があるようだが、原田氏の専門である美術を扱った作品はみな素晴らしい。
特に、「楽園のキャンバス」と「暗幕のゲルニカ」は、推理とサスペンスをベースにしながら、素人にも分かるように専門分野を織り交ぜ芸術論を語り、又それを通じて作者自身の思想を滲ませているあたり、常々見事だと感じていた。それゆえ、原田氏の美術モノは楽しみにしているのだが、本作に限っては少し冗長的というべきか中途半端というべきか、「らしくない」と思いながら読み進めていた。 (参照、「広島で<ゲルニカ>を考える」)
私の第一印象はともかく、本作はイギリス人陶芸家のバーナード・リーチとその弟子・沖亀之助の物語である。
1902年、イギリスが世界で初めて同盟を結んだのが日本であるが、その影響もあったのか日英間では芸術分野での交流も活発で、リーチ先生が訪日する契機となったのは、イギリス留学中の高村光太郎と親しくなったからである。この高村光太郎は云わずと知れた高村光雲の長男であるが、光太郎の口利きで高村家に書生として寄宿していたのが、もう一人の主人公・亀之助(カメちゃん)である。
本書は、人と人との出会いが上手く表現されており、何事かをなす歯車が回り出す時とは、このようなものなのかと思わせるほどである。
親の意に沿わぬながらも、親の財により芸術を学んだリーチ先生とは異なり、カメちゃんは母と二人で横浜の大衆食堂に世話になる少年であった。8歳のときには母も亡くし彼自身が食堂で働くのだが、店主に可愛がられ時間を見つけて絵を描くことを許され、また客から覚えた英語で店を切り盛りするようにもなっていた、そこへ訪ねてきたのが洋行を直前にした高村光太郎だった。彼はカメちゃんの英会話力と絵の才能を見い出し、高村家に寄宿するように勧め、住所を記した紙をカメちゃんに手渡し外国へ旅立つ。この光太郎がイギリスでリーチ先生と出会い、やはり訪日した際には是非とも高村家に立ち寄るようにと住所を記した紙をリーチ先生に手渡すのだ。
高村光太郎に手渡された紙を握りしめ、高村家を訪れた二人こそ、本書の主人公であるバーナード・リーチとカメちゃんなのである。
芸術を通じて日本とイギリスの架け橋になりたいと願うリーチ先生は、カメちゃんを通訳に活動範囲を広げていく。
イギリス仕込みのエッチングを日本に導入する一方で、日本の陶芸にのめり込んでいくリーチ先生。
イギリス人のリーチ先生が日本の伝統美を高く評価するのに対して、開国から間もない日本の若者が貪欲に海外の芸術を学ぼうとする、この対照的な姿勢はおもしろく、特に、日本の若者が世界に先駆けドイツの絵画を評価する場面では、大日本帝国憲法の制定過程が影響しているのか等と考えさせられ興味深かったが、ここで海外の芸術を貪欲に学んでいる若者たちこそ白樺派として名を馳せる、柳宗悦・志賀直哉・武者小路実篤らであった。
大正デモクラシーの空気のなか、芸術の垣根を取り払い白樺派や民藝の活動が興っていく過程は読みごたえもあり興味深いのだが、リーチ自叙伝と捉えるには冗長的であり、芸術論と捉えるには中途半端だと感じたことを残念に思っていたため、ブログに載せず読書備忘録に、ひっそりと一文だけを記していたのだ。
それは、本国イギリスに陶芸を広めるために帰国したリーチ先生と、その伴をしたカメちゃんが、陶芸に相応しい’’土’’を見つけることができずに途方に暮れる場面で、呟かれる言葉である。
『それは、どこかにある。そして、どこにでもある。
だから、きっとみつかるはずだ』 (『 』「リーチ先生」より)
・・・・・それは幸せに似ている・・・・・
これは、イギリスでカメちゃんが親しくなった女性シンシアの言葉であるが、シンシア自身は陶芸の何たるかも知らなければ、陶芸における土の重要さも分かっているわけではない。
だが、この陶芸とも芸術ともほど遠いカフェの女給さんの言葉は、リーチ先生が生涯をかけて追い求めた想いに近いのではないだろうか・・・・・。
特別な人による特別な芸術ではなく、’’名もなき花’’による’’用の美’’を重んじたバーナード・リーチという芸術家を描いた「リーチ先生」を読み、印象に残った言葉が、この一言だけだったことに寂しさも感じていたが、それを覆す出来事があった。
そして、それは「ナナフシ」(幸田真音)に新たな気付きを与えたのだが、そのあたりについては又つづく
最近立て続けに、あの作家さんがこの作品か?というものを読み残念に感じていた。
そのような本の二冊目が、「リーチ先生」(原田マハ)だ。
原田マハ氏の作品には波があるようだが、原田氏の専門である美術を扱った作品はみな素晴らしい。
特に、「楽園のキャンバス」と「暗幕のゲルニカ」は、推理とサスペンスをベースにしながら、素人にも分かるように専門分野を織り交ぜ芸術論を語り、又それを通じて作者自身の思想を滲ませているあたり、常々見事だと感じていた。それゆえ、原田氏の美術モノは楽しみにしているのだが、本作に限っては少し冗長的というべきか中途半端というべきか、「らしくない」と思いながら読み進めていた。 (参照、「広島で<ゲルニカ>を考える」)
私の第一印象はともかく、本作はイギリス人陶芸家のバーナード・リーチとその弟子・沖亀之助の物語である。
1902年、イギリスが世界で初めて同盟を結んだのが日本であるが、その影響もあったのか日英間では芸術分野での交流も活発で、リーチ先生が訪日する契機となったのは、イギリス留学中の高村光太郎と親しくなったからである。この高村光太郎は云わずと知れた高村光雲の長男であるが、光太郎の口利きで高村家に書生として寄宿していたのが、もう一人の主人公・亀之助(カメちゃん)である。
本書は、人と人との出会いが上手く表現されており、何事かをなす歯車が回り出す時とは、このようなものなのかと思わせるほどである。
親の意に沿わぬながらも、親の財により芸術を学んだリーチ先生とは異なり、カメちゃんは母と二人で横浜の大衆食堂に世話になる少年であった。8歳のときには母も亡くし彼自身が食堂で働くのだが、店主に可愛がられ時間を見つけて絵を描くことを許され、また客から覚えた英語で店を切り盛りするようにもなっていた、そこへ訪ねてきたのが洋行を直前にした高村光太郎だった。彼はカメちゃんの英会話力と絵の才能を見い出し、高村家に寄宿するように勧め、住所を記した紙をカメちゃんに手渡し外国へ旅立つ。この光太郎がイギリスでリーチ先生と出会い、やはり訪日した際には是非とも高村家に立ち寄るようにと住所を記した紙をリーチ先生に手渡すのだ。
高村光太郎に手渡された紙を握りしめ、高村家を訪れた二人こそ、本書の主人公であるバーナード・リーチとカメちゃんなのである。
芸術を通じて日本とイギリスの架け橋になりたいと願うリーチ先生は、カメちゃんを通訳に活動範囲を広げていく。
イギリス仕込みのエッチングを日本に導入する一方で、日本の陶芸にのめり込んでいくリーチ先生。
イギリス人のリーチ先生が日本の伝統美を高く評価するのに対して、開国から間もない日本の若者が貪欲に海外の芸術を学ぼうとする、この対照的な姿勢はおもしろく、特に、日本の若者が世界に先駆けドイツの絵画を評価する場面では、大日本帝国憲法の制定過程が影響しているのか等と考えさせられ興味深かったが、ここで海外の芸術を貪欲に学んでいる若者たちこそ白樺派として名を馳せる、柳宗悦・志賀直哉・武者小路実篤らであった。
大正デモクラシーの空気のなか、芸術の垣根を取り払い白樺派や民藝の活動が興っていく過程は読みごたえもあり興味深いのだが、リーチ自叙伝と捉えるには冗長的であり、芸術論と捉えるには中途半端だと感じたことを残念に思っていたため、ブログに載せず読書備忘録に、ひっそりと一文だけを記していたのだ。
それは、本国イギリスに陶芸を広めるために帰国したリーチ先生と、その伴をしたカメちゃんが、陶芸に相応しい’’土’’を見つけることができずに途方に暮れる場面で、呟かれる言葉である。
『それは、どこかにある。そして、どこにでもある。
だから、きっとみつかるはずだ』 (『 』「リーチ先生」より)
・・・・・それは幸せに似ている・・・・・
これは、イギリスでカメちゃんが親しくなった女性シンシアの言葉であるが、シンシア自身は陶芸の何たるかも知らなければ、陶芸における土の重要さも分かっているわけではない。
だが、この陶芸とも芸術ともほど遠いカフェの女給さんの言葉は、リーチ先生が生涯をかけて追い求めた想いに近いのではないだろうか・・・・・。
特別な人による特別な芸術ではなく、’’名もなき花’’による’’用の美’’を重んじたバーナード・リーチという芸術家を描いた「リーチ先生」を読み、印象に残った言葉が、この一言だけだったことに寂しさも感じていたが、それを覆す出来事があった。
そして、それは「ナナフシ」(幸田真音)に新たな気付きを与えたのだが、そのあたりについては又つづく