何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

落とす作業の一つ カツ丼

2016-11-28 23:13:15 | 
今日11月28日は、今年333日目であり、大晦日まで33日という日らしい。
子供の頃は、「3」は自分のラッキーナンバーの一つだと思っていたが、最近では「3」が重なると、’’さんざん’’という語呂が頭に浮かぶのは年のせいだろうか。
仕事など諸々の絶不調に加えて風邪気味でもあり、今日もどちらかと云えば、散々の方である。

何をやっても上手くいかない時、テンションを上げる工夫をする人も多いが、私は一端 徹底的に沈み込むことにしている。
沈みこんで低空飛行を続けながらも、車の運転中に中島みゆき氏の’’世情~頑固者だけが 悲しい思いをする’’などをがなるようになれば、此方のモノ、復活である。
だが、今は風邪で喉が痛いせいで、がなる元気がないので、沈む本を読むことにした。

「氷の轍」(桜木紫乃)  
桜木氏の本は初めてなので作風は分からないが、本のエピグラフを読む限り二度と浮かび上がれない予感がした。
『 他ト共  北原白秋
 二人デ居タレドマダ淋シ
 一人ニナツタラナホ淋シ
 シンジツ二人ハ遣瀬ナシ
 シンジツ一人ハ堪エガタシ』

本の帯より  (『 』「氷の轍」より引用)
『北海道釧路市の千代ノ浦海岸で男性の他殺死体が発見された。被害者は札幌市の元タクシー乗務員滝川信夫、八十歳。北海道警釧路方面本部刑事第一課の大門真由は、滝川の自宅で北原白秋の詩集『白金之独楽』を発見する。滝川は青森市出身。八戸市の歓楽街で働いた後、札幌に移住した。生涯独身で、身寄りもなかったという。真由は、最後の最後に「ひとり」が苦しく心細くなった滝川の縋ろうとした縁を、わずかな糸から紐解いてゆく。』

サスペンスは悲劇を扱うが、刑法犯的悲劇は一般人にとっては非日常的なので、適度に沈むには’’もってこい’’なのだが、本書は冒頭を読むなり少々反発心を抱いてしまい、読み進めるか否か迷いが生じた。
それは、脳梗塞で倒れた父(64歳)が、左半分が不自由になりリハビリも一進一退を繰り返していることにつき、主人公である娘が『人生における何の罰だったのか』と表現していたことにあったのだが、読み始めると、それを忘れるほど引き込まれてしまうストーリー展開だった。(とは云え、娘の心情が分かっても尚、不用意な言葉だとは思う)

発売から間もない推理モノについて結末を書くのは躊躇われるが、一言で云うならば、過去は過去として置いておくべきもの、といったところだろうか。
本書における殺害動機が、東野圭吾氏の「祈りの幕が下りる時」にも通じることを考えると、人様が忘れてしまいたい過去に善意やお節介で触れたために命を落とすというのは、よくあることのようなので、ミステリーの要素にこれ以上言及することは避け、非常に上手く書かれている心の機微について記しておきたい。

主人公の女性刑事・真由は、両親の「ほんとう」の子ではない。
刑事だった父が結婚後2年目で外につくった女に産ませた子を、同じく警察官だった母が引き取り、夫婦の子として育てたのだ。
真由自身は、体格こそ(血の繋がりある)父に似ているが、物の考え方や性格は(血の繋がりない)母に似ていると感じ、捜査の途中経過や捜査関係者の人物評の相談も、母にする。
そして、その会話が実に良い。
捜査対象者の息子について『どう考えても真っ直ぐ育ちそうもない環境だった』と言う真由の言葉に、継母が『真っ直ぐ育つか育たないかなんて、誰も予測はできないの。困ったことに人は生まれ持った性分を死ぬまで背負って行くらしいのね』とサラリと答えるのにはドキリとさせられるが、それに続く言葉は考えさせられる。
『人の日常は、そういう思惑(私的注、素質か環境か)を超えたところにあると思う、平穏に見える日常は二者択一の連続で成り立っているって、誰かが書いてた。そういう意味では、誰にも平穏なんてないのかもしれないわねえ』
又ある時に、娘が高齢の捜査対象者に会った印象を『生きてきた時間に善し悪しなんてないんじゃないかって思う』と言えば、母は『経てきた時間しか、その人を証明する方法がないのも確かなことだよ』と応える。

本書の事件を解くカギが、「家族や血の繋がりと責任」にあるため、この血の繋がりはないが気脈が通じある継母と娘の在り様や会話は重いのだが、推理小説という処を離れたとしても、鋭い人物観察評は読む人を唸らせる場面は多い。

例えば、あまりに辛い成長期を経験したため鈍感にならざるをえない女がいた。
一見気の毒な境遇のその女を、本書のデカは違う角度から観察する。
『ありがたいと口にしながら何度でも頭を下げられる鈍感さを、生きる力と呼ぶのなら、目の前の彼女は生命力の塊だった。何も放り出さない代わりに、何一つ内側へと取り込まない。自ら傷つきもしないし、他人を傷つける自覚もない。』
『(その鈍感さで)自分が生きることにしか興味がない―』
気の毒な境遇の女性が、ありがたいと弱々しく頭を下げれば、優しい誰かが心を痛める、そこに何らかの責任を感じていれば、何かせずにはおれなくなる。
その結果、『周りはあの鈍感さに、いいだけ振り回され』ることになる。
『自分の手に余るものはみんな、ないことにする人間ってのがいるんだ。肩幅からはみ出したことは、無意識のうちになかったことにできる。姉がいたことも、生まれ育ちについても、面倒と思った段階で放棄だ。知らないっていうよりは、気づくつもりもないんだ』

無意識に『いい人をやっている』人間の本質のところの狡さが鋭く書かれており、思わず唸らされたのだが、この鈍感で無意識にいい人のために犯行に手を染めてしまう人の言葉を後々考えてみると、単に振り回されていたわけではないことに気付き、それだけに一層切ない。
『自分の選択が間違っていなかったという答えを欲すると、人間っていくらでも時間をかけてそのことに取り組めるものだと思うから。』
『いくら便利な世の中になっても、人の感情だけはどうにもなりません。過剰なものを削ることも出来なければ、希薄なものを濃くすることも無理なんです。けど、感情の希薄さに落としどころを見つけるのも、生きる作業のひとつじゃないかと思うんですよ』
これらは、真由と犯人の捜査とは無関係な会話(介護や、生さぬ仲の関係)の一部であるが、それだけに犯人が、『(無意識に)いい人をやってる』鈍感人の「鈍感」を分かったうえで、自ら選択して犯行に及んだことに気付かされるようで、切なさが増す。

心の襞を丁寧に書ききった本書の文学としての素晴らしさは兎も角、止むを得ない犯行というものが、あまりに上手く描かれるのも問題だと思うので、サスペンスとして出色だったのは、真由が容疑者の家を再度訪問する口実にするため、わざとハンカチを落としていく場面としておこう。
『訪問先をもう一度訪ねるために、営業マンが良く使う手だという。
ー 傘とか安いライターとか、見つけた人間が気の毒に思わないようなものをわざと落として来るんです。初回でいい感触がなくても、忘れものをすることで次の訪問のきっかけが掴めるじゃないですか。相手に「こいつ間が抜けてるけど可愛げあるな」と思わせたらこっちのものだんだ。頭を下げながら、相手がちょっと僕のことを仕事のできない馬鹿なヤツとほくそ笑んだところを、見逃さないのがコツなんですよ。』

この、詐欺師の供述を真由が利用する場面が印象に残ったのは、社会科見学で警察本部に行った子供の言葉を思い出したからだ。
「テレビみたいに、本当にカツ丼で釣るんですか」
「・・・・・」
子供の感触では、「アリ」らしい。

33なところから浮かび上がらせてくれた本書に感謝している。

追記
もう一つ、どうしても記しておきたい言葉があった。
『捨てたものを、追ってはいけません。長く生きすぎてもいけない。
 堪えがたい独りでも、ふたりでやるせないよりいは、いいんです。』