お茶の水の湯島聖堂にて、
論語と書道の講座に参加した。
午前10時、湯島聖堂着。
講座は10時30分からなので・・
まずは境内の桜を見に行った。
想定通り満開だ!澄み渡る青空に映える桜。
気分を良くして、講座の受付に向かう。
どの部屋で開催しているのか確認したところ・・
なんと、私の申し込んだ論語講座は午後からだった、、、
だが、ちょうど今、
こども論語塾をやっているので
よろしければどうぞ!と案内いただいた。
せっかくなので参加した。
会場には幼児と父兄が熱心に定子先生のお話を聴いていた。
年齢は5歳児が中心のようだ。
こども論語塾のお約束は
・質問されたら自分で考える
・素読の時は姿勢を正す
そのお約束通り、
姿勢を正し、大きな声で先生の後について素読をした。
温故知新・・
故きを温ねて新しきを知れば、
以て師と為るべし。
ふるきをたずねて あたらしきをしれば
もって しとなるべし
先生が子供たちに質問する。
ふるいものってなんでしょう?
すると・・お約束通り「自分で考えて」
何人かが手を挙げる。
汚れているものです。
そうですね、確かに古いものは汚れていますね。
他に、おじいさん・・とか、お城とか
いろいろでてくるようだ。
すべて正解なのだが、
さらに先生が話を展開していく。
1年前、皆さんはどうしていましたか?
コロナで幼稚園に行くこともできませんでしたね。
今もコロナは続いていますが、
以前と比べると、どのように過ごしたらよいのかわかってきましたね。
ふるいものには、過去の自分もあるのです。
過去の自分を振り返ることを反省といいますが、
孔子はとても大切なことだと言っています。
温故知新とは自分も含めて、過去(ふるいもの)から学ぶということなのです。
子供にわかるように話をすることは、
論語に限らず、とてもむつかしいことだと思う。
なぜなら、本当に言葉の意味を理解していないと
具体的に表現はできないからだ。
いったん家に戻り、午後また出直す。
早めに行って、教室で待機。
昌平橋の小諸そばで二枚もりを食べたので
お腹いっぱいになり、窓から自然の外気も心地よく
うとうとしていた。
開始時間が近づくと、
今度は中高生が多い。
なんと、午後は中高生のコースだった。
もちろん年齢制限があるわけではなく
誰が受講してもよいようだが・・
自分のいいかげんさに、あきれてしまった・・・
だが、同時にとても貴重な体験だった。
参加する年齢やレベルにあわせて章句を選び、
わかりやすく丁寧に話をする。
とても勉強になった。
定子先生いわく、
古典は、良いものだから残っているのです。
2500年前の言葉が今も心を打つのは
人間として普遍的なもの、
原理・原則を言っているからです。
時代の変化が速い昨今は、
なおさら人間力というものが大切になってきますね。
定子先生の言葉に納得しっぱなしだった。
論語の後は甫光先生の書道。
いくつかある例題の中から、
私が選んだのは「切磋琢磨」
書道も奥が深い。
今日はとめ、はね、バランスを
注意しながら書いた。
書いている間は集中して
無になれる気がした。
切磋琢磨・・元は自己研鑽を意味する言葉だったそうだ。
近年は自己研鑽をするものが複数人で競い合うことを意味するようになった。
石を磨くように、自己と向き合いたい。
論語と書道の講座に参加した。
午前10時、湯島聖堂着。
講座は10時30分からなので・・
まずは境内の桜を見に行った。
想定通り満開だ!澄み渡る青空に映える桜。
気分を良くして、講座の受付に向かう。
どの部屋で開催しているのか確認したところ・・
なんと、私の申し込んだ論語講座は午後からだった、、、
だが、ちょうど今、
こども論語塾をやっているので
よろしければどうぞ!と案内いただいた。
せっかくなので参加した。
会場には幼児と父兄が熱心に定子先生のお話を聴いていた。
年齢は5歳児が中心のようだ。
こども論語塾のお約束は
・質問されたら自分で考える
・素読の時は姿勢を正す
そのお約束通り、
姿勢を正し、大きな声で先生の後について素読をした。
温故知新・・
故きを温ねて新しきを知れば、
以て師と為るべし。
ふるきをたずねて あたらしきをしれば
もって しとなるべし
先生が子供たちに質問する。
ふるいものってなんでしょう?
すると・・お約束通り「自分で考えて」
何人かが手を挙げる。
汚れているものです。
そうですね、確かに古いものは汚れていますね。
他に、おじいさん・・とか、お城とか
いろいろでてくるようだ。
すべて正解なのだが、
さらに先生が話を展開していく。
1年前、皆さんはどうしていましたか?
コロナで幼稚園に行くこともできませんでしたね。
今もコロナは続いていますが、
以前と比べると、どのように過ごしたらよいのかわかってきましたね。
ふるいものには、過去の自分もあるのです。
過去の自分を振り返ることを反省といいますが、
孔子はとても大切なことだと言っています。
温故知新とは自分も含めて、過去(ふるいもの)から学ぶということなのです。
子供にわかるように話をすることは、
論語に限らず、とてもむつかしいことだと思う。
なぜなら、本当に言葉の意味を理解していないと
具体的に表現はできないからだ。
いったん家に戻り、午後また出直す。
早めに行って、教室で待機。
昌平橋の小諸そばで二枚もりを食べたので
お腹いっぱいになり、窓から自然の外気も心地よく
うとうとしていた。
開始時間が近づくと、
今度は中高生が多い。
なんと、午後は中高生のコースだった。
もちろん年齢制限があるわけではなく
誰が受講してもよいようだが・・
自分のいいかげんさに、あきれてしまった・・・
だが、同時にとても貴重な体験だった。
参加する年齢やレベルにあわせて章句を選び、
わかりやすく丁寧に話をする。
とても勉強になった。
定子先生いわく、
古典は、良いものだから残っているのです。
2500年前の言葉が今も心を打つのは
人間として普遍的なもの、
原理・原則を言っているからです。
時代の変化が速い昨今は、
なおさら人間力というものが大切になってきますね。
定子先生の言葉に納得しっぱなしだった。
論語の後は甫光先生の書道。
いくつかある例題の中から、
私が選んだのは「切磋琢磨」
書道も奥が深い。
今日はとめ、はね、バランスを
注意しながら書いた。
書いている間は集中して
無になれる気がした。
切磋琢磨・・元は自己研鑽を意味する言葉だったそうだ。
近年は自己研鑽をするものが複数人で競い合うことを意味するようになった。
石を磨くように、自己と向き合いたい。